八月三十一日

 台所の曇りガラスの窓に、さいきんよく、やもりが張りついている。正直、やめてほしいなって思う、通り道なのだろうけれど。心臓に悪くって仕方ないから。虫は、きらい。
 ただひとり暮らしも三年目になると、虫が出現したときの対処には、さすがに慣れてきていて、モットーは不殺。ちかづきたくない、遺骸の処理はだから無理。そういうわけで、とにかく、追い出す。通販のダンボールやビニル傘などを使って、そばの壁をつんつんやって、とにかく、窓や玄関から、追い出す。これができるので、あのあれが出ると、叫ぶだけで済むようになった。はじめのころは、ねむれなかったものね。
 張りついているやもり。去年も一昨年も、それを目撃したことはなくって、今年はなんなのだろう、と思っていたら、そもそもこの時期は、アパートにいないよな、毎年、と気づいて、悲しくなった。そうだ、この時期はいつも帰省しているから、目撃するはずもないんだって、気づいて、ああ、とため息をついた。発見。あまり、うれしくなくて、発見を純粋によろこべないじぶんがまた悲しくなった。(そのうち帰省ができる程度にはなる、と、あまあまな考えで気づけばひと月経っていて、やっと始まる夏休みのことを、かたちなく想いつつ。)
 八月最後の日、とくに、いつもと変わらない。
 朝。ちょっとわたしにとって重要な人物が登場する夢、四日目だった。内容はまちまちなのだけど、とにかく、そのひとが現れて、真夜中、二十八度の気温がみせる夢のおそろしさを、目を覚ますとつくづく実感して、そのまま西美濃八十八人衆の動画を観た。十一時だった。たまには、こんな日もあるよねと、ねぼすけをゆるすのもよい。動画はシリーズの最終回で、胸熱の感じで、おもしろかった。ゲーム実況動画に抵抗がないひとは、ぜひ調べてみてほしいです。
 いくつかの課題をやって、午後はいわゆるオンライン授業を受けて、課題を提出して、洗濯したり、掃除したり、かわらない日常。すきまに、さいきんハマっているアークナイツをやったり、おやつをたべたり、本を読んだり、する。
 そのなんでもないなかに、真ん中あたりに書いた発見があって、八月三十一日であることがなんだか具体的になって、それでいま、これを書いている。

八月三十一日

八月三十一日

  • 随筆・エッセイ
  • 掌編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2020-08-31

CC BY-NC-ND
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