聖者の行進(6)
六 骨壺ばあさん
「うううん。なんじゃいな。やかましいなあ」
B本は、目を覚ました。目を覚ますと同時に、体から魂が抜けた。
「あれれれれ」
体が軽くなった。ふと、後ろを振り返ると病院の玄関の自動ドアの前に誰かが座っている。
「誰だろう。知らない人だ」
この体こそが、B本のものであるが、じわりじわりと進行し、最高潮に達した認知症は、自分の肉体さえも忘れ去っていた。ただ、生きていた時には足を引きずっていたはずなのに、今は体が軽ろやかだ。地に足がついていないということはわかっていた。それと、右手に持っているスーパーのビニール袋。この中には、B本の母親の位牌と骨壺が入っている。B本はいくら認知が進行しても、このビニール袋だけは手放すことはなかった。自分の命よりも大事な、甘美な思い出が詰まった袋なのだ。この袋のお陰で、B本はこれまで生きてこられたのだった。
ここでB本のことを紹介しておこう。
B本は、六十歳過ぎの身よりのない女性だだった。死んでからは年齢不詳だ。いや、年齢が止まったままだ。これまで母と二人暮らしで生活してきた。その母も三十年前に亡くなり、母の葬式には近親者が参列してくれたが、それ以来、親戚とのつきあいは途絶え、まるっきりのひとりぼっちになった。だが、B本は寂しくなかった。B本の側にはいつも母がいたからだ。B本は、雨の日も、風の日も、雪の日も、晴れの日も、仕事に行く日も、休みの日も、毎朝、母の仏壇に手を合わせた。
習慣とは恐ろしいものだ。いや、いいことだ。B本に認知の兆しがあらわれ始めると、仏壇を拝むことはなくなったが、自衛手段としてか、位牌と骨壷をスーパーの袋に入れて持ち歩くようになった。もう、拝む必要はない。いつも一緒なのだ。
より一層痴呆が進行すると、自宅でじっとしていられなくなった。そして、一度、出奔すると自宅に戻れなくなり、母(骨壺&位牌)とともに、病院、銀行、喫茶、市役所、図書館、スーパーなどを訪れては、「ここは、天国の門ですか。是非、天国に入れてください」と同じ言葉を繰り返ししゃべり続け、長時間居座った。
最初は、何時間も話を聞くなど、丁寧に応対していた職員たちも、何回も同じことが続くと、困り果て、保健所や警察などにも相談したが、B本が、「天国の門に入りたいんです」と繰り返すだけで、他人に危害を加えたり、自傷行為をすることもなかったので、なすすべがなかった。B本が訪れた施設側では、ただ、嵐が通り過ぎ去るのを待つしかなかった。
B本は、誰も自分の願い(つまり、天国の門に入ること)を叶えてくれないので、とうとう、手に持った骨壷と位牌を振り回すようになった。それ以来、人々はB本を憐れみと恐怖心から「骨壷ばあさん」と呼ぶようになった。通りすがりの人が、「お母さんの入った骨壷を振り回したら、お母さんが泣くよ」と諭しても、「いいや。きっと、お母さんは許してくれるはずだ」と自己弁護に終始するだけであった。
B本が住んでいる借家の大家さんを始め、民生委員、市役所などの関係者が心配し、病院や施設入所の手続きを図ろうとしていたが、最後の結末は、哀しいことに、自分が天国の門であると信じて疑わない病院の玄関前で動かなくなっていたわけだ。
B本が今まさに、生死の境目の瞬間、霊たちが中央通りを行進していた。その数、数百、数千、数万だ。一人暮らしが長かったB本だけに、人が大勢いて賑やかだと、つい近寄ってみたくなる。だが、B本の体は固まって動かない。B本の心は、行進に加わろうか、加わらないでおこうか、逡巡していた。しかし、根っからのお祭り好きの性格は抜け切れず、ふっと魂が抜けて、行進に加わることになった。
B本は生きていた時から、コーヒーが三度の飯より大好きで、朝はモーニング、昼は、午後二時までやっているモーニングを食べ、三時のおやつには自動販売機の缶コーヒーを、夜は、コンビニで弁当と一緒にカップコーヒーを飲んでいた。
B本は行進に加わったものの、生きていた時の習慣が抜けないのか、行進からすぐに離れて、喫茶に入ってしまった。
「B本さん。あんた、何しょんな。こんなことで、油売っとらんで、さっさと、行進に戻らなあかんで」
行進中に知り合ったばかりの、ちっちゃなばあさんがB本の座っている喫茶店の席の横に立った。このばあちゃんは、生きていた時、他人を困らすようなことはなかった。どちらかと言えば、他人との関わりを避け、ひっそりと暮らしてきた。
「油や売っとらんで。コーヒー飲んみょるだけや。あとひと口やから、待っといてえなあ」
