原発の女7️⃣
原発の女7️⃣
-ヌード-
草一郎は既に繭子の容姿を十数枚ほど撮っている。それを見て繭子は至極満足していた。
「あなたのヌードを撮りたいんだ」と、蝉時雨の合間に切り出した男に、「ヌード?」と、女は慌てる風もない。「他意はまったくない。写真家の端くれとしての興味だけだ」「本気なの?」「ただ、あなたの魅力を写し取ってみたいだけなんだ」「でも…」「ポラロイドだからネガもない。撮った写真はみんなあなたのものだ。俺には何も残らない。あなたの秘密は完全に守られる」「私の秘密?何の?」「肉体の」「でも、あなたには晒すんでしょ」と、反撃した。狼狽えた男が、「それに…。あなたは、俺が原発で目撃した女は自分じゃないと頑なに否定している。ヌードになれば一目瞭然じゃないか?もし、俺の間違いだったら、誤解も一瞬に氷解するんだ。そうは思わないか?」「少し考えさせてちょうだい」
暫くして女が、「わかったわ」「だったら?」「いいわよ。あなたの腕だもの。どんな風に撮って貰えるのか楽しみだわ」
-花-
「私はどうすればいいのかしら?」「最初はブラジャーとパンティを着けるんだ。それで、何枚か撮る。派手な色がいいな」「濃い紫にするわ」「黒はないのか?」「黒?」女の目が泳いで、「…ないわ。だって、持ってないもの」
「あなたは真っ先に私の股間を撮って、証明したいんじゃないの?」「違う。あなたの最大の魅力は、その豊かで真っ白な、歓喜の様な尻なんだ…」「歓喜?」「そう。陶酔といってもいい。だから、真っ先に、というより、それだけを撮りたかったんだ」と、男は窓際に行き、庭を眺め始めた。
「あの大木に満艦飾に咲き誇っているのは何ていう花なんだろう?」「マカビリウスっていうらしいの。綺麗な紫の大輪でしょ?大家さんが自慢しているわ」
男があたふたと庭に出て、一抱えの花束を持って戻って来た。
「この花であなたを飾るんだ」
女が男の指示でポーズをとる。うつ伏せに寝て尻を際立たせる思惑で花を配した。出来上がったがった最初の一枚を見て、女は乳房を揺らして歓喜しながら、「これだったら、ヌードの私の尻を撮りたいあなたの気持ちも、わからないじゃないわ」と、意味ありげに視線を送った。
-エプロン-
ウィスキーを含んだ女が、「いいことを思い付いたんだけど。聞きたくない?」「どうしたの?」「エプロンをするのはどうかしら?」「エプロン?」「ヌードによ。お尻はすっかり見えるけど。前は隠れてるわ」「どうかな?」「だって、あなたが私のお尻を褒めそやしてくれるんだもの。もっと、見てみたくなったの。それに…」「あなたの写真は、実物以上に魅力的なんだもの」「今までいっぱい撮ってくれたでしょ?自分がこんなだったかって、驚いたわ」「試しに着けてみようかしら?あなたが厭だったら、止めればいいんだもの」「エプロンの色は?」「黒と大輪のヒマワリがあるわ。黄色よ」「そうだな…」「どうかしら?」「二つとも試してみようか」
女が裸体に黒のエプロンだけを着けて現れた。股間はすっかり隠れているが、後ろは数本の紐が交差しているだけだ。白い豊かな尻が、男を捕らえて離さない。女がこれ見よがしに肢体をくねらす。 「どうかしら?」「そうだな。撮ろうか?」
-花畑-
「どんなポーズがいいのかしら?」「そうだな…。ここは、人は来るのかな?」「殆んど来ないわ。集落からは離れた一軒家だし。越してきたばかりでお付き合いもないし。郵便配達の来る時間はとっくに過ぎたわ」 「庭が花盛りだよね?」「ダリアやグラジオラスだわ。大家のお爺さんが育てているの。手入れを欠かさないわ」「これから来るのかな?」「朝の涼しい時だけだわ」「すぐ向かいに神社があるね?」「小さな祠だけど、由緒があるそうよ」「夏椿が咲いていたんだ」「そうなの?」「庭と神社で、あの花花と撮らないか?」 「外に出るの?」「背景が最高なんだ」「どうしようかしら?厭だと言ったら?」「思い付いてしまったら、他では食指が動かないな」「すっかり写真家なのね。いいわ。そうしましょ」
二人は外に出た。「これでいい?」花畑で女が尻を見せる。「そこを花で飾ろう」男の指示に、「こう?」 男はポーズを変えさせて無心で撮り続ける。向日葵のエプロンに代えて撮っていると、「背中だけしか撮らないならエプロンを外してもいいわよ。どう?」男の答えを待たずに、女が大輪の花の群れに身を隠した。すぐに裸体を現して、「心変わりよ。胸を記念に残したくなったわ」と、下半身を花に埋めた女が、乳房を淫らに揺らしてねだるのである。思わず男がシャッターを切った。それから、花の中の裸の背中を存分に撮った。
-榊-
