北帝4️⃣
北帝4️⃣
儚五編
-小屋掛け-
満月の黄金色の夜なのである。三叉路に佇んだ北帝は、たいした思案もせずに真ん中の道を選んだ。やや歩いて、ふと、気が付いて、戸惑って立ち止まった。その視線の先は、やがて、だらだらと緩やかな上り坂になっている。そして、四折八折に曲がりくねった果ての彼方のその頂上は、果ても知れない満天の星空に飲み込まれているのだった。その先はどんな世界なのか。男に悪寒が走る。こんな道は、到底、辿れるものではない、俺の選択というものは、こんな具合に、いつの局面も陳腐だったのだと、疎ましい過去の記憶を瞬時に反芻しながら、引き返そうときびすを回した。
と、その時に、男の眼前には橙の灯明がともされた、大きな無数の提灯で形取られた見せもの小屋が、忽然と建ち現れたのである。
大看板が横に張り付いて、『愈々開演!驚愕、空前の妖艶!神秘の豪華共演!』の鮮やかな太文字を踊らせている。さらに、やたらに垂れ幕が下がり、立て看板が林立してあるのだ。
いわく、『古今東西希なる尻見せショー 』『本能露に終まで…』『淫奔な女体の秘密』『爛熟した蜂蜜子の性欲-発情した子宮まで見せます』『身を持ち崩した淫乱皇女のなれの果て』『秘器初公開!』などなど。
その看板に描かれた女に老人がまとわりついている。すると、女が動き出した。他の看板もよくよく見ると、みんな生きた女達が張り付いているのであった。
『女の真実』という看板を背負って、腰巻きばかりの女か見下ろしている。その桃色の腰巻きをまくりあげて、無遠慮に覗き込んだ七〇ばかりの男が、「随分と毛深い女だ」と嘆く。「豪気ななさりようだこと」と、女は、至極、平座の風で、「着流しのご隠居さん。粋な佇まいだこと。お達者ですね?」「こんな時勢だ。末を案じりゃまだまだ老け込んじゃいられないんだよ」
「高邁なお説はごもっとも。お名前ばかりでもお教え下さいな?」「北帝だ」「まあ。気品なお名前だこと」「名前なんざ、ただの符号だよ」「あら?やっぱり、どこかで聞いた覚えが…」「あの高名な作家先生じゃございませんか?」「名前以外は一切明かさず。幻の覆面の反逆児と噂の高い?」「やっぱりね。納得しました」「何を納得したんだい?」「沈黙されたのが何よりの証しだわ」
「俺としたことが。うっかり口をついてしまったが。いかにも北帝に違いない」「ひょっとしたら私の風情に惑わされたのかしら?」「何とでも言うがいいや」
-立位-
「私ったら。飛びっきりの幸運なんでしょう?こんな野卑な夢の中で、先生にお会いできるなんて…」「何となく異変は感じてはいたが。やっぱり、これは夢なんだな?」「そうには違いはありませんが…」「何だ?」「夢も現も、そう、大した違いはございませんでしょう?」「それもそうだ。とりもなおさず、この時勢などは本当の悪夢だからな」「お説の通りだわ。先生などは、時節に逆らって真実を述べられる数少ない烈士ですもの」
「大胆に禁忌に挑戦なすって…」「性交の真髄は立位後背位だと書かれたでしょう?」「そうだったかな?」「私達の習性が認められたんですもの。心が救われる思いが致しました」
「先生?この時節の真実はどこにあるんでしょう?」「荒れ狂う風前の灯火だ」「今時の若い者は信用なりませんか?」「すべての幻想はとうの昔に消え失せたよ」「その心は?」「歳や民族の問題じゃないんだ」「もっと平易に教えてくださいませ」「簡単だ。どこまでも真実を追求して生き続けるんだよ」 「この俺が七〇手前だなんて、未だに信じられないんだ」「そんな風には、到底見えませんもの」「そうだろうとも。気分はずうっとあの頃のままだよ」「あの頃とは?」「二十歳だよ」「つい最近じゃございませんか?」「そうなのか?」「私たちの世界ではそうなっております」「俺も同感だ」「もしかすると私達と同族ではありませんか?」「御門制を拒絶して平和を求める者は皆同志だよ」「まあ。嬉しい。私などは根っからの平和主義者ですもの」「いい心掛けだ。弱い人間を蹂躙して戦争に血道をあげるなんざあ、人道の風上にもおけねえんだ」 「大陸では、またまた非道をやってのけたらしいですね」「口にするのも汚らわしい」「大虐殺だと聞いております。女は犯したあげくに子供もろとも皆殺しにしたとか?」「狂気の沙汰だぜ」「それもこれも、あの御門が直々に指図したとか?」「鬼畜にも劣る奴だ」
「生き神などと、盛んに語っていますよ?」「そんな愚弄で大衆を騙すなんざ、狸だって考えまいよ」「当たり前ですわ。狸だって怒りますわよ」「あんなトンチキの所業は、昔からとうにお見通しだよ」「青筋がたっております。随分とお怒りで?」「平和を憂える公憤だ。私情じゃない」「ごもっとも。こんな卑賤な私などでも気の休まる暇もございません」「そりゃあ殊勝な心掛けだ」「痛み入ります」
「それにしても、まるで獣の化け損ないだ」「私をご指摘ですか?」「他も似たり寄ったりだ」「流石に、人生の真実の様なお言葉ね」「好き者で通したあなただもの。私如きの為りなどは、とうに悟られているでしょう?」「持って回った言いなりだな。いったい、何だと言うんだ?」「女なんてものはね、所詮は化け物なんでしょう?」 「違いない。試しに尻を見せてみろ」「嫌なのか?」「そうではありませんが…」「だったら?」「さっきは陰部を覗かれました。今度はお尻…」「それがどうかしたか?」「これでも女の端くれなんですもの。せめて、お気持ちばかりでもお聞かせくださいな?」「これだけの看板からお前さんに話しかけたんだ。判るだろうよ?」「まあ。喜んでいいんですね?」「気のままに」「私だって。遠目に入った折から、胸が高鳴っておりました」「お前は幾つなんだ?」「幾つに見えます?」
女が素直に背中を向けて、「こうかしら?」と、腰巻きをまくりあげた。「何だな。震えるぐらいに大きくて、熟れた風情の桃色は好みのうちだが、まるで毛だらけじゃないか。これじゃ山出しの小女にも劣るわい。いったい、どうなっているんだ?」「どうだって言うの?」「奇獣の化け損ないにしても随分と無粋が過ぎるじゃないか?」「そうかしら?」「当たり前だろ?」「だったら、好き者のご隠居さんはどんな女がご所望なのかしら?」「当たり前だ。雪に埋もれた絹に蝋を引いたような柔肌だ」
「そんなの簡単だわ」女が回転すると、女の化身は、忽ち、言われた如くに変化してしまうのである。「こんな具合でいかがでしょう?」「たいしたもんだ。こんな詐欺には会ったがご利益。極楽大万歳さまさまだ」「まだまだ現役なんでしょう?」「聞くが野暮のテンテンよ」「だったら、中で、存分に遊んでくださいな?」「当たり気コンコンだ」「コンコンは、私の仲間じゃ御座いませんよ」
(続く)
北帝4️⃣