異人の儚6️⃣

異人の儚6️⃣


-既視感-


 夜来からの雨が上がったその日の昼近く、蝉時雨のあの浜で少女はやはり叫声をあげた。
 ひとしきりり泳いで鳴き砂の浜に戻ると、男は当たり前の様に、いかにも旨そうにウィスキーを飲み煙草を吸う。少女も何も言わない。太陽と大海原しかない真昼に、男の仕草がいかにも大人びて頼もしくさえ思えるのだった。ましてや、映画館で会った時から、男が醸している頑健で精悍な空気に、初めてとは思えないほどの不可思議な磁力を感じて、忽ちの内に恋に落ちたのであった。そして、男は俊才だった。非難する事など何一つもあろうか。
 男は巨岩を背にしている。少女はそこに咲き誇る花花や、間を流れ落ちる細い滝に、不可解な既視感を感じ始めているのである。
 男は水着になった少女の鮮やかな変幻に息を飲んだのだった。薄い桜色の艶やかで豊かな肉を締め付ける水着は、裸以上に少女の乳房や股間の盛り上がりを露骨に、そして誇らしげに主張していた。白を基調としているから、陰毛の様子さえ想起させるのである。この変わりようは尋常ではない。着痩せのする体型かとは思ってはいたが、性欲の対象とは考えていなかった。だから、これ程の発見は男の感性を遥かに越えていた。
 その少女の姿態が眼前で生々しく息づいているのだ。男は目を伏せた。すると、波間の彼方に目をやる少女の股間に蟻の群が蠢ているのである。少女の匂いに寄って来たのだろうか。だが、蟻は長い列を作っていたから、自然の営みの最中に闖入者の少女が尻を付いたのだと、男は邪推を打ち消した。
 すると、少女の股間の真下では、行列する赤蟻の群れを、ふたまわりも上回る体躯の黒蟻の一群が襲っているのである。辺りには戦場の如くに赤蟻の骸が散在していて、今しも一匹が二匹の黒蟻に無惨に食いちぎられて断末魔の有り様なのだ。
 この少女には、数日ばかりの観察では計り知れない因業があるのかも知れないと、男は思ったりもした。そして、この不可思議な光景を撮りたいと思ったが、カメラは敢えて持参していなかったのだった。
 無論、男の視線に敏感な少女は、自分の肢体の真下の大地で繰り広げられている異変には、すっかり気付いていたのである。襲撃されて錯乱したのか、赤蟻の数匹が少女の股間に逃れて、追ってきたひときわ大きい黒蟻の一匹と対峙すらしているのだ。だが、この状況を男に伝えたところでどうなるものでもないではないか。遭遇してしまった恥辱は耐えるしかないのだ。男より一つ下の少女は、男が思うより分別をわきまえていて、腹の座った女だった。
 そうは言っても、少女は水着の男と二人きりになるのは初めてなのだ。動揺は隠しきれない。時折、股間の隆起を盗み見てしまうのはそのせいなのか。そして、男の端整な肉体に、少女も知らない深層の記憶が、言い知れない懐かしさすら感じているのは不可解だった。


-白日夢-

 遠浅の浜の先に大振りな岩礁が突き出ている初めて見る筈の情景は、不可解な感覚に包まれていた。
 やがて、少女の手を引いて遠浅の浜を歩いて、男があの岩に荷物を下ろした。二人は腰程の潮で暫く泳いだ。
 岩に上がると男が大きなバスタオルを敷いた。
 
 少女はある計算式で今日が不妊日だと確信している。
 そして、少女はこの奇岩の特異な風景にも、言い知れぬ既視感を抱いていた。
 男が少女の手紙に対する複雑な思いを、初めて話し出した。少女は思いの全てを赤裸々に吐露した手紙に応える男の告白に、身体中の血が沸騰した。自慰の時に似た陶酔すらこみ上げる。次の行為を待つ。後に続いている男の言葉が遠くなる程だ。

 しかし、男は何もしないどころか、言い澱んで、長い沈黙の後に再び遊泳に誘った。少女の火照った身体に潮が皮肉な程に心地いい。そして、最早、最後の垣根も取り払われたと思った少女は、理知などかなぐり捨て、放逸に男の体にまとわりついて泳ぐ。
 一陣の風が吹いて高波が来た。さらわれたその瞬間に、男が少女を抱き寄せた。
 波が去っても二人は抱き合って互いの感触を確かめている。