「あたしは知らんで。せっかく、天国からお迎えが来たのに。その行進に乗らんかったら、おいてきぼりや。このまま、中途半端に、この世界におるんかいなあ」
「ほなけん、ちょっと待ってたあ、と言うてるやろ。もったいないことに、コーヒが残っとんのや」
B本は、生きている客が飲み残したコーヒを、カップを手で持てないため、頭を下げ口で啜ろうとする。
「あんた、器用やなあ」
「こうでもせんかったら、飲まれへんのや」
「でも、そこまでして飲むかいな。誰かわからん客の飲み残しやろ」
「死んどんやから、お腹があたることはないやろ。もし、服中毒死したら、生き返るんと違うんかいな」
「あんた、あれだけ、現世で迷惑掛け取って、まだ生き返りたいんかいな」
「なんで、あんたがそんなこと知っとんかいな」
「ほら、あんたのお腹にあんたが映っとるで」
B本は思わず自分の腹をさわる。何もない。喫茶店のガラス窓にお腹を写す。はっきりとわからない。目がぼやけているせいだ。老眼か、緑内障か、白内障のせいだろう。死ぬ前に、眼科に行って、治療しておくんだったと今さらながら後悔する。
「なんでや。なんで、あたしの腹にあたしが映っとんのや。テレビでも入っとんのか?」
「テレビやないで。その証拠に、チャンネルがないやろ」
「ほんまや。あんたのお腹にもあんたが映っとる。チャンネルもないのに、勝手に、映像が流れとる。これ、NHKかいな。NHKやっても、受信料は払わへんで」
「心配せんでもNHKではないで。朝の連続テレビ小説もニュースも、大河ドラマも流れとらんやろ」
「ほんまや。何か訳のわからん、小汚い、小娘やおばはん、ばばあが次から次へと映っとるわ。それに、みんなおんなじ顔しとるで。これ何の番組や。もっとましな番組ないんかいな。新聞の番組欄持ってきてえたあ」
「そんなもんあるかいな。それにこれは立派な番組や。ドキュメンタリーやで」
「ドキュメンタリーでも、もっと、ましな主人公を取材せんのかいな」
「ほっといてえたあ。あんたが見てんのは、あたしのお腹や。あ・た・しのこれまでの人生が映っとんのや」
「どうりで、上品で、きれいな淑女が映っとると思うとったんや」
「今さら、遅いわ」
「それなら、当然、あたしのお腹にも、上品で、きれいな淑女の人生が映像として流れているのでしょうか。そこの、クソババ。教えていただけませんでしょうか」
「なんで、あんたが、上品で、きれいな淑女で、あたしが、うんこばばあなんや。それに、さっき、きれいな淑女って言うたんとちゃうんか」
「うんこばばあ、ではございません、クソババアでございます。それに、状況の変化に合わせて、対応も異なるものでございます」
「どちらにせよ、一緒や。それに、なんで、急に、丁寧語になってんのや。全然、あんたの雰囲気に噛み合うてないで」
「やっぱりそうか。わても、なんや、あごがはずれそうでいかんのや」
骨壷ばあさんは口から入れ歯を取り出すと、客が飲み残し、片付けられていないグラスの水で簡単に洗うと、再び、口の中に入れた。
「うん。これや。これや。ぴったしや。歯も磨かんでええわ。ほんで、話を続けてえなあ」
「なんや、汚いなあ。まあ、ええわ」
うんこばあば、いや、クソババア、いや、ちっちゃなばああさんは、話を始めた。
「わたしにもわからんけど、自分のこれまでの生きてきた人生の映像が走馬灯のように映るらしいんや」
「なんや、その走馬灯って。競馬のJRAの宣伝塔かいな」
「いや。あたしも知らんのや。辞書に、走馬灯って書いてあるから、使こうてみただけや」
「なんや。知らんくせに、人に言うんかいな」
「知らんからこそ言えるんや。知っとたら言えるわけないやろ」
「そりゃそうや」
「なんや。いやに素直なやあ」
「何でも、素直が一番や。死んで、初めて知ったわ。生きとるうちに、言うこと聞いて施設に入っとったら、こんなことにならんかったんや」
「ほら、見てみい。あんたの腹に、あんたが骨壺が入ったビニール袋を振り回し取る姿が映っとるで」
「見てみい言うても、見えんがな。何か記憶にあるわ。ひょとしてこれか」
B本はぶら下げていたビニール袋を前に差し出した。
「そうや、そうや。それや、なんや、死んでからも持っとんかいな」
「これは、あたしのお母さんの骨壺や位牌が入っとんのや。それを生きとった時のあたしが振り回してんのかいな。なんて、ひどいことを。これはビニール袋やのうて、神袋やで」
B本は、気を静めるため、コーヒーを飲む。
ずずずずずずず。音はするけれど、コーヒーは飲めない。B本は力を込めて飲もうとしたせいか、顔が赤らむ。
「そんな飲み方したら、他のお客さんが驚くで」
