異人の儚5️⃣

異人の儚5️⃣


-寧子-

 伊達は夏休みに入った直後に、「半島の告発」という映画を見た。この国が植民地支配した半島の歴史を、戦争中に独立闘争に関わった半島の監督が製作した秘かな話題作だ。
 上映寸前の映画館の通路でその少女と鉢合わせをしたのである。少女は紙袋を落として、伊達の脳裏を乳房の濃密な重量が貫いた。紙袋を拾って謝る伊達の顔を垣間見た少女は、細い声を掌で押さえて、驚喜の表情で短く挨拶する。半袖の青いシャツに藍染めを仕立て直したズボンで健康的な姿態だ。いぶかるる伊達に少女は、あなたを知らない人はいないと言い、寧子と名乗った。同じ街の女子高の二年生だとも言う。
 館内は空いていたが、二人は何気なく隣り合わせに掛けていた。その古びて窮屈な椅子に座った途端から、少女とは身体の一部が触れざるを得なかった。少女は避け様とはしない。同年代とは交際したことがないばかりか、成熟した女達の仕草しか知らない男は戸惑うばかりだ。そして、あのバスの朝の嘉子を思い出している。
 やがて、この国の青年将校が国家に命じられて、半島朝廷の皇女を犯すシーンに差し掛かった。話題になった場面だ。皇女は抗いながら、この国の侵略や横暴の数々を告発するのである。将校が民族衣装を引きちぎると乳房が露になって、館内がざわついた。皇女を押し倒して乳房を蹂躙しようとする。皇女の表情に諦めが走った。
 少女が伊達の手を握った。汗ばんでいる。すると、その瞬間にスクリーンが真っ白になって、「不適当な場面のため上映を許可しない-自主規制委員会」という文字が表れた。

 映画館を出て、前をゆっくり歩く少女を伊達が誘った。この街の名物の菓子を買い、広い墓地が併設された神社に行く。古代に御門に滅ぼされて国讓りをしたという来歴を持つ大社の分社だ。
 「去事記では円満な国讓りをしたいうけど、この地方の伝承は全く違うのね?」「磐奇風土記だろ?」「滅亡を逃れたオオクニの親族が辿り着いてイワキカミヒメと結婚したんだわ」「北の国の混血が進んだ謂れだ」
 参道は鬱蒼とした木立が続いていて、蝉時雨が降り注いでいる。時折、風が渡り、二人が見つけた木陰の長椅子は思いがけなく涼しかった。
 「半島の皇女はあの将校の子種を宿したまま、この国の皇子と結婚したのね?」「酷い話だ」「事実だったのかしら?」「わからない。ただ、あのような筋書きを作られても仕方のない状況だったのは確かだ」「不条理だわ」「豊富の侵略もそうだが、この国は半島を併合したんだ。口火を切ったのは祭郷や伊田垣だ。弱味につけ入って他人の国土を蹂躙したんだ」「あの青年将校みたいに、軍人が先陣を切ったのね?」「そうだ」


-半島-

 女の瞳が哀切を帯びて遠くへ流れた。「父は職業軍人だったの」「三代続いているのよ」「父もそうだけど。曾祖父や祖父も、きっと、祭郷や伊田垣の半島併合の手先だったんだわ」「戦争中は私も半島にいたのよ」「敗戦が決まると、誰よりも早く軍が脱出したんだわ」「逃げ遅れた普通の人達が最も惨劇を受けたのを知ったのは、最近のことなんだもの」「それが恥ずかしくて…」
 「父は家にいるわ」「警察補助隊を作る話があるでしょ?」「旧軍人を集めるんだろ?」「それに応募するんだって…」「また、軍人になるつもりなのよ」「何も懲りていないんだもの」「酷く厭だわ」「戦争で散々なことをした軍なのよ?」「父を嫌悪してるの」「私、間違っているのかしら?」「あなたの考えを聞かせて欲しいわ」
 「たとえ肉親といえども、あなたの絶望や怒りは仕方のないことだと思う」「この国は半島の言語を奪い、名前を変えさせて、神社を建てて御門教を強制したんだ」「こんなことは断罪されるべきなんだ」「その為に皇女は生け贄にされたのね?」「そう」「横暴を尽くしたのね」「あげくの果ての従軍慰安婦や徴用工なんだ。自分がこんな目にあったら、いったい、どうする?理不尽の極みじゃないか」「そうだわ」「五〇年や一〇〇年で忘れられる事じゃない」「半島の人達の気持ちはそうだわ」「俺は桓武天皇と坂上田村麻呂に侵略された、一山百文の北の国の生まれで、縄文の子孫。カムイの同胞なんだ」「私もそうだわ」「略奪され、蹂躙され、支配された者の怒りがわかるんだ。俺そのものが怒っているんだ。義憤なんだ。腹の底からわかるんだよ」「公憤なのね?」「そう。怒って生きているんだ」
 「あの侵略戦争がいかに誤りだったかは、世界を敵に回して完敗したことで明らかなんだ。普通の国になりたいとか自主憲法制定なんてまだまだだ。せめて、戦争経験者の全てが死に絶えるまで、まあ、戦後百年としても、あと三十年は待つのが礼儀だ。いずれにしても、半島とは話し合うしかないんだ」「半島や大陸はこの国の文化の源なんだ。まずは敬意を保つべきだ」「この国の西半分は渡来人も多かった。というより、俺から言わしたら、御門を始め渡来人の国なんだ。御門はミマナが故郷だと口走ったことがあるし。それなのに、何かといえば、敵呼ばわりしてどうするんだ」「歴史には謙虚でなくちゃあね?」「そう。それが最低限の礼節ってものだ」

 伊達はあの二人の女とも全く違う、少女の豊かな感性と理知に惹かれた。成績もトッブクラスだ。こんな女は初めてなのだ。その知性とは不釣り合いな程に肉感的な容姿も、もちろん気に入った。とりわけて、唇の肉感はあの二人に似ていると思った。だが、少女の幾つかの仕草で処女だろうと確信した。
 次の日に、二人は図書館で長い勉強を済ますとあの神社で話した。同年代の少女との会話は考えた以上に新鮮だ。少女の豊富な語彙を駆使した巧みな表現力や、繊細な感覚に男は舌を巻いた。膨大な読書量にも驚いた。
 三日目の図書館で、少女の誘いに応じて翌日に海水浴に行く約束を交わした。少女は別れ際に、後で読んでと恋心と数編の詩を綴った長い手紙を手渡して、小走りで立ち去った。


(続く)

異人の儚5️⃣

異人の儚5️⃣

  • 小説
  • 掌編
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  • ミステリー
  • 時代・歴史
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2020-08-26

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