北帝5️⃣

北帝5⃣


儚六編


-口上-

 番台に座った些か白髪まじりの、だが三〇から四〇ともつかぬ豊満な女が、意外な程の艶やかな声を張り上げている。
 「世間では、女の身体なんかは見せても減るもんじゃないって言うだろ?ごもっとも。私なんぞも、ほら、見てごらんな。殿方に散々に品定めはされたけど、ほら、この通り。自分で言うのも何だけど、未だ未だ潤沢だとは思わないかい?」「賛同の余りに声を詰まらせているんだね?」
 「真実は俗世の格言通りなんだよ。女なんて生き物は情欲の視線に晒れれば晒されるほどに磨かれるものなんだ。原石が珠玉になる道理なのさ」「さあさあ。だから、この小屋は見るだけはタダなんだよ」「正真正銘だよ」
 「そうだよ。入場限りではお代はいただかない」「目で犯すのは色の道の極みと言うじゃないか。飽きるまで見ておくれ」
 よくよく確かめると、女は肉感的な面立ちで生気溢れる風情なのだ。「今年は、今夕ただ今限りの、これから僅かばかり、たったの一時間の公演だよ」


-革命家-

 「夢精したてのそこのお兄さん。ただし、勘違いしちゃいけないよ。見れば触りたくもなるのが情念の道理だろ?触られれば女だって感応するのが肉欲の定めだもの。煩悩も燃え盛ろうってもんだろう?」「さあて、こうなったら、ただというわけにはいかない。地獄の一丁目だ。ここから先ははお足がかかるよ。詳しくはそこの品書きを見ておくれ」
 「尻の指入れは?」無政府主義者風の若者が無造作に尋ねると、「あら?お前さん?去年も来たね?去年と変わらないよ」「ははあ。去年は何をする間もなしに、何したんだね?」「図星だね。革命家にしてはまだまだ修行が足りないんだわ」「気に病まなくてもいいんだよ。豪傑にはよくある話だもの」「代金は?」「あらあら。そうだったね。そこの品書きに書いてないかい?」「ない」「そうかい。そうだね。だったら、一〇〇円でいいわよ。寿命で払うなら命一〇〇日、恋人や女房の命で支払うなら一年」

 「さあさあ。とっととお入りよ。当たり前だろ?口上に偽りなしなんだ。年増女は色の惜しみなんかするもんか。ここには不幸な生い立ちで売られた女なんてはいないんだよ。由緒正しい名だたる桃源郷なんだもの。みんな精神も肉体も解き放たれた自由人なんだ状況の先駆の知識人なんだ。おまけに稀にみる床上手なんだもの。そうだよ。料金は公明正大。人民奉仕の哲学を徹底して、値上げは一切しておりません」

 「さあさあ。前の秘穴は、二〇〇円。寿命で引き替えなら二〇〇日。恋人や女房の寿命を差し出すならなら二年分だよ。互いに惚れあったあげくの身請け話には相談に乗るが、不要になった女房との引き換えはご法度だからね。ごめんこうむります」


-桃源郷-

 「触りたい?私のを?随分と物好きだわね?熟した女が趣向なの?母親から聞いたの?私の盛りの噂?それで、初めての女は私と決めてしまったの?二山も越えて?それで、衣服も傷ばかりなのかい?殊勝だね。嬉しいわ。あなた?歳を聞かせてくれない?」北帝は思わず、「一七」と、口走ってしまった。あの女医が脳裏を過ったのだ。「随分とひねた一七だね?それにしても稀に見るいい男じゃないか?女難を一身に背負っているんだね?いいわよ。触らせてあげるわ。お金?さあて、どうしようかしらね。あなたの口説き文句で、すっかり、女を取り戻してしまったんだもの。ほら、幾つに見える?あなたの好みを考えてみたんだけど。三〇?そうでしょう?
満足なの?だったら、純情の契約は成立したんだもの。…触りっこにしようかしら?あなたのを触らせてくれる?どう?」

