カムイの儚5️⃣

カムイの儚 5️⃣


-進路-

 この年の春。典子は学区外の屈指の女子高に希望通りに合格した。
 巴都は東京の伯母の店で働きながら夜間の美容学校に通うのだ。
 丸子は別れの抱擁の後に、「もう十分に立派な男よ」「こんな女を愛してくれて有り難う」と頭を下げた。


-岩田-

 草也は卒業式を終えて上京して入寮した。全国から推薦入学した者が一〇名いたが入寮が原則であり、草也もトキも同意した。
 草也達は第一期生だから全てを自分達で作った。草也は新聞部の部長だ。寮監の教師が山男で、寮生を中心に登山クラブも作り、毎朝走る。
 岩田は草也と三年間同室だった。最初はよそよそしかったが、休日に街に出た時に数人の他校生に絡まれたのを草也が助けた。以来、岩田は心を開いた。主府の東の納豆製造会社の次男である。
 岩田は一年の途中から株式研究に没頭し始めた。夏休みは岩田の親の別荘がある海で過ごした。


-北子-

 トキは会社を持っていた。不動産全般を扱いトキの個人資産の管理もする。従業員は一〇名。
 北子はそこで働いていた。二五歳。トキのお気に入りで、自宅に住み込んでいた。
 シラオイアイヌの出でトキの亡夫の遠縁である。高校を卒業すると同時に就職した。事務職や営業もしながら夜間大学を卒業した。不動産鑑定士、公認会計士、司法書士などの資格を持つ。
 草也は普段は寮暮らしだが、土曜の午後にトキの家、即ち実家に帰る。寮から実家までは歩いて一〇分程の距離だ。月曜には実家から登校する。
 トキと北子は一階、草也の部屋は二階である。


-蜂-

 草也が一年の夏休みにトキは台湾に旅行中だった。一週間、留守だ。
 広い家に北子と二人きりになった。初めての経験だ。
 日曜の朝。二人は朝早くから庭の整理をしていた。トキから頼まれていたのだ。昨日に続いて異常な暑さになる予報だったから、北子が煎れたコーヒーもそこそこに、朝食前に庭に出た。
 少し離れて剪定をしていた北子が怪しい叫声をあげた。駆け寄った草也が声をかけると、「蜂に刺されたみたい」「二の腕。他も痛い」と言う。
 山茶花の大木の小枝に足長蜂が群れていて、巣があった。「毒はない蜂だから」と、言う女を遮って、「山でも何度か刺された」「手当てをしてやる」と、家に連れ帰る。
 女は薄地の青い長袖のシャツを来ていた。腕と胸の辺りに痛みがあると言う。居間の椅子に座らせて、コップの水を飲ませ、薬箱を探しながら、「シャツを脱いで」と、声をかける。
 男が虫刺されの消毒薬を持って戻ると、女は青いブラジャーに変幻していた。
 真っ白い肌と豊満な乳房が男の点検に晒される。右の二の腕に赤い刺された痕がある。腕をあげると、薄く這った脇毛が濡れている。脇の下にも刺し痕がある。乳房の上部もあった。男は消毒しながら、「いくら足長蜂でも三ヶ所は危ない」と、タキの主治医に電話した。休日だけど診てやるから連れて来いと言う。
 北子の診察を待っていると、診察室に呼ばれた。二人を前に初老の髭の医師が、「君の処理が適切だった」「ここに来たのも良かった」「これ程の美女を救ったんだからお手柄だ」「なかなか見込みがある」「こうやって大事な人を守るんだぞ」と言う。北子が頬を染めた。医師は、「三時間毎に消毒して薬を塗る様に」「傷に触るからブラジャーは邪魔だな」「二日後にまた診察しよう」「脇の後ろは自分では手が回らないんだから」「いっその事、この若い名医に任せなさい」と、笑った。
 病院を出ると北子が、「お腹空いたでしょ」頷く草也に、「私もなの」「お礼にご馳走させて」
 ある店に入った。草也が「ウィスキーを飲みたい」と、言うと、眼を見開いて、「本当は不良なの?」と笑う。「煙草も吸う」草也が言うと、北子が、「身長は?」「一七八センチ」「もう少し延びるわね」草也は煙草を吸いながらウィスキーを飲んだ。「あなたのそんな仕草が誰かに似ているの」「思い出せない」と、呟いた。