「あなた?このままであの神社まで歩きましょうか?人が来る気配はないし。あなたは後ろからついて、思う存分にお尻を撮ったらいいんだわ。どうかしら?」草一郎は繭子の突拍子もない提案に雀躍して同意した。そして、真昼の炎天下を女の僅かばかりの衣服を負い、レンズの奥から女の裸の尻を追うのである。
神社まではニ〇メートルに満たない。一本道で四方を見渡せるが、人の来る気配は微塵もない。自然の密室なのだ。
繭子はありのままに散歩をする風情で、爛漫にゆっくりと尻を揺らすのである。
まさにルノワールの女ではないか。シャッターの合間に男は嘆息した。
女は道端の花に屈みこんだり、交尾して連なった蝶に見とれたり、モデルはだしの姿態を創る。
一区切りがついて、神社の榊の大木の影で二人は涼んだ。草一郎が持ってきた浴衣を繭子に渡した。
不思議とそこだけにはみずみずしい風が吹き通っているのだった。何事もなかったかの如くに、女が、「樹齢は千年に近いと聞いたわ」と言う。「この地の守り神みたいだな」
蝉時雨に包まれて、二人はウィスキーを飲み、男は煙草を吸う。
-異形の儚-
「この社はオニ様って言うらしいわ」繭子に応えて、草一郎が話し始めた。 「もっと北ののツガルの鬼沢という部落に、ある伝説が残されているんだ。
ニ三郎ニサブロウというが男が鬼と仲良くなった。飢饉の時に、鬼が大川に堰を作って水を引き入れて村人を助けた。以来、鬼沢と名付けて神社を建立して鬼を守り神として祀ったという。その社を鬼神社と呼んだ。鬼神社の存在はツガルでもイワキ川の流域の数ヵ所に限られているらしい。鬼は少数の異人だったんだ。そして、彼らの先祖なんだ。この民族はどんな民族なんだろう」
「それに、この社のすぐ南を流れる黒磐クロイワ川の流域には縄文の遺跡が点在している。そして、オニ神社というこの社。或いは、イワキ川流域に点在した民族と似た民族がいたのかも知れない」
-ルノワール-
頃合いを図った女が、「ねえ?私はあなたが見た原発の女なのかしら?」「わからない」男の答えは茫茫としすぎている。「こんなにまでしてるのに、どうしてはっきり言ってくれないのかしら?」「あの時の記憶と眼前のあなたは同一人物だと、確信しているんだ」「未だそんなことを言うのね?」「でも一方で、俺はあなたにすっかり捕らわれているんだ。性愛といえども愛だ。いたわりの気持ちは存分にある。原発のあなたの、あのことを告発するつもりなんて更々ないんだ。だから、最初から言っている通りなんだ。あなたに惚れて抱きたいだけなんだ。他には何の意図もない」「あなたが求めている女が、こうして殆んど裸でいるのよ。犯すことだって出来るんだわ」
「今のあなたは俺の大切なモデルなんだ。決して性愛の対象じゃないよ。モデルに手を出す写真家など写真家じゃない。それに、女を犯すなどというのはそもそも俺の趣味じゃないんだ。そして、カメラを通してあなたを見て、ますますその魅力に気づいた。そんな人を犯すわけがないだろ?第一、勃起などするわけがない」
男が煙草を燻らしてウィスキーを飲んだ。「あなただって俺を誘惑したり、犯されるために裸体になったんじゃないだろ?自分の魅力を確認したいからモデルになったんだろ?」
「あの時にも言ったろ。モデルは崇高だ。モデルの肉体は写されるだけに存在するんだ。食指は全く動かない」「今がそうだと言うのね?」男が頷く。「崇高ってどういう事なの??」「崇高は肉体の魅力を引き出す原動力だ。レンズを通して究極の魅力を発見するんだ。ルノワールの裸婦画は?」「好きだわ」「あの裸婦画の数点を買ったパリの富豪で有名な好事家が、実際のモデルはさぞかし官能的な女だろうと、訪ねたそうだ」「それで?」「豊満には違いないが、さしたる魅力も感じさせない大年増の農婦だった。そこで、貧困な寡婦の女が驚くような金を与えて、その身体を買った。男の腕の中で悶える女を観察していたら、キャンバスに描かれた女を発見して、改めてルノワールを称賛したと言う逸話だ。ルノワールの技量が、普段は隠れている女の官能を発見して、描き出したと言う話だ」「それは私にも率直にわかるわ。あなたに撮ってもらった写真の私は、今までに見たこともない私だったんだもの。凄く驚いたのよ」「光栄だ」「あなた?そのモデルはルノワールとはしなかったのかしら?」「富豪が詳細な文章を残しているんだ」「聞きたいわ」「ルノワールはそのモデルとはしてなかった」「そんな秘め事がどうしてわかるのかしら?」「富豪がモデルに証言させたんだ。条件付きで」「条件って?」「本当のことだけしか言わないことを約束させて、身体とは別に高額な金を与えた。同時に、後で嘘がばれたら没収すると言う書類にサインさせたんだ」「念が入っているわね」「それだけじゃない」「質問は交接しながらすることを約束させたんだ」「まあ。拷問みたいだわね」「そう思う?」「だって、あんな時に聞かれたら、どうなってしまうのかしら。富豪が嘘だと思ったら、攻められるんでしょ?」「そうだな」「あなた?二人の歳は?」「三人だよ。モデルは二人いたんだ」「三人でそんなことをしたの?」「そう。モデルの一人は三〇半ば。もう一人は四〇過ぎ。富豪は六〇過ぎだったから、娘みたいなもんだね。どんな風にしたかも詳しく書き残してる」
