異人の儚7️⃣
異人の儚7️⃣
-株-
一九四九年。伊達は首府大学に合格した。一八歳である。
大学の近くの空襲を免れた木造三階建ての下宿屋に居を定めた。女主人は四十を過ぎた豊満な女だ。
その下宿屋で、同じ大学の三年の片倉という男とすぐに気があった。片倉は一心不乱に株を研究して投機をしている。
ある時、千載一遇のチャンスだと言う片倉に請われて、あの女達と稼いだ全財産を委ねた。
片倉はある証券会社の大学の先輩から得た極秘情報に賭けて、大勝負に出たのである。整理ポストに落ちたばかりの一円のある株を全額買った。それが思惑通り、日を経ずして三〇〇倍になったのだった。
その頃の夏の終りに、伊達は下宿屋の女主人と関係を契った。
その後も、片倉は株の売買を俊敏に繰返した。
ある時、片倉は史上に残る熾烈な仕手戦に挑んだ。片倉は大学の先輩の大蔵官僚から極秘情報を得ていたから、確信をもって全資産を投入したが、状況の激変もあって紆余曲折したあげくに、遂に売り逃げて勝利した。伊達の利益は三億に達したのだった。
暫くして、片倉から、イバラキの山林購入話が持ちかけられた。一〇〇万坪で坪二〇〇円、総額二億の投資だと言う。
山林内に高速道路開発の極秘の計画がある。大学の先輩の建設省官僚の情報だから確実だ。最低でも倍の利益は見込める。間違いない投機だと、勧めるのである。片倉はその建設省官僚にも株で儲けさせていた。
-契子ケイコ-
盛夏のある日、伊達は現地の状況を確かめるために、近くの温泉宿に投宿した。
旅館の仲居の女が伊達の話を聞いて、その村の出だと言って目を煌めかせた。契子という二七歳の豊潤な女だ。
翌日、仕事を休んだ女と旅館の近くの小さな駅で待ち合わせた。契子は中古の外国製のジープを駆って来た。借り物だと言う。
険しい道を一〇キロ程走って桃源郷のような小さな村を一巡りして、東南に広がって太平洋の海岸線にまで及ぶ広大な山林を巡った。車の入れる限りに山道に乗り入れ、女の詳しい説明を聞きながら、現況を確認する。
猛暑の昼近くに、とある場所に停車させて契子が男を誘った。
細い急な坂道を暫く降りると、霊験ささえ漂う大きな滝が姿を現した。立ち上がる冷気が汗まみれの身体を癒す。名水だと、女が言う清流をすくい、女が用意した握り飯も旨い。
この山林に拘わるいきさつを話し始めた契子が、途中からすすり泣いた。この一帯の山林は女の父親を含む村人の何人かで所有して、村の共有林もあったが、村出身の戦後成金のある男に、事実上、騙し取られたと言うのだ。首府で手広く不動産業を営むその男が株取引で失敗して、山林を手放す事になったのだった。まさしく、片倉と対決した売りの仕手の頭目がその男だったのである。
話し終わると、滝壺から溢れるせせらぎで顔を洗い立ち上がった契子を、背後から伊達が抱き締めた。契子が、「仇を打ってくれるなら何でもする」と言う。伊達がずっしりと重い乳房を握りしめて、「必ず買い戻してやる」と、囁いた。渇きを癒すキスの後に、二人は滝壺で沐浴しながら交合した。
契子はあの戦争によって作られた惨禍の女の一人だった。
峠を越えた海沿いの侘しい漁村盆踊りに、漁師の青年と恋に落ちたが、次の年の盆踊りを迎える間もなく男は召集され、程なくして戦死の知らせが届いた。遺骨もなかったと聞かされた。敗戦間際の事である。正式な婚姻を届けもしなかったし、子供もいない。男とは数える程しか契ってはいなかった。しかし、僅かだが狂おしい程の時を得た女は、まさしくあの戦争によって産み出された女なのだった。そして、契子は忽然に現れた鋭利で無頼な、逞しい、しかし、暗闇の淵に沈んでいるがごとくの謎の青年に、今度こそは救われたいと願った。
