原発の儚4️⃣
原発の儚4️⃣
-時効-
奥崇は相馬の密命も帯びていた。あの『紫萬と磐城の儚』の磐城の動向の把握である。磐城はF町に入っているのだ。
廣山が松山事件に関与した時に、相馬も現地で重要な役回りを演じた。相馬に駐留軍の指示を伝えた謎の男がいた。磐城はその男を追ってF町まで来たのである。駐留軍は本国からの密命を受けて、その男をF町に派遣していたのである。
もう一つ、奥崇には目的があった。あの黎子を訪ねるのだ。一五年前のあの事件の後は一度も連絡を交わしていない。それが二人の秘密の契りだった。二人の出会いはあの時、一度限りだったが、それは永遠に隠匿されなければならなかったのである。
だが、光陰は、一五年など瞬時のほどにやり過ごして、今や時効を迎えたのである。黎子の動向は調べ尽くしていたから、訪ねるのには不都合のない環境だと知り尽くしていた。
-鬼畜-
大陸の戦闘で、足を引きずらなければ歩けないほどの負傷を負った浪江は、除隊して四四年に帰還した。三〇歳である。迎えた妻の零子はニ三歳。出征して一〇カ月後に産まれた娘はニ歳になる。
その娘が本当に自身の所以なのか、出産の知らせを受けた戦地の浪江は煩悶していた。
見合いで祝言をあげた夜から、あれほどの閨を共にしたのに妊娠しないでいて、出征間際に突然に懐妊するなどとは単なる偶然なのか。
黎子は豊満で、いかにも夜の欲の深い女だ。時おり、多情な一面を露にする時すらあった。そして、浪江は悋気の深い男なのだった。
浪江は戦地の大陸で横暴を重ねてきた。異人の女達を犯し、慰安婦を買った。女達は極限の交接でもその快感を満喫していると思い込んでいた。それは浪江一人の所業だったのか。そうではない。正義の論理もなく半島や大陸、南洋にまで侵略の魔の手を広げた御門軍の兵士の隅々まで狂気に犯されていたのである。勿論、御門を頂点とする大本営がいち早く腐り切きっていたのだ。
戦渦の最前線で浪江の嫉妬は果てしもないのである。
翻ると、銃後の内地の女達はどうなのか、浪江の妄想は混乱を極める。召集されなかった男達は病人や老人だが性欲は変わらずに備わっているのではないか。いったい、死の恐怖に直面する浪江自身が、得も知れない知れない情欲に貫かれているのである。あの娘は俺の子なのか。黎子はその本当の父親に、今この瞬間ですら身体を開いているのではないか。浪江の煩悶は深まるばかりだった。
浪江が負傷したいきさつは陰惨なものだった。
大陸の戦闘が激化する最前線に配置されていたある部隊で、浪江は奥崇の上官だった。
その年の盛夏に、彼らの部隊がゲリラの部落を急襲した。激しい戦闘の後にゲリラは遁走した。指揮を執っていた小隊長が家宅捜索を命じたが、それは名ばかりのもので、実態は飢えた兵士達の性欲の処理であった。
村の隅々を捜索していた浪江と奥崇の二人がある家に入ると、奥の部屋に逃げ遅れた三人の異人の女が潜んでいた。四十半ばの母親と娘、そして、母親の妹だ。
浪江と陸奥は命乞いをする女達を縛り上げて、次々に犯した。
この二人に限らず、戦場に臨んだ男達は初めは戸惑ったものの、いつの間にか数えきれないほどの敵兵を殺していた。そして、残された女達を犯した。抗う者は殺しもした。母親にまとわりつく幼子を平然と手に掛ける者すら少なくなかったのである。戦闘にまみれるうちに、知らず知らずのうちに、感性と神経や精神が狂って、理性が麻痺してしまうのである。それどころか、不条理の極限の状況は、死の恐怖で骨の髄まで疲弊した彼らに、快感をすらもたらすのであった。
奥崇が娘を凌辱している最中に、浪江に犯されて失神していた母親が、いつの間にか手にした鉈ナタを振りかざして、妹に挿入している浪江に襲いかかったのだ。浪江の叫び声で気付いた奥崇が、咄嗟に母親を射殺したのである。首に鉈を受けて頸椎を損傷した浪江は昏倒した。
