異端の夏総集編
異端の夏 総集編
この世には己に似ている者が三人はいるというが真実だろうか。これはそのさしたる確証もない伝承を踏まえた綺談である。
-萬子-
球儀の果ての島国の某国は世界に稀有な御門制で、四千年変わらず単一民族の統一国家であると自称しているが、実質は、西半分は北方系の渡来民の多様な部族、東半分は南方系のカムイなどの民族が混合した混沌の地である。とりわけてこの頃、世界を敵にまわした無謀無益な戦争に大敗して一〇年。この国を蝕む幾多の矛盾が奇っ怪なある形で現れようとしていた。
-ピリカ-
男が機器のスイッチを入れると、『……皆さん。ご機嫌いかが。こちらは、『カムイ放送局』です。北の国の独立のために闘う地下放送局ですよ。あの忌まわしい御門制は金輪際、絶対的に廃絶しなければなりません。その為には、あらゆる禁忌を否定して打破するんです。とりわけて性の解放は大事でしょ?を掲げて、主張ばかりではありません。具体的な行動を果敢に進めるあなたの放送局です。かくいう私は自称、『おんな解放の象徴、北国の聖女。闘うマリアこと異端のピリカ』です。森羅万象大好き、好奇心旺盛。一期一会を求めて神出鬼没。人騒がせな恋多き女だけど、永遠の処女性、秘密の聖女よ。よろしく、ね」「さて、皆さん。皇太子妃になられる満子様が市井で密かに話題になっているのはご存じでしょうか?あの方の性向がこれ程露に市井の人々の口の端に、何故、上るのか。どうしてなんでしょう?皆さん。明らかな確証を幾つか、私達の調査部門は把握しておりますので、後程お伝えします、ね。特に、被害を被っていられるのは同名の方々だと聞いております。萬子さん、まん子さん、マン子さん、卍子さん、もっと、いらっしゃるかしら。本当にお気の毒。心からご同情申し上げます」
「…さて、今のあなた?きっとお二人?あなた方かしら、ね?どんな状況なんでしょう?今、この瞬間に、情愛の発露、契りの最中かしら?さぞかし、性愛の虜、情交の瞬間。エロスのただ中。そして、肝心な倒錯の真髄を堪能して。悦楽、愉楽、法楽の刹那に身を委ねていらっしゃるの、ね?先ずは、陳腐な道徳でがんじがらめに呪縛されて、強ばってしまったあなたのその肉体を、すっかり解放してやって下さいね。いたわって下さい、ね。そして、受胎のための交接など、きっぱりとうっちゃって、ね。情交の醍醐味、深奥、テクニックだけを味わいましょう、ね。種の継承などからすっかり解き放たれて、個の快楽、男女の絆の確認だけに没頭してください、ね。でも、ご注意下さい。中途は逆療法になりますからね。納得がいくまでよ」「…さて、そんなあなた方のお役にたてるかしら。今回のテーマは、「昼下がりの秘め事」よ。最初の投稿は、「あの日、迷った寡婦」さんからです。
『四〇半ばの寡婦です。未だに夫の遺骨すら帰りません。愚かな国を恨むばかりを糧に生きております。
さて、盛夏のある日。異様に蒸し暑い昼下がり。そうそう、確かにあの日でした。皇族の嵯峨宮妃が狂乱して。皇宮生娘門前で全裸になった事件がありましたでしょ?あの日に間違いありません。
ある街の商店街で買い物をしておりましたら。突然に尿意を催しまして。運良く御不浄の張り紙が目に留まり、繁華とは別世界の空気漂う侘しい横丁に入り込みました。済まして、ふと、仕舞た屋に『大皇教本部道場』という、墨痕鮮やかな大看板が目に止まったのでございます。すると、金切り声が仕舞た屋の奥からか、いかにも妖しい声が漏れた気がして。引かれるままに裏手に回ると焼き杉の板塀があって。節穴から覗くと三坪ばかりの中庭に大タライが鎮座しておりました。すると、白装束の女が現れて脱ぎ払ったと思ったら、女の私でも称賛するばかりの神々しい間裸じゃありませんか。年の頃は四〇辺り。豊満で、あの有名な南仏の裸体画の裸婦に似た姿態。漆黒に繁茂する股間も露にタライを跨ぐと行水を、至福の表情で始めたのでございます。すると、そこに男が現れたではありませんか。それから繰り広げられた痴態の大絵巻。いかな浮世絵も凌駕する昼日中の爛れた饗宴。
さて、まあ、ここまで報告しておきながらとお叱りを受けるでしょうが。そしられようと罵られても、さしたる性の体験などもない私如きには、これ以上は語る言葉も見つかりません。暫く後に正気に立ち返った後には身体が壊れてしまったのかと思われるほどに。…いいえ。…寡婦の侘しさから甦生したんだわと思われるほどに。あらあら、人の気配。では、続きはまたの機会にて事細かにご報告の次第。乱筆乱文の段ご容赦。あらあらかしこ」
皆さん。この『大皇教本部道場』早速、私達の辣腕捜査員がが調査しました。主催者は鷺ノ宮高磨呂と称する人物。第三八代皇神帝の正統と称して、この宗教法人の主催者で教祖に収まっておりますが、経歴は全くの不明瞭、闇の存在。女は巫女の蓬姫と思われます。代々、御門宮に仕える誉れ高き家門と称しておりますが、今の段階では、これも前歴は不明です。さらに独自綿密な調査を続けて参ります』
「声を写しとるなんて。あの国にはこんな器械もあるのね?」「だから、戦争に負けるのも当たり前だったんだ」「それにしてもこんな猥雑テープをどうしたの?」「この前、会議で首府に行った折りに売り付けられたんだ」「…どこで?」「帰りの列車に待ち時間があったからある映画館に入ったら…」「…それで?」「暫くして隣に座って来た女に声をかけられて…」「どんな人だったの?」「…それが…茫茫として…。眼鏡をかけてはいたんだが…」「…青かった」「青?」「そんなワンピースだったんじゃないかな」「…二の腕が爛漫の桃色で」「…肉の臭いがした」「肉?」「そう」「その時にふと気づいたら、スクリーンからも同じ香りが漂っていたんだ」「スクリーンから香り?」「性交のシーンだった」「どんな映画だったの?」「『繭子の儚』だ」「あの映画?」「見たのか?」女が首を振って、「若い社員が謎めいたことを言ってたの」「何て?」「私が見たら卒倒する場面の連続だって。いかにも含みありげに言うのよ?」「どういう意味なの?」「助演の蕪木卍子カブラキマンコというのが絶妙なんだが…」「その女優がどうかしたの?」「お前にそっくりなんだ」「私に?」「驚いたよ」「何もかもだ」「絶頂を迎える場面…」「まあ」「それにこのテープの声からもその肉の香りが立ち上ってくるような気がしてならないんだ」「声から?」「不思議だろ?」「あなた?」「ひょっとすると…」「…この女?…ピリカ?」「そうだったのかもしれない」
