北帝2️⃣

草也

北帝2️⃣


儚二編


-楓子-

 随分とやつれた面持ちの、神経質そうな編集者と向かい合っていると、突然にドアが開いて、「その人をこっちに呼んで」と、甲高い女の声が苛立って響いた。
 編集者の妻で常務だという女と向き合った。四〇初めか、豊満に熟成した女だ。夫とは真逆に活発な風だ。創業者の娘で、経営全般、編集の実質的な権限者で、楓子という名だとも聞いてはいた。
 この時勢にスカートなどを穿いている。浴衣を仕立て直したであろう事は、こうした世事に疎い北帝にも解った。だからこそ、その由縁が寝間から抜け出してきたばかりの怪しさを醸し出しているのである。紫や赤、青の朝顔が女の豊かな尻や下腹から、股間にも絡み付いている。取り分けて、脂肪で膨れた下腹に咲く紫の大輪は絶景だ。まるで、胎内の油分をすっかり吸収して咲き揃った如くに妖艶ではないか。
 足を組んだ女が、事も無げに紫煙を燻クユらしながら、「今日の出来も今一つ物足りないんだけど…」と、吐息もあからさまに北帝に視線を絡める。「大家タイカ先生の我儘で思いがけなく穴が空いたから、今回は採用できるんですよ」と、にべもない。北帝は恐縮した風に頭を下げながら、口ごもった。
 「以前から、あなたには言おうと思っていたんだけど…」「私たちの地下文学には、あなたの作風は根元的に不向きなんじゃないのかしら?」厚くて赤い唇が特異な生き物の様で動いている。「確かに構成が奇抜だし。猟奇性もそれなりにあるわ」「私は気に入っているのよ」「だから、渋る主人にも強く命じて…」「時々は採用はしているんだけど…」女の言い分は夫の編集長の愚痴とは真反対なのではないのか。
 「まあ。私風に言えば、あなたの表現は硬質なんだわ」「或いは的外れの饒舌なのか…」「…そうなんだわ」「あなたのは散文の臭いが強すぎるのよ」「時には哲学や倫理学徒の雰囲気まで漂うんだもの」


-『花一匁』-

、「若さのせいなのかしら?」「あなた?お幾つ?」男が歳を告げると、赤い唇を湿らせながら、「でも、私にだってそんな時節はあったんだもの。分からない訳じゃないのよ」
 「先の御門が崩御した頃に、純粋文学運動が勃興したでしょう?」「花一匁ハナイチモンメという覆面の女流作家が現れて。女学生だった私は夢中になったわ」  「あなたも世間には覆面なんだわね?」「北帝という名前にはどんな意味があるのかしら?」「…特段に意味はない」
 簡単に追求を諦めた女が煙草に火を点けて、「開戦が確定的になった時に、彼女は転向宣言をしたんだわ」「今のこの情況を予測して決断したのよ」紫煙を燻らしながら、「『国家の横暴は、やがては純粋文学を抑圧するだろう。その時に筆を折る思想は私にはない。それならば大衆に帰依して書き続けよう。如何なる国家権力といえ、御門の赤子の大衆を根絶やしに弾圧はできまい』…彼女はそう言い切ったんだわ」
 「そうだわ。そして、地下文学宣言をしたんだわ」「性の古代回帰よ」
 「古代の『御門国興りミカドノクニオコリ』は性の神話で彩られているんだもの」「取り分けて、国産みの段は、始祖の御門とクニウミヒメの性交が露骨に記述されているんだわ」 「手始めに、花一匁は『御門国興り』の現代語訳を発表して、反響を巻き起こしたんだ」「あら?お読みになったのね?そうよ。今までにはなかった大胆な表現で。でも、国家は統制できなかった」「当たり前よね。御門家の本を忠実に訳しただけなんだもの」「花一匁は次々と作品を発表したわ」「業を煮やした政府が、遂に弾圧を開始したけど…」「後の祭りね」「私達はこうして地下の奥深くに身を潜めてしまったんだもの」「この王国では性の禁忌はすっかり解放されてしまったのよ」


