スイートアンドテンダー

凛悦

好きなこと


<10才>

誕生日を白くて丸いケーキでお祝いする。

それだけでも素敵なことなのに、部屋を暗くしてロウソクに灯をともすなんてこんな幸福な瞬間はないと彼女は思った。
ロウソクを抜くと少しクリームを持っていかれた穴ができる。その穴の奥にスポンジが見えて、白いクリームと茶色いスポンジが「なんだか冬の終わりのスキー場みたいだなあ」と少し寂しく思ったりもするが、その後に訪れる春を想うと彼女はまた嬉しくなるのだった。

お誕生会で先にケーキを出すのか、後にケーキを出すのか。
彼女は前者の考えの持ち主だった。
だって好きな物を先に食べたほうが後から食べる物がもっと美味しくなるでしょ。と持論があった。
姉は後者で、好きな物は後から食べたほうがガマンした分もっと美味しくなるでしょ。と彼女も持論があった。
そのことでケンカになった年もあったが「お互い好きな時に出してあげるから」と母の提案で解決した。
母はいつも正しいと彼女達は思った。

毎年、誕生日のケーキは母の手作りだった。
とてもシンプルなケーキ。
上には苺とお誕生日おめでとうの文字が入ったチョコレートが乗っていた。そしてケーキの間にも苺がたくさん詰まっている。やっぱり誕生日は特別だ。
そして母はいつも言うのだった。

「お菓子は人を幸せにするんだよ」

たしかにそう思うが幼い彼女には真意はまだわからない。
プレゼントも嬉しかったが彼女は母の作ってくれたケーキのほうが嬉しかった。それには愛情が入っているから嬉しいんだということに気づくにはもうちょっと先のことになるのだった。



<15歳>

彼女はソワソワしていた。

それは2月のイベントのせいだった。
自分で作ったチョコレートを人にあげる。しかも特別な男子に。
思春期を迎えてから父親にも手作りの物なんてあげたことがないのに、それを同じクラスの男子にあげる。
ヘタをすればまわりの男子に茶化され、せっかく作ったチョコレートを吊るし上げにされるリスクがあった。
しかしチョコをあげれば直ぐに彼女の想いはその男子に伝わる。
これはハイリスクハイリターンだと使い方が合っているのか合っていないのか分からない言葉を口にしながら彼女は自分を振るい立たせ、一心不乱にチョコレートというお菓子に愛情を込めた。

しかし当日、彼女はチョコレートを渡すことはなかった。
怖気づいたといった方がしっくりくるだろう。
彼女なりにいろいろ考えた。むしろ考え過ぎた。おかげで昨夜はほとんど眠れなかったのだ。

人気のないとこに呼び出す。
友だちに渡してもらう。
友だちに頼まれたフリをして自分で渡す。
こっそり彼の机に忍ばせる。
彼の家のポストに放り込む。
矢の先にくくりつけ、彼の部屋に放つ。
彼女の母から彼の母に渡してもらい、彼の母から彼に渡してもらうというまどろっこしいことまで考えた。
しかしどれも彼女には現実味がなく、考えれば考えるほどチョコを渡すという行為自体が小舟から離れて行く入江のように遠く霞んでいってしまった。

結局チョコはおじいちゃんにあげた。おじいちゃんは戦後、アメリカ兵からチョコレートをもらった話をしてくれた。そのチョコとこのチョコとはちょっと意味合いが違う気がしたけど彼女は救われた気分になっていた。
後日、チョコをあげそこなった彼に彼女が出来たと噂で聞いた。
相手はあの日にチョコを渡したコらしい。
現実はビターなのだと彼女は学んだのだった。


<24歳>

金曜日の夜になると彼女はオーブンを温めた。

週末の休みはゆっくりお菓子作りをして過ごす。最近はちょっと手の込んだ物も作るようになった。
たまに会社の同僚を呼んでお茶を飲みながら彼女が作ったお菓子を食べる。
数人集まって喋ることといえば会社の愚痴だったが、彼女はそれを聞き流しながらお菓子を頬張った。
そもそも興味がない話題なのでどうでもよかった。
ただ、美味しいと言って食べてくれる人がその同僚たちだけだったのでしょうがない感は否めない。
地元じゃない土地での一人暮らしなんてこんなもんだろうと、少し冷ややかな目で自分の生活を眺めると少しは楽な気分になれた。

ある日、アパートの隣にある一軒家の前で、おばあさんが重そうな荷物をせっせと運んでいた。
挨拶程度しか面識はないが彼女は見て見ぬふりが出来ず、大丈夫ですかと声をかけた。
宅急便が玄関先に置いていったのだが、家の中に運んでる最中に腰が痛くなってしまったらしい。「どうにも重たくて」と言うので彼女は荷物を運ぶのを手伝った。引っ越しで使うようなダンボールを3つ運んだ。
彼女が帰ろうとするとおばあさんはお茶でも飲んで行きなさいと呼び止めた。