 戻って暫くすると消毒の時間だ。草也が居間に降りると北子がいた。「消毒しようか?」北子がコーヒーを煎れた。
 白の半袖のシャツを脱いだ女はブラジャーをしていない。草也の困惑した様子に、「あの先生が言ってたでしょ?」「傷に触るからよ」と、こともなげに言う。
 北子に向かい合って草也が二の腕を消毒して薬を塗った。豊かな乳房が痙攣する。上気した女の肌がみるみる薄い桃色に染まっていく。男の股間が膨らんでいるのを女が見逃さない。男の手が胸の消毒をし始める。熱い吐息が女にまで届く。女が唇を舐めて息が乱れた。
 男が背後に回った。腕を上げさせて脇の下を消毒して薬を塗った。
 やや間があった。蝉の鳴き声が耳に入った。女が怪訝を感じ始めたその時に、男の両腕が豊かな乳房に回って捕らえた。ずっしりと重い。 北子は抗わない。緻密に揉み始める。女は微動もしない。乳首を摘まんだ。男の手に女の手が柔らかく重なった。
 女が振り向いた。キスをした。

 一緒に風呂に入った。交合した。
 北子の尻は豊潤だ。無毛だ。
 「ロシアの血が混じっているの」北子が言う。
 草也が初めての男だ。草也に惚れて北子が誘惑したのである。

 ある日の夜。国防法制定に反対するデモに参加してきた北子が言う。
 「宰相は私達の事を暴れる蜂の危険な群れだって、放言したけど。私達は平和な蜜蜂なのよ。毒なんか持ってないわ。それだったら、機動隊ってスズメバチみたいで、嫌いだわ」男の視線を柔らかく包み込んでいる女は、しかし、この国の危うい情況とは決然と対峙している様に、男には思えた。鋭利な言葉を溌剌と駆使する自衛した女が煌めいて見えた。二人は止めどなく話して飽きる事を知らない。現況の息苦しさ、あの戦争の鮮やかな記憶、古代から今日に至る歴史の認識、簒奪され差別され続けた北の国の祖先の物語、御門と称する禁忌への痛烈な批判、そして、あれこれ。二人はことごとく、つまびらかにも同意できた。 二人が十代の初めに、世の中は一変したのだった。独裁者と同盟したこの国は、地球の東半分を征服しようとし、無謀と残虐の限りを尽くして、果てに破れた。しかし、大人達は何一つ総括をせずに、昨日の敵国にひれ伏して礼賛している。一夜明けたら軍国主義が民主主義になった。「私も不思議だったし今でも違和感があるの」
 女は豊満で容姿も男の好みだったが、もはやそうした属性は無意味だと、男は痛烈に実感した。性愛はもちろん、男女の愛そのものすら無価値なのではないか、この女の思惟こそが珠玉なのだと、確信できる気がしたのである。初めての清冽な体験だった。書きためた文章をいつか読んでもらおう、それが男の希望になった。
 「こら。土人の女。犯してやろうかって。機動隊員が耳元で怒鳴るのよ。私、叫んだわ。どこの国から来たのって。機動隊員は、西からだって。見たこともない太い性器をぶちこんでやるぞって」「あんな風に、遠い昔から、あの国の男達は私の国の女達を犯し続けてきたんだわ」。「あなたは私達の国の女を守れる?」「カムイになれる?」
 男の脳裏は北子の凛とした言葉をいつまでも反芻していた。


(続く)

カムイの儚5️⃣

カムイの儚5️⃣

  • 小説
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  • ミステリー
  • 時代・歴史
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2020-08-29

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