夢日記 2020.8.22
ぼくたちはお酒を飲んでいました。五人がそれぞれに、これまでの旅のことについて楽しそうに話しながら。困難に直面したときのこと、出会った人たちのこと、亡くした友人たちのこと。ぼくたちは今まで通り、それぞれの人が通ったルートを、その人を表す色で地図に塗りました。Sさんは赤色、Iくんは緑色、ぼくは茶色、というように。もちろん今いるポイントにたどり着けなかった友達の色も塗ります。
「ピンクは?」
Sさんが聞きました。
「前のポイントから北の鉄橋を渡り終えるまでは、ぼくと一緒にいました。その先はわかりません」
ピンクはTさんの色でした。Tさんは今回の旅の途中で亡くなった、ぼくたちの仲間です。彼女とぼくのルートは、ある鉄橋で重なり合い、ぼくたちは偶然鉄橋の手前で出会いました。それでその鉄橋の前後は彼女も通ったことを知っていた、というわけです。
雪の降る夜でした。彼女は小銃を背負って、大型のバイクに乗っていました。この橋を渡り終えるまで一緒に乗せてください、とぼくがお願いすると、彼女は快く「いいよ」と言ってくれました。
線路が二本敷かれていた、数キロメートルほど続く長い鉄橋は、どこもかしこも錆びついていて、いまにも崩れ落ちてしまいそうなほどでした。世界が終わってもうしばらく経つので、ぼくたち二人以外に誰も通る人はいませんでしたし、もちろん列車が通る心配もありませんでした。街の電気も橋の電気も、もう機能していなかったようで、バイクのライトがぼくたちにとって唯一の光でした。
雪が降るなかバイクで走るのは、寒く、とても耐えられませんでした。雪が染み込んで濡れた手袋に吹き付ける風は指先を刺すようでした。ずっと止まらずにエンジンをふかしていたので、ぼくたちはなにも話しませんでした。ぼくはただ、小銃を背負う彼女の肩と、雪が降り積もるヘルメットを見つめていました。彼女に積もった雪をときどき払うと、彼女は「ありがとう」のかわりに左手をあげました。
途中、ガコン!という金属音がして、バイクはゆっくりと減速し、とうとう止まってしまいました。ぼくたちは積もった雪の上におりました。雪が降りつけるなか、彼女がバッグから器具を取り出し、バイクを修理しようとしているのを、ぼくは欄干に腰掛けて見ていました。エンジンの音が消え、雪が雪に積もる音さえ聞こえそうな夜でした。
ぼくはなんだか体が温かくなってゆくのを感じて、眠たくなりました。ぼくたちの足跡の上に雪が降り積もり、消えてゆくのを眺めながら、ああ、彼女のヘルメットに積もった雪を払ってあげないと、とか、ここから落ちたらどこへ行けるんだろう、とか、このまま闇に溶けてしまえばいい、なんてことを考えていました。
どれくらい経ったのでしょう。ぼくのヘルメットに積もった雪がどさっと落ちて、うとうととしていたぼくは、はっと目をさましました。彼女のほうを見ると、彼女は座り込んでバイクをじーっと見つめていました。修理が終わったのかな、と思いましたが、彼女の肩が震えているのに気づきました。Tさん、と声をかけようとしたとき、彼女は
「もう!わかったよ!」
と叫んでふらふらっと立ち上がりました。彼女に積もっていた雪がざっ、と落ちました。それから彼女はぼくのほうを振り向いて、近づいてきました。一歩づつ歩くたびに彼女の顔は険しくなって、ぼくの目の前についたとき、彼女はとうとう泣き出してしまいました。
「バイク、壊れちゃった」
彼女のヘルメットにまた雪が積もり始めていました。ぼくたちはバイクを置き、歩いて鉄橋を渡ることにしました。
雪がだんだんと強くなるなか、ぼくたちはお互いの存在を確かめるようにずっと話し続けました。いままで旅したルートで出会った人たちのこと、彼女がピンク色を持っている理由、今回の旅の目的地のこと、次の旅のこと。たくさん話しすぎて、いまではもう、よく覚えていないほどです。思えば、それが彼女との最後の話だったのに、彼女にとっても最後の話だったのに、覚えていないなんてかなしいことです。
夜明けごろ、ぼくたちは鉄橋を渡り終え、「じゃあ次のポイントでね」とお別れをして、別々の道へ歩き始めました。雪の降る朝でした。
彼女がどうして亡くなったのか、実はみんなもよく知りません。誰かから報告があったわけでもないのに、ぼくも、みんなも、「Tは死んだ」とわかっていました。彼女はもう来ません。もう二度と会うことはありません。ぼくたちはお酒を飲みました。窓の外では雪がまだ降り続いていました。
夢日記 2020.8.22