玉子1️⃣

草也

玉子 1️⃣
柴萬と磐城の儚
第二部


-二葉-

 F町の町長選挙は史上初めての激戦のままに、終盤戦に突入して行ったのである。
 原発立地六市町村のリーダーといわれる現職町長の二葉は若い頃から豪胆な男だった。大男である。中農の跡取りで、青年団や農業改革運動で名を馳せた。二八の時に県議の補欠選挙があり、押されて進歩党から立候補して当選する。議会でも派手な言動で、直ぐ様に頭角を現した。原発には誘致当初から一貫して反対した。三期目の最中に突然に離党して、無所属で町長選に立候補して当選した。すると、矢庭に原発推進に転向したのである。沸騰する批判や保守派の怪訝に対して、「状況によって君子は豹変する。革命より改良。夢想から現実への賢明で大胆な転身だ」と、言い放って憚らないのであった。
 F町はいうに及ばず原発立地自治体の政治地図に激震が走った。進歩党はもちろん保守勢力も分裂した。とりわけ、F町の原発を巡る世情はいっそう複雑なモザイク模様を描く事となったのだった。
 こうした情勢で、常に公認候補を出す改革党が、初めて無所属の候補を推薦した。進歩党の大半と保守の一部も推薦したから稀に見る激突の構造となったのである。


-広野と巴女子-

 広野と巴女子の二人もその渦中にいるのである。
 広野はタクシー運転手で四六歳。首府でF町出身の妻と廻り合って結婚。数年前に妻の実家のF町に都落ちした。そのわけも以前の経歴も一切が不明だ。妻は四七。子供はいない。
 タクシー運転手でつくる革新系の労働組合の専従役員である。原発反対がその組合の方針だ。過激派ではないかという噂も秘かに付きまとう男なのである。長身でやさ面。どことなく虚無めいた風情を漂わせている。
 巴女子は四二。夫は五年前に事故死している。補償金で住宅ローン完済した。子供は独立。スーパーに勤務している。豊潤な女だ。


-玉子-

 こうした情勢にあって、町長選の候補に名前の上がった町議会議長の動向が注目されていた。この地域のボスの一人だ。そして、この男の婦人後援会の役員をしているある女がいた。玉子という。

 蒸し暑い昼下がりである。玄関口で、四〇半ばの長身の男が口上を始めた。神主姿だ。特徴のある鼻。虚無の風情を漂わせている。「喜濡キヌさんの要請で参りました広野です。途中で事故がありまして遅れました」続けて、巫女の装束をまとった豊潤な女が、「巴女子と申します」と、恭しく頭を下げた。四〇回りだろう。いちいちの仕草に色香がこぼれ落ちる。
 「お待ちしておりました。どうぞお上がりください」と、二人を招き入れた豊満な女は玉子という。若作りだが五〇に近い。この暑さには不似合いな完熟した肉の薫りをふんぷんと発散させている。

 風のない居間で玉子が茶を勧めた。巴女子が、「今般のご事情は喜濡さんから詳しく伺っております」と、意味ありげに微笑むと、玉子が「本日は宜しくお願い致します」と、深々と頭を下げる。
 その女の瞳を見据えたままに広野がおもむろに話を切り出した。
 「大皇オオキミ教は国学を極めた曽我先生が、もちろんあの悲惨な戦争推進の根元となった国家神道の反省の上にですが、我が国の建国理念である御門制を礎にして、天下万民の幸せと世界平和を実現するために創設されました」玉子が深く頷くのを見定めながら、男が息を継ぐ。
 茶を含んだ男が、「御門の御縁戚の六条宮の彩子様を名誉巫女総代に推戴しております」すると、余韻を玉子が引き取って、「曽我先生の奥様があの高名な細河運子カズコ先生なんでしょ?」巴女子が、「曽我先生は先の奥さまを亡くされまして。世間には秘していますが実質的にはご夫婦です」と、挟んだ。
 「巴女子さんは細河先生の直々のお弟子さんだそうですね?」「ご縁がありまして末席を汚しております」「ご謙遜だこと。凄く当たるって。喜濡さんもべた褒めだったもの」「占いの知識だけではできる業ではない。天性の霊力が備わっているんだと、おっしゃっていたもの」巴女子が、「あなたの御事情は喜濡さんから詳しく伺っておりますので…」と
、怪しげに微笑んだ。


-結界-

 広野と巴女子が簡易な祭壇をしつらえ始めた。台のついた竹筒に挿した篠竹を四隅に配して、随所に半紙を差し込んだ縄を張って二畳程の結界を作る。その中に組立式の祭壇をしつらえた。玉子が用意していた米や野菜、魚を供えると雰囲気が一変した。女が酒瓶の封を切って四隅を浄める。男がウィスキーでも同じ事をする。蝋燭に火を点す。そして、香に着火した。紫の煙が立ち上り、たちまちの内に怪しい香りが満ちてくる。この香には大麻や得体の知れない媚欲植物などが練り込まれているのだ。その煙に包まれながら、結界の中で、浄化と称して巴女子と広野がウィスキーを飲む。勧められて玉子も飲んだ。

 「早速、鑑定させていただきます」と、広野が仰々しく巴女子を促す。
 祭壇に向き合い恭しく御幣を振りながら、巴女子が祝詞をあげ始めたが、突然に中断してしまった。振り向いた女が、「失礼ですが、この部屋には邪気が満ちています」と、いかにも冷厳に宣託するのである。
 後ろに控えていた玉子が眉間に皺を刻んで、「どういう事なんでしょう?」

