草矢の儚2️⃣
草矢の儚 2️⃣
-小島-
撮影機材の入った金属製のトランクとパラソルを持った男と、食料などを入れたバッグを肩に下げた海子は、ふくらはぎ程の遠浅の浜を辿ってこぶりな島の銀色の砂浜に着いた。
「泣き砂だわ」と、女がはしゃぐ。岩棚に上がり南に回ると太平洋だけが茫茫と漂っている。背後は岩がそそりたって完璧な死角だ。二坪ばかりの草地があり極彩色の名も知らない花が群生していた。「素敵な場所ね」
早速、男がパラソルを立てて三脚にビデオカメラを固定した。海子は小さな食卓を整えた。男がこの日のために憧れていた『北の熟女』というウィスキーを用意していた。「何だか酔いそうな名だわ」と、海子も飲んだ。涼やかな海風が女の髪をすく。
やがて、幻影に踏み入る如くに撮影が始まった。草地に花花と戯れて海子がポーズをとる。「その岩に片足を上げてくれませんか?」
顔を接写する。「もっと刺激的な表情は作れませんか?」「どうするの?」「舌で唇を舐めてみて下さい」「こう?」「素晴らしい」
男はウィスキーを飲みながら撮り続ける。女も飲む。「あなたの裸体を撮らせてもらえませんか?」ついに、男が切り出した。「こんなルノワールの女の様な素晴らしい豊潤を隠しておくのは罪ですよ。画布の彼女達はみんな裸体じゃないですか?芸術に禁忌はないんだ。俺の写真も芸術なんです」「陰毛も撮るんでしょ?」「嫌なら隠します。修正も自在にできますから?」「乳首は?」「だったら写らない様に工夫します」「絶対よ?約束して?」
男が派手な水着を取り出して、「着替えるところから撮らせて下さい」固定したビデオと男のカメラに晒されながら、海子がゆっくりと水着を着替えた。
-裸体-
大海原の波頭を背に女が立った。「ゆっくりと脱いで下さい」海子が下腹を揺らして水着を脱ぎ両手で股間を覆っている。だが、濃密な陰毛が覗いた。そして、四肢が広大な大気に解放された。
「テーマが閃きました」「どんな?」「魔性です」男が手渡したのは目のところが僅かに開いた赤い布のアイマスクだ。「もっと大胆になれますから」
「その岩に右足をあげて」「陰毛は見えてない?」「大丈夫です」「もっと挑発的に唇を舐めて」「乳首は修正してね?」「後ろ向きになって振り向いて」
いつの間にか乾いた陰毛が海風に揺らいでいた。
二人は砂浜に降りた。波打ち際の岩の影に並んで座る。海子は大判のバスタオルを着けている。煙草を吸いながらウィスキーを飲む男の隆起が改めて女の視界に入る。「この男も巨根なのかしら」女は妄想の視線をそらして、「一番、日が高い頃ね」「焼けつく様ですね」
-『白日の海』-
「主人が大の映画好きだったの。私もよ」「僕も大好きです」「この前、組合の人達が話してたのよ。『白日の海』っていったかな?今、話題になっているんでしょ?見なきゃ駄目だって言われたわ」
「かつがれたんですよ」と、男が軽やかに笑った。「どういう事なの?」「裏ビデオです。映画館では見られません」「どうして?」「裏ビデオ、知らないんですか?」「知らないわ」「本番のビデオなんです」「本番って?」「本当にセクスをするんです」「そんなの見た事ないわ。あなた?見たの?」「ついこの前に友達から借りて」「どんな映画なの?」実際は女は夕べ見ていたのだ。
-『白日夢』-
「白日夢っていう六〇年頃の衝撃的な映画を知ってますか?」「見てないわ」だが、海子はそれも見ていたし原作の綺談も読んでいた。「あれのリメークなんです。あの戦争の終わりの頃の東北の離れ小島が舞台です」「主な登場人物は四人。父親と母親。父親の息子と母の連れ子の娘。息子が一つ年下。だから二人は義姉弟なんです」「複雑なのね」
「一〇歳の頃に両親が結婚して義姉弟になったんです」「それで?」「この四人が入り乱れてするんです」「何を?」「セクスです」「まあ。どんな風に?」「聞きたいですか?」「嫌ならいいわ」