-地下文学-

 「戦争も五年を越えたわ。最近は敗色が漂っているでしょ?」「こんな時勢で、すっかり退廃してしまった大衆は何を欲しているのかしら?」「開戦当初に湧き立った世論も、今では蜃気楼だわ」「希望も理想も根こそぎに打ち砕かれているのよ」「そうでしょ?」
 「花一匁が予言した通りなのよ」「終いに大衆に残った欲望は本能だわ」「本能は直載なのよ。理屈や理念じゃないの」「そうでしょ?」「本能は生存の基本に根差しているんだもの…」「食べなきゃ死んでしまうんだわ」「眠らなくたって…」「排泄だって思うがままにはいかないでしょ?」
 「私たちが追求している地下文学の主題の性だってそうよ」「生殖に関わるんだもの、本能の根元なんだわ」「人間は、というより男は性を、女を自在に制御しようとしているけど、そんなのは幻想なんだわ」「女の美徳は貞淑だなんて言うけど、男が作った願望に過ぎないの」 「女は雌よ」「孕んで種を残すのが使命の生き物なんだわ」「だから、孕める時期になればしたくなるのよ」「その男を愛しているからするんじゃないのよ」「自然の摂理に過ぎないんだわ」「わかる?」「ただ、したくなるからするのよ」「本能だからなのよ」
 「だから、あなたの尖った矜持は、エログロの地下文学には、全然、要らないのよ」「あなたにはその本能をそのままに、いいえ、大胆に言葉にして欲しいんだわ」「解るかしら?」

 女が足を組み替えた。下穿きが見えない。男が目を凝らす。
 「その眼よ」「私のを見てるんでしょ?」「大抵なら視線を逸らすものだわ」
 「そうなのよ」「あなたは挑戦的なんだわ」「それだけが、あなたに備わった唯一の取り柄に違いないわ」
 「聞いたわよ」「狂気を装って徴兵を拒否したんでしょ?」「それって、並大抵の胆力じゃないわ」「あなたは戦争を拒んだ意気地無しじゃないわ」「死にたくないのは本能だもの」「あなたは本能の根元で生きているんだわ」「だから、あなたには、未だ、見込みがあるのよ」
 「私たちが求めるのは即物の欲望よ」「性欲ってそういうものでしょ?」「情欲が湧き出すのに理屈はないんだもの…」「解るでしょ?」

 「そんなにここに興味があるの?」男が頷くと、「もっと、見たい?」と、股を開きぎみにするのである。


-競演-

 「地下文学の極意を指南してあげようかしら?」と、女がスカートをずり上げて太股を僅かに開いた。その奥は漆黒の闇だ。「さあ。この場面を描写してみなさい」「あなたなら出来る筈よ」

 『狂気の陽気に犯されたてしまったのか。盛夏の昼下がりの事務室で、女は熟れた太股をじりじりと開くのである。若い作家の視線が絡み付いて離れない。女は爛熟した快感が込み上げてくる。その根源は漆黒の闇に覆われていて判然とはしない。女だけが支配する闇黒の蜃気楼なのだ。ただ、女の厚く赤い唇が妖しく暗示するばかりなのだ。隣の部屋には女の夫と入ったばかりの若い事務員がいる。女はその関係を疑っているのだ。昨夜も遅くまで諍イサカいを続けた。潔白を貫くために、初老の夫は久方ぶりに、円熟した妻の身体に痛々しく奉仕した。女は狂乱して暫しの悦楽に耽溺した。だが、我に帰れば、そればかりの痴戯で、この女の盛りの情欲と疑念が消失する筈もないのである』

 北帝が書き上げた原稿を一瞥した楓子が、「流石に素晴らしい着想だわ」「それがあなたの天賦の才能なのよ」「続けて…」

 『女の菊門は昨夜のなごりで未だ疼いているのだ…』

 背後から楓子が、「ちょっと待って?菊門って?」「お尻?あなたの造語なのね。いいわ。菊は御門家の家紋だものね。最大の侮辱だわ」「それがあなたの真骨頂なんでしょ?」「そうだ」「でも、読者はどこまで理解できるかしら?」「だって、実態は私と夫のアナルセックスに過ぎないんだもの。御門を引き合いに出したところで、大衆は納得するのかしら」「それって、あなたの、相変わらずの思い込みなのよ」