「…北の国の独立を目指すこの組織は確かにあるんじゃないかな?」「御門制を打倒するの?」「そう」「そんなことが、現実に出来るのかしら?」「そうだな。…今日日に到っては労働運動だってまんざらに進まないのに。あてどもない空論だよな」「そうなんでしょ?」
この女は萬子といい北の国の都S市のある小売の管理職。男は隣県の中小労働組合全国組織のこの地域の専従役員だ。二人とも四〇過ぎで、女は一〇数年前に男は数年前に離婚をしている。子供はいない。ある機会に知り合って三年ばかりになるが、二人が会えるのは、月に一、ニ度だ。
-性愛-
「ピリカとは何もなかったのかしら?」「どうだったかな」「随分と意味ありげなのね?」「嫉妬は媚薬なんだろ?」
「私も仰向けになるの?」と、萬子の視線が突き刺す先に陰茎がそそり立たっているのである。つい、今しがたまで膣に挿入されていたから、尋常ではない真夏の昼下がりの陽光に、原始の獣の抜き身を濡らして、無防備に晒しているのだ。剛直な陰毛が鬱蒼とまとわりついて存在を誇示している。同じ様に、萬子も桃色の脂性の肌をうっすらと湿らせて、濃密な漆黒の股間を恥じらおうともしない。四〇を過ぎた女の生理学な弛緩なのか、慣れすぎてしまった情交の果ての無様なのか、或いは、新しい情欲の前戯なのか。二人は様々に情交してきたが、この女との間に精神の交差はあったのだろうかなどと自問しながら、男は異質な情欲を眺めている。そして、女にとっても男の存在は確信のあるものではなかったに違いない。畢竟、二人は性愛ばかりでしか結ばれていなかったのである。だから、こうして互いの快楽を貪る営みは相克を重層化する悲喜劇だったのである。
「あなたの上に…」と、女の息が掠れて、「私も仰向けに乗るの?」と、気だるく漏らした。そして、テレビに映し出された男の陰部に視線を移しながら、「それをビデオで撮るの?」と囁いて、「アガペーな仕事のわりには野卑なのね」と、言った。男が膨らんだ睾丸を揺らして、「俺の仕事は国家反逆罪だからな。これくらいの性戯がぴったりだろ?」「労働組合ってそんなに野卑な組織なの?」「無理解な経営陣とのキッタハッタの抗争が商売だからね」「ヤクザみたいだわ」「そんなのが介入してくることだってあるんだ。大して変わらないよ」
-万子-
「いま…、どこに行きたいですか?」と、つい今しがた、初秋には結婚して父親の会社を継ぐんだと言ったばかりの二十歳半ばだろう設計士の女が、男の情欲を鷲掴みにする風情で不意に呟くのであった。その性器を彷彿とさせる女の豊かな唇が紅い。盛夏の湖の暮色の松の大木に背をもたせかけて、青いワンピースに隠し切れもしないこの時代の実に退屈な状況に抗わんばかりのおおぶりな乳房の輪郭を万華鏡の瞬きの様で揺らしている。
三〇前の鼻の秀でた精悍な佇まいの男は苛烈な労働運動の挙げ句に亡父に縁のあったある経営者に拾われて、今では零細な建築会社の一人きりの責任者だ。この女とは設計の依頼を前提に、四時間前に事務所近くの小さな喫茶店で初めて会ったばかりなのであったから、随分と喋り続けてはいたが酷く奇異に感じた。
ワンピースの半袖から無造作に露になった精気溢れた桃色の艶かしい油を一刷毛うっすらと引いたような腕を輝かせながら、随分と怪しい挑発でないかと感じながらも、いわゆるマリッジブルーの混濁した惑いの最中なのか、酷暑の乱気に蹂躙されて狂乱したのか、いずれにしても淫靡な情念の醗酵を想起させるあまりに大胆すぎる独白ではないかと否定したりして、問いかけの真意を図りかねた。
時折北の山塊から吹き寄せる夕間暮れの狂ったごとくの熱風に、汗にまみれたほつれ毛を乱しながら女はどんな答えを期待しているのか。若しホテルにでも行こうかとあからさまに男が誘いでもしたらどう反応するつもりなのか。だが、女は男の躊躇が映る瞳を濡らしながらその男を覗き込んで、「?」と催促をした。
「あなたは?」「どこにも行きたくない」と言った男に女は、「私?ディズニーランドだわ」
-避妊具-
湖の見知らぬ果ての砂漠の塩地のように、じりじりと照り返す駐車場に車を止めて歩き始めると、一陣の熱風が吹きつけて、薄いワンピースがまくれたから桃色の太股が豊かにさらけたその時、一葉の写真が女の足元にまとわりついたのである。取り上げた女は、みるみる、耳朶までを紅潮させて暫く眺めていたが、やがて、弾む息を圧し殺しながら男に手渡したのは、あからさまな交接の場面なのだった。
二人は松林の小道をうねうねと無言で湖に向かった。中途で、男女の二人連れとすれ違った辺りから女が先に立ったから、左右に乱舞する豊かな尻が男を先導するのである。
やがて、倒れた巨木に並んで座った二人の視線の彼方は、対岸が霞んで見えない北の国では屈指の湖だ。男が燻らす紫煙が女の顔にたなびいて、すると、目を落とした銀箔の砂浜に桃色の物体が落ちているのを女が指摘した。「避妊具だよ」「…どうして、そんなのが落ちているのかしら?」「ここは猥雑な湖水浴場から離れているから逢い引きには格好なんだよ」「知っていたの?」「有名な話だろ?」「知らなかったわ」「去年の夏に世間が騒いだじゃないか?」「何だったかしら?」「離れられなくなった男と女の…」「何の話なの?」「性器が抜けなくなって…」「…あれが、ここだったの?」「」「知っていたのか?」「母が…」「何て?」「男女の仲は鬼気怪怪。結婚も近いんだからあなたもしっかり自戒なさいって」「賢母だな」「そうかしら。フシダラな秘密を隠している女よ。あら?不用意だったわ。ご免なさい」「辺りを探したら、もっと際どいのが落ちているかも知れない」「どういう意味?」「男と女の夢のような所業のなれの果てには何だって忘れてしまうだろ?」「どんな景勝も浅ましい情欲で汚されてしまうのね?」「不条理なんて人の世の習いじゃないか?」