 狸顔の腹をせり出したあの居酒屋の主人が、「本番は出来るのか?」「金と寿命があるなら思いのままだわさ。女の寿命を叩き売れる性悪男だって、そら?お前さんのことだよ?ここは罪罰問わずの桃源郷なのさ」

 中に入ると、一〇席程の桟敷のすぐ前に舞台があって、月明かり中に、赤い布団に伏せた女の裸体が浮かび上がっているのである。屋根がないのだ。
 横たわっている女が片足を、高々と上げた。股間が何の恥じらいも示さずに黒々と容貌を現す。
 つきたての餅の様な乳房を揺らして、女が身体を起こした。
 北帝が仰天してのけ反った。その女は、あの居酒屋で北帝の相手をしたあの小娘ともう一人の熟女を演じた、得体の知れないあの女だったのである。



儚七編

-向日葵-

 北国山脈から流れ来る北の国の名だたる大川に沿って、異様なほどに蒸し暑い陽気にでもあたったのか、腑抜けのような北帝がだらだら坂を歩いて行くと、向日葵の大輪に並んで、まるでその向日葵が化身した様な女が佇んでいた。やっぱり誰かの面影があると北帝は再び思うが、つい先程、あの通りの書店で本を読んでいた、三〇辺りの豊満な女なのである。
 男と視線が合ったかと思うと、半袖の青いワンピースの裾を翻しながら妖しげに歩み寄って来て、「さっきはしたかっんでしょ?」と、耳朶の辺りで囁いた。「どうしてわかるんだ?」「わかるわよ」「私も同じだったんだもの」「そればかりじゃないのよ。遂には挿入されてしまったんだもの」「誰に?」「出会い頭にそんな理不尽に及ぶのは、無頼な精神のあなただけに決まっているでしょ?違うかしら?」「確かに妄想はしたが、理不尽な行為などはしていない」
 「嘘おっしゃい」「…だったら、確かめたいんだ」「ご随意に…」「何故、俺の本があの本屋にあったんだ?」「可笑しいかしら?」「俺は地下文学専属のの作家なんだ。あんなところに並ぶわけがないんだ」「そうよね。こんな時流だもの。即座に逮捕されて…」話を折った男が、「何より、著者の名は俺になっていたが。『偽御門の儚』なんて、あんなものを俺は書いた覚えがないんだ」「特務機関の謀略なのかしら?」男も納得する。


-脳裏-

 「ましてや、あなたには徴兵拒絶の前科があるんだし…。或いは、この戦時下で、有閑夫人達との不純交遊も甚だしいし…」「不純交遊?」「隠しても無駄なことよ。あなた達の異様な欲望の事なら、私には何もかもお見通しなんだから…」
 「誰の事を言っているんだ?」「…例えば、皇女典子だわ」「馬鹿馬鹿しい。あれは小説だ。それも、未だ、構想を練り始めたばかりで。俺は一行も書いてもいないんだ」
 「何の一つもお分かりじゃないのね?今時の国家権力にとっては、不埒な着想そのものが罪なのよ。思想の弾圧とはそういうことじゃないの?ましてや、御門家の不浄の話でしょ?真っ先に摘発されるのは道理でしょ?」「そんなことで、あなたは散々苦しんできたんでしょう?」
 「皇女典子の構想は誰にも話していないんだ。何故、俺の考えていることがわかったんだ?」「そんなの簡単だわ」「あなたと私は、真髄で身体を許し合っているのよ」「真髄?」「功利や損得抜きの純粋な性愛よ」「どこでしたんだ?」「勿論、あの夢の中でしょ?」「…それって、夢の中の出来事なんだろ?」女が乳房を揺らして頷いた。「夢なんだから幻じゃないのか。証拠能力などないだろ?」 「そんなのは関係ないわ」「どうして?」「意識は何事をも超越するのよ」「時間にも空間にも呪縛などされないわ」「それって、夢の話じゃないのか?」「そうよ」
 「すると、さっきのあの本屋も夢なのか?」「夢には違いないけど。夢の中で実在しているのよ」「実在?」「そうよ。あの本棚の裏で私達は交接をしたでしょう?」確かに、その記憶は男の脳裏に生々しいのである。「ほうら。実感の記憶が蘇ってきたんだわ」「愉悦を体感したんでしょ?私と一緒にあなたは確かに存在した。そうでしょ?」

