つめたい教室
だれか、やさしいだれかの、あたたかい指が、枯れた花をにぎりつぶしてゆく。かなしい、という感情が蔓延した、教室で、つめたいからだのきみが、薄紫色の空気に触れるように、なにもない空中に手を伸ばす。テレビのなかで跋扈する、正義、というものは、ときどき、うそくさくて、図鑑のページにはりついた、極彩色の蝶だけが、すべてをゆるされる存在のような気がしている。放課後。一瞬、首を絞められたような感覚に、めまいがして、音楽室から聴こえてくる、吹奏楽部の演奏は、こなごなになった花と共に、鎮魂歌として、よこたわるきみのからだに降りつもった。やさしいだれかは、慈悲深く、残酷で、ねむりたいのにねむれないのだというきみは、花だったものを、細い指でそっとつまみ、愛おしそうにながめた。屋上からみえた、あの、森の近くにあった、おおよそ、ひとが住んでいるとは思えない古い家のかたわらで、犬小屋が燃えた日のことを、ぼくは思いだしていた。犬は、もう、そこには棲んでいなかったのに、意味もなく、泣けた。みたこともない犬のことを想って、なのか、たんじゅんに、あの小屋では、かつて、ちいさいいきものが息をしていたのだという想像が、同情を揺さぶったのか。しだいに、花の残骸に埋もれてゆく、きみは、儀式に選ばれた生贄みたいだ。
つめたい教室