「それにしても随分とうっとうしい色だわ」「欲望の代弁者だからね」「でも、何か変じゃないかしら?」「何が?」「イボイボが付いてるわ」「そうだよ」「当たり前のように肯定するのね?どうして?」「…そんなのがあるんだ」「知ってるの?…使ったこと、あるの?」
「結婚されてるの?」男が頭を振って、「あった」「まあ、私ったら。ご免なさい。でも、…奥さんと使ったこと、あるんですね?」それには答えずに、「『嘘つき女の膣の疼き』という舶来の避妊具だよ」と男が言う。「すさまじい名前だわ」「だから、国産のよりは随分とふたまわり位は大きいんだ」「どうして?」「外国人のは大きいだろ?」「異国の話なんて知らないわ。でも、どうしてあんなイボイボがついてるのかしら?」「女の性感がいっそう高まるんだ」「そう信じられている、らしい」「らしい?」「当事者じゃないもの。身勝手な推測かもしれない。有り体に言えば、内壁をあの突起が刺激するじゃないかな?付いてないものより気持ちが良いんだよ、きっと」「いったいどんな風になるの?」と、女が声を潜めると、男は水平線に目をやって、「悶絶するのかも知れない」と、ある年嵩の女の表情を思い浮かべながら呟いた。
その横顔に、「…奥さんもそうだったの?」答えない男に、「中に何か入っているわ」「…精液だろ」「…あんなに、いっぱい」「未だ生暖かいみたい。あの中で精子が泳ぎまわっているんでしょ?」「きっと、つい今しがたまでしていたんだよ」 「ここで?」と、女はたった今に気付いた如くに、「…さっきのあの人達かしら?」「そうかも知れない」「でも、どう見ても親子…。それ以上に離れていたんじゃないかしら?」「そんなのは幾らでもあるじゃないか?」
「…何か付いてるわよ?」「どこ?」「あそこでしょ?」「わかった?」「何かしら?」「陰毛だろ?」「抜けたの?」「どっちのかしら?」女が立ち上がって、「あの人達、どんな関係だったのかしら?」と、言った。
「あれを見せて?」男が写真がを渡すと、しげしげと眺めていたが、「初めて会った日にこんな会話をするはめになるんだもの。私達って何だか淫らな因縁でもあるのかしら?」と、呟いて、「こんなの見るの、初めてなんだもの」「あなたは?」「あるのね?」「どうして、こんなのが落ちていたのかしら?」と、言う。「どんな人が何のためにこんな写真を撮るのかしら?」「訳は色々だろ?」「欲望はきりがないからね」「欲望?」「性欲だよ」「まあ。あからさまな物言いだわ」「厭ですか?」「そういう人って意外と淡白なんじゃないかしら?」「どうかな。…写真は売っているのもあるし…」「そうなの?」「二人で撮ったり…」「誰かに撮って貰ったり…」
-指南-
女が、「昨日の皇太子の婚礼、見ましたか?」と、聞くから男が頭を振ると、「満子様の初夜はどんなだったのかしら?」と、女は言うのである。「だって、散々にからかわれたんだもの」「万子って…。私の名前でしょ?」
男は確かに女から名刺を受け取った時に、気がとられてはいた。「私って、マンコなんて。妃と名前が同じでしょ?」「マンコって女性器の呼称なんでしょ?」「それに私も結婚が近いから…」「事務員や友達に何かにつけて冷やかされて…」「満子妃にあやかって気品高い初夜にしなきゃ駄目よ、とか…」「前戯は大事だけど、初めから舌を使ってはふしだらを疑われるわよ、とか…」「事務員の人は三度も結婚していて。今は独り身なんだけど、一〇も若い恋人がいるのよ。結婚や恋愛の真髄は身体の相性、閨房、床の絆が大事なのよ、何て、平気で言うんだもの。女って、おばさんになるとどうしてあんなに露骨になれるのかしら?」「幾つなの?」「四一だったかしら?」「女の良さは四〇を越さなきゃわからないのよ、なんて言うのよ。そうなの?」「熟した果物はは旨いって、言うだろ?」「そんなのが好きのだっているじゃないか?」「そうね」
「その人の裸、見たことあるの?」「しょっちゅう温泉に行くもの。豊満で…」「崩れてるの?」「そんなことはないわ」「そうだろ?」「でも…。股間が黒ずんで…。盗み見を見咎められて。じきにこうなるわよって言われたわ」
「すっかり裸を見せちゃ論外とか…」「男の人のを舐めるのは存分に頃合いを見図るのよ、とか…」
離婚した男は男は一年近くも交接を絶っていた。ある猜疑が確信に変わり不信に変化して、女全般の無関心に転位しようとしていた。だから、別れた女と同質なものを見る目でこの若い女を見ていたのであった。「ある程度は拒まなきゃ。それが慎ましさだわ。でも、拒みすぎはいけないのよ。そこら辺の塩梅が肝心なの、とか…」「処女なんだから痛がるのは常識だけど、痛がりすぎても興ざめよ、とか…」「いくら良くてもよがり声なんかあげては育ちが疑われるわよ、とか…」「そんな時は袖口を噛んで堪えるのよ、とか…」「皇宮は世継ぎをもうけるのが仕事だから毎晩励むけれど、しもじもは暮らしが一番。そんな呑気は言ってられないのよ。会社も今が正念場なんだもの。避妊も大切なのよ。どんな計画なの?とか…」「女は天性の嘘つきなんだもの。何だって演じれるんだから気に病むことはないわ、とか…」「まるで私の性根を見透かしているみたいなんだもの」
-秘湯-