 「あなたの脳裏の真相を、私が望んだからだわ」「あなたの危険な噂ばかりを聞いて心配が募るのに、入手の方法がなかったんだもの」「だから?」「いつもの夢で祈願したのよ」「夢?」「そうよ」「どんな夢?」「あなただって、私と一緒に見てるでしょう?」北帝が頭を振る。「性夢だわ」「性夢?」「そう。あなたに挿入されながら名前を呼んだのよ」「誰の?」「あなたのに決まっているわ」

 「確かに妄想はした」「だから、それが伝わってしまったの」「僅か一〇秒ばかりだけど、私達は共通の性夢を堪能してしまったんだわ」「だって、あなたと私とは同類なのよ」

 「あの精神科の待合室にいたでしょ?」「あの日だわ」「空雷カラカミナリが凄まじく鳴り響いていた、あの昼下がりよ」北帝には覚えがあったのである。「納得した?」
 「あなたの後にあの女医の診察を受けたんだわ」
 「街を歩いていてすれ違った男の裸体を妄想するでしょ?って、聞かれたのよ」「待合室に精悍な青年がいたろうって、言うの」「あなたのことだわ」「あなたのことを妄想しなかったかって、聞かれたわ」「したって、答えたわ」「だって、本当のことなんだもの」
 「詳しく話しなさい、って言うから…」「みんな教えてしまった…」「あなたと私っ切りの秘密の筈だったのに…」「本当にごめんなさい」「何て言ったんだ?」
 「こんな正々堂々の吹きさらしじゃ、恥ずかしくて告白などできるわけがないでしょ?」「もう少し上流まで行けば、向日葵の畑があるの」「丈のある花花が満開よ。そこなら、すっかり姿を隠せるもの。心は解放されるから、なにもかもが自白できるわよ」「もっともっと、私のことを知りたくないの?」


-再会-

 「そこでは、もう一人、あなたの思い通りの女とも会えるのよ」「誰なんだ?」「その向日葵畑を耕した人だわ。そして…」「あなたが書きたくて仕方がないのに書けない女?わかるでしょ?」「あの典子なのか?」
 「決まってるでしょ?」「何故、典子がいるんだ?」「『党派の儚』の最終章を、未だ読んでいないのかしら?」「馬鹿な。あれは俺が書いているんだ。未だ最終章を書く予定はない」「未だ解らないのかしら?」「私はあなたの潜在の意識にだって潜伏できるのよ?」「だから?」「あなたが書けるように、今、仕向けてあげるのよ」「そんなことができるのか?」「ある時間と異なるある時間が混沌する瞬間に私たちはいるんだもの」「どうするんだ?」「典子がどうしているか知りたくない?」

 「初恋のあの人が忘れられないのね?」「何て純情なんでしょう」「そんな気質なんだもの、こんな時流に気がふれるのも当たり前だわ」
 「私だって、そんなあなたの思われ人になりたいわ」「でも、あの女医などもどうかしら?」「大人になってしまったあなた好みの身体なんでしょう?」
 「あらあら。おしゃべりばっかり。さあさあ。急ぎましょうね?」「その女も待っているんだもの」「いったい、誰なんだ」「初恋の典子?それともあの女医?或いは新しい女医?よりどりみどりだわ」


(続く)

北帝5️⃣

北帝5️⃣

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更新日
登録日
2020-09-14

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