富豪と女達の詳細な艶話を聞き終えた女が、「わかったわ。もっと撮るんなら、どんなポーズでも言ってちょうだい」と、言いながら、御しがたい男だとでも感じた風な女の眼差しに、一瞬、険しい光が走るのを、「もう充分だ」と、言いながら男は見逃さなかった。
-写真家-
「戦中の話だ。ある若い写真家がいた。才能に溢れていて嘱望されてもいた。
その男がある女と出会って恋に落ちた。人妻で歳上だ。女との交わりは今まで味わったことのない、狂おしい程に官能的なものだった。
男はその陶酔をありのままに写し取れないかと考えた。二人の性交そのものを撮ったら、二人の法悦の瞬間をそのままに表現できるのではないかと思い付いたんだ」「どうしたの?」「女と性交しながら撮ったんだ」「まあ。でも、どうやって?」 「自動シャッターだ。その時にはこの国はカメラそのものも満足に作れなかったが、ドイツ製のカメラには既にこの仕組みがあったんだ。だからこそ、他人の手を借りずに男女の秘密の営みを写し出すという男の試みは、画期的だと思えたんだ。後に、最晩年のピカソが性交している性器を描いて波紋を呼んだが、同じことを写真でしようとしたんだろう」「どんな風に撮ったのかしら?」「色々と撮った。ところが、信頼するグループの写真家達に見せたら、彼らの批評は散々だったんだ」
「性器や性交の写真を支持する者は殆どいない。こんなものをどこで発表するんだ。地下出版で発表してもそんなことに何の意味もないと、悉くに言う」
「だが、絡みを評価するものが一人だけいた」「絡みって?」「性器を巧みに隠した抱擁のポーズだ。キスもある。その男が知り合いのある出版社に掲載を頼み込んだら、叱責された。こんなものを掲載したら会社がとり潰されてしまうと、言うんだ」「どうしてかしら?」「その頃は、国が戦意高揚のために軟弱な文化を禁止して取り締まりを強化し始めていたんだ。
そして、二人の姦通が発覚して女は離縁された。男の収入は激減していたから、女がその妖艶な容姿を活用して、危険に稼いだ。そうして、二人の関係は荒んでいく。
それでもあの撮影だけには執着した。ところが、撮れば撮るほど強い刺激を求めるようになる。終いにはその刺激がないと女は快感を得られない。男も一寸ばかりの刺激では勃起が難しくなってしまったんだ」「どうなってしまうのかしら?」「聞きたい?」「聞きたいわ」「二人の最後の壮絶な場面だ。驚かないで」「わかったわ」
-トマト-
「男の撮影はただ性交すればいいというものじゃない。究極の官能を引き出すために様々な試行をした。その結果、二人は普段のセックスでは駄目になってしまったんだ」「どうするのかしら?」「聞きたいか?」「知りたいわ」
「私の自慰はどうかしら?」と、女が言った。「自慰?」「そうよ。撮りたくない?」「どうしようかな。どうも気が乗らない」「どうするの?」「自慰だもの。あなたが勝手にしてくれ。それを見てからだ」「だったら、こんなのはどうかしら」そこにトマトがあるのだ。熟している。女が握りつぶした。そのトマトを股間に塗りたくりながら、「どうかしら?」白い肌と漆黒の陰毛と潰れた真っ赤なトマト。赤い果汁が肌を舐めて陰毛から滴り落ちて太股を這うのである。「猥褻と官能の極致だ」男がシャッターを切った。 「トマトも入れてあげるわよ?撮りたいかしら?」「入れてみて?」「どうかしら?」男がシャッターを切った。「厭らしいのね」「それが官能なんだ」
「性交は?」「そんなのは比じゃない」「本当の性交より、こういうのが官能的だと言うのかしら?」「その通りだ」「そうなのかしら。やっぱり、私にはわからないんだわ」
「撮影を通じて女もすっかり変わってしまった。まるで、セックスだけの権化のような。官能の女神のような。こうして、男は自分の挑戦の限界に気づいた。ピカソの絵と同じように、性器や性交そのもの芸術には昇華しなかったんだ」「それから、どうなったの?」
「それでも男は女の虜だった。だから、普通のヌードさえ撮れなくなってしまったんだ。悩み続けて麻薬と廻り合い、たちまち堕ちていった。男は写真界からも見放された。だから、生きるためには、意に添わないエロ写真を撮り続ける以外になかったんだ。戦後の地下社会でエログロ写真の大家になり、ある秘密組織で暗躍したんだ」「随分と、そういう世界に詳しいのね?」
(続く)
原発の女7️⃣