四季の呼吸
ろうやみたいに、つめたくて、さびしいところで、夏が終わるのを待っていた。次第に、呼吸が浅くなってゆく、蝉が、命乞いをするみたいに、けたたましく鳴きわめく。みずうみの底に沈んでいた、秋が、はやく浮上してくればいいのに、春の残骸を粗末に扱い、夏は、きっと、へいおんにはしねない。いまは、もう、冬の吐息だけが、やさしさのかたまり。
だれも行ったことのない街に、きみはいて、ひとりぼっちをたのしんでいることを、ぼくは、うらめしく思う。二年前の夏に砂浜でひろった貝殻に、いつまでも執着している、ぼくのことを、いつかのきみは、たいせつなものをずっとたいせつに思えることは、すごいことだといった。あの夏。ぼくにはまぎれもなく、たいせつなひとがいて、たいせつなひとからもらった貝殻は、あたりまえのように、然して珍しくもない、ただの貝殻でも、たいせつなものとなって、いまも、ぼくの手のなかにある。おぼえているのは、どうしようもない海の広大さと、あのひとの履いていたスニーカーの色、ビビッドカラーの、目が覚めるようなオレンジだった。あの頃は、夜明けを迎えることがひたすらにこわくて、あのひとのとなりでねむっているあいだしか、ぼくは、生きている心地がしなかった。夜と、朝のはざまから、黒い顔したバケモノがのぞきこんでいて、ぼくを、嘲笑っているような、あの、ゆめ、まぼろしのはずなのに、あせがふきでるリアルなくちびるの歪みを、ぼくは忘れられないでいる。あのひとは、すでに、街はずれの植物園で、花の一部となっていて、きみも、いなくて、ぼくはひっそりと、季節が過ぎ去り、また訪れる光景をながめている。
四季の呼吸