山林の売買契約を済ませた伊達は初めての会社を設立して、契子の父を社長に据え、山林の全ては会社の資産にした。そして、山林の東の太平洋を一望する高台に、契子の名義で山荘を建てた。契子が畑を切り開き土を作った。秋の終わりには契子がそこに住み、村の女達と切り花栽培の事業を立ち上げる準備を始めた。
その年の大晦日に、燃え盛る薪ストーブの横で、緋の蒲団に横たわって汗さえ浮かべる真裸の契子が、伊達のカメラにポーズをとっている。
飽和してはち切れそうな乳房を自らが揉み、太股を広げて、陰毛が激しく生えた丘の下の、厚い唇を両の指で開く。
「ほら、濡れてるでしょ?」豊かな尻を淫らに回す。熟れて膨れた股間がカメラを見据える。
「そうよ。ほら、これが真実の私なのよ。みんな写して」
「今年ほど素敵な年はなかったわ」と、契子は繰り返すのである。「あなたと私の生地は随分と離れているけれど、私もあなたと同じ北の民族で、きっと似た性癖に違いないんだわ」
-『御守り』-
閨房の伊達は契子に戯れ言を要求した。あの女達に教えられて身に付いてしまった性癖なのである。
「夫は五一。妻は後妻で三一。結婚して三月後の閨房の会話なのよ」
「ヒロシマのあの爆弾の時に、あなたは病院の地下室にいて助かったの?初めて聞く話だわね?」「次の日の昼頃に運び込まれた私の弟を診察したの?」「弟が息を引き取る間際に言い残したんですって?」「私を訪ねて最後の有り様を伝えてくれって?」「弟があなたにお守りを託して中を見ろって。中には折り畳んだ写真が入ってた?」
「この写真?あぁ。この写真…。こんなの、私じゃないわ」「そうよ。本当に私じゃないわ。みんな、あなたの作り話じゃないの?」「特徴がある?股間の脇に黒子が三っつ、写ってるって?」
「私のを見れば判ることだって?嫌よ。誰にも見せたことなんてないんだもの。力ずくで私を裸にして調べるの?」
「そうよ。私よ」「白黒の写真。私のと弟のだけが写ってる写真だわ」
「この写真を見て?生きてる女はいいと思ったって?」「死体はもううんざり。生きたいって?病院を逃げ出したの?それで、医師を辞めたのね?」「弟は義母の連れ子だったの。全てを打ち明けたんだもの。これからは本当にあなたの妻になるわ」
契子は、この話は戦後の一時期に首府に住んだ折りに、ある女から聞いた話だと言った。その女とは誰なのか?何あろう、あの柴萬なのであった。
-協同-
村の女達で始めた切り花栽培はすぐに軌道に乗った。
そして、あの滝の清流は契子の言った通り、水質検査で極め付きの名水と鑑定された。伊達はあるメーカーと提携して水を出荷して、村落協同体に安定した利益をもたらした。
村人達は農作業の完全協業化にも着手した。
そして、次いで設立した米粉菓子工場がやがて菓子メーカーに発展し、ついには総合食品メーカーになる。 源爺という山の達人に伊達の趣味の銘木を扱わせた。後には住宅メーカーも設立した。
これらはすべて会社組織にして、伊達は出資はするが、経営は基本的に村人達に任せた。
-女達-
夏朱子と嬉子はまだ同居しているが、写真はとうにやめた。夏朱子は学生相手に相変わらずだ。嬉子は自分の洋品店を出して繁盛している。
寧子は首府の大学に進んだ。
三人に株や事業の事は言っていない。要請があれば支援するが、今はことさら言う必要はないと思う。
車の好きな伊達は免許をとり、イギリスの高級車に乗る。片倉が借りたビルの一室に住んだ。仕事に便利だからだ。伊達は合理主義者なのである。
-タヌキ-
伊達と片倉は、一時期、芸者遊びにはまった。伊達はタヌキとあだ名した女と、片倉はウサギという女とねんごろになった。
伊達は、執拗に言い寄るある代議士に辟易するタヌキを引かせて、女の名義で店を買い与え、伊達もたぬきも好みの、あるウィスキーだけしか置かないバーを経営させたのである。
タヌキは容姿に似合わず律儀な女だ。
