七月の憂鬱、空虚。SS
溯夜の家へ
とある日の休日。明依は溯夜の家に行くことになった。その道中、こんな話をしていた。
「明依が俺の家族の事を知っても、驚いたり、悲しんだりしませんよね…」
「えっ!驚くなら分かりますけどっ、なんで悲しむんですか?」
「それは…」言いたくなさそうに溯夜は呟く。
「本当の家族じゃないから。」
その言葉に一瞬、吃驚した表情を見せつつも、「それのどこがいけないんですか?」と明依は肯定的に受け止めた。
「まあ、明依がそう言うなら無理もないけど」
恋人同士になってから溯夜は明依の事を呼び捨てで呼んでいる。明依は溯夜の事をまだ呼び捨てできずにいる。
「結婚したら戸籍とか全部バレちゃう…」
「それの何が引っ掛かってるのか私には分かりません!あと、結婚ってどういうことですか!?そこまでまだ、いってないじゃないですか!溯夜さんは結婚を前提にしたお付き合いがしたいんですか?」
「そういうことじゃないし…結婚はまだ考えてない」
「私もです。」
溯夜には確かに消したい過去がある。九十九里溯夜という名前も自分で作った名前なのだ。戸籍上の本名ではない。溯夜は九十九里家に引き取られた養子なのだ。
「あ!今度こそ正しいかもです!!」そう叫んで、指差した場所には白くて毛艶の良い、細い尻尾のある小動物がいた。
「しらゆき!」溯夜は電光石火の如く、急いで小動物のほうに走っていった。
(しらゆき??)
「しらゆき、無事だったのか…良かった」そう言って胸を撫で下ろした。
その小動物は間違いなく溯夜が飼っているテンっぽかった。そうして溯夜はテンをそっと抱き上げた後、明依がいるほうへ歩いていった。
「その子、可愛いですね」
「そうだろ?もう俺の相棒だ。いや、彼女…」そう言った瞬間、明依に殴られた。
「ペットであろうと浮気は許しません!!」
「なんでだよ」溯夜は意味が分からないという様子で明依を見た。彼女を見ると睨んでいる。怖い。
「あと、なんで言ってくれなかったんですか?私、覚えてますよ。テンに名前は無いって言ってたじゃないですか。しらゆきちゃん、可愛い名前なのに」残念そうに明依は言った。
「俺だけの秘密にしたくて。」溯夜はかっこつけた。
「は?何ですか、それ。かっこつけちゃって、もう。」明依は小学生を見るかのような眼差しで溯夜を見た。
そして、二人はバスに乗った。二人席の広々とした座席に座り、肩と肩がくっつくかの距離感でいる。揺れるバスの中、肩がくっつくと明依の心臓の鼓動が早くなった。ドキッとする‥‥。
しばらくは無言の状態が続いたが、溯夜の「もうすぐ、家着くよ」という声で明依はハッとした。
完全に妄想中のようだった。溯夜と明依のラブストーリー。もう独走すること間違いなしだ。
*************
家に着くと溯夜の義父と義妹のつくもが出迎えてくれた。
「おかえりなさいませ。兄様!ってえ、誰?その女の人。」
(兄様?それに敬語?)明依は疑問に思った。
「おかえり、溯夜。」
「ただいま、父さん」溯夜は軽く挨拶した。
「ただいま、つくも。ほら、自己紹介」そうつくもに促す。
「はじめましてー溯夜お兄様の妹の九十九里つくもと申すでござる。そして、我、拙者は兄様を貴様に渡さないからな!」意味の分からない自己紹介をつくもはした。
「は?」明依は固まってしまった。
「普通、そうなるよな」溯夜は当然のように言う。
「こいつは義理の妹だが、ちょっと狂ってる所もあるけど、悪い子じゃないから。俺の6歳下。」と代わりに溯夜が付け加えた。
「それで、こっちが義理の父です」
「溯夜の事、よろしくな」義理の父親はそう告げた。
「こちらこそ、よろしくお願いします」と明依は軽く頭を下げた。
「それでは、こちらへどうぞ。」そう溯夜の義父に招かれ、家へと入った。
そこは割と広々としていて、和風な雰囲気の家だった。ただ、明依の家のように古くなっていた。クーラーも無く、非常に蒸し暑い。明依の家よりは古びてはいなさそうだった。窓が全開であり、扇風機だけがくるくると回っている。蚊取り線香も置いてあった。一階建ての普通のアパートだ。
