紫萬と磐城の儚6️⃣

草也

紫萬と磐城の儚6️⃣


-風土記-

 『クライングママ』の狭いフロアーで、紫萬と磐城が踊りながら綺談を話しているのである。だから、ダンスとは形ばかりで、侘しいブルースにひっそりと揺れているに過ぎないのであった。
 「司喜子と繭子、陸奥の物語。酷く淫靡だわ」「あの戦争の、そのまた闇の世界の、まあ、綺談だからね」「本当の話なのかしら?」男が口を濁す。「あなたが聞いたのは?」「陸奥の部下だった男だ」

 「こんな夜は古事記みたいだわ」と、紫萬が呟いた。
 「今の私達って原始のただ中で、人知れずに邂逅したイザナミとイザナギみたいなんだもの」「そうかも知れない」「でもヤマトは大嫌いだから。あれは淡路島の物語でしょ?私達の、北の国の真相の風土記を創りたいわ」

 「二人が出会って互いの裸を眺めあいながら、イザナミがイザナギに言ったわね?」「あなたの凸を私の凹に嵌めて国を産もうって」「そうよ。神話がそんな下卑た戯れ言から始まるのよ。まるでぎこちなく口説いている無知な女みたいだわ。こんな発想をしたヤマトの民族ってどんな人達だったのかしら。出雲の国産みの神話は大地を力づくで引き寄せるのよ。全然違うでしょ?」「でも馬鹿ねえ。初めは異形を産んだというんだもの。きっと、イザナギはイザナミのお尻に入れてしまったんだわ。どう?」「面白い解釈だ」「ご丁寧にこんなことまで記述するなんて。それとも、もっと深層な意味でもあるのかしら?」「イザナギは幾つだったのかしら?きっと童貞だったんだわ。それとも男色だったのかしら」「どうして?」「だって。男同士はそうやってするんでしょ?」「したこともないし、決してしたいとも思わない」「本当よね。女というこんなに魅惑の存在を無視するなんて背徳だわ」「イザナミは?」「もちろん処女であるわけがないわ。性交を誘っているのはイザナミなんだもの。やり方を教えようと思った矢先にイザナギが挿入してしまったんだわ。どうしようもなかったのね」「若いイザナギは我慢できなかったんだな」「堪らずに勃起してしまったの?」
 「二人は別な種族だったんだわ。その事を性交を通して明らかにしたと思うの」「そうかもしれない」「そしたら奇態な物が産まれたって言うんでしょ。渡来民の雑婚の宿命ね。とんまな話だわ。北の国の私たちはそんな間抜けじゃないのよ」「どうするんだ?」「人には凹がもうひとつあるわ」「何処?」「口よ」「口でこの突起の本質を確かめるのよ。肝心なところに入れるんだもの。下調べが大事だもの。そうでしょ?」「すごい知恵だ」「そうよ。北の民族は哲学的なんだわ。いきなりお尻に挿入するなんて。そんな下劣じゃないんだもの」
 「あなた?私達の物語を二人っきりで創りましょ?こんな夜だもの、きっと原始の血が騒ぐんだわ」磐城が頷いた。
 「だったら、私に名前をつけて?」「名前?紫萬って本名だろ?」頷く女に、「素敵な名前じゃないか?」「そうよ。でも、あなたに名付けて欲しいの」「だったら、ピリカはどうだろ?」「ピリカ?」「最近、読んだんだ。『ピリカの儚』だよ」「私も読み終えたばかり」「いい女だろ?」 

 「これは何?」「固いわ。どうして?」「無作法ですまない」紫萬が首を振った。「どうしてだろ?」「今までこんな風になったことはないの?」「忘れてしまったみたいだったんだ」「面白い方。あなたは何処から来たの?」「すっかり思い出せない」「わたしも、そう。何もかもがわからなくなってしまった。きっと、融解しようとしているんだわ。そして、きっと、あなたに創り変えられるんだわ」



