天使

天使

透明な彼女が、広げた手のひらに風を纏いながら限りない遠さまで空から、大地を俯瞰していた。
空より、とても高い場所。そこにあるのは、魂の心象だった。なぜなら、彼女はここで育ったのだ。舞う鷹のように純心さ。魂の故郷より、遙かなる空の彼方まで重さなんてないかのようにどこまでも自由な風は、うねりながら、荒れ狂う。
この風が、彼女の生まれ育ったほんとうの故郷だった。

だからか、この少女はいつも風を知っていた。
どんな時も、風と共に生まれ、いつか去ることを知る。
運命とは、ただつらいものではなかった。
もちろん、つらいものではあるけど、だからこそよりはげしく彼女は運命を愛していた。

宇宙の、より暗き世界が、
落ちていくような眩暈のようにぽっかり広がっている。
ひとりだった。
少女はいつも地上への、墜落を願った。
ひとりぼっちであの暗黒へ、落ちてゆくのがさびしかった。
鷹の叫びのような風が、少女の衣服をはためく。
靡く髪が、透明になっていく。
眼下の雲の海。そして大地が、激しい波間に垣間見える。
そこには故郷が、遠くに会った。暗黒が、怖かった夜にはいつも、眼下の町の明かりの、群れに安堵した。あの町とは、孤児だったわたしの母のようなものだった。
転変する雲の海。青く澄み渡ったここから、あの町はあまりに遠いのだと知っていた。

その町はシルビオといった。昔は長閑な農村で、おだやかに暮らしていたらしいけど、あらゆる文明の発明と、改革という転換によって、激動の時代を過ぎて、富めるものも貧しきものも、信仰のあるものも、等しく多くの赤い流血が、大地に零れ、しかし時が経つにつれ、かつてが忘れられた時代だった。今では、高度な文明が開花して工業地帯に変わったそこで、人通り賑やかな路を走る少女は町の活気から逃れようと、人の隙間を縫うように窮屈になりながら、歩いていた。ふと、飛んでくる新聞を掴むと、その新聞ではその栄華を喧伝している。

この国はいつも曇り空だった。晴れ間は一年に数回あるか、ないか、といった程度だった。
ヨアンという名の少女はそんな激動の時代に生誕した。

17歳になる頃、背中が腫れるようになったけど、ヨアンは隠していた。異端視、されるのが怖かったのだ。

昔から、身の回りの人間はヨアンを不気味な子とした。

この地方には天使教がある。
その大昔、洪水という大変動がありし時、天使が現れ、よき人間に翼を授け、悪しき人間は亡び、
また人々は新しい大地で暮らしたという、言い伝えがある。

その日、ヨアンは教会で祈っていた。
彼女の、眼には暗い罅だらけのステンドグラスが、映る。
視線を転じる、と天使の少し、崩れかけた像がある。

そうなのだ。もうこの教会にはだれも訪れない。
理由は、よくわからないけれど、これも時代の趨勢だろうか。
町には時計塔が設置されて、みんな仕事に忙しい。
機械化された、文明は秒刻みのスケジュールを必要とする。
ヨアンも来年になったら大人の儀式に参加して、仕事に忙しなくなる。
そうしたら、もうここに来れる時間も。
ふいに思い出した、そうだ、来年にもこの教会は取り壊されるんだった。

沈むように祈る時、私は次第に風の音を聞く。
だんだんと、視界は透明になって気がつくと空より遥かに遠くから地上を眺めている。

私は目を瞑る。落ちてゆく感覚に委ねながら。

翌朝、目を覚ました時、翼が背中から生えていた。
ヨアンはふいに、泣き叫んだ。
雨が、降り出した。
扉を開けて、灰の空より、遠くに羽ばたいて。

空を往く風の孤独が、私の半身だと、ふいに

その瞬間だった。視界に火花が飛んだ
飛行船が規則正しく並んだまま、鉄砲を撃ちだした。

落ちてゆくまま。
ヨアンは微笑んだ。

ああ、風が吹いている。

天使

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  • 小説
  • 掌編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2020-09-13

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