「本当に傍迷惑な話なんだもの。ねえ?」「皇族みたいなあんな浮世離れな人達の閨房って…。本当、どんなことをしているのかしら?」答えない男を見かねて、「そんなことばかりじゃないのよ。また、あのおばさんが言うんだもの」「何だって?」「あなたは風呂が好きだけど、初夜から一緒に入っては絶対にいけないわよ。秘密も女の魅力の内なんだからとか…」「風呂が好きなんですか?」と、男が遮ると、「温泉が大好きなの」「どんな?」「断然、白濁した硫黄泉だわ。それに鼻をつく、きついあの臭いが堪らないの。傷口だってたちどころに塞がるし。酷い傷心にだって効能があらたかみたいな気分が湧くんじゃないかしら?」「そうだな」「あなたも?」
「どこが良かった?」「…やっぱり、『孕みの湯』が断然かしら?」「聞かないな。どこにあるの?」「北西の県境を越えたばかりの、すぐの隣県側なの。国道から逸れたらうねうねと北の山脈をうんざりする程にわけ行って。終いには車も行き止まり。一〇分ばかりを歩いて。渓谷の吊り橋を渡って。ようやく粗末な一軒ばかりの、それはそれは、名が示すばかりの秘境の湯治場なのよ」「知らなかったな」「去年の秋口に行ったんだわ。それから先は閉館する、紅葉錦が真っ盛りのそんな頃だったのよ」「婚約者と?」「あなたって、どうしてもそんな風に思ってしまうのね?結婚してる人は性との距離が近すぎるんじゃないかしら?」「お門違いだわ。私達、未だそんな間柄じゃないんだもの」「極めて潔白なのよ」「信じられないのかしら?」「そんなことはない。信じますよ」
「だから、女友達に誘われて二人だったわ」「小春日和の日輪の下に、だだっぴろい岩盤にそれを切り掘った露天がニ〇ばかりあって。真ん中に大浴場がもうもうと湯煙を立てているの。それはそれはむせかえるばかりの硫黄泉なのよ」「目の前は県境の奇形な松の木などを蓄えた断崖絶壁で、何十条もの湯瀧が、ちらちら、どうどう、もうもうと流れ下る様は、きっと、どこだって見られないに違いない奇景だわ。あんなに野趣にとんだ温泉はそうはないわね」
「掘っ立て小屋で衣服を脱いだら、やっぱりきつい寒気だもの。毛穴までちじこまって。一番近くの湯壺に飛び込んだわ」 「暫くして。そしたら何だか、声が飛んできたの」「誰もいないと思っていたから、友達と顔を見合わせていたら、また、妖しい叫びが風に流れてきたわ」「そっと湯壺を出て、大浴場にひっそりと身体を沈めて。もうもう立ち込める湯気の中を切れ切れの声を手繰って行ったら…」
「突然に湯気が切れたと思ったら尻が現れたんだわ」「豊かな尻が何かに股がっているんだもの」「…そしたら、尻の下敷きになった足が見えて…」「…していたのよ」「…見えたんですか?」「すっかり見えてしまったんだわ。全貌の細々、一切なのよ。だけど、私たちのせいじゃないでしょ?」「あんな所で。あんな大自然の真っ只中なのよ。しかも、昼日中なのに。あんなことをしている人達が罪なんじゃないの?」
「大層に気に病むことはないですよ」「どうして?」「その者達が露出狂の患者だったのかも知れないじゃないか?」「露出狂?」「人に見せて見られて。そうでな
いと快楽を得られないばかりか、勃起もしない。そんな人種がいるんですよ」「瘋癲病院から抜け出してきた患者と女医だったのかも知れない」
「何でも知っているのね?」「猟奇小説の受け売りです」「誰の?」「了奇人ですよ」「あの覆面作家の作品は格別ね」「知ってるんですね?」「愛読書だもの」「これは嬉しい。そんな女性と巡り会うのは初めてだ」「私もだわ」「彼は別格です。お気に入りなんですか?」「あらゆる禁忌などものともしないでしょ?」「猟奇は装束、手法で、あの人の本質は反御門、反権力、北の国独立の確固たる思想家だからね。反骨の筋金入りの民族主義者なんだ」
-闖入者-
その時、砂浜の北に忽然と現れた二人連れがいきなり抱き合って口づけを始めたのである。情欲に焚き付けられてしまって景色などは度外視なのか、辺りを憚る様子などは微塵もないが、若ければともかく、五〇廻りの二人連れなのである。
気づいた女が、「あなたの言った通りね」と、顔で示して、「早速、情欲の化身がお出ましなんだもの」「私達に気付いていないのかしら?」「今にわかるよ」
すると、視線の先で男の股間をまさぐっていた女が膝まずいたかと思うと、逸物を引き出してしゃぶり始めた。「あなた見てる?」と、女が実況を丹念に語り始めたのである。
だから、視線を凝らすのだが、男には、未だに、ただ抱き合っている風にしか見えない。いったい、この女は正気なのか、男に、再び、疑念が走ったが、咎める術があるわけでもなし、これまで通りに同調した振りを続けるのも一興だと思い定めて、「やっばり、あの手合いだな」と、呟くと、「あなたが秘湯で見たという…狂人?」と、返す。
「色情狂だよ」「だったら、私達にわざと見せつけているね?」「あの二人にとっては唯一の治癒法なんだ」「それが快楽を得るための最後の手段になってしまったんだろ」「あんなにしてまで、どうして隆起させたいのかしら?」男は答えない代わりに煙草に火を点けると、「あら?」と、男を小突いて、「大きくなり始めてるわ」と、女が急かす。
「凄いわ」と、「あんな人が本当に不全の病人なの」「だってぐんぐんといきり立って…」「あなただって見えてるでしょ?」「ほら、だんだんとそそり立っていくでしょ?」「垂直によ?」「とうとう臍まで届いているんだもの」すると、女の身体から芳紀な香り、若い盛りの肉の香りが立ち上ってきて男の神経を刺激する。今、抱き寄せたらこの女はどんな反応を示すのだろうかと、動機と逡巡がないまぜに駆け巡る。
「色は?」「見えるでしょ?」「視力が弱いんだ」「残念な人ね」「だから?」「褐色だわ」「どうしてあんな色になのかしら?」「それぞれだろ?」「それだけの訳なの?どうして?だって赤ちゃんのって綺麗でしょ?」あなたのはどうかしら?」
「陰毛がいっぱい…。あんなところまで生えているのね?」と、女が追い討ちをかけて、「あの人が特別なのかしら?」「みんなそうなのかしら?」
「恋人のは?」「そんなのいないわ」「そうか。婚約者だったね?」「婚約者は婚約者でしょ?」「それだけの関係なんだもの。私たちは潔癖だって言ったでしょ?」「このまましてしまうのかしら?」「するんだろ?」「そうなの?」「しないで女は収まるのかな?」「あの人?…女全般?…それとも私?」「だったら?」「どうなのかしら?」
