原発の儚5️⃣
原発の儚5️⃣
-香-
髭は原発作業員である。この部屋の主のタクシー運転手を待っている。
二人にはつい先日まで楢葉という原発で働く電気工の悪友がいたが、黎子の家のあの火災で焼死していた。『原発の女』でベント室の繭子を目撃したのも楢葉であった。
火傷をおって入院している黎子の容態を髭もタクシー運転手も知らないし、関心もない。
急停車の音に続いて、タクシー運転手がけたたましく飛び込んできた。
「待たせたな。ややこしい客に手間取った」酒焼けした赤鼻の男だ。髭の男が作ったオンザロックをせわしなく流し込んで、「稀にない代物だ。驚くぞ」「前置きはいいから始めろよ」
赤鼻がビデオテープを装着すると、テレビに画像が浮かび上がった。
十秒ばかりは真っ暗だ。そして、蝋燭が一本、点された。
次々に点されて、やがて、長襦袢に続いて髪の長い女がぼんやりと浮かび上がった。さらに、その女が蝋燭を点すと、うっすらと映像に色が付く。赤い長襦袢が浮かび上がる。肩まである髪が乱れている。アイマスクをしている。
女は香を焚いているのだ。次々と数ヵ所に蝋燭を点しながら香を焚いた。やがて、様々な色の煙が立ち上り、その部屋に充満した。
「随分と念の入った趣向だな?」「この女は幾つだ?」「四〇半ばだな」「いや。五〇近い」「尻の具合は若そうだが」「肉付きがいいから、そう見えるだけだよ」「場所は?」「Fか?」「そうだ。あそこの社長がダビングしたものだ」「いや。薄暗くて良く判らないがFはこんな雰囲気じゃないな」「モテルでこんなに火は焚かないか?」
場面が変わった。ベッドに仰臥した浴衣の男の下半身だけが映っている。やはり浴衣の女が背中を見せて屈み込んだ。
カメラの位置が変わった。勃起した陰茎が大写しになった。女の指が延びてきて握り締める。
==音声が入り始めた。====
「どうだ?」「あの香が効いたみたいだわ」「俺もだ。覿面テキメンだな」「それで?」「頼みがあるんだ」「なに?」「町長選挙だ。半月後には告示だからな」「それがどうかしたの?」「現職を追い上げていいところまで来てるんだが…」「良かったじゃない?さすがね?」「問題はF町職員労働組合だ」「反現職でまとまったんでしょ?」「委員長派と現職との関係が、今一つ探れないんだ。あの委員長は昼あんどんの様に見えてしたたかだからな。下手に手を出すとこっちが危ない。切り崩しが思う様にいかないんだ」「それを私に?」「察しがいいな。もう少し確証が欲しい」「嫌よ」男は構わずに続ける。「あの委員長は好色だからな。お前がその気になれば一発で籠絡できる」すると、テープが乱れた。
===やや、時間があって、「高いわよ」「分かっている」====
「この二人は反町長派だよな?」「Fも表向きは現職だが。反なんだろ?」「そうでなかったら、何であの親父がお前にこんなテープを渡したんだ?」「町長派って言ったって、保守から進歩までの寄せ集めだからな。色々な派閥があるんだ」「あの町長自身が怪物みたいな奴だからな。権力や利益とみたら見境なしだ」「Fは何て言ってるんだ?」「選挙事務所の岡嶋に渡せって」「どういう事なんだろう?」「テープのこの男は反町長派の裏選対の参謀だな?」「革新党か労働組合の幹部か?」「やっている事はやくざ顔負けだ」「待て、待て。これほどの乱戦だ。このテープが町長派の陰謀だったら、どうする?」「それもあるな」
「女は?」「ここらの女じゃないだろ」「T市の飲み屋辺りか?」「そんなとこだろう」「いや。そんな浮わついた感じじゃない。随分と素人離れしているぞ」
反町長派が色仕掛けで町長派を切り崩している、という噂が、忽ちの内に広まった。反町長派の幹部は否定したが、支持者には動揺が走った。
とりわけ職員組合の書記長の池田は苦虫を噛み潰した。反町長派の急先鋒で、明言はしないが町長派の委員長と陰湿に対立していた。職員も二分されていたのである。