-疑惑-

 翌日の朝。陸奥は伊勢の邸を訪ねた。司喜子が嬉々と迎える。伊勢は既に陸軍本部に出勤しており、そのまま今夕の飛行機で大陸に向かう予定なのである。

 司喜子が蓄音器にレコード盤を落とした。朝にはいかにも似合わない哀愁のブルースだが大陸の独特の旋律だ。
 「大陸の植民地に作った映画会社の、売りだし中の歌手なのよ」
 「踊りたいわ」と、司喜子が誘った。何の脈絡もなしに二人は抱き合った。 「夕べ、私達は義姉弟だと言いましたよね」「言ったわ。その通りよ」「もしかしたら?あなたと?」「何が?」「交わるとか?」「馬鹿ねえ。姉弟婚は廃れたどころか、とうの昔に禁忌なのよ」「結婚じゃなくて」「何なの?」「性交は出来ないのかな?」「何を言ってるの?そんな破廉恥が出来るわけがないでしょ?」「そうですよね」「でも、義理の姉弟でも仲良しには変わらないのよ。それに…」「それに?」「あなたとは身体の相性も良さそうなんだもの。だから、もっと身体を寄せていいのよ」「もうぴったりと密着してますよ」「そうだわね。私を感じる?」
 「お若いのね。あなた?お幾つなの?」「二九」「本当に若いんだわ」
 「ここまで大胆に見せるなんて。良くご主人が許しますね?」「あの人の趣向なのよ」「妻の奔放が回春剤なんだわ」「公認なんですか?」「咎められる事など微塵もないわ」
 「羨ましい?」「上官でなかったら抹殺したいくらいだ」「まあ。過激だこと。あなたは根っからの反逆の志士なのかしら?」「司喜子が望むなら反徒にでも夜叉にでもなる」「まあ。勇ましいわ。