「あの人だわ」と、女が呟いた。「あの人の顔を見て?」「どう?」「似ている…」「そうでしょ?私に瓜二つでしょ?」「あの時も驚いたんだもの。きっと秘湯にいたあの人だわ」「間違いないのか?」「違わないわ」いつの間にか万子のワンピースがめくれて太股の付け根の下着の色までが男に発見されて、その色は女の本性が乗り移ったばかりの極彩色なのである。この女の股間は濡れているのではないかと妄想しながら、「この世には似ているのが三人はいるって言うだろ?」だが、万子はその豊潤な女の放埒な尻の動きには見覚えがある、確証がある、秘湯のあの女に違いないと言うのである。「あの女だったらきっと陰毛がない筈よ」と、女は断定した。だが、それを確かめる術はない。間もなく、釣り人のひと群れが現れると、その番いはそそくさと跡形もなく姿を消してしまったのであった。二人はまるで共通の幻覚から覚めた脱け殻のように、灼熱の湖に佇んでいた。
-『蜜の城』-
確かにこの万子という奇妙な名を持つ女に幾ばくかの欲望はあると、男は感じてはいる。万子の容貌は男の食指を動かす程度のものだったし、淫らに躍動する尻も重い乳房も、股間の茂み、喘ぎの姿態すら妄想もできるが、半日にも足りない会話ばかりでこの女の何を知ったというのだろうか。それに、女の話は綺談とみがまうばかりの、すっからかんの作り事で、女はこの陽気に当たってしまって、瞬間的に気が触れているかもしれないではないか。だが、或いは、女という生き物の、と、妻の、何事かに浮かされたばかりの、視点の定まらない瞳を思い起こしながら、その真相にたどり着くことなどは容易に叶うものではないのだ、或いは、この性はその道に凡庸な自分などにとって永久の謎に閉ざされているのではないか、と、思ったりもする。だったら、精神を放置したこの女の肉体だけを抱こうというのか、抱けるのか。もしかしたら抱けるかも知れないとも思った。だが、婚姻を目前にして錯乱した女などとは、どうしても交合などできるものではないではないか。きっと、勃起などする術もないのである。男は煩悶していた。この男は妻の背信を悟ってしまった当事者で、半年も不全を患っているのである。
すると、結論がないままに、「来る時に三角屋根の建物…」と、男が、「黄色い屋根の、ありましたよね?」と、女も見ずに、思いもかけなく口走ってしまったである。さしもの灼熱の恒星も湖に落ちようとしている。「…確か、『ハニー…ランド』?」と、女が繋ぎ、「そう。…蜜、それだ。あれは何ですか?」と、続けて、「さあ…」「『ランド』ですよ、ね?」女が頷いて、「…かしら?」と、一陣の涼風に言葉が紛れ、黒髪がほつれて、汗の浮いたうなじの淫靡を露にして見せた。
そんな、お伽噺の作り事のような理由で、初対面の挨拶を交わしてから僅かに五時間ばかりしかたっていない二人が、綺談の作中人物のように、モテルの門を潜ったものである。
-真夢子-
そして、何とここはその『ハニーランド』の一室なのである。夢幻のように立ち去ったあの湖の男女がそこにいた。
「真夢子?」「ん?」と、肉厚な性器に酷似した濡れて紅い唇を離した女が、膣を巧みに収斂させるから、「どうしてそんなことが出来るんだ?」「ん?」「亀頭だけに絡めてるんだろ?」「何を?」「この奥の、ほら?」「これ?」「性器と性器がほら、こんなに饒舌じゃないか?」「あなた?」「そんなところの構造は私自身だって知らないのよ?」「私の深層の真実を熟知してしまったのはあなただけなんでしょ?」と、首筋に唇を這わせる男の背に爪を立てながら、「あなた?」「思いのままにひっ掻いてもいい?」「気にかけるなよ」「消えない程の傷がついても後悔しないかしら?」「好きにすればいいんだ」「これ、湖のあそこで射精したかったんでしょ?」と、男の感応を見極めながらジワジワと爪を走らせて、絶え絶えに耳朶に囁く女に、「お前だって、だろ?」と、陰茎を反応させると、「こんなに性器と性器が饒舌なんだもの。いつもより、ずっと卑猥だわ」と、女の内壁が密やかに淫らに波うって勃起にまとわりつくの
である。
「あれって気が遠くなるばかりに愉快だったけど。とんだ闖入者達のせいで残念だったわね?」「良かったか?」「だって、久々だったでしょ?あの緊迫したはらはらは身体中の動悸に電気が走って。例えようもない刺激なんだもの」「俺達の倒錯の極限かも知れないな?」「あなただっていつもより硬直していたでしょ?」「中枢に鋼が打ち込まれたみたいだった」「あの人達もさぞかし驚いたでしょうね?」「存外楽しんでいたんじゃないか?」「俺達だってそうだったろ?」「一〇年前のあの時ね?」「そう」「堪らなかったわ」
「そういえば湖のあの豊満な女。お前に似てたんじゃないか?」「そうでしょ?私も驚いたわ。若い頃の私に出会ったかと思ったくらいなんだもの」
身体を入れ換えて男に股がった女が、「奥さんとはとりたてて別れなくていいのよ」「あなたたち夫婦のいかような葛藤も、私とは一切無関係なんだし。そんな愛憎の果ての因縁業苦の諍いには全然興味はないんだもの」「どうせあの人とではこんな風には勃起もしないんでしょ?」「してないって言ったろ?」「可愛そうな人」「それが割りとそうでもないんだ」「そうよね。どう見たって間男されるような様相じゃないのに」「みるも無惨に裏切られてしまったんだもの、ね?」「友人と抱き合っている妻をたまたま目撃するなんて、小説に書いても受ける話じゃないでしょ?」「もうあなた達は破綻してしまったんだもの」「私とだけこうして秘密の遊戯をしてくれるなら、他には何も望まないわ」
女は真儚子といいある小売の管理職。男はある労働組合の専従役員だ。二人とも四〇過ぎで、女は一〇数年前に離婚をしていて男の婚姻は崩壊寸前だ。互いに子供はいない。
