嬰子の事件

-嬰子の事件-

 「団塊の世代」とか、「戦争を知らない子供たち」と呼ばれる世代の、一人の女が引き起こした事件が世間の耳目を引いた。
 その女の半生は戦後のある時期の状況とある生き方を象徴しているのではないかと、伊達は思った。おぞましい生涯だが、嫌悪よりも予感が先に湧いた。
復興から乱熟に至る社会で、膨張する自己中心の生き方がもたらす退廃の中に女は潜んでいた。

-嬰子の事件-

 「事実は小説より奇なり」と言うが、これは現実の事件をなぞった一人の女の物語である。映画化したいとも思う。やはり石田えりだろう。「遠雷」の続編だ。

 女は一九四九年に青森県に生まれた。終戦の四4年後である。
 リンゴ農家の二女だ。姉と妹弟に挟まれ、忙しい両親に変わって祖母に育てられた。この成育の構造は女の人格形成にどの様な影響を及ぼしたのだろう。そして、女はあの戦禍の影響は全く受けていない。
 嬰子は七歳で性交した。納屋の藁の上で、近所の二歳上の少年が相手だった。快感を感じた。
 一九六三年。日本は既に復興を遂げ高度成長をひた走っている。少女もテレビなど電化製品に囲まれて暮らした。
 中学二年、一四歳の少女は、友達と二人で教師の家に泊まり、眠っている友達の隣の布団で性交された。この愚かな教師は、友達や勉学、権威などは意味がない、価値の基準は性なのだという教育を一瞬で少女にしてしまった。そして少女は裏切りと嘘と秘密の効用を知った。少女はいち早く女という生き物になった。
 嬰子は男の興味を引く仕草を覚えた。
 些細なきっかけで好色なタクシー運転手と性交した。乳房や尻、そして性器を褒められ、金品を与えられた。嬉しかった。 工員や他校生などとも交合した。男達は競って性技を教えた。
 嬰子は派手なブラジャーで登校した。タクシーで下校する事もある。
 容姿は普通で成績は芳しくなかった。体格が良いが運動に熱心でもない。
 そんな女が、同級生にも時おり女王然とした態度を見せるのだ。男達から貰った品々を惜しげもなく与えるのである。この一瞬が堪らない快感なのだ。嬰子は男に誘われると、下僕にかしずかれた様な気分になった。餌を待つ男の前で決定権を持つ自分が誇らしかった。何かを支配できる唯一の瞬間なのだ。
 だから、身体を求められると安直に応える女になった。何よりも性交が好きなのだ。身体には自信がある。性交を重ねるたびに相手の反応で確信を深めた。
 そして、金品を貰えるのが嬉しいのだ。これは、もはや売春の発想ではないか。しかし、それはこの女だけの特性なのだろうか。

 進学する学力のない嬰子は、中学を卒業すると北海道の道南の大きな牧場に就職した。四割が進学し、就職する同級生の大方は「金の卵」ともてはやされ東京に出る。
 嬰子はなぜ北海道だったのか。青森と北海道の交流は濃密だ。紹介者の誘いに素直に従ったのだ。
 それに、女にはコンプレックスがあった。容姿となまりだ。華やかだろう東京や仙台は嫌だった。
 この女には上昇思考がなかった。試練や努力が嫌いだ。いまある現実に浸っていて満足なのだ。そして、狭い世界で思うままに生きたいと思うのである。