「それで、あなたの名前は?」義父に突然、聞かれた。
「舞浜明依です。ごめんなさい、名前言うの忘れてました!まだでしたね。」
「ああ、明依ちゃんか。良い名前だね。それで二人は付き合ってるのかい?」
不意な質問に戸惑いが隠せなかった。明依はしばらく秒を置いてから、「はい。溯夜さんの彼女です」と正直に言った。
「えぇぇぇーーっ!!!なんでぇーっ!」今にも泣き出しそうな表情でつくもは異論を申した。
「なんでって、つい最近告白されて、それを受け入れたから。キスはしてないから安心して」と溯夜はつくもを諭した。
「そういう問題ではないのでござるよ」
「そう言われても…」
「彼女さんか。たいそうな嫁入り候補だな」と溯夜の義父も笑顔で喜ばしそうに言う。
「父さんまで、変なこと言うなよ」溯夜は呆れ顔で口にした。
*************
もう時刻は13時を過ぎている。お昼ごはんの時間だ。昼ごはんは誰が作るのかと明依は考えていると何やら皿のようなものを両手に持ってくるつくもの姿があった。
「昼餉の時間なのですよー」
「昼餉?」そう疑問を口にすると、
「昼ごはんの事だ」と溯夜は言った。
「溯夜さんは料理が作れなくて、お義父さんも作れないんだ」と明依は予想を立てた。
「ああ」口を揃えて溯夜と溯夜の義父は言った。
「なるほど」明依は納得する。
しかし「これって全部、つくもちゃんが作ってるんですか?」と明依は驚きながら聞く。
「そう」と溯夜は頷いた。
「すごいねー」
「感謝、承ったのでござるよ」とつくもは嬉しそうに微笑んだ。
「その喋り方は直したほうがいいと思うけど」と明依は重ねて言う。
さて、お味は。と箸でテーブルに乗せられた皿からおかずをつまむ。
「あっ、美味しい!」と明依は感嘆した。
「でしょ。」と通常の喋り方に戻ったみたいにつくもは言った。
溯夜も明依の家では止まっていた箸がぐいぐいと進む。だが、何故かケチャップやらソースやらマヨネーズやらを沢山かけている。
「兄様、残してはめえなのだよ」
「分かってる。いただきます」そう手を叩いては野菜やら肉やらご飯などに箸をつけた。
「それより、なんで色々とかけているんですか?」と明依は率直に思ったことを聞いた。
「ああ。明依の家ではなんかこういうのを見せられなくて、無理して取り繕って我慢してたけど、ここは実家だから沢山かけたほうが美味しくなるの。」と溯夜は素直に言った。
「は?逆に不味そうですけど」明依は当然のツッコミを入れる。
「まあ、溯夜は偏食だからなあ」と溯夜の義父はこう呟いた。
「偏食でもこれだけやったら高血圧とか癌になりやすくなったり、危険ですってば!!」
「この家に叱ってくれるお母さんはいないんですか」と明依が言うと、少し間を置いてから
溯夜の義父が「俺の妻、つくもの実の母はつくもが小さい頃、病気で亡くなった」と物悲しそうに述べた。
「そうだったんですか、こんな話になってしまって、ごめんなさい…」と明依は後悔した。
「いや、いいんだ」
「それにしてもつくもちゃん、よく作れますね。こんなに小さいのに」
つくもはまだ9歳だ。なのに色々なバリエーションの料理を作ってもてなしている。それに驚くのも無理はない。
「つくもは毎日、料理を作る担当なの」とつくもはさりげなく言った。
「ああ。で、溯夜さんも見習ったらどうですか?」と明依が詰め寄ると、
「俺が作ると酷いことになる。前に何回かやって失敗して、塩入れすぎてしょっぱい物が食べられなくなった時期が何週間か続いた」と諦めたかのように言い放った。
「それは大変ですね」
「兄様が食物を作ると道具と料理が黒くなって焦げてしまうのでござるよ。いざ、拙者が作ってあげているのでたもう」とつくもは言った。
「なんか、“いざ”と“たもう”の使い方、間違ってない?」と明依は言ったが、その言葉は水に流されてしまった。
*************
昼ごはんを食べ終わってからはずっとゲームばかりしていた。
「つくもちゃん、つよーい」明依はそう褒めた。
つくもは褒められても、ゲームに夢中で聞きやしない。