 「…そうね」と、楓子が唇を舐めながら、「「…私だったら…」

 『…狂ったような陽気のせいばかりじゃないわ。向かい合った若い作家がすこぶる精悍なんだもの。きっと、二〇を過ぎたばかり。生まれたての情欲なんだもの。今しがたに女との同衾から抜け出してきたみたいな香りを発している。男と女の汗が散々に交わった肉の香りだわ。だから、妖しく盛り上がった股間に、ついつい目がいってしまうの。すると、否応なく、夫とした昨夜の秘め事が去来してしまうんだわ。こんな私はふしだらなのかしら。いいえ。女が貞淑だなんていうのは、呑気な男達が捏造した陳腐な神話に過ぎないんだもの。その夫は今も隣の部屋にいて、あの豊満な若い事務員と何をしているのかしら?きっと、これ幸いに淫らな振る舞いに及んでいるに違いないわ。でも、仮に、昨夜に夫が釈明した通りに夫に不実はなかったにしても、あの性悪女のことだもの。今頃は私と同じこんな姿態で夫を誘惑しているに違いないんだわ。でも、これって、私のいつもの妄想なのかしら?』

 「どうかしら?率直な感想を聞きたいわ」「…子宮が産み出した文章だ」「まあ。素敵な修辞だこと」「俺には到底書けない」「最大の誉め言葉だわ」
 「今度はあなたの番よ」

 『女の脳裏は忽ちの内に情欲で占領されてしまうのである。深夜の夫の交わり。隣室の夫と若い愛人の息づかい。眼前の青年の股間が混然となって、女の身体を貫くのである。……』

 「どうなっているかしら?」「何がですか?」「私の秘密よ?ねぇ?」「濡れているんですか?」「どうかしら?確かめたい?怖いの?だって、ドアの向こうには主人がいるんだものね?でも、障害があるほど執筆意欲が湧くんでしょ?私との事を書きたくない?」「主人?あの編集長よ。どこかの隙間から覗いているわよ」「ねえ。見せてやりたいとは思わない?」「あなたの原稿を世に出す方途があるのよ。当然、聞きたいでしょ?」男が頷くと、「そうだわね。当たり前だわ。でも、無条件で教えるわけにもいかないわ」


儚三篇

 首府の盛夏、噎ムせ返る満員電車である。『皇国婦人隊』『稲荷大明神』『金魂教教団本部』『皇宮奉仕隊』などという幟旗を掲げる、奇妙な女の集団に北帝は乗り合わせてしまったのである。異様な肉の塊が電車の大半を占めているのだ。

 北帝はいつの間にか、ひときわけばけばしい幟旗を持つ女の背後についていまった。次々と客が続いて、男は豊満な女の身体と密着してしまう。辛うじて鞄を足元に置いて挟むと、最早、身動きのひとつも出来はしないのである。
 女の豊かな髪から妖しい椿油の香りがする。四〇初めか。熟れた耳朶がわずかに震え首筋に汗が浮いて淫靡な情景だ。
 その時に、集団の前方から声が起こった。「皆さん。とうとう来ましたよ。ご覧なさい。あそこに皇宮が見えましたよ」呼応して歓声が上がった。もう一人が、「皇后陛下のいやさかを祈念して、神国婦人の歌を歌いましょう」アコーディオンが奏で出す。

 こうした喧騒に隠れるように、最前から女の豊かな尻に北帝の陰茎が密着しているのである。女の拒絶は感じない。それどころか、むしろ、擦り付けている気配ではないかと錯覚しそうな佇まいなのだ。北帝の肉に痺れる様な快感が走る。この女は下穿きを着けていないのではないか。その時に、伸びた女の手が男の隆起を握った。
 「こんな時勢に随分と不謹慎なことだわ」と、圧し殺した囁きで掴んだ指に力をこめた。咄嗟に、「あなたの尻のお陰です」と北帝。「大陸の戦闘で負傷して…」と、繋いだ。すると、「ご苦労様でした。位は?」と、女がひそやかに応えるのである。「中佐」と、女の耳許で囁く。「まあ。ご立派だこと」
 「これまで勃起不全だったんです」「まあ。これが?」「そう」「どれくらい?」「丸々二年」「まあ。でも、今は?」「元気でしょ?たった今、直ったようだ。自分でも信じられない」「大御門大明神?いいえ、私の神通力かしら?」
 女の手が男の手を握った。もんぺの亀裂に誘う。手を差し込むと、いきなり、女の肌に触れたのだ。下穿きを着けていない。男は驚いて手を止めた。「怖いの?」「触っていいのよ」男の指が陰毛に触れた。激しく繁茂して湿っている。「指を入れて頂戴」すると、電車が到着駅に止まり始めた。「このままじゃ嫌だわ」「最後までしたいわ」「どこで?」「私達は皇宮に行くのよ。ついてらっしゃい」


(続く)

北帝2️⃣

北帝2️⃣

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更新日
登録日 2020-09-13

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