ある機会に知り合って一〇年になる。最初は一月の情交の果てに別れたが、再会して一年になっていた。
「一〇年ぶりに俺達は再会したんだ。古い火の燃え残りから発火した業の炎火に焼かれているんだ。お前に溺れてるんだよ」「まあ。相も変わらず口ばかりはお上手なのね。だったら私の何に溺れてるの?」「この豊満な俺好みの身体に決まってるじゃないか?」「少しばかり肥りすぎじゃない?」「これがいいんじゃないか?」「あの頃よりは崩れてない?」「その爛熟した肉なんだよ」「肉?」「この身体は肉そのものなんだ」「この尻、乳房、盛りあがったこれだって…」「あまりに直載な表現は厭だわ。少しは修辞もなさいな」「修辞?それでもいいけど。詰まるところはみんな肉の権化じゃないか?」「乙女とは言わないけど。私だって健気な女なのよ」「身体は酷く熟れてしまったろ?」
「だったら奥さんはどうなの?」「あら。私ったら。夫婦のねやを無遠慮に覗こうなんて。醜悪な趣味に溺れるところだったわね」「私、自立した世界に生きているんだもの。誰彼に嫉妬する謂れもないし。私、その人には何の関心もないんだもの」
すると、性器で繋がっていながら性愛などはいかにも脆弱な絆に過ぎないのか、女の連続した傲慢な物言いが、たちどころに男の琴線を屈折させて自尊心を昂らせたから、女の唇を奪って乳房を蹂躙しながら尻の割れ目に分けいると、「あなた?」「そんなところにまで指を入れたら…」「痛いのか?」「だったら厭じゃないんだろ?」「これは?」「だから思い出してしまうでしょ?」「何を?」「もう甘美な過去を引き寄せたんだろ?」「どうして?」「締め付けてるじゃないか?」「知らないわ」
「痛くないわ」と、女が切なげに呻く。「俺だけなんだろ?」「何が?」「ここを知ってるの?」「そうよ」「そうかな?」「当たり前でしょ?」「…絶対にしてないわよ」「こんなに危うい快感なんだもの」
「私って変わったでしょ?」「時間は残酷だな?」「とりわけて最盛期に魅惑を振り撒いた女にとっては、時は老化の無慈悲な執行人じゃないか?」私のことなの?」「熟成の最期には悲哀だって漂うだろ?」「…私がそんなになってしまったって言うの?」「自分で言ってたろ?」「何て??」「陰毛に白髪が混じってる、って」「そうだったかしら?」「だから俺が確かめたんじゃないか?」「あったの?」「抜いてやったろ?」「…そうだったかしら」
「でも、一〇年の年月ばかりが爛熟の理由じゃないだろ?」「あいつに散々弄ばれたからじゃないのか?」と、乳首を撫でられながらさりげなく吐露すると、「あなたって厭な言いぶりをあからさまにするのね?」と、女が驚きとも抗いともつかずに呻いた。「事実じゃないか?」「だって、そんな過去には触れない約束でしょ?」「それに三年も前に別れてるのよ」「それからは律儀な独り身だったんだもの」「それって煩悩が鎮まるには充分な時間だったとは思えないのかしら?」と、尻を揺らして、「それとも私の告白の悉くを信じていないの?」
「そればかりかそんな大昔の過去に嫉妬してるの?」「当たり前だろ?」と、乳房を鷲掴みにして、「あんな不条理な別れ方をしたんだ」と、揉みしだきながら、「拘泥するなと言う方が無理強いじゃないか?」
「だったら一月前の俺の誘いにどうして応じたんだ?」「どうしてかしら?」「これが忘れられなかったのか?」と、子宮をつつくと、女が、「喉が乾いたわ」と、呻きながら、また膣を獣の本能のように痙攣せた。
「あなた?」「あれは何なの?」「天狗の面だろ?」「それはそうだけど…」「変わった塑像だと思わない?」北側の一面の壁に巨大な天狗の面が造られていて、勿論、あの突飛な鼻も一メートル程も異様に突き出ているのである。「あの脇に何か書いてあるんじゃないか?」
すると、身体を起こして見に行った女が、男の脇に再び滑り込んで、「あの鼻に股がるんだって…」「天狗の鼻は男性器の象徴だから懐妊のご利益があるっていうのよ」「それに…」「性感が豊かになるんだって…」「大昔にこの辺で栄えていたバンダイ族の伝誦にあるらしいわ。山の神と交わった村娘の話よ。その娘は醜女だったんだけど情交のご利益で子沢山の幸を恵まれたんだって。本当かしら?だったら試してみようかしら?」「子供が欲しいのか?」「あなたの?」「俺の?」「冗談だわ。そうじゃないの。股がったまま半身を倒して腹這いになると、眼の辺りに穴が開いているのよ。誰かに覗かれているんじゃないかしら?」
諸氏よ、驚くなかれ。またもや、その『ハニーランド』の一室なのだ。鎧戸が閉まるのも待ちきれずに、一組の男女が互いの存在を呑み込む勢いで抱き合ったのである。
-尻-
やがて、あの草一郎に股がり互いの性器と両手の全ての指を汗まみれに絡めて、背を反らせたその女は背徳の綺談でいささか世情を騒がせたあの因縁の女、『義兄妹の儚』を妖しく彩った、男の義理の妹、そのニ〇数年後の卍子ではないか。一七のあの時ですら口の端に上る程に豊満ではあったが、今ではすっかり爛熟した尻を淫らに乱舞させて、かつて馴染んだ陰茎を狼藉しながら、「松林の中で覗いていたあの人達…」「あの女か…」「私にそっくりだったでしょ?」
開け放たれた西側の窓の眼下には炎天のその松林と湖の遠景が広がって、時折には湖面を渡った僅かばかりの風がカーテンを揺らしたかと思うと、女のほつれ毛をそよがせたりもするが、狂気にかられた暑さだから二人は互いの汗にまみれているのである。
