網傘

網傘

茸の小咄です。縦書きでお読みください。

 このあたり、江戸より春の訪れはかなり遅いようでございます。
お江戸で桜の声が聞こえはじめる頃、こちらでは梅の花がそろそろ終りのころ。
少し遅れて桜が咲く頃になると、茸取長屋の面々は、山菜採りに山に入ります。蕨、薇、タラの芽、秋の茸と同じように、食事を賑わしてくれるだけでなく、茸橋のたもとの川岸の朝市にならべることもいたします。
 この数日、今時としては珍しく、暖かい日が続きました。
 「まるで、皐月だね、この陽気は」
と言いながらも、その日も、長屋の亀、鶴、春はいつものようにそろって、長屋の裏山に行き、蕨やタラの芽を採ってまいりました。
 「今日はぎょうさん採れたなあ」
 「ああ、市にだすかね、食いきれないね」
 「そうするかよ、百姓たちが、野菜を出してるだろうから、ついでに買おう」
 朝市には、百姓たちが畑で作ったものもならべています。
 三人は子どもを連れて、茸橋のたもとにやってまいります。ゴザを敷いて、蕨、タラの芽をならべます。
 「お前たちは、遊んどいで」
 子どもを追い払い、三人は、噂話に花を咲かせます。

 亀の長男の鮒助が、鶴の三男である三吉と春の長男の鳥太を引き連れて、土手をかけ降りていきます。
 「これから何するだ」
 足の遅い三吉が前の二人に声をかけます。
 「鯰つかまえてみっか」
 熊井川はあまり大きな川ではありません。河原は大小さまざまな石がころがっていて、土手の際には水の溜まったところがちらほら見られます。水の溜りには土手の草が水の上に覆いかぶさっています。そのようなところに、鯰や、運が良ければ鰻がいることがあるのです。小さい子どもになかなか捕まえられるわけではありませんが、なにごとにも動きの早い鮒助が、一度、かなり大きな鯰を捕まえたことがありました。
 三人は河原に降りると、水の溜まりの前で、着物の裾を持ち上げると帯紐にはさみ、下半身丸出しにして水に入ります。
 「冷てえな、三吉と鳥太は反対から入れ、俺は真ん中からいくからよ」
 鮒助の言う通りに、ゆっくりと水の中で足を動かしながら、三人は集まっていきます。
 「手え、つっこもうぜ」
 かがむと、際の水底に手を入れます。
 「あ、いた」
 右手からきた鳥太が声を出しました。
 「逃がすなよ」
 鮒助と三吉も手を入れてつかまえようとしますが、鯰は鮒助の手にぶつかって逃げていってしまいました。
 「おしかったな」
 一度逃げた鯰はなかなか捕まえるのは難しくなります。水は泥で濁ってしまいました。
 「あっちのほうでやってみよう」
 鮒助が別の溜まりに二人を連れていきます。
 同じように、土手際の水の中を手探りで魚を追い込みます。
 「あ、うなぎ」
三吉が、手を上げました。鰻が水面から顔をだしましたが、つるんと、水の中におちてしまいました。と、それを鳥太が上手くつかんだのはいいが、またもや持ち上げるときに逃げられた。しかし、今度は鮒助が捕まえた。鮒助は一番年上、手も少し大きいようで、なんとかつかむと、持ったまま、水から上がることができました。
そこで、鰻はつるりと下に落ちた。しかし、落ちたところは砂が溜まったところ。鰻は逃げることができません。
 「でけえ、おい、みんなで押さえろ」
 鮒助の声で、三人は何とか、鰻を押さえつけました。
 「おっかああ」
 鮒助が大きな声を張り上げました。
 大きくない川ですから土手にいるおっかさんたちに聞こえます。
なにやら鮒助の声だ。亀が土手の上に登ると、少し上流の河原で、三人がおけつを丸出しにして、しゃがんでいる。
 「なんだ、なんだ」
 と、亀、鶴、春のおっかさん連中はあわてて土手を駆け下ります。ちょうど、野菜や山菜を買いに来ていた瓢箪の主人、茂蔵もいっしょでした。
 駆けつけてみると、三人の子ども達が、一生懸命、大きな鰻を押さえつけています。
 大笑いしながらも、おっかさんたちは「よくやったね、茂蔵のだんな、つかまえておくれよ、おてのものだろう」と茂蔵を見ます。
 もちろん、料理人の茂蔵、「よくつかまえたな」と、鰻をつかんでぶら下げます。
 「おいらたち、みんなで捕まえたんだ」
 三人の子どもたちは興奮気味でございます。
 「えらいな、どうだ、みんなで分けて食うのはてえへんだろう、俺が店で蒲焼にしてやるから、夕刻、おっかさんの誰か取りにこいや、それなら、みんなで食えるだろう」