「あれ?動かない…」明依は誤作動を起こしているのか、本当に下手で動かないのか、機体が動かない。
明依と溯夜とつくもがやっているゲームは機体を動かして的に当てるシューティングゲームだ。
「溯夜さんも意外とゲーム、弱いんですね」
「あーそうなんだよ」と溯夜は嘘を吐く。しかも棒読みだ。
「これ、動かなくなっちゃったけど、どうすればいいの?」
「そのLボタンを押せば動くだよ」
「こうですか?」
「そう、そんなかんじ!」
言われた通りにすると機体が元通りになり、動き始めた。
「あ!動いた!」感動の声を上げる。
動いてるうちに溯夜を追い抜かした。実はこのゲーム、線で分かれていて、光のようなものを早く打って、最後に出てくるボスを倒せば勝利だ。そして、倒した順に順位が決まる。
と、追い抜かした瞬間に溯夜はささささっと機体を動かし、明依に追いついてしまった。
「あれ?溯夜さん、早くない?」
「そんなことないよ」
そして、明依は追い抜かれ、つくもがいる難関だと言われる敵が出現し、HPが削られるゾーンにまで来てしまった。
つくものHPは680だ。しかし、3体いる敵を2体減らし、溯夜の敵は瞬殺で1体になった。
つくもの敵はまだ2体だ。惜しいところで当たらない。だが、溯夜は初期値のHPである1000が残っていた。
「兄様、ハンデしてって言ったじゃーん」とつくもは嘆いた。
「仕方ねーだろ。皆が遅いから」
「ハンデ?」明依は最初から知らされてなかったという様子で言った。
「あっ!」そう言った途端、溯夜の敵が消えた。
「兄様、ずるいのでござるよ」怒り心頭という顔をつくもはしている。
もう溯夜はラスボスステージだ。
HPは約200まで削られたものの、敵からの攻撃を掻い潜り、敵のHPが10000ある中、見事に倒し、溯夜は圧勝した。
つくもはラスボスからの攻撃に耐えられず、負けてしまった。
そして明依は難関である3体の敵に倒され、呆気なくボロ負けしてしまった。
「あぁ、悔しい…」明依はそう言葉を投げ捨てる。
「拙者もだ。完敗したのだよ」つくもも賛同する。
「ごめんな、つくも」溯夜はそう言うが、つくもは睨んでいた。
「さっきのハンデって何だったんですか?」ふと聞いてみた。
「ハンデっていうのはなあ、兄様が何事も家事以外はこなしてしまうから、最初に言っておいたのだよ。スローペースでお願いとな。そしたら、途中から本気出してきて、貴様も拙者も見事に散ってしまったのでござるよ」とつくもは言ってきた。
「ああ、だから溯夜さん、意外にも最初、弱かったんですね。私、ゲームあまりやらなくて、苦手だったので、私より下手な人もいるんだと思っていました」と明依は納得した顔で言った。
「俺はそんなに本気出してないけど」サラリと当然の如く言う。
「すっごいムカつくのだよーー!」つくもは足蹴りした。
「痛てっ、暴力反対。」
みんな、溯夜には負けちゃったけど案外、楽しそうだ。
ゲームに集中してたらあっという間に時は過ぎ、気づけば夕方になっていた。
*************
「もう、風呂の時間だな」これだけだと溯夜が喋っているのかつくもが喋っているのか分からない。つくもが喋っている。
「そうだな、入るとするか」と溯夜は言った。
「あれ?二人ともどうして?それに夕食前に入るんですね」と明依は言う。
この家では夕方前にお風呂に入る習慣がある。つくもと溯夜は一緒に入り、義父は一緒に入らないようだ。
「拙者は兄様と極上の経験をしてくるのだよ!さらばだ!」
「はああぁぁっ!!?」
(極上の経験?そんなまさか‥)
「溯夜さん、どういう事ですか?」と明依は聞いた。
「俺とつくもは毎日、一緒に風呂に入り、一緒に寝ることになってる。」と溯夜は淡々と答えた。
「えっ!」明依は驚いた。
「そんな驚く事?」と溯夜はきょとんとした顔をしていた。
「だったら、私も一緒に入らせて下さい。」
思い切って、明依は言った。
だが、「それは無理だ」と断られた。
「なんでですか?」
「無理なものは無理だ」とマジ顔で溯夜は言った。
