北帝3️⃣

草也

北帝3️⃣

-玄子シズコ-

 女医の玄子は、『ピリカの儚』の女医の玲子の前任者である。後に理事長になる男の女だから、この病院の事情の全てを知り尽くしていると考えて間違いないであろう。あの倫宗の信徒でもある。
 その女医が、「街を歩いていて女の人とすれ違うでしょ?」と、訊ね、「時には、いいなと思う人もいるわよね?」と、北帝を観察する。「…いる」「その人の裸を想像したりするのかしら?」「裸?」「そう。裸体よ」「女の?」「そう」「一糸まとわぬ?」「そう。陰毛もこんな盛夏の風に晒しているのよ」北帝は憮然として窓の彼方に視線を放った。ブナの巨木が林立している。「その女が性交している場面とか?」「性交?」「そうよ」「どうなの?」「どうかな?」「恥ずかしい?」「そうよね。若いんだもの」「幾つだったかしら?」と、カルテを見て、「一七か…」
 北帝が気色ばんだ。「俺が精神科医の診察を受けたのは、徴兵検査の二〇の時だ。なぜ、三つも若返って。しかも、あんたの様な見も知らぬ女に診察されているんだ?」「そんな、つまらない事に拘っていたの?」「当たり前だろ?今の俺は二二の筈だ。なぜ、一七なんだ?」「あなた?人の歳なんて大した意味はないのよ」
 「徴兵検査であなたの診断書を書いたのは私の恩師なの」「彼からあなたの精密な診断を依頼されたのよ」「だから、思春期の過去に遡って問診しているんだわ。一七は精神に一番敏感な歳なんだもの。わかった?」 「だったら、今の俺の本当の歳は幾つなんだ?」「意識の往来と年齢の連関に気が付いたあなたは、そうね、二二よ」「二二?」「そうよ」「それが俺の真実の歳なのか?」「どうかしら?だって、意識は時間を翻って流動するんだもの。だから、年齢を固定するなんて無意味なんだもの」
 「だったら、あなたの本当の歳は幾つなんだ?」「今の私なら三四だわ」「道理で…」「どうしたの?」「爛熟した身体だと思っていたんだ」「厭だわ。そんな事を考えていたの?」「そんな俺は、やっぱり、気違いなのかな?」「私の裸を想像したの?」「会った時からそればっかりだ」「そうだと思ってたわ」


-徴兵-

 「実に陳腐な質問だ。こんな問診をあなたが考えたのか?」「精神医学の定理よ」「あなたも想像するのか?」「何を?」「街を歩いていて、すれ違う男の裸を妄想するのか?」「しないわ」「汗ばんだ股間に陰茎が潜んでいるのを?」「厭だわ」「俺だってそうだ」「そんな事をしていたら歩いていられない」「そういう答えができるあなたは、正常って事だわ」「気が狂うと裸を妄想して歩いているのか?」「そうよ」「女の裸を妄想すれば気違いなのか?」「そういうわけじゃないわ。時と場所の問題を言っているんだわ」

 「本当の事を教えてやろうか?」「聞きたいわ」「女の裸を想像はする」「誰の?」「言っていいのか?」「どうぞ」「皇后」「えっ?あなた?今、何て言ったの?」「皇后だ」女医が、「あなた?ちょっと待って」と、二人に背を向けて聞き耳を立てている、中年の兎顔の看護婦に用事を言い付けて、退室させた。

 「どうして見たいの?」「見たいんじゃない」「だったら?」「ひんむいて犯してやりたいんだ」「まあ。勇ましいのね」
 「あなたは徴兵を拒否したんでしょ?」「どうしてかしら?」「御門が嫌いだからだ」「あんな奴のためには絶対に死にたくないんだ」「ちょっと待って。もうこんな時間なんだわ」

 女医が戻ってきて、「すっかり定時を過ぎてしまったんだもの。看護婦を帰したのよ」「この病院には労働組合があるの」「前は進歩的だったんだけど。翼賛会に加盟してから一変してしまって。戦争や御門の批判なんてご法度なのよ」「みんなが特務の通報者に思えてしまうんだもの」「あの看護婦はいい人よ。ご主人を大陸の戦火で亡くしているし。でも、念のためにね」
 「あなたったら、突然に言い出すんだもの。驚いたわ」「何が?」「御門の事よ」「大した事じゃない」「随分と危険な事を豪胆に言うのね。御門制に反対なのかしら?」「当たり前だ。あんなものには、決して、同意できるわけがない。あんたは認めるのか?」「どうかしら?」

 「この街の人なんだろ?」「そうよ」「だったら?」「アブクマの事ね?」北帝が深く頷く。「勿論、知ってるし。そればかりか…。私はアブクマばかりじゃない、あのアテルイの子孫なの」男が目を見張る。「そうよ。アブクマはあの乱に敗れて、恋人とも別れてアテルイの元に走って戦いを続けたでしょ?その最中にアテルイの妹と結婚したのよ。私はその末裔なの」「だったら?」「そうよ。アブクマもアテルイもカンム御門に惨殺されたんだもの。御門家は私の家系にとっては敵だわ」
 「あなたが徴兵を拒否したのも?」「当たり前だ。あんな奴に徴兵されて、戦場に送られるなんて真っ平だ」「でも、この北の国を守るためだったら命は惜しくない。アブクマやアテルイの様に先陣で戦うだろう。死も怖くはない。だが、あんな奴のせいでは絶対に死にたくない」 