 深刻な視線で辺りを探る様子の巴女子が、「あれは何ですか?」と、壁に掛かった額を指摘した。「おわかりになりませんか?」「香師の鑑札ですけど」「そういうことではありません」「わかりませんか?」「どういうことでしょうか?」「あの名前です」「名前?」「あれはなんと読むのですか?」「魂胡タマコです。私がやっている香の仕事で使っている名前です」「本名ではないでしょう?」「違います」「あなたがつけたのですか?」「はい」「いけませんね。名前を勝手にいじるのは災いの大本なのですよ。あなたほどの人が。おわかりになりませんでしたか?」「あなたの本名は?」「玉子です」巴女子が言い放つ。
 「大陸の古代に玉ギョクという説話があります。王君オオキミの妾に玉という異国の姫がいた。戦争に負けて俘虜になったのです。王君は玉の容色に溺れて。二人は政務をないがしろにして桃源郷に耽溺したのです。この隙をついて玉の生国が攻め入り王君は戦場に向かいます。その留守に玉は宰相の金膨大と性交して、王君を挟み撃ちにして政権を奪取してしまった。中国で初めての革命と言われています。 そこで、この玉。王に付いている『、』は、王にまとわりついて災厄を為すものとして忌み嫌われたのです。しかし、後には、転じて、王が権力と権威の象徴として玉を身に付ける様になりました。即ち、玉を完全に支配する者が王だと言われる様になったのです」
 「でも、帝政が定着すると新しい解釈がされるようになりました」「玉は王に『、テン』が付きます。そうですね?」「はい」「この意は何ですか?」「わかりませんか?」「王は男です。だから、『、テン』は?」「男にぶら下がっているものですよ」「まあ」「そうです」「金玉…ですか?」
 「はい。だから、あなたの名前の玉は、即ち陽根に通じていて、極めて強い陽の気なんです。おわかりですね?」玉子が頷く。「一方、魂は鬼ですから、鬼女の意です。女、即ち陰の極の気、女陰の気なんです。わかりますか?」「はい」「まるで相反するものが一人の人間を表すなんて出来るわけがないし、してはいけないんです。必ず矛盾を生じて害悪が及びます」「はい」「勝手な改名は細河先生が強く戒めているのはおわかりですね?」


-堕胎-

 玉子の姓名と生年月日を聞き、顔相と手相を丹念に見た巴女子が、思わせ振りに眉間に縦皺を寄せた。
 「男がいますね?」「あなたは甘美な恋愛と思っているんでしょうが…」「たぐいまれな悪縁です」「これは動物の縁、仏教でいう畜生の因縁です。恨みやつらみで往生できなかった性悪な男女の悪霊同士が輪廻を越えて廻り合い、互いを貪りあっているのです」「貪婪な情欲だけで結ばれた悪因悪果を絆だと盲信しているのです。いかがですか?」

 「あなたは流産か、中絶した事がありますね?」「堕胎ですね?」「二度ですね?」「正直に答えなさい」「はい。その通りです」「はっきりと言いなさい」「中絶を二度、してしまいました」「とりわけて二度目の水子の霊が祟っています。男の子です。凄まじい悪霊です。この子は未だ往生出来ていません。よほど因縁の深い水子なんでしょう。可愛そうに。でも、これは悪霊です。あなたをその邪気が覆って様々な悪さをしているのです。思い当たる事はありませんか?」「偏頭痛が酷いし生理も不順で…」「男運は?」玉子は答えない。「この悪霊は絶対に成仏させなければなりませんよ?」「お願い致します」 「あなたは仏教を標榜してお香の販売をしていますが、本当の仏心がないからです。真の信心を得て悪霊を供養しなければならないのです。おわかりですね?」「良く解りました。宜しくお願いします」「先ずは、この悪霊を産み出した根元の祈祷をしなければなりません」「根元?」「女陰の事です」

 玉子は、巴女子に命じられた通りに風呂に入り、敬愛する細河運子が製造に関わったという塩で、とりわけて陰部や尻を丹念に洗うこととなった。
 玉子は身勝手で脳天気な女だ。自らの軽薄は棚にあげて、もはや二度の堕胎をすべてそれぞれの男たちのせいにして、巴女子の除霊によって全てがリセットできると信じているのだ。
 この女は怪しげな栄養剤や香の販売で人々を騙してきた。しかし、単純に騙しただけではない。この女そのものがこれらの効能を信じきっていたのだ。騙して利益を得るために、罪悪感を消す作業として、最初に自らを騙すのである。詐欺師の心理である。同時に、こうした執着の強い者は騙されやすいのだ。この腐肉をまとったような放埒な女は巴女子の宣託をすっかり信じきっているのである。


-姦淫-

 まとわりつく香の薫りに陶然としながら、玉子は数日前の性交を思い起こしている。
 半年前から続いている好色で絶倫なその男は、町役場の労働組合の役員だ。会計を担当していて、組合費を株や商品取引に流用している。女にも見境なく使う。いずれは破綻するだろうが、守銭奴の玉子にとっては極めて都合のいい男である。五〇歳で妻子がある。
 「明日はあなたの誕生日なのに。会えないんだもの」「仕方ないだろ?」「わかってはいるの」「だから、何でも好きな事をしてあげるわ」「どんな?」「私の身体の全てを晒したプレゼントよ」


(続く)

玉子1️⃣

玉子1️⃣

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更新日
登録日 2020-09-05

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