「つくもちゃんも女の子ですよ?」と明依は必死に説得しようとする。
「それはそうだけど……」溯夜は困った表情で俯いた。
「よし、今日から風呂は一人で入るか、つくも。もうじき10歳になるんだし。」
「えー!嫌だー!!そんなのもう地球爆破したくなるくらい嫌なのでござるよーー拙者に死ねと申すのでござるか??」涙を浮かばせながら溯夜に訴える。
そしてついに、泣き出してしまった。
「わーん、兄様がいじめるーー拙者、もう風呂には入らない。いやー。」大泣きするつくもに溯夜は抱きかかえて、頭を撫でた。
「ぐずついてもしょうがないだろ。それに風呂には入らないって汚くなるよ。学校でいじめられるよ、臭いって。」とあやす。
言葉遣いでいじめられなかったのが不思議なくらいと明依は素直に思った。
「それにさ、俺は明依と風呂に入ることのほうが地球爆破したくなるくらい嫌なんだ」と溯夜は続けて言った。
「それは、私に失礼じゃない!?」
「だって、お前、胸無いじゃん」と溯夜は嫌味を言った。
「は?ありますーここに」明依はアピールするが溯夜には響かなかった。
「それにつくもちゃんだって貧乳じゃん」
「つくもはまだ小さいから」と溯夜は言った。
結局、つくもは風呂には入らず、溯夜の次に、無料で借りられるというので明依も入った。
「夏なのに、風呂入らないと汗で臭くなるよ」
もう完全にすねモードだ。ぬいぐるみを抱いてソファーで反対側を向いている。しかも一言も喋らずに。
「これは完全に無理だな」そう言って、溯夜はお風呂上がりの一杯の炭酸水を飲んだ。
「こうなったのは明依のせいだろ。俺に謝れ。こうなってしまうとめんどくさいんだよ。泣くのあやすのも大変だったし。」と明依を責める。
「なんで、私のせいなんですかー!」明依は異論を申した。
確かに明依のせいになるのも道理が通っていない。一緒に風呂に入りたいと言っただけなのにここまでの大事になるとは。
もしかしたら明依が一緒に寝たいと言えばつくもは徹夜するのかもしれない。そのへんの言葉は控えておこう。
そろそろ夕ごはんの時間だ。
「明依、もうすぐ日が暮れるし、帰らないか?」と溯夜は言った。
「私、そうなると思って用意してきたんです」明依がじゃんと掲げたのはなんとパジャマセットと歯磨きセットとか化粧品とかだった。
「お前まで俺を困らせる気か?」
「一夜だけ泊まらせてもらえませんか?」上目遣いでせがんできた。
「そんなのダメに決まってるだろ。」溯夜は断固拒否する。
「明依って結構肉食系なんだな」と溯夜はひとこと言った。
「肉だけじゃなくて、野菜も食べてますよー溯夜さんとは違って」と明依は言う。
「そういう意味じゃなくて、恋愛的な意味で強引っていうか、恥じらいが無いっていうか…」
かあぁぁっと明依の頬が赤くなる。
「逆に溯夜さんは何、食べてるんですか?野菜嫌いだから溯夜さんも肉食系なんじゃないんですか??」
「俺は何も食べない絶食系。」とキッパリと答えた。
「何も食べないと死んじゃいますよ」そう明依は心配そうに言った。
「じゃあ、米かな」
「炭水化物系ですか、新しいのきましたね」
炭水化物系はやはり聞き慣れない。炭水化物だから主食ということだ。恋愛で主食とはどういうことだろうか……。
せっかく明依は泊まりに来ることを予定して、荷物を持ってきたのにこれじゃ台無しだ。
「それじゃ、私、帰ります。」
「えっ、ご飯食べてかないの?」と溯夜は戸惑う。
「だって、つくもちゃんはすねてるし、誰も作る人、いないじゃん。それにもし、つくもちゃんが立ち直って作ったとしても、一人分増えるのはさぞかし申し訳ないかなって」と明依は正論と謙遜を口にした。
「確かにそうだな」と溯夜も頷いた。
「じゃあ、また」
「またね、溯夜」この時、初めて呼び捨てで呼んだ。
溯夜は照れている。
それから「またいつでもおいで。今日はありがとう、明依ちゃん。じゃあね」と溯夜の義父も言った。
「ほら、つくも。お姉ちゃん帰るよ」と溯夜が促してもそっぽを向いて聞こうとはしなかった。
そして、玄関の扉が閉まった。
助けに行くから!