-逸子イチコ-

 「最近、空襲で爆撃されたんだ」「まあ。どこで?」「S市の外れだ」「新聞で見てはいたけど。とうとう、あんな所まで爆撃するんだものね」「郊外に化学工場があるんだ」
 「その付近の田んぼ道を歩いていたんだ」「爆音がした。見上げると一欠片の雲もない群青ばかりの空で。すると、南の方にキラキラとする紫の光が見えた」「驚くほど綺麗だった。やがて、爆音が聞こえて。その光の中から爆撃機の編隊が現れたんだ。一旦は北に向かって山脈の上で方向を変えて戻ってきたんだ」「二〇機はいた」「工場の上に来ると爆弾を落とし始めて。あちこちから火の手が上がった」
 「その時に、田んぼの中に女がいるのに気付いたんだ。豊満な。三〇位に見えた」「爆撃機の軍団は執拗に工場に爆弾を落としている」「その内の一機が急降下してきたと見るや、女に機銃掃射を始めたんだ」
 「すると、女が何かを叫び続けながら、野良着の上っ張りを脱いたんだ。豊かな乳房を揺らして爆撃機に鎌を突き上げている」
 「やがて、肌色のシャツも脱ぎ払って。終いにはモンペも下穿きも脱ぎ落として…」「真裸になってしまったんだ」
 「引き返してきた爆撃機が、再び、機銃掃射を始めた。操縦席の若い男の顔が見えた。桃色で。笑っているんだ」「全速力で駆け寄って女を押し倒した。溝に落ちた」

 「何をするの?」「あんたを助けるんだ」「余計な事をしないで」「死にたいのか?」「そうよ。死にたいのよ」「どうしてだ?」「夫が、南洋であいつらに殺されたのよ」「いつ?」「一年前に戦死広報が来て…」「だから。生きていても何の甲斐もないのよ」「子供は?」「いないわ。解ったら余計な事をしないで」「死なせない」「どうして?」「抱きたい」「何て言ったの?」「あんたとしたい」「何を言ってるの?」「これに嵌めたいんだ」「どうして?」「理由などない」「本能だ」「亭主は誰に殺されたんだ?」「あいつらよ」「なぜ、南洋に行ったんだ?」「召集されたからだわ」「誰に?」「誰に?」「召集したのは誰だ?」「御門よ」「南洋に送ったのは誰だ?」「御門だわ」「殺させたのは誰だ?」「御門よ」「俺は徴兵を拒否した男だ」「御門の徴兵だ」「気違いだと言われた」「家も追い出されて…」

 飛行機が南に飛び去った。「終わったの?」「戻ってくる」「どうして?」「あの工場を全滅させる気なんだ。未だ三分の一にも当たっていないだろ?」
すると、編隊から離れた一機だけが西の山脈の方角に旋回を始めた。「あれはさっきの奴だ。あんたを犯そうとしているんだ」「犯す?」「あいつの顔を見たか?」女が頷いた。「若かったろ?」また、女が頷いた。「あんたは?」「三一」「あいつにとって機銃掃射は射精なんだ。だから、あんなに執拗なんだ。戦争の若気の狂気が咄嗟に思い付いたゲームなんだ。あんたはあいつの餌食にされたんだ」「嫌」女が叫んだ。「敵に犯されるのは嫌」「絶対にさせない」女がしがみついた。
 「あなた?今、やるの?」「そうだ」「あいつに見せつけるの?」「度肝を抜いてやるんだよ」「面白そう」「いいのか?」「いいけど。あなた?出来るの?」「あんたは?」「あなた次第よ」

 「素っ裸の俺達は鎮守の森を目掛けて走り出したんだ」「途中で名前を聞いたら、女はイチコと叫んだ」「」「朽ちかけた鳥居をくぐると杉の大木が立ち並んでいた」「一機だけが追いかけてきた爆撃機は、最後の掃射で鳥居を砕き散らすと、羽根を揺らして引き返していった」「裸の女と俺だけが残されたんだ」「いい女だった」「俺の子宮だと思ったんだ」

 「町の警報だわ。こんな時間に何事があったのかしら?」「空襲だ」北帝が立ち上がり、「空襲?」女医も椅子を蹴った。「ここにも来たの?」「間違いない」「どうして断言できるの?」
 「でも、こんな所まで来るなんて」と、女医が窓を開けて、南の空を見上げる。真夏の灼光は未だ山脈に沈んではいない。爆音がした。「あの爆音だ。あの時の爆撃機だ」「どうすればいいの?」「頑丈な場所はないか?」「地下室があるわ」その時に、破裂音がしてガラス窓が吹き飛んだ。女医の身体が飛び込んできて、倒れ込んだ二人は机の下に潜り込んだ。絶え間なく爆発音がする。


(続く)

北帝3️⃣

北帝3️⃣

  • 小説
  • 掌編
  • 恋愛
  • ミステリー
  • 時代・歴史
  • 全年齢対象
更新日
登録日 2020-09-14

Copyrighted
著作権法内での利用のみを許可します。

Copyrighted