異聞カムイの儚3️⃣
異聞カムイの儚3️⃣
「終戦の前の年の食糧も尽きた時に買い出しに行って。そうよ。わずかな食料と引き換えに理不尽に犯された女の話よ」「女は高貴な出で男爵家の妹なのよ。男は農家の卑猥な年寄りだわ」「堪らずに女は奈落に沈んでいくの。売春婦に転落して。終には売春宿の女将になるのよ。あの戦争が故の破廉恥で不条理な話なのよ」「聞きたい?じゃあ、始めるわね」と、トキの店の謎の客、美都子が話し始めた。相手は、誰あろう、トキの夫、あの和市郎なのである。
-農夫-
この時、トキは三九。あの戦争の終末が近い夏の盛りの真昼。狂った様に、残酷なほどに暑い日なのであった。
トキが食料を求めて初めての買い出しに出た。辺鄙な村をさんざんに訪ね歩いても、どこでも相手にはされないのであった。
ある農家の庭先に汗まみれで辿り着くと、農夫が筵の上で大量の大豆を選り分けていた。六〇近くに見えた。
裸の上半身が汗で濡れている。日に焼けて赤銅色の筋肉が盛り上がって逞しい。
トキが、「食べ物を譲って欲しい」と、頼むと、いかにも湿った眼差しで女の身体をねっとりと舐め回して手招きした。にじり寄った女に声を潜めて、「ここにはこのように豆も、米も野菜もしこたまあるが…」と、言って、「おめらの持ってくる訳のわかんねような着物や道具なんて。おら、要らねんだ」「山ん中の百姓にはそだもの、何の益にもたたねんだ」「だが、俺の気に入ったものだったら欲しい」と、女の目の奥を覗き込んで、「わかるべ?」
「お前はいい女そうだから、って。それでもいいか、って」「女が大きな瞳を開いて。男を睨み付けたまま黙ってると。格好つけんでいい。背に腹は変えられんだろ?何人もそうしてるって、言うの」と、美都子は媚びた声音で語り続けるのである。
-飢餓-
「つい最近までは水飲み百姓って、散々にバカにされてたが。戦争も地獄の有り様を呈すると、世の中、いきなり様変わりだ」「先ずは生きなきゃなんね、食わなきゃなんね。物や金なんて何の役にもたたね。何事にも代えがたいのは食い物だ」「そうだっぺ?」「国なんてあっという間に無くなったも同然だ。食い物を作ってる百姓が、いきなり御門様になったようなもんだ」「毎日、町の女がやって来る。身体を差し出しても食い物が欲しいんだ」「お陰様で俺みたいな年寄りだって、女遊びにゃ不自由はしてね」「選り取りみどりだ」「嫌ならいいんだ。帰れ」
他に行く宛とてないトキはやむを得ずに頭を垂れた。万策つきていたし、疲労困憊して、何よりも空腹で、追い討ちをかけて目が眩む暑さだったのである。
「歳はいくつだ?」トキが五つもごまかして三四だと言うと、男が唇を舐めながら、「亭主はいるのか?」と、聞く。「軍人の夫は戦死した」と、言うと「何年、やってねんだ?」女はひるんだが、「三年」と、唾を呑んだ。「し盛りだな。やりたかったろ?」「その身体だ。疼いてもて余しただろ?」女が黙っていると、男が目を尖らせて、「おまんこ、やらせんのか、やらせねのか、はっきり言え」
女は紅い唇を舐めながら、「言う通りにしますから、必ず食べ物を分けてください」と、哀願したのである。
満足した男が、「ここではまずい。奥には家族がいるんだ」「こっからしばらく行くと小さな祠があるから、そこで待ってろ」「昼飯は食ったのか?」タキ頭を振ると、「握り飯も持ってってやっから」
-漬物-
暫く歩くと寂れた神社があった。朱もところどころが剥げた鳥居の脇に、裏山から流れ落ちる細い滝があって、女はその清水で喉を潤した。漸く一息ついて、これからあの男に身を任せるのかと思うと、汗だらけの身体がいとおしく思えてならない。
やがて、篭に大豆や米、じゃがいも、さつまいも、ニンジンなどを詰め込んだ男がやって来て、「どうだ、凄いだろ?欲しいか?」女が、「何でもしますから譲って下さい」と、懇請すると、男が喜んで、「握り飯を食え。女房の目を盗んで俺が握ったんだ」
女は大きな握り飯を頬張りながら、何故かも知らずに涙が溢れてきた。嬉しいからなのか、悔しいからなのか、或いは他の訳なのか、皆目わからないのである。男は嬉し涙だと思い込んで、「漬け物も食え」と、最早、自分の女の如くに情けをかける。
女が茄子やキュウリの漬け物を噛むのを見ながら、男が、「会った時から、そのでっかい尻が揺れるのを見てたら…」と、喉をならして、「そのおっぱいも。わざと揺すってたのか?」「その身体を見てたら、やりたくて我慢できねくなった」「飢えて買い出しに来た身体とは、とても思えね」「なんでそんなに肉付きがいいんだ?」「なんでそんなに色っぽいんだ?」
トキが買い出しに来た訳を言うのである。「夫が戦死しても、自分は独り暮らしだからなんとか配給で凌いでいる」「買い出しに来たのは、親しくしている家が、やはり、戦争未亡人で子沢山で…」「産めよ増やせよの国の政策で、産んだわいいけど、召集された良人がすぐに戦死して暮らしに困っている」
トキの話は飢餓以外は殆どが嘘なのである。気難しそうな男の機嫌を損ねまいと必死なのだ。或いは、元来がこの女は虚偽に満ちているのか。「だから、どうしても食べ物がいるんです。お願いですから譲って下さい」「私に出来ることなら何でもしますから」と、意味ありげに懇願するのであった。男はもう自分のものになったつもりで大満足なのだ。
「食料は命の源だ」「それを作っている俺は創造の主じゃないか?」女が頷いた。「口からは食い物を入れる。おまんこのには金たまを入れる。身体の中で、異物を、命を取り入れるのは、口とおまんこだ」「食うのとやるのは、よく似ているんだ」「お前の口は、おまんこにそっくりだ。ねっからのやりたがりの口なんだ」
美都子の息が熱い。「舐めんのが大好きな口だって。旦那のをさんざん舐めたんだろって、言うのよ。試しに茄子を舐めてみろって」
(続く)
異聞カムイの儚3️⃣