卍子が張りつめて重い乳房を無作法に揺らしながら、「昨日の皇太子の婚礼、見た?」と、言い、淫奔な肉の躍動を見上げた男が頭を振ると、湿った陰毛をジリジリと擦らせながら、「満子様の初夜はどんな有り様だったのかしら?」と、厚い脂肪に被われた恥骨をぶつけるのである。「だって、みんなに散々揶揄されたんだもの」「何を言われたんだ?」「卍子って世界帝国を夢想した独裁者に因んで、狂った父親にこんな猥褻な名前をつけられた上に、天下公知の猥談の素材におとしめられるなんて…」と、息を切れ切れにして、「あなた?」「あなたったら?」「どうしたの?」「何が?」「だって。不意打ちなんだもの。予言もなしにそんなところにまで指を探ったら…」 「久しぶりだろ?痛いのか?」女は無言だ。「だったら厭じゃないんだろ?」「これは?」「だから、そんなことを始めたらあの日の記憶に戻ってしまうでしょ?」「厭なのか?これは?」と、異邦の肉を確かめるように再び男の指が蠢くと、「…不思議な程に痛くないわ」と、卍子が切なげに呻くのであった。
「そればかりじゃないだろ?」「お前のここは特殊なんじゃないか?」「そう言われたわ」「誰にだ?」「馬鹿ねえ。あの時のあなたじゃなかったの?私の身体の深奥には別な私が潜んでいるんだって…。異形だって。息を殺して棲んでいるんだって。そう言ったでしょ?」「そうだったかな?」「随分と無責任な吟遊詩人なのね。あれからどれ程の女体に怪しげな呪文を囁いたの?」
男は答えない代わりに、「こんな愉楽の賜物の遊戯をあの亭主とはやらないのか?」「…そんな。こんな昼日中に情欲を丸ごと発露できるほど、あの人はあなたみたいには野卑じゃないのよ」「だったら夜半は途方もなく貪欲な獣に取りつかれるんだろ?」「相変わらず執拗なのね?」「執拗も嫉妬すら露にしてもお前とは平座なんだ。自尊もない。お前にだけは体裁を繕う必要がない。心を許せるんだ。なにせ妹だからな」「義理だわよ」「それがいいんだろ?違うのか?」「義理の絆と他者の血が混在しているのね?」「混沌とした気分だろ?決して裏切れないし、すっかり自由でもいられる。特別な関係なんだ」「あなたが教えてくれたんだわ。北の国の始祖のひとり、女王イワキと義兄のオサの話ね?」「義兄妹だ。古の悪霊達が作ったこの上なく強靭な絆。性の極致。俺達の関係もそうだろ?」
「…絶対にしてないわよ」「真相か?」「…だって、あの時に二人切りで約束したでしょ?。私はこんな女だけどあなたとのたった一つのあの契りだけはおろそかにはしてないわ。だから、決してさせてないもの。そこはだって、あなたとだけの極秘の世界なんでしょ?」
「私達イワキの戦の神、北の国の鬼の元祖、アブクマをノリカがここから産んだんでしょ?」「覚えていたのか?」「あんな衝撃だったのよ。忘れるわけがないでしょ?」「今日みたいに異様に蒸し暑い、高校最後の夏休み。フラりと戻ってきて一年ぶりに再会したあなたが…。私がノリカの再来なんだって猥褻に囁いたんだわ。この秘密は世界の実存の総量よりより大事なんだって。言ったでしょ?」「ノリは国興しの儀式で、山の神、風雨の神、雷神達に、前とここを次々に犯されたんでしょ?」「その伝承に似せられて私はあなたの生贄になったんだわ」「それとも、私がした約束なんて、はなから信じていないのかしら?」
「だったら、あなただって?」「奥さんのにもしてるんじゃないの?」男が指の動きを止めて、「俺の結婚は失敗だったんだ」と、溜め息をついた。「どうかしたの?」「奥さんは?」「実家に帰ってる」「また?」「今度は決定的だな」「何があったの?」男が、「…あいつに男がいたんだ」と、絞り出して、「嘘じゃない」と、恥辱を重ねた。「あんな女が?不義密通の主人公になったって言うの?」「俺にも信じられない」「馬鹿馬鹿しくて話にもならないわ。だったらこれからどうするの?」「ここに到ったら一緒にいる理由なんて微塵もないだろ?」「別れるに決まってるじゃないか?」「未練はないの?」
「私もかも、知れないわ」「どうして?」「あの人は今でも子供を望んでいるんだもの」「諦めの悪い奴だ」「あなたは観念したの?」「こんな状況に受胎させる奴なんて愚かな罪人だよ」「そうかしら。私は自然に懐妊しないだけだけど」「それはそれでいいんだけど」「結局はその自然の有り様をあの人は認められなかったんだわ」「女は?」「わからない。私は疎いのかも知れないけど」
「それでも、この身体を許してるんじゃないか?」「今は海外だわよ」「そうだったな」「半年になるわ」「一度も?」「帰らない。手紙すらないのよ」「お前は?」「私もうんざりだわ」「あの人は退屈すぎるの。それに…」「粗末なんだもの」「何が?」「これ、よ」「お前のこれが巨根好みなんじゃないか?」「あなたのに合わされてしまったんでしょ?」「満足できないのか?」「あっという間だし…」「いっそのこと、何もしない方がましなくらいだわ」「だから、言ったろ?」「私だって冷厳に忠告した筈よ」「そうだったな」「どうなの?」「何が?」「私のこれ、だわ」「格別だ」「私のが?」「俺の、だろ?」「やっぱり、義理の兄妹の契りに勝るものはないのかしら?」「情欲の原初だからな」
「だったら、また自由に二人きりになれるのね?」「あの頃が最良の日々だったような気がするの」「そうかも知れない」「私達にはこんな不格好な世間なんていらないんだわ」「だって義理の兄妹の関係なんて、そもそもが異端なんでしょ?」「所詮はこの社会には棲めないんでしょ?」「古代の御門制の悪夢だな?」「そうよ。だったらどこかの森の深奥で、二人きりで睦みあっているだけでいいんじゃないのかしら?」
「私ってあの人と名前が同じでしょ?」「傍迷惑だわ」「ねえ?」「あんな雲上の人達って…」「どうなのかしら?」「何が?」「やっぱり、こんなことも上品なの?」「私達みたいに、こんな昼日中にも、汗まみれになってしているのかしら?」
-陸奥-
「はい。みなさん。ごきげんよう。自称『おんな解放の象徴、北国の聖女マリアこと、異端のピリカ』です。森羅万象大好き、好奇心旺盛。一期一会を求めて神出鬼没。人騒がせな恋多き女だけど永遠の処女性、秘密の聖女よ。よろしく、ね。今日こそは本名はを明かす約束でした、ね。私の戸籍名は…マンコなの、よ。如何?驚きびっくり驚愕の展開でしょ?」
