夏の城

 鱗粉を纏う。パパのこと、好きだと思ったことは一度だけ、ある。
 でも、あれはきっと、水族館の、暗い館内に浮かび上がる、青い水槽のせいで、幻想と呼ぶには大袈裟だけれど、足元の間接照明と、水槽の青が織り成す、刹那の非日常が、そういう気持ちを生んだのかもしれない。夏のおわりに、ぼくは、パパというひとにすべてをあけわたした。そこに愛はあったのかと聞かれれば、ぼくはノーと答えるかもしれない。けれど、限りなくイエスに近いものが水面下で漂っていたからこそ、ぼくはパパだけのひとになり、パパはぼくの世界となった。閉ざされた空間は宇宙に似ている気がする。宇宙は、きっと、広大で、無限でありながら、想像のなかではおどろくほど狭く、閉塞的だ。
 魚になりたいような、夜もあった。
 次第に、言語というものが失われても、ぼくからひとつひとつ、日々、なにかが欠けてゆこうとも、パパはぼくだけのパパで、ぼくはパパだけのぼくである。好意はやさしさで愛は暴力で、学校の教室は放り出されて漂流して、海が見える家はぼくとパパの城だった。

夏の城

夏の城

  • 小説
  • 掌編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2020-08-21

CC BY-NC-ND
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