九十九里溯夜はバスケ部員である。もう図書室に行く口実が無くなってしまったから、無意味な埃取りくらいしかない。
口実が無くなってしまってからも、部活を休んでばかりいた。
そんなある日のこと。昼休み。昼ごはんを食べ終わって、溯夜が教室を出ると、そこには同じバスケ部員の川口と山池と佐藤がいた。
何も挨拶をせずに通りすぎると、
「おい、聞いてんのか?」
「シカトすんのか」
「今日も部活サボる気かよ」
と3人に言われた。
溯夜は「今日は仕事があるから」と言い返した。
と、その時「てめぇーナメてんのか?ぁあ?」と制服の襟首を掴まれた。
「知ってんだよ、どうせ図書室で捜査でもしてるんだろ?そんな暇があるなら練習来いよ」と川口に言われた。
「だって川口のほうが上手いじゃん」と言ったその時、ガッとお腹と下腹部辺りを蹴られた。
「そういう問題じゃねーだろーが、ボケ!」
バスケ部員の川口と山池と佐藤はバスケットボールを手に持っている。
そのボールを集団で当ててくるのかと溯夜は瞬時に思った。が、逃げることが出来なかった。
次々とバスケットボールを当ててくる。溯夜に抵抗する気力は無い。
(痛い…)
さっき食べていた物が口から出そうだ。
ずっと幽霊部員だった溯夜も悪い。けれど、こうやって集団で追いこむのも卑怯ではないのか。
そして、バスケ部の部長である綾ノ町もやってきた。
「グワッ」
ついには溯夜の口から血が出てきた。殴られたのだ。しかも拳で。
孤独だから誰も友達がいない。助けてくれる人なんていない。PMMの効果が無くなった今ではいじめや虐待、差別、戦争などが再び世界中で巻き起こっている。
現に、溯夜は同じ部員達に集団暴行を受けている。
ボールが次々と飛んでくる。一点を集中的に溯夜に当ててくる。廊下を歩いている人もいるが、止めることもなく、ただただ溯夜の傷が多く、深くなっているのを遠目で見たり、はたまた廊下を通りすぎておしまいだ。
そんな中、一人の女子生徒が立ち止まった。そこにはなんと舞浜明依らしき姿があった。まだ、付き合い始める前のことだ。明依にはまだ告白を受けていない。
(舞浜さん!)心の中でそう叫ぶ。
「ちょっと何やってるんですか!?」焦って人の中をかき分ける。
「溯夜さん!」
「何?九十九里の彼女?」佐藤はあり得なさそうな顔をして、言った。
「まさか、九十九里に彼女がいたとかウケるんですけど。」山池も笑いながらそう言う。
他の男子部員達も腹を抱えて笑っていた。
「彼女じゃないです!ただの捜査仲間です、そんなことはどうでもいいとして、溯夜さんこんなに傷だらけじゃないですか?なんでこんな酷いことするんですか?」と目で訴えても聞く耳を持ってはくれない。
「おい、てめぇーも殴られたいのか?」と言われたが明依は手にしていた謎の木の棒で横をバットのように打ち、怯ませた。
そして沢山のバスケ部員を、明依が殴られたりもしたが、叩いたり、蹴ったりして見事に全員をやっつけた。
「溯夜さん、危ないから行きましょう!」と腕を引き、走り去ろうとした明依に、
「ちょっと待てよ、まだ話は終わってねーんだよ」と部長の綾ノ町に止められた。
「なんですか?」と明依が聞くと、
「もう暴力はふるわないから」と前置きされ、「こいつ、バスケサボってたんだよ。しかも重要な大会にだけ出て、それで優秀って腹立たないか?」と言われた。
(やっぱり…)と明依は思った。
千星ちゃんが言ってたのを思い出した。
「それは悪かったです。私、溯夜さんと私の姉が自殺した件で捜査をしてたんです。私も溯夜さんに練習にも出たほうがいいって言ったんですけど…嫌だって断られてそれで。成績が落ちたりしてるなら溯夜さんが悪いです。私も捜査の依頼人として毎日、彼とは図書室で会ってました。これは私にも責任があります。その時、部活に無理やりにでも連れていけば、こんな事にはなってなかったはずです、ごめんなさい!でも、彼のこういう姿は見たくないっ!!やめて下さい!」
