続不可思議な国

続 不可思議な国


-カムイ共和国-
 
 
  こうして、私は、ニ〇一一年三月一一日に独立したのである。もちろん、精神の均衡を保つための方途だから、納税などを拒む訳じゃない。義務は果たすしルールも守る。
 ただ、私は独立したのだ。精神的には、もはや、こんなにも陳腐な国の国民ではないのだ。家人にも宣言した。
 この事で私は救われた。多分、かなりな錯乱はしていたと思うが、狂気の闇に陥ることばかりは避けられたのではないか。と、そんな決意は私の独善で、家人は狂人に放つ視線で私を咎めていた。
  さて、独立したからには国名がいる。咄嗟に、『カムイ共和国』とした。カムイとは、火や神の意味であろうと、これも私ばかりの独断の解釈だが。こうして、あの時、一人だけの共和国が誕生したのだ。
 幾人かの人達が自裁した。世にもとんまで暴力的な国家と、卑怯な独占電力資本に徒手空拳で対峙して、怒り叶わず最期の決断をされた方々。私は瞑目して誓う。私の生ある限り、揶揄、嘲笑、罵倒されようと、私はこの不可思議な権力との闘いから逃れることはない。
 かのドンキホーテの如くに、言葉ひとつを武器に最期の闘いに挑むのだ。「国家に殺意」「ペン先に殺意を込めて告発し続ける」まさに本懐ではないか。

五〇年以上も前に書いた一編を掲載してみた。あの時代の津軽海峡の、ひとつの風景ではある。
 

『異風の時』

青春と呼ばれた柔らかな犯罪があった
ある日
涙を曳いて北に縦走して行った
ひとびとの優しいこころだけを撃ち抜きたいと願っていた

私たちは
誰が彼の視線に有機的だったろう
私たちの生活のすべてで
公判と懲役の匂いがしていたから
ただ目を落として
彼が行きすぎるのを待ったのだった

今日
北の海に
再び
異風のざわめきが立ち上がる

彼が
彼がまた渡って行くのだ
 
 
 
-コロナ-

 例年でも、夏はかの戦争を思い起こして沈思黙考する季節だが、今年はコロナ禍で不条理の空気に覆われていることもあり、いっそう沈痛ではないのか。私の実感だが安倍などは全く違うようだ。田崎某等の輩を使って、国体護持を最優先にした政策、即ち呻吟迷走する国民には無益な無策を明らかにしている。即ち、「現行医療体制を保持するためにPCR検査を制限する」という、政策とは言えない代物だ。

 中国は武漢に緊急の大病院を一気に二棟建てた。ニューヨークは大規模な野戦病院だ。この国のトンマなメディアは嘲笑ってさえいたが、さらに武漢は一〇〇〇万の検査の果てに鎮圧、ニューヨークも徹底検査で制圧に向かっていると聞く。そもそもWHOは「検査検査検査」と絶叫していたではないか。

 半年に渡って「検査是非論争」に埋没して、今また感染が拡大する状況で保健所が検査を拒否するという、あの悪夢を再現しているのだ。なんというマヌケだろうか。これが世界第三位の経済大国だというのだから語るに落ちるとはこの事だ。英のジョンソンも当初は検査制御策をとったが直に転換したではないか。罹患した彼は真人間に立ち返った気がするのは私だけだろうか。バカにつける薬はないというが安倍にはコロナか。

 原発が爆発したあの時も、地下に電源を設置する等と、笑うに笑えない事態が次々と明らかになった。「安全神話」等と高邁な虚言を労する以前に、この国には原発を扱う知力すら欠落しているのだ。この悪魔の真実を早くからただ一人で指摘し続けたのは、当時の福島県知事の佐藤栄佐久である。そして「原子力村」の謀略で冤罪の罠にはめられたのであった。
 あの時も、前例踏襲主義の官僚は呆然非力、頑迷無知な政治家は無責任、メディア等はいち早く現地から逃亡して、福島は無政府状態に化したではないか。その原因は放射能の検査をしない、出来ないことだった。私は怒り失望した。

 そして今。やはり検査をしないのである。陳腐な国民性など一〇年ばかりでかりで変わる筈もないし、総括すら満足にしていないのだからかおさらだ。
 反省しない国、歴史を記録しない国、自裁者を出しても記録を改竄する国、検査しない国。
 こんな国に私達は放置されているのである。
 

 
 -ご祝儀相場-
  
 菅内閣が成立してこの国は大盛り上がりだ。異様にさえ感じるのは私ばかりではあるまい。とりわけ、私の知る限り、テレビのいわゆる「情報番組」というのが酷い。毀誉褒貶、軽佻浮薄というのか、元来の品性が下劣なのか。私などは大昔の時代劇に登場する瓦版屋を思い起こしてならない。
 だが、メディア全般を切り捨てるほど私は不遜ではない。こうした風潮で、東京新聞は冷厳に状況を把握しているし、日刊ゲンダイは、相変わらず、語気荒く噛みついている。コピーが気に入っている。

 この時期に、ふとしたきっかけで、長周新聞の存在を知った。安倍の膝元、山口の隔日紙だが、これが実にいい。舌鋒鋭く 簡明端的に権力、とりわけ、安倍批判を展開するのである。

 付言すると、私は福島在住だが会津とは血縁もなく戊辰戦争とは無縁な家系だから、今なお続くと聞く会津と長州の確執などにはとんと無頓着だ。だが、桓武以来のエミシ侵略には、あの原発爆発以来はとりわけ関心を寄せ、かの坂ノ上田村麻呂由来だという地名に住んでもいる限りは、必定、天皇制には言及するし、明治維新にも疑問を挟んだりする。

 そこで、いわゆる、「日本会議」だ。詳しくは別掲記事を参照頂きたいが、明治維新の王制復古、即ち、天皇制復古体制を夢想し、かつ着々と運動を展開して、今では自民党国会議員の大半を網羅するまでになった集団である。
 安倍は正に「日本会議内閣」で、憲法改正を自ら放言しまくったが、詐病の疑いすらある中で内閣を放り投げた。
 後継だとうそぶく菅内閣も日本会議オンパレードなのだが、驚くには当たらない。業病で突発辞任した安倍を担ぎ出して、再登板させた黒幕は菅だというのは通り相場だし、事実、官房長官として全てを差配してきたではないか。何よりも本人が、「安倍政治の継承」を謳い文句にしているのである。
 この男が安倍の犯罪的ともいうべき負の遺産を検証できるのか、或いは、憲法改正を言い出す蛮勇を隠し持っているのかは不明だが、いかに発足間近のご祝儀とはいえ、大半のメディアと尻馬に乗じるいかにも不可思議な国民性に、「お前ら、いい加減にしろよ」と、喝の一つも放ちたい時節なのである。
 
 
(続く)

続不可思議な国

続不可思議な国

  • 随筆・エッセイ
  • 掌編
  • 時代・歴史
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2020-09-20

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