君の帰り
君は、僕の人生のすべてだった。君といた時間、君を想っていた時間、全部昨日のことのように思い出せる。笑えるくらい鮮明に思い出せる。僕は今日もずっと、君の帰りを待っていた。けれど結局、今日も帰ってくることはなかった。当たり前だ。君はもうこの世界にはいないのだから。僕はそんな当たり前を、いつまでも受け入れることができないんだ。受け入れたくない。正確には、受け入れる気がないといってもいいかもしれない。そんな往生際の悪い僕は、君の亡霊を捜すことに余生を費やすことになる。僕は君のいない現実に希望を見いだせなくなった。過去にしか生きられなくなった。未来に対するの執着心の一切を捨てた。僕のこんな有様を君が見たら、きっと呆れて笑ってくれるだろう。君の方が亡霊みたいだよ、なんて皮肉を満更でもなさそうな声で吐き捨てながら。そう、周りからすれば僕の言動はとち狂っている。だが、それをどこの誰よりも自覚しているのはこの僕だ。ないものねだりというのは実在、あるいは可能性に対する憧憬行為だ。その点で僕のないものねだりは最初から破綻している。そこに帰らぬ人を代入したところで、いくらねだっても虚無だからだ。人は僕を、滑稽な奴だと嗤うだろう。生産性がないと、現実的なことをしろといって詰るだろう。だが、僕は滑稽でいい。現実には愛想を尽かした。今さら生産するものなんて何もない。想い出に生き、想い出に終わる。それだけだ。どんなに理詰めされた文章を蓄えそれを実践したところで、最期に僕に寄り添ってくれるのはたったひとつのロマンスなのだ。そんなことを思いながら、僕は君が命を絶った場所に来た。石川に臨む海だ。今日は、君の命日だ。そしてこれから、僕の命日にもなる。僕たちは二度死ぬ。一度目は記憶の中で。二度目は心拍の停止で。僕は君を忘れないうちに死のうと思ったのだ。そして、死んでしまうなら今日だと思った。潮騒が聞こえる。海とひとつになった君が発した声のようだと思った。今までのそれとは比にならないほど気配の濃い、鮮やかな幻影が見えた。この目で見た。これから亡霊になる僕が、既に亡霊になった君の姿を。今日で嘲笑われるのはお終いだ。今日、僕は君の中で死に、明日から君は僕の中で生きる。想い出をそのままの状態に留めるとは、そういうことだ。それにしても、死ぬには天気が良すぎる。去年の今日も、こんな快晴だったな。狙っていないといったら嘘になる。死ぬには良い日だ。君と出逢えて、心の底からよかった。君は、僕の人生のすべてだった。君は優しく、僕の呼吸を止めてくれた。
君の帰り