「あんたが、あたしを驚かすからや。それに、あたしらは死んどんのや。生きとる奴らには姿は見えんへんやろし、音は聞こえへんやろ」
B本の目の前には生きている客が座っている。さっきから、自分一人なのに、何故か、同じテーブルから声が聞こえて来る気がしてならない。足を右に組んだり、左に組んだり、読み物を新聞から雑誌に取り変えたりと、あれこれと試みるが、やはり、耳鳴りもどきは続く。うなされているんだ。
その様子を見ていたマスターがウェイトレスに目で合図をする。(いやに挙動不審な客だ。早く出ていくように動いてくれ)
客が落ち着かないのは、B本のせいだが、生きている人には、霊は見えない。ただし、感受性が高い人間は、何かしらの影響をいやおうなく受けてしまう。もちろん、好きで、B本の影響を受けている訳ではない。たまたま、席が空いていて、そこに、B本がガラス越しに入って来たせいだ。
店長の命令を受け、ウェイトレスが水差しを持って、B本の向かいに座っている客に近づいた。
「あのー。おひやをお入れしましょうか?」
コップの水は満杯だ。客は黙ったまま。
「うるさいなあ、あんたは。ちょっと待ってくれと言うとるやろ」
B本は、客の代わりに立ち上がり、骨壺の入ったスーパーのビニール袋を店内で振り回し始めた。ちっちゃなばあさんは、慌てて、B本の前に立つ。
「ちょっと待てえなあ。現世の人に迷惑かけたらあかんがな。死霊に口なしの譬えもあるやろ。生きとる人の言葉に、死んどる人がいちいち口応えしたらあかんのや。それに、その袋の中に、あんたのお母さんの骨壷と位牌が入っとんのとちゃうか」
それでも、B本は、「お母さんが許してくれる。お母さんが許してくれる」と叫びながら、引き続き、袋を振り回す。ビニール袋は空気中に八の字を描く。それを合い図と見たのか、ミツバチの霊が喫茶店に飛び込んで来た。
「ハチや、ハチや」
B本はハチが大の苦手だった。まさか、死んでからも、ハチに出会うとは思わなかった。
「助けて。助けて。かあさん、助けて」
引き続き、神袋、いやビニール袋を振り回す。慌てたのは、B本だけでない。喫茶店のお客たちも、ハチの霊が店の中で飛び回るため、刺される心配はないものの、何だか気持ちが落ち着かない。骨壺ばあさんは喫茶店の中を走り回る。
不思議なことに、相手が逃げれば、追いかけたくなるのが、人、いや、虫の常。面白がって、ハチがB本を追いかけ回す。
「きゃー、助けて」
B本とハチが、狭い喫茶店の、カウンターの中、テーブルの上、天井、窓ガラス、トイレなどをドタバタ、バタドタと天地無用で猛レースを繰り広げる。B本が逃げても、逃げても追い掛けるハチ。B本が床に転んだ。うつ伏せから仰向けにひっくり返る。そこに、ハチが。
「もう、だめだ」
B本は目をつぶったまま、手に持っていたビニール袋を滅茶苦茶に振り回した。B本の思わぬ反撃に、ハチが目の前でホバリングする。さすが、ハチドリの師匠。空中を勢いよく飛んでいても、急ブレーキはお手の物だ。だが、それが裏目に出た。空中に止まったハチにビニール袋が直撃。袋はハチの体を通り抜けたものの、B本の覇気の力なのか、パブロフの袋のせいなのか、ハチは喫茶店から遥か彼方に吹っ飛んでいった。
窮鼠猫を噛む、ならぬ、窮婆蜂を迎撃する。ここに、新たな諺、新たな神話が、いやビニール袋話が生まれた。素ん晴らしいことだ。
倒れたままのB本。
「もう、大丈夫だよ」
ちっちゃなばあさんが声を掛ける。
「ハチは、ハチは」とうわごとのように繰り返すB本。
「ハチはいないよ。あんたがハチを追い返したんだよ」
「ホント?」
「ホントだよ」
B本は立ち上がりながら、
「あたしは、元々、ハチなんか怖くないんだよ。ちょっと、逃げるふりをして、相手に油断させたんだけだよ。ざまあみろ」
「そうなの」
ちゃちゃなばあさんはクスクス笑う。
「それなら、元の行列に戻って、みんなをハチから守ってあげたらいいんじゃないの」
「いいこと言うね」
B本は自分の力で立ち上がると、「ハチ、ハチ、ハチはどこ。あたしにはお母さんがついているんだよ」と叫びながら、喫茶点から飛び出して行った。後を追うちっちゃなっばあさん。
「ちょっと、待ってえなあ。コーヒー代は払わなあかんで」
二人は、霊の行進に飲み込まれた。今も、B本は「お母さん許してな。みんなのためや」と祈りながら、ビニール袋を八の字に振り回しながら、行進に近づいてくるハチやあぶ、ユスリカ、ヤブカ、ゴキブリ、ムカデなど、虫の霊から、みんなを守っている。神の思し召しのままに。
聖者の行進(6)