お茶をすすりながらおばあさんの話を聞いた。
あのダンボールの中は娘の遺品だった。
一人暮らしをしていた娘が突然倒れて亡くなったという。
どれも捨てられずダンボールに詰めていったらあの量になったらしい。
おばあさんの娘は彼女よりずっと年上で未婚だった。ずっとおばあさんと疎遠だったが最近ようやく連絡を取るようになったといった。
その矢先の出来事で、おばあさんは疎遠になっていたことを後悔していると背中を丸めながらお茶をすすった。
彼女はおばあさんが数分ごとに小さくなっているように見えた。
このまま小さくなっていって消えてしまうのではないかと心配になる。
彼女は「ちょっと待ってて下さい」と小走りで隣の自分のアパートに戻った。
戻ってくると彼女の手にはカゴがあった。小さくなっていたおばあさんが身を乗り出してカゴの中をのぞきこむ。
その中にはきつね色のマドレーヌがいっぱい入っていた。

「わたしが作ったんです」

ふたりでマドレーヌを食べた。
芳ばしい香りが鼻から抜けていく。おばあさんが少し大きくなった気がした。
美味しいねえとおばあさんは笑顔になってくれた。初めて見るその笑顔はシワでクシャクシャしてたけど、心から嬉しそうだった。

お菓子は人を元気にさせる。

昔、母が誕生日に作ってくれたケーキが大好きだった意味が少しわかった気がした。


<36歳>

姉が娘を連れてきた。
今年で10歳になる。まわりの子供たちより大人びて見えるのは父親に似たからだろうか。

「あんた結婚しないの?」
姉が来ると必ずこの話になる。

「お店も忙しいし今はいい」
パティシエになり、小さいけど自分のお店も持つことができた。お菓子の味を気に入ってくれている常連のお客さんも居て、彼女は幸せだった。
付き合っているひとが居ないわけではない。むしろ先延ばしにしているのは彼女のほうで申し訳なく思っている。
ケンカをした時なんかはつい「ほかのひとを見つければ」と可愛げのないことを言ってしまう。
別に結婚したくないわけではない。
結婚したってお店を続けることは出来る。だけど踏ん切りがつかない。
いつかのチョコレートの日のように怖気づいてしまっているのかもしれない。彼女のそういうところは何も変わっていなかった。

姉の娘に苺のタルトを作った。
自宅でお菓子を作ったのは久しぶりだった。苺に塗ったゼラチンが光って見える。
娘は満面の笑みを浮かべ、姉のスマートフォンで写真を撮っていた。
いまどきの子だなあと彼女は思いながらお茶を淹れた。
子どもは好きだけど育てる自信がない。姉を見ていると大変そうだなとも思うし、やっぱり姉なんだとも思う。
彼女たちが小さい頃、よく姉は彼女の面倒を見ていた。鬱陶しい姉だなあと思った時期もあったが頼りになるのはやっぱり自分の姉だった。

自分が10歳だった頃のことを思い出してみる。
姉の娘と同じようにケーキを見て心ときめかせている自分が見えた。
やっぱりお菓子が好きなんだなあと彼女は思った。自分が作ったお菓子で喜んでいるひとの顔を見ると、いまだに彼女は「わたしは魔法が使えるようになった」と思うときがある。
いい大人が魔法という言葉を使うのはどうかと思うが、その想いを失えば自分には何も無くなってしまうのではないかと思わずにいられなかった。

魔法が使えなくなったら結婚しよう。

変な線引きをつけてしまったことに多少後悔はしたが、今はそれでいいんだと彼女はタルトを切り分けた。


<48歳>

母の葬儀にはたくさんのひとが来てくれた。

いくら身内でもひとの繋がりまでは把握できない。
母がこんなにもひとと関わっていたなんてと彼女は少し驚いていた。
父は親戚たちと何かを話している。
ここ数日で痩せて細くなっていた。

実家の居間にあるソファーに腰を下ろす。昔からそこにあるソファーは濃い緑色で、肘掛けの木目は擦れて深い色合いになっていた。
一通りの事が片付いて力が抜けた途端、涙が溢れてきた。
今まで忙しかったから気丈に出来たけど、急に静寂が訪れると耐えられなくなった。父も姉もそうに違いない。何処かできっと泣いている。個々に消化しなくちゃいけない時間が必要なのだ。

そして胸の奥から湧き出るように次から次へと母との思い出がよみがえってくる。
楽しかったこと。嬉しかったこと。怒られたこと。腹が立ったこと。
母と共有した喜怒哀楽がこんなにいっぱいあったなんて。
母が生きているうちにもっと思い出していればよかったと彼女は後悔した。

いつかのおばあさんが娘を失った時の事。疎遠だった娘が先に逝ってしまった事。
自分より計り知れない後悔だったに違いない。
そう思うと余計に涙が溢れてきた。

彼女は台所をのぞいた。
母が亡くなり主人を失った台所。
昔、母が色んな料理を作ってくれた場所。使い込んだ道具たちが静かに佇んでいた。
温かい気配がして振り返ったが誰もいない。ジッと見つめてると彼女が10歳の頃の母が忙しなくケーキを作っている姿が見えた。ボウルには卵、薄力粉、砂糖にバター。力強くて優しい手つきで混ぜている。
彼女はあの日の誕生日を思い出していた。
すでに彼女はあの頃の母の年齢を越えていた。

「お菓子は人を幸せにするんだよ」

母の言葉が理解できた。

彼女は母の台所に立つ。
あのシンプルなケーキを作る準備をしていた。

スイートアンドテンダー

スイートアンドテンダー

  • 小説
  • 短編
  • 全年齢対象
更新日
登録日 2020-08-30

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