 「えー、そりゃいいね、料理代いくらかね」
 「ええってことよ、こいつらが捕ったんだ、金なんていいよ、だがよ、全部とっつあんに食われちまわないようにな、小僧のために料理してやるんだから」
 「はいよ、みんなで少しづついただくさ」
 「それじゃな」茂蔵のだんなは鰻を袋に入れると戻ろうとします。
 「茂蔵さん、採ってきた薇とタラの芽、もってってくれや」
 亀が言うと、
 「おお、そうか、それじゃ、天ぷらもつけてやらあ」
 ということで、その晩は豪華、うなぎの蒲焼、山菜の天ぷらと相成りました。
 さて、母親達が家に戻った後も、子供たちは、まだまだ、河原で遊んでいます。水の中に入るのはさすがに冷たく、土手で土筆採りをしております。採った土筆の袴を剥がしながら、母ちゃんから借りといた竹籠に入れます。後で、醤油で煮て、ごはんのおかずにしてもらうのです。
 一番小さい鳥太が草の中に生えているものを見て、「なんだ、これ」と指差します。
 鮒助と三吉も見る。
 薄茶色の、変なものがいくつも生えています。
 「網笠みてえだ」
 「茸じゃねえか」
 「こんなんみたことがねえ」
 見回すと、そのあたりは、その変なものでいっぱいです。
 土ぽぐりです。春に出る茸です。
 三人が指でつついてみる。プルプルしていると思ったら意外と硬い。
 「なんじゃろ」
 「やっぱ、茸じゃろ、ひっこぬいてみるか」
 「やめたがいいぞ、毒かもしれん」
 三人が指で突いていると、この茸から、ほんわかした匂いが漂ってきました。
 そのうち飽きてきた三人は、寝転がって空を見上げます。ちょっとかすんだ青空に薄い雲が流れています。風が無いようでぽかぽかと暖かい。
鮒助が脇を見ますと、土ぽぐりがぴょこりと土から飛び出した。
 「茸が動いてる」
 三吉も鳥太も茸を見ると、網傘のような茸が動き出し、そばに寄ってまいります。
 「にげようぜ」と、からだをひねっても動くことができない。
 そのうち、茸たちがぴょこりと、三人の胸の上にのぼってきた。目の前にいる。
 「やい、こわっぱ、おいら達を喰いな、旨い茸だぜ」
 茸が口を利く。
 勇気をだして、鮒助が「やだよ、気味わりいじゃんか」というと、茸はおでこの上に乗ってはねた。
 「痛て」
 「見た目でそう思うのはよくない」
茸たちは目の前に浮かび上がりました。青空の中でふわりふわりと踊りだすと、ぱかっと割れました。
中から、黒い煙が立ち上ると、集まって坊主頭の入道になり、空を覆ったのです。
「わいらは、土ぽぐりといってな、炒めても、汁に入れてもそりゃ旨い茸だ」
 「やっぱりやだ、喰いたくない」
 鮒助がいいますと、黒い入道はちょっとばかり考えておりましたが、白い煙にかわり、今度は青鬼になった。
 白い金棒を持った青鬼は三人の鼻の頭を突っついた。
 「痛いよ、何でだよう」
 「食べてみないで、なんでそんなこというんだ」
 と、鬼は真っ赤な煙になって、お姫様になった。
 「これなら、食べてくれるの」
 可愛らしい声を出します。
 今度も、三人は、首を横に振りました。可愛いお姫様を食べちゃうわけはいかないものです。この茸も人をよく知らないようです。
 三人がそう思うと、お姫様は元の茸の形になりました。土ぽぐりはいろいろなものに化けて、なんとか食いたいと思わせようと努力をしたのです。
そのうち、三人は食ってみようかと思うようになってきました。そんなところで、三人はそのまま眠ってしまいました。
 お昼になっても帰ってこない子ども達を心配して、亀、鶴、春が、探しにきます。熊井川の土手までまいりますと、子ども達が草の上で寝転んでいます。
 「なんじゃ、あの子ら、昼寝しとる」
 「鰻疲れじゃろ」
 見ると、三人ともお腹の上に、土ぽぐりを載せている。
 「おりゃ、おきな」
 三人は母親の声で目を開けます。
 「かあちゃん、なにしとる」
 「ばか、昼飯なのに帰ってこんで、探しに来たんだ」
 三人は腹の上の土ぽぐりを持って起き上がった。
 「そんな、土ぽぐりの馬鹿茸、放っちまえ」
 母親がいいますが、三人は首を横に降ります。
 「どうすんじゃ」
 「喰う」
 「そんなもん、食えん」
 「でも、こいつらが、食える、といった」
 「茸がしゃべるわけないだろ」
 「でも、旨いんだと」
 「夢でもみたんじゃろ、そんじゃ、八茸爺さんにきいてみたらよかろう」
 ということで、子どもを連れて、母親たちは家主さんの家に向かいます。

