おわりのない国

 レンタルルームのなかで、ねむらないで。夜の街のなかでも、ひときわ夜に染まっているところで、ぼくたちは光っている。パンダのこどもが、メロンパンをたべながら、いっしょに、ゆううつをかみしめている、メロンパンに、メロンははいっていないけれど、きっと、かたちがメロンに似ているから、メロンパンというなまえをさずかり、では、ぼくたちの救世主、ララ、をかたどったにんげんは、ララ、となのっていいのか。いや、それはおそらく、おおくのひとが、ゆるさない。つまりは、そういう世界なのだ。きたないものを吐き捨てるひとを、きたないひとだと軽蔑する。残酷な思考をもつひとを、残酷なひとだと怖れる。やさしいことばを発信するひとは、やさしいひとだと信じている。二十四時間、ずっと、だれかのためにはたらいているひとびとに、そのだれかは、ときどき、つめたい。

 きみは知らないかもしれない。海は朝に、きまぐれに泣く。

 くちびるが蝶に取り憑かれてから、会話を失い、きみと、キスをすることもできなくなった。くちでの愛撫ができないことを、ぼくは嘆いた。蝶は、コバルトブルーの翅をもつ、ぼくには似つかわしくない、うつくしい蝶で、でも、きみは、ぼくのくちびるにすみついた蝶をふくめて、きみは世界でいちばんきれいだなどと、ばかみたいなことをいう。メロンパンをたべていた、パンダのこどもが、たべおわる頃になみだをながす。かなしいのと、さびしいのが、どどっとおしよせてくるのだと、さいごのひとくちをゆっくり噛みしめながら、パンダのこどもはうなだれる。おわらなければいいのに、と思う。なにもかも。

おわりのない国

おわりのない国

  • 小説
  • 掌編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2020-08-23

CC BY-NC-ND
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