一方、弛みきっていた町長派は引き締まった。果たして、あのテープはどの陣営が、何のために作ったのか。投票日の半月前の出来事である。
-対決-
F町の町長選は、 原発立地六市町村のリーダーといわれる現職町長の双葉が三選を目指して出馬を表明した。
だが、彼はそもそもは進歩党に所属していて、原発には強硬に反対する急先鋒だったのである。
県会議員を中途で辞して町長選に立候補して当選した途端に、推進派に転向したのだった。沸騰する批判や保守派の怪訝に対して、現実への転身だと言い放って憚らなかった。
F町はいうに及ばず、原発立地自治体の政治地図に激震が走った。進歩党はもちろん保守勢力も分裂した。
F町の原発を巡る世論は更に複雑なモザイク模様を描く事となったのである。
こうした情勢で、二期八年の双葉町政は、三度目の審判を迎えようとしていたのだが、突然、異変がおこった。常に独自の公認候補を出してきた革新党が、初めて無所属候補を推薦したのだ。こうして町を二分する稀に見る激突の構造になったのである。原発を誘致してからというもの、この町は様々な魑魅魍魎に取りつかれているのであった。
対立候補の金居カナイは五〇歳。半島人の血を引く。極貧の兼業農家の生まれで父親は原発作業員だった。高校卒業後、電気部品製造会社に就職。労働組合を結成して解雇されたが裁判闘争を経て和解して退職。二八歳で「全日本労働組合評議会」県本部の専従役員に。三〇歳で結婚し三七歳で離婚。
-始子モトコ -
投票日の一月前。女の部屋である。二人が謀略をこらしている。
男は岡嶋という。県会議員だ。現職町長の双葉の参謀でもある。四八歳。妻子がある。印刷会社の社長。
女は始子モトコ。五〇歳。亡父は前町長であった。富農の一人娘。一九六〇年の原発誘致後はアパートを経営。首府の女子大を卒業後、地元の農業法人に就職。三〇で特殊法人「原発環境整備」に転職。現在は事務局次長である。独身。岡嶋と不純な交際を続けて二年になる。
「これを読んでみろ」と、岡島が差し出した紙を元子が読み始めた。
=怪文書=
暴かれた謀略!
ある陰謀を証言する情報の提示が確認された。公序良俗の観点から、以下の部分しか公開できないが、極めて卑劣な選挙戦がますます混迷するのは確かだろう。現行の町政に信頼を寄せる皆さんは、賢明な判断、即ち、町長の言動を信頼して、最後までゆるみなく邁進しようじゃありませんか!
不正選挙を憂える一町民
(女)「F町職員組合の動きはどうなの?」
(男)「町長支持の委員長派と反町長の書記長派が拮抗していて…」
(女)「私が委員長に抱かれてして切り崩すのね?」
(男)「察しがいいな」
(女)「委員長は幾つなの?」
(男)「四〇だ」
(女)「どんな風にやればいいの?」
「この男が金居で、女が私だって言うの?」始子の剣幕にたじろいだ岡島がウィスキーを飲んで煙草に火を点けた。「そういう噂が立っているんだ」「怪文書も随分と見たけどあきれ返ったわ。あなたも、こんな陳腐な子供だましを信じてるの?」「馬鹿な。だが、問題は支持者の間に噂が広がって、動揺が走っているんだ。世間の口に戸は立てられない。わかるだろ?町長後援会の幹部連中も対策を要求している。手をこまねいているわけにはいかないんだ。下手したら、俺の首だって危なくなるくらいなんだぜ。だから、真相を解明したいんだ」
女が紫煙を燻らしながら膝を組み替えて、「だいたい、この怪文書はどの陣営が出したの?」「順当に考えれば、町長派の誰かだろうな」「町長派?どうしてなの?」「意図は判らないが、反町長派が出す理由がない。自滅するだけだからな。消去法だよ」「あなたは選挙対策の参謀でしょ?町長派の誰がこんなものを出したか、知らないの?」「町長派も、実際はバラバラなんだ。この組合の委員長にしたって町長が進歩党の頃からの付き合いだが、風見鶏で、明確な町長支持とも言えないんだ」