 男の隆起を感じながら目を閉じた少女に、静かに優しく、そして、何かを確かめる様に長く、男が口づけをした。

 二人は岩に上がり、男は再びウィスキーを飲む。海原に目をやりながら未だに逡巡している。
 昨日は少女と別れた後に、組織からの緊急の指示を受けて、新しい性具と趣向で久しぶりに三人で写真を撮った。淫らな快楽が急速に引くと、ますます少女をいとおしく感じたのである。
 男の感慨は続く。少女との肉体の交わりはこの思いを瞬時に容易く崩壊してしまうのではないか。二人の女と爛れた性交を散々に重ねた男は、男女の肉欲の業に辟易していた。純粋で無垢な紐帯を求めたかった。あの女達は男にそれを求めたか。自分はどうか。明確な答えはないのであった。確かなのは、結果としてそれぞれが多額の金を得て満足している事だけなのではないのか。男はその現実に耐えられなかった。
 確かに少女の、とりわけ水着の身体は男の欲望を惹起させていないわけはない。しかし、男は少女の鋭敏な知性に惹かれたのだ。もし、性交したらこの少女の肉体はどう変幻するのか。それが少女の叡知をどう変えるのか。おぞましい現実を見てきた男はそれが怖いのだ。この少女はまだ処女のままで青春を謳歌すれば良いのではないかと、男は思うのである。そういう少女と大学入学までの時を落ち着いて過ごしたいのだ。
 いまさら受験勉強に支障があってはならない。これからがむしろ関門なのだ。少女の手紙は男への早熟な激情があまりに率直に綴られていた。激しすぎると、男は思う。 しかし、この浜に来てからは少女の視線の熱さをいっそう感じている。男の話をまともに聞こうともしない。先程は少女の刺激に惑わされてついにキスをしてしまった。男は迷い続けている。

 伊達が少女の真実を知らないように、少女も伊達の長い思案を察しきれない。
 盛夏の白日の下で、少女はじりじりと睡魔に教われているのであった。自慰の盛りの時の様に身体が火照っている。神経が次第に麻痺してきて意識が遠くなる。

 狼狽える男を尻目に、立ち上がった少女は水着を脱ぎ捨てた。見てと言い、抱いてと続けたつもりだが、真空に包まれている気分で声にはならない。意を決して男を押し倒しすと股間は萎えていた。若草のような陰毛を擦りつけて、乳房にキスをせがんだ。少女の歯が真っ白だ。大海原の風が包まれて二人は性交した。
 少女は初めての挿入にも係わらず淫液が溢れた膣で男を迎えるのである。自慰を重ねた性器は異物の侵入に習熟している。瞬時の痛みを打ち消す初めての肉の快楽に、もはや女となった寧子は溺れる。やがて、痙攣しながら遠のく意識の中で、ある記憶が茫茫と姿を現した。

 少女の母は下級華族の家系で実父は軍人だ。そのせいなのか、軍人の妻になるべく産まれた如くの性向ばかりを備えていた。御門が定めた『婦人勅諭』そのものの様な女だ。
 少女は今年の春先にその母の箪笥の奥から、多量の写真と数冊の猥褻な雑誌や性具を見つけた。嫌悪もしたが好奇が勝った。少女は写真や雑誌を見ながら、その痴態を真似て性具を使い、しばしば、自慰するのが習性になった。
 その中からくすねた一枚の写写真がある。アイマスクの豊満な女の口に精液を放出している瞬間の写真だ。少女はその異形に息を飲んだ。男根の持ち主はやはりアイマスクをして、他の写真にも写っていた精悍な青年だ。寧子はその男根との性交を夢想して、自らの乳房や女陰をまさぐり、声を出してのたうち回りながら数限りなく自慰をしたのであった。
 伊達と出会ってからは、その対象は伊達になった。昨夜も今朝も伊達の男根を夢想しながら自慰をした。だが、脳裏に浮かぶのはこのアイマスクの青年の特徴を備えた男根だったのである。
 寧子は慣れ親しんだ写真の、その青年の射精を受ける白昼夢を漂いながら、こんな夢は何度もみているのだから、きっと、夢に違いないと思いながら法悦を登り詰めようとしていた。


   -終り-

異人の儚6️⃣

異人の儚6️⃣

  • 小説
  • 掌編
  • 恋愛
  • ミステリー
  • 時代・歴史
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2020-08-26

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