 「お、鮒助、三吉、鳥太、鰻捕まえたんじゃろ、大したもんだ」
 八茸爺さんは縁側で、猫の梅を膝の上に載せ、犬の梅の頭をなでています。
 「何のようだい、おっかさんまで一緒に」
 鮒助たちは手に持っていた土ぽぐりを縁側の上に置きました。
 「おや、土ぽぐりを採ってきたのか」
 「うん、こいつらが、俺たちは旨いんだって言ったんだ」
 鮒助は土手での出来事を話しました。
 「なーんと、土ぽぐりが言ったのか」
 「子ども達は土手で昼寝してましんたでね、夢を見たようですわ、だけんど、三人一緒に同じ夢を見るなんてね」と、亀がその時の様子を話します。
 「ここんとこ、暖かかったから、こいつがでたんだろうな、土ぽぐりは、喰えるよ」
 「えー」とおかみさんたちはびっくり。
 「こいつをな、油で炒めてもいいが、汁に入れてもいい、やってみなされや」
 「だけんど、誰も喰ったことないで」
 「海の向こうの国じゃあ、大好物だという話だ」
 その頃、ニッポンでは、この奇妙な色の悪い茸を食べようとは致しません。しかも春です。茸は秋と思い込んでいます。ところが泰西では、特に仏蘭西という国では、国を挙げての大好物、美味しい茸でございます。この茸、本当の名前を網笠茸と申します。このあたりでは土ぽぐりと呼んでいます。
 八茸爺さんのところに医者の玄先生がよく遊びに来ます。
茸取長屋の住人も玄先生には大変お世話になっています。玄先生はこのあたりで採れる薬になる茸や薬草については知らないものはないというほどよく知っています。
 この玄先生、よその国の茸や薬草の本をたくさん持っています。昔は江戸で開業していたとのことですが、茸がよく採れるこの地にやってきたとのことです。八茸爺さんは玄先生からよその国の茸のことを聞いていたのです。
 「それでな、なんで、あんな形になっちまったのか、聞いたことがあるんじゃ」
 ここからは八茸爺さんの話しです。
 「それはそれは、昔のことじゃ、土ぽぐりは、みずみずしい、ふっくらとした旨そうな茸だったという。しかも、手の平ほどの大きさがあったそうだよ、その時は珍しい茸で、とある山の頂(いただき)にしか生えていなかったのだ。土ぽぐりは道の端で、春の日を浴びて八本並んで生えておった。
修行のため旅をしていた坊様がそのあたりを通りかかった。咽が渇いたから水でも飲もうと、竹筒をだしたとき、脇から兎のような生き物が飛び出してきて、ぶつかりそうになった。それでびっくりして、坊様は転んで足をくじいてしまった。これじゃ長く歩くことができない。さて、とりあえず、水を飲もうと、道端にしゃがみこんで、竹筒の蓋をぬくと、なんと、水がはいっておらん。筒の下に穴が空いていて、水がなくなっていた。水飲み妖怪にやられたんじゃ。水飲み妖怪は山に住んでいて、旅人の瓢箪や竹筒に尖った口を差し込んで水をみんな飲んでしまう、悪い妖怪だ。兎や、狐、狸、鼬、そんな獣の形をしていて、旅人は、あ、兎が横切ったと思ったときには、いつの間にやら、持っていた水をみな呑まれてしまうということだ」
「爺ちゃんあったことがあるの」
「わしゃないよ」
「その坊さんは困った、あと三里半ほど歩かなければ、町につかない。足もくじいて、歩くのも大変だ。かなり高い山で、下の谷川まで降りると水があるが、こんな足では降りることもできない。
 ああ、咽が渇いた、なにかないかと坊様がしゃがみこむと、今まで見たことも無い、水を含んだ美味しそうな茸が道端に生えていた。土ぽぐりじゃ。これはいい、これを食べれば少しは咽が癒されるだろう、そう思った坊さんは、茸を採ろうとしたんだ。しかし、はっとした、もしかすると、毒かもしれん、食べると死ぬかもしれないわけじゃ、だけど、咽が渇いて、誰も助けてくれなければ、いずれ死んでしまう。しかし、毒で苦しんで死ぬよりは咽が渇いて、弱って死ぬほうが楽かもしれないと思った坊様は、じっと、茸を見て、