「さて、本日は、独裁政権の専横と弾圧が強まる状況から、私たちの運動の転換を指導して頂いている極めて重要な賓客をお迎えしました。近年、数年に渡って学生運動が世情を揺るがしましたが、経済人でありながら支援を惜しまず、政局激動の差配人とか、極左の黒幕と噂されている方ですが、公の場に姿を現すのは初めてです。但し、今日の情勢ですから保安上の理由で陸奥さんと、仮名でお話を伺います。陸奥さんは実は、古代に北の国の南西部で勇名を馳せたイワオニ族族長の末裔でもあります。陸奥さん。ようこそ」「陸奥です。宜しく…」
「さて、まずお伺いしたいのは全国学生協議会、全学協との関係です」「あなたとは長らく昵懇で、折角の機会を得ましたから。今日こそは初めて真相を話しましょう」「嬉しいわ。あの事件以来のお付き合いですものね?」「さて、私はそもそもが反御門、北の国独立の民族主義者ですからね。それに中小企業の経営者ですし。学生諸君の社会主義とは経路が違うんですが…」「事業の方は?」「戦前に親父が作った工場で。戦時中は銃器や手榴弾などの部品を製造していました。いわば時流に迎合した武器商人ですな」「事業を引き継いだのは?」「戦後まもなく。父が急逝しまして。今は設備機械の部品を作っていますが、あの報道以来、一線からは引きました。悠悠自適、全くの自由人。あなたと同じですよ」「何をおっしゃいますやら。私などは、未だ足許にも及びませんもの。さて、学生運動との関わりは?」「全学協の唐沢君と出会いましてね。何故か意気投合したんです」「彼は昨年に自裁しました。どんな方だったんですか?」「あの死は断腸の限りです。彼は豪胆でしたが、実に繊細でしたね。徹底した合理主義者だった、とも言える。政府を震撼させるような大胆な決断を随所でしましたが。実に綿密な検討を欠かしませんでした」「相談もあったんでしょ?」「初めて明かしますが。ありました」「お話しいただけますか?」「最も緊迫したのは、総統暗殺…」「暗殺?」「そうです。計画書を見せられました」「どうしたんですか?」「合意しました」「それで?」「しかるべき軍資金を供与した」「おいくら?」「それは言えません」「残念ですわ。それで?」「唐沢くんは実行部隊を編成して。責任者は…」「おっしゃって?」「やっぱり駄目だな。未だ危険が多すぎる」「意地悪なのね。わかりました。それで?」「官権の、秘密公安組織ですが、追っ手が迫ってきて某所に緊急避難したわけだ」「何処ですか?」「チチブ」「詳細に?」「倫宗の教団施設です」「あの草也の?」「そう」「まあ。それで?」「ある女と出会ったんです」「先生?」「ん?」「その女、典子じゃありません?」「そうなのね?」「確か、そう言った…」「子供を産んだわ」「それは知らなかったが。君は?」「私は典子とは中学の同級なんですもの」「そうだったのか。『宗派の儚』の続編が書けそうですね」「私がですか?」「おやりなさい。あれは志のある者が書き継いでいくという、前代未聞奇想天外の綺談なんです」
「私は六〇を越えましたが。今まで始祖の発祥の地には何の関心もなかったばかりか、そこがどこかさえ知りませんでした。ところが、昨年の夏に、了奇人君から手紙を頂いたんです」「勿論、自分がイワオニ族だとは知っていました」
「北の山脈の奥の奥、幹線から離れて幾つもの部落を過ごして辿り着いたのが、イワオニ族の始祖の地。今では幾つかの巨石で造られた交合神がに残るばかり。そこから八曲がりの難所を経て、あとは車が入れない。歩くこと一五分。行き止まりが『孕みの湯』です」「交合とか孕みとか、意味ありげな?」「そう。了先生のお話では、イワオニ族の古代信仰はアミニズムから派生した性器崇拝だったのです」「性器崇拝?」「そう。ヒトの誕生の根源、命の源。男女和合の原則。部族繁栄の礎…」「それが性器?」「そう。あなたが提唱している性の解放運動の基盤にもなるものだと、私は考えていますよ」
「小春日和の日輪の下に、だだっぴろい岩盤に、それを切り掘った露天がニ〇ばかりあって。真ん中に大浴場がもうもうと湯煙を立てて。むせかえるばかりの硫黄泉…」「目の前は県境の、奇形な松の木などを蓄えた断崖絶壁で、何十条もの湯瀧が、ちらちら、どうどう、もうもうと流れ下る様は、きっと、どこだって見られないに違いない奇景なんだ。あんなに野趣にとんだ温泉はそうはない」「掘っ立て小屋で衣服を脱いだら、やっぱり、きつい寒気だ。毛穴までちじこまって。一番近くの湯壺に飛び込んだ」「暫くして。声が飛んできた」「誰もいないと思っていたから。するとまた、妖しい叫びが風に流れてきた」「湯壺を出て、大浴場にひっそりと身体を沈めて。もうもう立ち込める湯気の中を、切れ切れの声を手繰って行ったら…」「突然に湯気が切れて視界が晴れたと思ったら、尻が現れたんだよ」「まあ」「豊かな尻が何かに股がっている」「…そしたら、尻の下敷きになった足が見えて…」「…していたのね?」「そう」「…見えたんですか?」「すっかり見えてしまったんだよ。全貌の細々、一切」
「その時の女とあなたが瓜二つなんだ」「そうだったんですか?」「驚くだろ?」「驚いたわよ」「そうだよな」
「皆さん?今、私達がどんなところにいるか、判るわけがないわよね?」「教えたらいいよ」「そうね。実は、『ハニーランド』という、官能の館にいるんです」「ここを創ったのはあの了奇人ですよ」「あの覆面作家ですね?あの作品は格別ね」「別格です。お気に入りなの?」「あらゆる禁忌などものともしないでしょ?」「あの男にとって、猟奇は単なる装束、手法に過ぎないんだ。あの人の本質は反御門、反権力、北の国独立の確固たる思想家だからね。筋金入りの反骨の民族主義者なんだ」「あなたと一緒じゃないですか?」「彼はイワセ族だけどね」
「先生?今日の状況は?」「実はね…」「はい?」「私は逃避行なんだよ」「まあ」「政府の公安機関の目を眩ませてね」「ビックリしましたわ。いつもの事じゃありせんか?」「まあ。その満子妃に瓜二つの人とゆっくりしたくてね」「私のこと?」「あなたとなら本望だわ」
-終り-
異端の夏総集編