将門の儚4️⃣

将門の夢 4️⃣

-首都崩壊-

　新聞をとりに数歩を歩いた時、地鳴りがした。一五歳の時に故郷で経験したより激しいと直感した。草彦は「地震だ。でかいぞ」と絶叫した。ソファの和服の女が立ち上がって手を伸ばした。その時に、ドーンと衝撃音と同時に、けたたましい突き上げが来た。草彦が傾き女がのけぞった。その手を咄嗟に引いてトイレに駆ける。ドアを開けた瞬間に二度目の大きな突き上げが来た。草彦と女はトイレに逃げ込んだ。さらに突き上げが襲ってきて建物がきしむ音が響いた。叫声をあげる女をしゃがませて覆い被さった。四たびに続く突き上げで、開けたままのドアが外れて転がった。
　すると、激しく突き上げる振動が横揺れに変わった。
　大音響がして建物が激しく揺れ動く。何かが倒れる音、金属同士がぶつかる音、ガラスの割れる音。覚えたことのない危機感に襲われた草彦が、「長い」と、口にした。その懐で女が震え、揺れは続いている。

　一九六ニ年。盛夏。八月×日。一〇時三四分。直下の大地震が首都を襲った。マグニチュード九、三。震度七強。首都直下と東海の連動地震だ。大津波も発生し、関東以西の太平洋側が壊滅的な打撃を受けた。

　喫茶店の小肥りのマスターはカウンターの中で倒れていた。脈はない。
　女は京都の友禅デザイナーの翔子で、京都に戻るところだったと言った。男が作家の草彦だと名乗ると、ファンだと言う。三四歳の翔子と四三歳の草彦の旅がこうして始まったのである。
　鉄道は止まっているかもしれない。とにかく情報を集めようと提案する草彦に翔子が同意して、近くの草彦のマンションに向かった。外からは特段の被害はない様に見えた。
　ロビーに初老の管理人がいた。無事に安堵して、電気も水道も止まっていると言う。
　部屋は思った以上に散乱していた。案の定、ラジオは東海道本線も幹線道路も寸断されているとを伝えている。そればかりではない。首都は陸の孤島なのだ。各所で火災が発生しているが、しかし、水が出ない。ビルが倒壊して道路を塞ぎ、消防車や救急車の出動もままならないのだという。自衛隊は未だ到着していないらしい。
　草彦は東京からの脱出を決断した。安全なルートを探りながら、被害がないらしい京都に向かうのだ。翔子が同意し礼を言った。
　管理人が入居者から借りた女物の衣服を持ってきた。翔子が着替える。草彦も服装を整えて、山歩きの大きなリュックに取り敢えずの必要な物を詰め込んだ。

　国道四号線を北にひたすら歩いた。車道は延々と渋滞している。
　夕方には宿泊もできるという避難所に入った。草彦は施設の片隅で、携帯ラジオを聞きながらウィスキーを飲んだ。混雑する公衆電話から京都に電話していた翔子が戻ってきて、つながらないと言った。一人二個のお握りを貰ってきている。草彦は翔子を慰めウィスキーをすすめた。
　二人は寡黙だ。草彦はこの先の計画を短く話した。日光から草津、長野をたどり滋賀から京都に入る案だ。翔子も同意した。そして再び無言でウィスキーを飲んだ。恐らく何を話しても虚しいのだ。目の前の現実はあまりに悲惨で、先の事は皆目予測できない。この瞬間をただ耐えて歩き続けるしかないのである。二人だけではない。自動車販売会社のショールームにいる一〇〇人ばかりの人々は一様に静かだ。二人は酔い膝を抱えて短く眠った。

　一九四五年八月六日、一七歳の翔子は母の実家の広島で被爆していた。爆心からは大分離れていたしたまたまの幸運で負傷はしなかったが、陰惨な地獄図を目の当たりにしていたのだ。

　二人は行き先を変えた。さらに国道四号を北上した。東京を出て五日目に宇都宮に着いた。この辺りは震度五だったが殆ど被害はない。普段と変わらないと言う。草彦はひとまず安堵した。そして、これからどうするか、冷静に考える時間が欲しいと思った。疲れも極限に達している。翔子の電話もつながっていない。二人は当座の買い物をしてタクシーで那須に向かった。

　草彦は大浴場を出てラウンジでウィスキーを飲んだ。随分と遅れて現れた浴衣の翔子は豊潤で艶やかだ。草彦は目を逸らした。翔子もウィスキーを飲む。

　翔子は布団に仰向けに横たわった。帯を解き目を閉じる。草彦は椅子を離れない。ウィスキーを飲み煙草を吸う。一面の空に星座のモザイクがひしめいている。大パノラマの下で人間の存在の卑小は笑うほど悲しかった。こんな気分で翔子を抱く気には到底なれない。草彦は着替えて外に出た。

　朝食の席に変わらない笑顔の翔子がいた。草彦は安堵した。

　二人は「共和農場」に身を寄せた。
そこにあの翔子がいた。

　避難民が関東や関西から東北や北海道に大移動した。既に一〇〇〇万にのぼり増え続けているという。仙台はあっという間にニ〇〇万都市になった。数多くの企業も移転した。

-終-