儚異聞1️⃣
儚異聞 1️⃣
(儚本編の作者は誰か?)
儚シリーズも、いよいよ最終章かも知れない。禁忌の極限を書く志でここまで来たのだから。書き尽くしたと実感できれば、表現の自由の課題では、まさに終幕に違いないのではある。
この一章は本編の結実を待たずに平行して書いた。なぜなら、本編の結実の確定的な目途が定まっていないからである。明日の命は知れないし無為に永らえたとしても未完に終わるかも知れないではないか。人生などは思慮の外なのである。
さて、「宗派の儚」と「党派の儚」の読者諸氏には是非読んでいただきたい。
なぜなら、本編では語られなかった数々の謎が解き明かされるからである。あるいは、なお謎は深まるかも知れないが、こればかりは稀書の真骨頂であるゆえ、ご容赦をいただきたい。
-看護婦-
この話は康子を診療して看取った女医と看護婦の私が、青柳に語り青柳から聞き取ったものだ。康子は全てを実在の名詞で現していた。後に、青柳に抱かれ叙述を求められた私には、そのまま記録する勇気はない。そんなものは蛮勇だろう。ましてや、私と女医に語った康子の話が真実のものなのか、狂気の最中の混濁した妄想なのかさえ、今でさえ、判然としないのだから。
青柳は女医も抱いたに違いない。あの人は康子の症状に特段の関心があり、詳細な観察日誌をつけていた。青柳だもの、女医にどんな悪辣を労してでも、必ずや読んだ筈だ。
工夫して狂人の寓話にしたが、それでも私の命は、御門制信奉者や国粋主義者の標的になる事だろう。新聞も国民も、むしろ、それを支持するに違いない。
だから、この一節は私の存命中には、決して発表できるものではない。私はまだ生きて、時おりは青柳に抱かれたいから。 青柳は勃起不全だが、男女の交わりは挿入だけでも性戯でもない。その真髄をいずれは書き残す機会もあるだろうか。今や、この国を闇で動かすまでになったあの人が私には必要なのだ。
敗戦から自堕落に自由に耽溺しているこの国には、果たして表現の自由というものは本当にあるのか。
私は青柳とともに御門制を否定する確固とした思想に立ち、狂った一人の女の末路を国家の蹂躙から解放するために、どうしてもこの一節を書かねばならない必然があった。自由の表現とはそうしたものだろう。抑圧される者が権力と徹頭徹尾に対峙する為の営為なのだ。
その意味と価値をこの国に問うこと自体が陳腐な絵空事であるのかも知れないのだが。御門制を否定するのさえ、この呑気な神話の国では絶対的にタブーなのだ。
これを書いていることすら青柳との内密なのに、既に、私を康子と同じ棟の狂女だと、風雪を流す者すら出始めた。この国には狂人に勝る怪しい者達がいかほども溢れているのだ。
-康子-
この時、一九二〇年頃のある神国。
今上御門の子を生んだ女官の康子は青柳の女だ。青柳は宮城護衛士官で二四歳。北の国の最高神アテルイの血を引いている。康子とは従弟だ。
康子は二五歳。会津容保の次女の娘、即ち孫である。青柳の従姉だ。
「アイズもモガミもウエスギもガモウもダテもマツダイラも、オウシュウフジワラも、遡れば、いずれも、我御門にまつろわぬエミシの血ではないか?」若い皇太子が、豊潤な女官の肉の厚い股間に挿入しながら、「だが、俺の血はどこから来たのだ?」と、呻いた。
あの戦争の状況下の御所の深奥で、艶かしくもおぞましい受胎の儀式が繰り広げられていた。
女は女官の康子である。二四歳だ。一五歳の皇太子の世話役である。女は昨夜は今上御門の精液を受けていた。
康子はアイズの血を引く。あの青柳の従姉だ。幼い頃に青柳と交接して以来、関係を続けてきた。
華族の間で絶世の美女との誉れの康子が皇宮に召される事となった。
青柳と同じく康子も、御門家への復讐を秘めている。それは康子の母の怨念でもある。だから始祖の一字を名としたのだった。
宮廷に上がる直前に、康子と青柳はアテルイの墓に詣でる短い旅に出て、密議をこらした。そして、激しく交合したのである。
康子は今上御門と皇太子と矢継ぎ早に数回交合した。
二月後に康子は退任を申し出た。宮廷の医師が診察すると妊娠が発覚した。取り調べに康子は、青柳との密会も皇族との性交をも頑なに否定した。
そして、御所に上がる直前の強姦事件を告白した。直ちに、その神社を縄張りにする愚連の遊侠が三人、逮捕され素直に自供した。
こうして康子は退宮を許されたが、青柳と連絡を取る間もなく実家に幽閉され、皇宮秘密組織の監視がついた。
-青柳-
日を経ずに、突然に、青柳は海を隔てた半島の植民地に転務を命じられた。御門家と縁組みを結んだ半島王朝の宮殿の守護を命じられ、当分の帰国を禁じられたのである。しかし、警護隊の責任者は青柳が親密にする上官だった。軍内部が緩んでいたのか、敢えて為された人事だったのか。何れにしても、康子の書簡は、検閲を受けたものの、青柳の元に届きもした。内容はありふれた近況報告が二通だけだったが、二通目の書簡にしたためられた一首で青柳は悟った。
三ヶ月後の桜の季節に、青柳は極秘の命令で暫時の帰国を許され、ある桜の大木の下で康子の下女に声をかけられた。
下女が案内したある家に康子がいた。妊婦の康子と青柳は久方ぶりに懐かしい交接をした。