「マスコミは詳しい内情を知らないから、現職の再選確実なんてはやしているが、実際は…」「危ないの?」「このまま何も対策しないでいけば…」
「どうするの?」「先ずはこの怪文書を誰が作ったかだ」「思い当たる節はないの?」
「町長夫人と何かなかったか?」「私が?あの女と?」「昔から好きじゃないけど、殆ど接点がないもの。あの女を疑っているの?」「最近は、特に悪い噂が立っている」「どんな?」「男に決まってるだろ」
町長の後妻の現夫人は世子セイコという。県庁所在地の小さなバーのママだった女だ。類い稀な淫乱だという噂がある。五〇歳。世子と始子は同級生である。そして、世子はあの始子の義姉である。
世子は駐留軍の軍属の男、日系二世のトニーと関係がある。トニーは相馬と通じている。トニーをあの磐城が追っているのだ。
「いずれにしても俺達は原発共同体だ。こういう状況だからこそ疑心暗鬼は禁物だ」「原発共同体?そうだわよね。原発は私達の生きる源だものね」「そうだろ?町長の座があいつらの手に渡ったら取り返しがつかない。俺の家は零細な印刷屋だったが、原発に食い込んだからここまで来れたんだ」「私だってそうだわ。父親が町長で権力をふるえたのも原発のお陰だもの。現職町長の再選が至上命題なんだわ」
「面白い事を思い付いたわ」始子の目が煌めいた。「もし私が本当に金居の女だったらどうなるの?」女が「ねえ?」
「もし、この怪文書の様なテープが世間に明らかになったらどうなるの?」
「テープか。生身の話だからな。怪文書とは逆になるな」「そうでしょ?実際のテープが漏洩したって事になったら、反町長派が大打撃を受けるんだわ」
「このビラみたいに私は、違うわ、世子よ。あの女が金居の女なのよ」「あなたが金居になって世子になった私と、あのビラみたいにすればいいんだわ」
始子と金居は幼馴染みである。七歳の夏休みに一人ヶ浜で交接していた。
-謀略-
異様に蒸し暑いうだる昼下がり。
女の寝室である。厚いカーテンが引かれているから薄暗い。派手な寝具で彩られたダブルベッドの脇にテビがある。
「テレビを見てみろよ」三脚にビデオカメラを据え終えた男が促した。「何が映ってる?」女の漆黒の股間だ。
「もっと広げてみろよ」女の陰部が大写しになった。
「約束通り顔は写さない。これだったらいいんだろ?」「そうね。あなたのも見せて?」男が陰茎を画面に入れた。「こうして見ると、実際より淫靡だわ」
女が思い付いた様に、「顔を映してみて」と催促した。男が三脚からカメラを外して女の顔に向ける。
テレビの画面に写し出された女の髪は肩まで乱れている。男が用意したかつらだ。「私じゃないみたいだわ」「さっきの眼鏡をかけてみたい」男が用意した眼鏡を手渡す。女がそれをかけて、「これだったら間違って顔が写っても全然判らないわね」「安心したか?」「そうね」「じゃあ、撮ってもいいんだな?」
「カーテンを全部引いて」男がカーテンを引き終わると殆ど日光は入らない。
男がカメラを持って構えた。赤い長襦袢を着てアイマスクをした女が、蝋燭に火を点け始めた。数本の蝋燭を点けると香を焚き始める。蝋燭と香は町長の後妻の世子の趣味なのである。
室内には色とりどりの香の煙が立ち上っている。横臥した女の背後から男が挿入した。結合がテレビに大写しだ。「 見えるだろ?」「凄いわ」「目隠しをしてやろうか?」「目隠し?」「したことないか?」女は答えない。男が目隠しをした。
「私って変なのかしら」「どうして?」「こんなにして喋ってるだけで」「お前はマゾなんだ」「そうなの?」「普段は男に互して活躍している女に多いんだ」
「金居とやったんだろ?」「やってないわ」「あいつとは同い年で近所だよな?」「そうよ」「幼馴染みなんだろ?」
果たしてこの二人は黎子と岡嶋なのか。今、この時点では筆者すら思い当たらないのである。
(続く)
原発の儚5️⃣