 「あなた?さっきの話なんだけど」「部隊の出動が近いのかしら?」「近々にある勇猛なゲリラの本拠を掃討します」「死を決意するほど危険な任務なの?」「戦闘に臨むには常に決死ですが。今回の作戦はとりわけに困難を想定しています」「主人が指揮するの?」「ご主人は戦闘の現場がお好きな勇壮な方ですから」
 「決起を鎮圧されたあなた達の党派と主人のグループは絶対的に敵対しているんでしょ?」「まあ」「あなた達が弾圧された今でも、確執は収まっていないのね?」「火種まで消えた訳じゃない」「反乱の首謀者一三名は死刑になったんだわね?」頷く陸奥に、「あなたの縁故者はいなかったの?」「かけがいのない友がいました」「恨みに思うでしょ?」「正直におっしゃい」「その通りです」
 「今は雌伏せざるを得ないけど、時節の到来を待望している。そうなんでしょ?私の推論は間違っているかしら?」「申し上げられません」「あなた?大望は待っているだけでは訪れないわよ」「どういう意味ですか?」
 「あなたを見込んで率直に言うわ。主人の補佐に任官したあなたに、是非のお願いがあるの?」「何なりとおっしゃって下さい」「あなたのお話を伺っていて、神の助けを授けられたと思ったの。半年前のN市解放の大攻勢は、もちろんご存じだわね?」「本部参謀ですから」「その時に現地住民が大量に虐殺されたのは事実なのかしらの?」「敵軍がゲリラの大部隊を組織して徹底抗戦をしたと聞いて
る」「その大半がゲリラ兵じゃなくて、非戦闘員だったという噂があるの?ご存じだった?」「敵の宣伝工作だと認識していました」
 「多くの婦女子が含まれていたという噂があるのよ?」「真偽は判明していません」「女性への暴行や強姦も限りなくあったと聞いたわ」陸奥は答えない。「その主力が主人の部隊だったというのよ」「その他にも主人にはゲリラの女性兵士や、現地民の女性に対する残虐な行為の噂があると聞いたわ。ご存じだったかしら?」「自分は一貫して情報将校ですから」「だったら、何もかもご存じなのね?」「申し上げられません」
 「私は必死なのよ。だったら、動作で示してくださらない?」陸奥が頭を落とした。「頷いたのね?」「ありがとう」
 「主人はあなた達の反対派の幹部なのよ。当然、周知の事だわね。今度のあなたの移動だって、あなた達に報復して監視するための政治的な謀略の人事に違いないわ。そうでしょ?」「だったら、それを逆手に取るのよ」「監視されるものが逆に監視するの」「忍従からは何も生まれないわ」「反転して攻撃するのよ」「攻撃こそ最大の防御なんだわ」
 「私も全霊をかけて協力するわ。あの人の一番身近にいるのは私だもの。確たる証拠を握れるかも知れないわ。いかが?」「女性にしておくのには惜しいほどの戦略家だ」「同意するの?」「続けて下さい」
 「戦場での主人の行状を、逐一、報告して欲しいの」「そうよ。包み隠さずに。何もかもよ」「とりわけ、女ですね?」「さすがに参謀だわ。明察だわ」「あなたにとっては、ある意味では主人への背信になるかもしれないけど。奸物打倒のために決起したあなた達党派の理念とも合致する筈だわ。覚悟はおあり?」
 「証拠を手中にしたら、ご主人を奸物だと、公に指弾なさるわけですね?」「未だ私に聞こえるのは微かな噂だけよ。あなたの調査次第だわ。噂や疑念ではなく、もしかして本当に事実があるなら一大事なんだわ。それを案じているの。ただの浮気程度の不道徳ならまだしも、軍部に占領下の理不尽な振る舞いがあったとしたら。それに主人が関与しているとしたら。私ばかりではない、家名はもとよりお国の恥辱なんだもの」「ご主人の不穏当な噂は、自分も耳にしています。いかなる者であれ、軍律違反は許さない。自分は五族共和の楽土建設を理念に掲げていますし、婦女子への狼藉などは論外です。国際法に違反します。とはいえ、叩き込まれた武士道の規範もある。何よりも隠蔽勢力は強大だ。今や軍の実権を掌握しているのは彼らのみなんだ。極めて難儀な課題ですね」
 「あなた?私などは部隊長夫人なんて名ばかりなの。か弱い、呻吟する女の心魂のお願いなの。でも、これは正義の嘆願だわ。難題を承知でも協力していただきたいのよ」「果報は私の心身の能う限りであなたに応えるわ。どうかしら?」「本当ですか?」「家名にかけて二言はないわ。どうかしら?」「わかりました。あなたのそれほどの切望なら、万難を廃して拝命せざるを得ません」
 「協力していただけるのね?」「確かに承りました」「こんなに嬉しい事はかってなかったわ。頼もしい方だわ」「あなた?これは厳格に二人きりの秘密なのよ。必ず胸の奥深くに秘めて下さいね?」「すこぶる光栄です。司喜子との秘密なら、この一心は決して違える事はありません」「豪胆な方ね。名前を呼ばれるとぞくぞくするわ。もっと身体を寄せて、耳許で囁いて」「いいんですか?」「誰も気付きはしないわ。ここの人たちは自分の欲望に没我してるんだもの」
 「司喜子は一方で倫理を語りながら、方やで欲望にも翻弄されているんじゃないか?」「まあ。憎らしいほどに率直な挑発の物言いね。でも、若々しくて清々しいくらいだわ。いいわ。そんな風に言って頂戴。本能が強いのはあなたもでしょ?違ったかしら?」「勿論。出会ったばかりの司喜子に惑い始めているんだから。誰彼などはただの殺風景な風景に過ぎない」「その無頼が素敵だわ。私達は同類なのかもしれないわね。もっと、耳元で。耳朶に触れるくらいにして」「こうですか?」「そうよ」「あなた?ダンスがお上手だわ」「司喜子の魅惑に溺れているだけだ」「もっと身体を寄せて。

(続く)

紫萬と磐城の儚6️⃣

紫萬と磐城の儚6️⃣

  • 小説
  • 短編
  • 恋愛
  • ミステリー
  • 時代・歴史
  • 全年齢対象
更新日
登録日 2020-08-25

Copyrighted
著作権法内での利用のみを許可します。

Copyrighted