「父と母はもちろん。父と義理の娘。母と義理の息子。義兄と義妹。みんななんです」「凄い話なのね?」 「母親は学校の校長や軍人の教官ともするんです」「淫乱なの?」「そうかも知れません。女優はあの陸奥北子ですよ」「知ってるわ。中学まで同級だもの」男は軽い衝撃を受けながら、「義姉は二〇位の女教師で主人公です」
「男は戦争に行きたくなくて自分で足を傷めて徴兵を逃れたんです」「それで?」「終戦の今日みたいに異常な程に蒸し暑い日に。とうとう実行するんです」「何を?」「自分を傷めてまで戦争を拒否した男を、父親も村人も非国民だと蔑んでいたんです。男は身を縮めて生きてきた。そして、戦争が終わった。抑圧されていた男が爆発したんです。父親を殺した後に…」「殺したの?」「義母と交接しているのを見つかって殴り殺すんです」「まあ」
「それから義姉と追いかけ回して。女も本当は小さい頃からしたかったから。誘う様にわざと岩場に逃げ込んで。とうとう捕まえて」「そして?」「海の中で押さえつけて。ずぶ濡れになりながら。女のが大写しになるんです」「まあ」「男も裸になって。男のが大写しになるんです」「映ってるの?」「本当にしてるのが映ってるの?」
-義姉弟-
「あの人達が言ってたのが、今、わかったわ」「卑弥呼と弟帝の話は有名よね?異母姉弟よ。古事記や日本書紀には異母や異父の皇室の交わりがいっぱい出てくるのよ。知ってる?」男が頷くと、「その関係を基軸にして、夫や妻、恋人を裏切って天皇制を築いていくのよ」「そして桓武天皇が田村麻呂を使ってエミシ、この辺を征服したのよ」「私。天皇制が大嫌いなの。天皇も皇室も嫌いだわ」「あの人達も原発の御用組合の役員だけど、本当は反主流派で革新党系なのよ。主人もそうだったの。組合が会社はもちろん保守党とも連携しているから酷く怒っていたわ。こんな事では原発の安全なんか守れないって憤っていたの」「私は一人っ子だから知らないけど、途中からだって弟姉として育ったんでしょ?」「異父と異母を合わせた様な関係でしょ?誰も入れ込めない程の靭帯でしょ?どうしても厭わ」「少し泳いでくるわ。あなたは?」
戻ってきた女がウィスキーを飲む。並んで横臥した。髪が濡れている。何事もなかった風情で、「さっきの続きが聞きたいわ」
ある事の想いに耽っていた男が、「何でしたっけ?」「女のが大写しになった場面だったわ」「そうでした。みんな実写です」「そんな事を映画でして、観せていいの?」「だから話題になってるんです」「それから?」「男が叫ぶ。これが一番騒ぎなったんですが」「何て言うの?」「『天皇も皇后もおまんこをしてる。徴兵拒否の俺でも好きな女とやって何が悪い。戦争は終わった。天皇よ。お前も今ごろおまんこしてるのか』これがラストシーンです」
その瞬間に男の話がプッツリと終わった。「話を作るのがうまいのね?作家みたいだわ」女が呟いた。「僕は何も喋っていませんけど」
男の醒めた声が聞こえた。すると、今までとは反対側に隣に男の顔があった。「でも、今の話は?確かに聞いたわ」「昼食の後にすぐに眠ってしまったんですよ」「本当なの?」「一五分位ですけど」女は時計を見て息を飲んだ。「夢を見たんじゃないんですか?」女の身体には大判のバスタオルが掛かっている。「あなたが掛けてくれたね」手を差し込んで探ると、女は自分の水着を着けたままなのだった。「白日夢ですよ」女の視線が男の視線に重なった。
『白日の海』って言う裏ビデオが、今、評判なんです」「夕べ、見たわ」女が茫然と呟いた。
「ところでどうします?」「何が?」「あの岩で撮影する話ですが?」女が放った視線の先にはあの小島が佇んでいるのであった。「あなた。時間はいっぱいあるのよ」
(続く)
草矢の儚2️⃣