明依の顔からは大粒の涙が流れている。
受け入れてくれるかどうか少しの期待をしていた。
溯夜は明依に守られて少し彼女がカッコよく見えていた。そんな明依に惚れていたらすぐさま、明依に促された。
「溯夜さんも謝って、皆に。」
そう明依が言うと、「部活サボっててすみませんでした。もう、捜査は終わって、ひとしきりついたので練習にも出ます。もうサボったりはしません。許して下さい」と溯夜は謝った。
それに対し、他の部員達も、部長である綾ノ町も頷き、「分かった。ちゃんと来るんだよな、こんなに傷を負わせて悪かった」と謝ってくれた。
「ごめんな」と口々に言われる。
どうやら、許してくれたようだ。
やっぱり皆、良い人達だ。サボっていた溯夜にも非がある。
これからは試合にも練習にも出るつもりでいる。
*************
この悲しい騒動の後、溯夜の体からは血が止まらず、痣だらけになっていた。
明依は泣いてばかりで、保健室の丸椅子に座りながらハンカチで目をおおっていた。
「溯夜さん、少しは痛み、おさまりましたか?」
「うん、ありがと。舞浜さん」
何故か、溯夜はドキドキしていた。ガーゼを額に被せられた。さっき殴られた頬っぺたも触られる。キスされそうで、さらに欲求がピークに達する。が、さすがにそれ以上はしない。
なにせ、明依は傷の手当てをしてくれているだけだから。
頬っぺたには薬を塗られ、絆創膏を貼られた。
足とか腕とかも痣や擦り傷だらけで、お腹には青痣ができていた。
ひとつ言えることは、彼女に上半身裸を見られるのが恥ずかしいことくらいだ。
溯夜は筋肉が無い。ひょろひょろなのだ。別に明依はそんなところを気にしてはいないだろうが。
「触りますよ。ちょっと我慢しててね」と明依は先に告げた。
くすぐったい。でも、我慢しないと……。
「ひゃんっ!」変な声を出してしまった。
「あ、ごめんね」
完全に呆れられている。冷たく、ジト目で見つめられる。なお、恥ずかしい。
「今のは完全に忘れて。無しだから」
「はーい」棒読みだ。
はたから見ていると二人は付き合いたてのカップルのように見える。
しかも、なぜ保健室の先生に手当てさせられないのだろうか。それも不思議だ。明依に手当てをされて、暴行からも助けられて、男としてのプライドがズタズタに破壊されてしまっている。俺はなんてバカなことをしているのだろう。こんなことになるくらいならバスケ、全部参加して、皆勤賞でも狙っておけばよかった。
あー死にたい。
そんなふうに後悔して、内省する溯夜であった。
これで、足も腕も、顔もお腹も全ての傷の処理が終わった。
昼休みは色々なことがあったけど、良いことも悪いこともあったなぁ…。
そうして、昼休みが終わったのだった。
コンビニでの盗み
数年前、帆波が小学5年生だった頃。帆波は受験勉強に明けくれていて、荒れていた。
渋谷の繁華街を漂流していると、ある女子高生らに帆波は声をかけられた。
「ねぇ、そこの君、うちらと組まない?」
急に声をかけられ、吃驚して身を翻すとそこには金髪のヤンキー風のお姉さんがいた。
慌てて、帆波は「いいよ」と返事した。
その日から、女子高生らとは一定の場所に集まるようになっていた。
「タバコ吸わない?」と言われ、未成年なのにタバコを吸ったりして、受験勉強の事は忘れ、快感に溺れていた。
そんなある日、いつもとは違う場所に金髪のお姉さんがいたので、走ってその場所にいった。
金髪のヤンキー風のお姉さんの名前は夕凪砂利と言い、いじめをしたり、怒ると怖かったりもする。
学校では髪を染めてはいけない為、遊ぶ時だけ家で軽く染めているらしい。
いつもとは違う場所とはコンビニの前である。自転車等が置かれている目の前だ。
帆波がなぜその場所にいるのかと聞いたら、「え?バレずにどれだけ商品を盗めるか試してみたいじゃん?」と返ってきた。
一瞬、驚いたような顔を見せ、予想をはるかに越えた言葉に帆波はその場で立ち竦んでしまった。