 『お前様は食えるのか』、と聞いたそうだ。茸が話をするるわけはないが、そうしないといられなかったのだろうな。すると、土ポぐりは、『喰える、旨いよ』、と答えたのだ。
 「あ、おいら達とおなじだ、土ぽぐりがそう言ってた」
 子供たちが声をそろえて言いました。
 「そうかい」
 八茸爺さんは続けた。
「空耳か、と、坊様は疑ったが、もしかすると仏様の声かも知れぬと思ったそうだ。
 『それじゃ、いただきますが、よろしいか』、
ともう一度きいてみたそうだ。するとな、
 『我々は少ないのでな、今は食われとうはないが、水だけはやろう』、
そう答えたそうな。
 坊様が茸に礼を言うとな、『わしらを、吸いなされ』、そう言ったそうだ。
 それで、採った一本の土ぽぐりの柄の切り口を吸うと、それは旨い水が出てきて、坊様の咽をうるおしたのじゃ、水を吸われた土ぽぐりは、でこぼこになって、小さく縮んでしまった。
 咽が潤った坊様は、立ち上がれるほど元気になった。しかし、くじいた足で町まで歩かなければならない。それで聞いたのだ。
 『おぬし様たちは、また、どこかに生えておられるか』
 また咽が渇いたら、水を吸わせてもらおうと思ったのだ。
ところが、『わしらはここにしかいない』、との返事だった。
 『それは困った、まだ三里半ほどこの足で歩かなければならない』
坊様はそう言ったのじゃ。
 『そうか、それなら、わしらを採っていかれよ、半里で一本吸いなされ』
と土ぽぐりは答えたんじゃ。
 『それはありがたい』
 『坊様はどこまでいかれるのか』
 『日本国をみなまわるつもりじゃが』
 『ならば願いがある、水を吸った後、わしらを、一本づつ、東海道、東山道、山陰道、南海道、山陽道、西海道、北陸道、幾内、蝦夷においていってくれまいか』
 『判り申した』
 坊様は残っていた土ぽぐりをみんな採って懐に入れたのじゃ。
 そういうことでな、その坊様が町の宿に着いた時には、八本の土ぽぐりは、小さく縮んで、皺がよって、網笠のようになっておったということだ、それでな、その坊様は八本の茸を日本中回って、置いてきたということだ、そのお陰で、この茸は日本のどこにでも生えるようになってな、しかし、形は元に戻らずに、でこぼこのままになってしまったのだ、それで、その坊様はその茸に、網笠茸と名前をつけた。頭が似ていたからじゃ、ここでは土ぼぐりじゃがな」
 「ふーん、えらい茸なんだな、爺ちゃんありがとう」
 鮒助たちは頷いた。
 「汁にでも入れて食いなされ」
 「そうするわ」
 三人の子どもたちは、土ぽぐりを三本、八茸爺さんにあげました。
 今日は、鰻の蒲焼、山菜の天麩羅、網笠茸の汁、それに土筆の佃煮、とても豪華な夕餉になったのです。

 この話はまだ続きます。汁にした土ぽぐりが旨かったので、子どもたちはこの茸をたくさん採ってきました。八茸爺さんに教わって、おっかさんたちが手助けして、糸に通して軒に吊るし、干し茸にしたのです。珍味、干し網笠と名付けて売りに出したところ、江戸で評判になり、わざわざ買いに来る人がいるということです。この地方の名物になり、茸取長屋の名が江戸に知れ渡ったのです。

網傘

網傘

その地方では、アミガサタケのことを土ぽくりと呼んでいたようでございます。

  • 小説
  • 短編
  • ファンタジー
  • 時代・歴史
  • コメディ
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2020-09-11

Copyrighted
著作権法内での利用のみを許可します。

Copyrighted