2020年8月31日について

2020年8月31日について

これはきっと、打算的にしか動かせない心臓の話。
いつも、ぼくの頭の中にいてくれてありがとう。いつも、背景を夕焼けと教室にしてくれてありがとう。ごーっと広がっていく、コロナ禍の教室、今年は、夏の終わりにマスクをつけて、ぼくらはみんな白くなって、みんな潔癖症になったみたいだ。掃除機にでも吸い込まれて、からだがバラバラになる、そういう心身二元論はあくまでお話の中だけで、リアリティが換気とともに巡回していくシンクロニシティ。
怠慢を叱ってくれるのは先生でも親でもなくきみ一人だった。
8月31日です。夏休みの臨界点で、夏の限界でもあります。感情が、堰をきって溢れるとか、崩れるとか、その前にどうか、心の糸を切ってしまって。ふらりと崩れ落ちる、指先が動かなくなると、きみは世界から放り出される。卑怯で、ずるくて、打算的な人間だけがぼくのことを見てくれる。ネガティブ? いいや、これはすごくポジティブで、だからつまらなさそうな顔になってしまうんだ。世界から放り出される、涼しい、秋はまだ来ない、ただ、時間が過ぎていくことがわかる。さびしいけどうれしい。うれしいけどさびしい。ただ、それだけで時間が過ぎていく。それだけがわかる。今日は、8月31日。

2020年8月31日について

2020年8月31日について

みじかいことばで、打算的にしか動かせない心臓について語ります。

  • 小説
  • 掌編
  • 青春
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2020-08-31

Copyrighted
著作権法内での利用のみを許可します。

Copyrighted