「ビビってんの?正気で?こんなのこの世界では普通だよ」と砂利は言った。
他のみんなも「バレなきゃいいんだよ」とか「捕まんなかったらラッキーじゃね?」とか言ってきた。
その場の流れで帆波は「じゃあ、わたしもやるー」と言った。
帆波以外は全員高校生だ。制服姿で黒いロングスカートを履いている。
そして、夜9時を過ぎたら、ヤンキー集団(?)は店内へと入った。
最初に何を盗むか決めておいたが、要領の良さは砂利達に負けた。
帆波はお菓子などをポケットに詰め込み、手でバレるように商品を持ち、レジ側を通って猛ダッシュでコンビニから抜け出した。
砂利らは学生カバンの中に器用に入れていく。当然、コンビニに来る前から中は空だった。滑り込むように落とさないようにカバンに入れていくそぶりは、何かのゲームだったらプロ並みだ。
そして、確実に品数が残っている物には手を付けず、残り僅かな商品を徹底的に狙っていった。
なぜなら、売れ残りが多い商品だとあまり売れない商品かもしれないので、明らかに沢山同じ物を詰めていくとこの日だけまさか!?と疑われてしまうからだ。
それに同じ物を沢山食べるのには無理がある。
せっかくタダで、バレなければ買えるのだから食べないわけにはいかない。
そして、3~5分はコンビニに定住していたが、客も入ってきたので、怪しまれるかもしれないと踏んだのか、砂利達は店から出た。
そして、帆波は店の前で待っていたので「遅かったね」と言った。
そしたら、「もっと盗んできなよ」と言われた。他のみんなも「そうだよ、ランドセルの中、詰めちゃえば?」と茶々を入れた。
帆波はランドセルを背負っていない。
「わたし、ランドセル持ってきてないもん」
「でも、盗むの下手すぎ」と嘲笑われた。
そんな中、砂利が「このお菓子とかシャーペンとかおにぎりとか菓子パンとかどうしよっかな~」と言った。
「こいつに食わせれば?」とメンバーの一人が言う。
「それは可哀想すぎでしょ」と砂利。
「まあ、なにはともあれ、たくさん収穫出来て良かったね」
「そうだね」
この時代には防犯カメラが無かった。だから、死角なんて気にすることもない。店員にバレるかバレないかが勝負だ。
だから、この窃盗事件も帆波が中学3年生になった今でも未解決なままだ。
そして、食材や筆記用具や小物品など全て盗んだ物は帆波に手渡された。
「バレたら退学だからねーまぁ、うちも人のこと、言えないけど。補導はよく、されてるし、慣れてるから」と砂利がいじめているような目で帆波を冷やかした。
「受験勉強、頑張ってるんでしょ!こんなことしたら親とか先生に叱られるよ」と他のメンバーも助言する。
嫌みな目で帆波を女子高生全員が見下ろす。
それからというもの、帆波はこのグループには会わなくなった。
でも、盗んだ物を全部、袋に入れてくれた時、帆波は本当に嬉しかったらしい。それがわざと罪を押しつけられているとは知らずに。
盗んだことへの罪悪感も一切無かった。ただ、そこにあるのは達成感と気持ちよさと優越感と喜びだけだった。
それから4年後。帆波は明依や水音や他の生徒らにこの窃盗についてを打ち明けている。
「コンビニでタダで商品買っちゃった~」
「それ、買ったとは言わなくない?」他の生徒は真剣なまなざしで帆波を見つめる。
ちょっとドン引きする生徒やなかには先生にチクった生徒もいる。
が、証拠が無いことや過去の出来事だったために注意されたりということがない。
「それでね、お姉さん達、優しいんだよ。盗んだ商品、全部くれたの、うちに。もうあの日は最高な一日だった」
「もう盗んだりしたらダメだよ。本当にね」と明依はそう告げる。
これからは帆波が過去の砂利のような高校生にならないよう自制が必要だ。
そうして高校生になった今も帆波は明依達がいるから、窃盗や喫煙や飲酒など未成年がしてはいけないことや犯罪には手を出していない。
七月の憂鬱、空虚。SS