 北海道の嬰子は仕事に慣れると、たちまちある同僚と性交した。それが二人になった。休日に町に出るとその場限りの出会いを弄んだ。
 自堕落な享楽の三年をすごして三角関係の修羅の果てに、ついには解雇された。
 一八歳で実家に戻り、男達と再び性交を繰り返す。見かねた親戚に見合いを勧められ、安易に北海道の島に嫁いだ。
 九歳年上の漁師との六年の結婚生活で二児をもうける。家事は満足にできないが努力する気力もない。根っから嫌いなのだ。
 厳しい姑の叱責は苦痛の極みだ。そのはらいせに監視を盗んで浮気した。そして、度々発覚して何度も家出する。しかし、気弱な夫はそのたびに許した。 五年後、二四歳の女はついに離婚を決めて長女を連れて出奔した。
 神奈川の親戚を頼り、この男と交合し僅かな金を借りる。そして、寮のあるキャバレーに勤めた。間もなく、足しげく通う客と交合した。そば店を経営する三九歳の男だ。
 この頃、離婚を承諾しない夫に連絡し、五〇万を持ってやって来た夫と性交する。これに味をしめ何度か繰り返した。
 他の客とも成り行きで性交し金品を得た。 必ず結婚すると言う悋気で吝嗇、そして好色なそば店主と、男の妻をいかに追放するかを謀議し、半年後にそば店の店員になる。男が借りたアパートに住んだ。この頃、女の離婚が成立した。

 店主の妻は事実上の妻妾同居に堪えきれず、二人の子を連れて家を出た。一人は父のもとに残り嬰子が育てる事になる。
 そして、男の離婚が一年後に成立した。思惑が成就した二人はすぐに結婚した。嬰子は二七歳であった。
 二年後に夫は二つ目の店を出した。この頃、女はある新興宗教に入信した。そして、ねずみ講に誘われると熱中した。これらに関わる男達と無分別に性交した。身体を武器に利益を求めた。
 二九歳で男児を産む。しかし、この子供の父親は果たして特定できるのか。女でさえわからないのだ。さらに女は三〇歳で女児を産んだ。この子の父親も同様だ。

 四年後、そば店は経営難に陥って借金返済に追われていた。 返済期日のその日、取り立てから目をそらす為に、女は息子の誘拐事件を狂言した。自分の生活を守るために五歳の我が子を殺害したのだ。女の利自が最高潮に達した瞬間である。
 女は陰惨な悲劇の母親としてテレビで号泣した。取り立ての追求が緩み夫の親族が援助した。女の目的は完遂されたのだ。この時、三四歳の女の母性はどうなってしまったのか。
 驚くには当たらない。「昭和万葉集」という和歌の全集がある。戦中戦後の昭和の一時期の和歌を選集したものだ。極限の飢えの中で、我が子の食べ物を奪う母親の悔悟の短歌が数多く収録されている。
 鬼子母神の説話もある。他人の子より我が子、我が子より我が身を守る、それが人間の生存本能なのだろうか。 果たして嬰子は生存本能の根幹である自己保身のみで生きている女なのか。そして、それは口を極めて非難されるほど特殊な事なのか。
 子殺しは勿論、親殺し、夫婦や恋人間の殺人事件は世の中に溢れているではないか。
 嬰子は自己中心の思想が作り出した修羅の群れの一人に過ぎないのではないか。

 新興宗教にはまり子供にも強いる者。マルチ商法で親族を巻き込む者。民間療法を信じて子供にも小便を飲ませた者。金があるのに自分の離婚の慰謝料を子供に払わせた者。交通事故で人を殺して金があるのに新車を現金で買うから金を貸せと子供にせびる親。これらは、それを発端に事件化した実話である。しかし、彼らは罪に問われる事はない。
 子供を放置する者、捨てる者、子供に金をせびる者、嘘をつく者など掃いて捨てるほどいるではないか。これらは違法ではない。しかし、法に触れなければ罪ではないのか。釈迦は利自、すなわち自己中心こそ罪の根元だと喝破した。そして嘘の大罪を明らかにした。

 五五歳の男が八〇歳の実母を殺害する事件があった。男が頸椎を手術する日、病院に来た老母が言った。「後遺症が残ったらお前は私の面倒をみられないだろう。すると私の介護保険の適用がされやすくなる。これから友達と温泉にいく」一ヶ月後、後遺症を残して退院した男が問い詰めると、老母は「そんな事は言っていない」と言う。言い争いのああげくの殺人である。自己中心の者は差し迫った時ほど自分の本音を言う。保身と欲望に貪欲だからだ。しかし、倫理で指摘されると反論できない。だから、平気で嘘をつくのだ。
 利自と嘘は一体なのだ。自己中心は人間関係をことごとく破壊するのである。自分の子供の窮地に何一つ慈愛の言葉をかけられず殺された老いた女。利自と嘘の虚しい末路だ。
 釈迦が大罪とした利自と嘘、これが批判されない社会こそが問題ではないのか。なぜ検証されないのか。資本主義社会の根幹原理が利自だからである。