戦場で奥崇は度々、浪江に助けられていたから僅かばかりの恩返しができたと満足した。
-殺害-
奥崇が初めて人を殺したのは敵兵ではない。それは同僚なのであった。
奥崇が入隊して間もない頃、奥崇と浪江とその男は、三人でゲリラの最前線の偵察を命じられた。浪江と男は同期の古参兵だが、平生から気が合わなかった。男は新兵の陸奥にも憂さ晴らしに殴り付けたりしたから、郷里が同じ浪江が庇って、しばしば、いさかいになっていた。
その時も、煙草を吸って小休止している間に、男はいつの間にか二人の視界から消えていた。「女だろうよ」と、浪江は気に止める素振りもない。
暫くして、頓狂に女の悲鳴が流れてきた。浪江と奥崇が忍び寄ると、小川のほとりでその男が異人の女を襲っているのだ。 二人は息を呑んで修羅場を見ていた。数発殴られた女は、まともに抗う間もなく男に組み敷かれてしまった。男は女の粗末なズボンと下着を無造作に引き裂くと、自分も慌ただしく下半身をむき出しにして、忽ちのうちに挿入したのである。
その時に、背後に忍び寄った浪江が男の頭を蹴りあげた。半裸の男がもんどり打って転がった。「何をしている。撃つんだ」浪江が奥崇に叫んだ。咄嗟に、陸奥はその男の頭を撃ち抜いたのである。
浪江が女に挿入した。終わると奥崇を呼んだ。陸奥が抱くと、三十半ばの豊満な女は舌を絡めたのだった。
浪江はある写真を持っていた。陸奥も同じ様な写真を浪江に見せた。
頸椎を負傷した浪江は性の機能を失っていた。勃起不全なのだ。雄ではなくなったのだ。その驚愕と失望が男の性格を激変させた。
その上に、小水を垂れ流すのである。膀胱の神経も破壊されたのだ。だから、普段は殆どが横になった切りで、尿瓶に陰茎を差し込んでいるのである。起きている時にはおしめが欠かせないのだ。ニ年ぶりに夫を迎えた妻はそれを嫌悪した。
浪江は働きにも行かずにすることもなかったから、浪江の身体を求めたが、勃起も射精もない遊戯は、女にとっては果てしのない拷問に過ぎなかったのである。浪江は口淫を強いるが、その陰茎は小水で汚れているし、おしめの洗濯も手間だった。黎子は人に勝って情欲を秘めた女だが、考えただけでも夫への性愛は失せるのだった。
雷鳴の迫る真夜中に黎子と奥崇は交わった。二人は身体ばかりではなく、浪江の殺意までも混濁した心を通わせたのである。
やがて、豪雨になった。何事も聞こえずに寝入っている浪江の顔に、奥崇が濡れタオルを押し当てて、黎子が浪江の足を組伏せて、いとも容易く窒息させてしまったのであった。
明け方、あのオニ神社の南を流れる、増水して決壊寸前の黒磐クロイワ川に遺体を投げ込んだのであった。
-火事-
奥崇はある蒸し暑さが収まらない夕まぐれに、黎子の家を初めて訪ねた。目当ての場所に近づくと、けたたましくサイレンを鳴らしながら警察車両が追い抜いて行った。間もなく、数台の消防車や車両と、その背後に佇む十数人の人の群れが現れた。
警戒した奥崇は離れた脇道に車を止めて、ひっそりと現場の様子を伺った。火災は鎮火したばかりの様子で、一本のホースだけが放水している。
その時に、人群れから抜け出してこちらに歩き出した中年の男がいた。野次馬に違いないと奥崇は判断した。
「通りすがりの者だ。出火の初めの頃に女が一人救出されて、救急車で運ばれたらしい。生死や怪我の程度はわからない。消防と警察が現場検証を始めたばかりだ」
奥崇は直に立ち去ったのである。
奥崇は翌日の地方紙の朝刊に僅かな記事を見た。あの女だった。重症とだけあった。
(続く)
原発の儚4️⃣