片倉は後にウサギと結婚した。
-『黒人兵』-
伊達はたぬきにも戯れ言を要求した。
「村の子供達が盗み見ていた、本当にあった話なのよ」
「外は暑いわ。校長先生。子供たちも先生方もみんな帰りました。はい。二人っきりです」「うだるとはこの事ですね?」「あの玉音から、まるで時間が止まったみたい」「髪もべとついて。汗が下着にまで粘りついて。校長先生?お話しって?」「時間?主人はあの通り、未だ入院してますから。時間はありますけど。先生?どうしたんですか?顔色が…。さっきの玉音ですか?」「校長先生。元気を出して下さい」「敗けたものは仕方ないんですわ」「先生は国策に従がって立派に務めを果たしただけなんですから」「教え子が戦死した?何人も?」「それは私だって。でも、私たちのせいじゃないでしょ?」「あの子達は残虐非道な敵国に殺されたんです。先生のせいじゃありませんわ」「そうですわ。これからが大事です。気を強く持って下さい」「みんな不安なんです。校長先生が頼りなんですから」「私だってそうですわ。私たち夫婦には子供はいなくて。夫はあんな風だし。頼れるのは校長先生だけなんですもの」「先生は八つ上?だけど、先生は人一倍お元気だもの」「去年の夏だって。川遊びの授業
で。深みにはまって溺れた児童を助けようとした私も溺れて。すんでのところで先生に助けられたんですわ」「五月の里山の下草刈りの時だって。蜂に刺された、私の…。あんなところまでを吸ってくれて」「それにしても暑いわ。汗が吹き出て…」 「お酒が?そんなのがあるんですか?」「まあ。そんなところに?」「頂きます」「美味しい」「私の仕草?」「厚くて赤い唇を舐める紅い舌?」「厭だわ。先生。そんなところを観察してたんですか?」「知らなかったわ。変な癖でしょ?」「あら。厭だわ。胸元に、お酒、溢して」
「校長先生?この後は、いったい、どうなるんでしょう?」「それが先生のお話しだったんですか?」「間もなく敵国がやって来て、この国の女達が敵兵に犯される?私も?」「先生。私は四一よ。もうおばさんだわ」「この国の女は若く見えるの?」「外国人は肉食で精力が旺盛だから、手当たり次第に犯すの?」「敵兵は第一次世界大戦でも第二次でも、パリでもロンドンでも女たちとやりまくったの?その後に混血がいっぱい産まれて。大問題に?」「敵国人のは、特に黒人のはおっきいの?だから、女たちが喜んで?」「どれくらい、おっきいのかしら?」「あら?これ?何ですか?」「こんな写真、どこで?」「町のあの映画館の館主から貰ったの?」「戦前の写真なの?カラーだわ。凄いわ。黒人がこの国の女と?この女、島田を結ってる。芸者なの?」「何だか変に。先生?暑いわね?日射病になりそうだわ」「もんぺを脱ぐの?」「あの時の川遊びのつもりで?そうね。あの時は溺れて。先生にすっかり。何もかも介抱されたんだもの」「ようやく戦争が終わったっていうのに、病気になってはいられないもの」「先生がズボンを脱ぐなら、私ももんぺを脱ぐわ」
「あぁ。少しは涼くなったわ。いい気持ち。先生も?」「先生?私、一度、聞きたかったの」「あの時、どんな人工呼吸をしてくれたんですか?」「先生の口を私の口につけて?私の口から息を入れて?心臓マッサージをして?胸を揉んで?」「だったら、私達?」
「先生?今度はこの国の女が敵兵と戦うんですね?」「しっかりと訓練しないとまた敗けて。組伏せられて犯されてしまうんだわ。どうすればいいんですか?防御術?教えてくれるんですか?」
「先生が敵兵の黒人の代わりになってするの?」「黒人兵が欲情して?それとも先生なの?あら、ご免なさい。先生が黒人兵なのね。戦争も終わったし、異国の女とやりたくて仕方ないの?」「私は戦争未亡人になっているの?幾つがいいって?そうね。二八かしら」
(続く)
異人の儚7️⃣