ただ、生きること

 らくえんには、ほどとおく。
 白い花の群れが、ぼくたちに寄生し、養分とし、花を咲かせている世界で、ぼくたちの肉体、人間性、自我、というものは種子と茎と花弁に喰い破られて、そう、もう、きみを好きになった記憶も、薄れている。にんげん、とは、なんと儚く、脆い。きみに書いた手紙は、宇宙で燃えて塵となったはずだ。くだらないことで、だれかが、だれかを傷つけている瞬間を目の当たりにするのは、すこしだけ、地獄を見ている気分である。
 ふつうがいい。
 へいぼん。
 平和的に、穏やかに、朝食にトーストと、スクランブルエッグをたべたいと思ったとき、ぼくの手の甲で、血管、ではなく、白い花の茎が、かすかにうごめく。いまの、この意識が、果たして正常といえるのか、すでになまえもしらない植物に侵されて、ぼくは、ぼくだと思っている、ぼくが、ほんとうはぼくじゃないのかもしれない、という不安におびえることが、もしかしたら、滑稽なのかもしれない。思い出からも消失される、きみ。ひとではなくなってゆく、ぼく。星は欠けたところから、腐っている。

ただ、生きること

ただ、生きること

  • 小説
  • 掌編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2020-08-20

CC BY-NC-ND
原著作者の表示・非営利・改変禁止の条件で、作品の利用を許可します。

CC BY-NC-ND