 嬰子はマルチ商法にのめり込む。店の仕事はしない。そもそも嫌いだしマルチの方が余程効率が良いのだ。 やがて、女はマルチ商法の地域のボスになっていく。何人もの男と次々に性交し従える。金儲けのネットワークを文字通り身体で作り出した。そして栄華の境地を嬰子は体感していた。
一九八〇年代半ばに日本はバブル経済に突入していく。
 三七歳の嬰子も異常な熱に浮かされた。様々なマルチ商法、株、土地、絵画に手を出した。関係者と性交する。
 大柄で豊潤な身体。豊かな胸と尻。濡れた目と淫靡な仕草。派手な服装。いわゆる男好きする女の風貌はその性体験で作られたのだろうか。
 女はとりわけタクシーに贅沢だ。料理が嫌いで外食を好んだ。
 娘を溺愛した。飾り立て幾つもの習い事をさせる。
 この頃、女は母親の葬儀で青森の実家に帰っている。香典を弾んだ。どこにいくのもタクシーだ。親戚や住人はその変貌に息をのんだ。

 そして、バブルは崩壊した。女の虚構もことごとく砕け散った。多額の借金を抱えたのである。
 女が四五歳の時に夫が病死した。女は多額の生命保険を手にした。しかし、借金を清算すると僅かしか残らない。店を畳んだ。
 本当に病死なのかという噂が囁かれた。
長女は二五歳で独立している。
 女は新しいマルチ商法を続けながら賃貸マンションで高校生の二女と二人暮らしを始めた。
 そして、ついに女がやっていた悪徳な詐欺商法が検察に摘発された。女の投資資金が瞬時に泡と消えた。女は加入促進の重要なメンバーで実質には加害者でありながら、善意の被害者を装い摘発を免れた。
 女は完全に生活に窮した。暮らしの為に辺り構わず性交する。コンビニ経営者、洋品店経営者、不動産屋などに金をせびる。新しいマルチ話で借金をする。
 それでも暮らしに困り、前妻と夫の間の子供の一人に言い寄り、同居させ金を出させた。男は娘の三歳上のガードマンで娘が好きだ。
 嬰子は男とも性交した。
 やがて、男は娘と交合した。これを知り嫉妬に狂い逆上した嬰子は、男に娘の殺害を指示した。男は娘を殺害した。
 娘の遺体は部屋に置いたままだ。ドライアイスで冷やす。三日たち異臭が漂い始める。嬰子は物体と化した娘の腐敗に耐えられない。
 毎夜うなされた嬰子は、ある完璧なシナリオを考えついた。
男を責め続けた。新興宗教の救いの教義を繰り返す。もとより男は悔いていた。
 そして、ついに男に遺書を書かせ、自殺に追い込んだのだ。
 殺害し持ち歩いてきた幼児の遺体は段ボールに入れたままだが、殺人だったとしても既に時効だ。それも材料にして再び悲劇の主人公を装えば良いのだ。そもそも女は我が子の死因すら解らないのだ。押し入れに潜ませ自然死したのか、初めから絞殺したのか、記憶にない。女は自分にとって最も都合の良いのが本当の記憶で、真実の死因だと思い込んだ。
嬰子は自信に満ちて警察に通報した。

 あの報道から一〇年が過ぎた今、この女がどう裁かれ、いかに生きているか、私が知る由もその術もない。
しかし、この物語の通りなら、この女を現行法で罪に問う事は到底出来ないのである。

嬰子の事件

嬰子の事件

  • 小説
  • 短編
  • サスペンス
  • ミステリー
  • 時代・歴史
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2020-08-29

Copyrighted
著作権法内での利用のみを許可します。

Copyrighted