裸の康子は異形なほどに腹がふくれている。 仰臥して膝を立てて太股を開くと、その白い肌と美貌とは不釣り合いな臍まで続く漆黒の剛毛が湿っている。芳醇な桃に似た秘密の豊かな肉が匂いたって崩れていた。
「この子はあなたの子よ。でも、あの頃に御門とも皇太子とも交わったんだわ。だから、男の子ならとりわけ利用できるの。私達の怨念をこの子で晴らすのよ。朝廷は私のでたらめな告白を、犯人をでっち上げて合理化したけど、未だ疑心暗鬼で監視もつけてるわ。あなたも油断なさらずに」
横臥した康子に青柳は背後から挿入した。康子は豊かな尻をふしだらに突き出して、「この子にあなたの精液をいっぱいふりかけて」と、叫んだ。
それ以降、康子とは連絡がとれなくなった。青柳は再び半島の奥地に転務を命じられたのだ。
やがて、青年将校の政治的な動きが活気を帯びてきた。青柳はこの胎動をクーデターに繋げようと、ある思想家と画策していた。御門を利用して軍事クーデターを起こし、その実は社会主義政策を敷くのだ。
活動に専念するために退官した青柳は、康子の実家を訪れて母親と面談した。
「康子は自宅で流産したの。死産だったわ。赤子は男児だった。数日後に康子も死んだ」
なぜ、この母は男児と嘘をついたのか。娘の秘密を熟知した上で青柳の敵愾心を煽ろうとしたのか。下女も不慮の事故で死んだと言う。もはや、真実を知るものは誰もいないと言うのであった。豊満な女は青柳の両の手を包み、「初志を貫いて」と、懇願した。
青柳らが先陣して進めてきた青年将校の反乱が、思わぬところから発覚した。御門が激怒し軍上層が指揮して、極秘裏の摘発が始まった。青柳は北の国に逃亡した。
どの様にして青柳は康子の顛末を知ったのか。
康子が看護婦に全てを託していたのである。ある男に全てを教えて欲しいと、青柳の写真、生家の住所、青柳からの手紙、思い出の品の全てを預けていた。封がされた大きな封筒の中には、御門と皇太子との性交の詳細な記録と青柳への長い手紙が潜んでいる。
暫くして、看護婦が青柳の生家を尋ねても門前払いで、軍にも何のつてもない。
看護婦は、康子が遺言で最後に残したら言葉に一縷の望みを託して、北の国のアテルイの墓に向かった。指示された通りに、貧しい墓の脇に連絡先の立て札を立てた。そして、村の墓守の老人に伝言を頼んだ。半年後に青柳が訪ねてきたのであった。
青柳と最後の公接の後に、康子は精神病院に入院させられたのである。そこで女児を出産して間もなく、あの下女が赤子を連れ去ったのだった。
康子は理不尽不条理な御門体制に対する憎悪と青柳への愛の激しい葛藤で、半年後に本当に狂死してしまった。
看護婦は赤子の居場所は知らない。しかし、唯一の証言者の康子が死んで、もはや女児の利用価値はない。青柳はそう判断して女児の行方を追うことはしなかった。
赤子はセンダイの駄菓子職人の養女にされていた。養母はあの艶子である。 あの翔子こそが御門か、若しくは皇太子の娘なのである。あるいは、青柳の子種なのか。恐らくは康子すらも知らないだろう。
そして、あの素っ頓狂な玉音を聞いた狂ったほどに蒸し暑い夜に、したたかに酔った翔子と勃起不全の青柳の初めて出会った二人が、首府の場末の安宿で抱き合ったのであった。
-昭子-
看護婦の昭子を抱きながら、青柳が、「康子の話は信じられるのだろうか。本当に狂っていたのではないか」と、呟いた。 惑いながらも、昭子が康子の話を何故信じるのか。それは、昭子自身が、紛れもなく今上御門の娘だからである。「私は皇太子の異母姉なのよ」昭子がそう言うと、青柳の怪訝が微かに怖れを帯びた。精神病院で狂人と係わり過ぎて、神経の混濁する病が感染してしまったのではないかと、青柳は疑ったのである。
昭子は構わずに続ける。「御門の子だって女は無価値なのよ。私がいい証明だわ。捜し出されるのはその子にとっても酷な事よ」
-異父弟-
「宗派」と「党派」、或いは、儚諸編に幾度か現れたあの異人の青年は青柳の異父弟なのであった。しかし、青柳はその存在すら知らない。そして、青年が北の国の寒村にいた理由を、誰も知らない。
青年は青柳を産んだ母がロシア人との間にもうけた子である。
青柳の母は、ドイツ新聞の特派員だったユダヤ系ロシア人の敏腕記者に誘惑され、公接の果てに懐妊した。出産した赤子の様子で全てが露見した。噂を聞きつけ内定を進めた極秘組織により、そのロシア人のスパイ事件が発覚した。
青柳の父は軍人だが外務武官で、駐ロシア大使館に勤務した経験もあり、ロシア担当が長い。ロシアの情勢に精通していたばかりか、日ロ戦争には反対し、伊藤首相の指示で動いた。
政府はこの事件を極秘に処理した。父母は離婚し、間もなく父が自殺した。青柳が三歳の時だ。以来、行き方知れずの母の記憶は青柳には一切ない。事件が発覚して離婚したとしか聞かされていなかった。
青柳は大学教授の叔父夫婦に育てられた。子供はいない。叔父は反御門主義者で御門機関説の理論家だった。青柳は大学を出ると、ある志を固めて陸軍省に入った。
青柳の異父弟と母親の異聞は、現在、調査中である。
(続く)
儚異聞1️⃣