夏の雪に埋もれて

 ゆきは、ふらない。夏だから。
 でも、海のなかは、夏でもふるらしい。だれにきいたのだっけか、きおくの糸をたどろうとすると、するすると、てのひらからすべりおちてしまう。金曜日の夜にしかやっていない、占いやの提灯が揺れている。寂びれたホテルのとなりに、ある。占いやのまわりには、黒い蝶が舞っていて、あれは、占いやで運命のひとだと占われた恋人と、すぐとなりの寂びれたホテルで別れた女の亡霊につどっているのだと、きみはいった。海のなかにふる、ゆきのはなしのほうを、はっきりおぼえていたかった。そんな、しらない女の私怨のことなどではなく。クリームソーダと、ナポリタン、という、喫茶店の王道メニューをまえに、きみはたばこをもみけし、ぼくは、ピンク色のサクランボとホイップクリームがのったプリンの、ガラスの皿のかたちのレトロさに、すこしだけうっとりしていた。れいの寂びれたホテルは、とくに三階がいわくつきといわれ、つまりは、痴情のもつれというやつがひきおこした不幸が、いくつも起こっているという。趣味の悪いきみは、そういうのを好む質なので、つきあっているぼくとしては、じつにセックスどころではない。まぁ、ふたりとも、そういった類のものが一切見えず、感じずなところは救いであるが。あのホテルに行くと別れる、といううわさはむかしからあるらしいけれど、じっさいにぼくらは、だいじょうぶですし。いまは、なんとか。
 クリームソーダのバニラアイスを、さいしょにとかして、きみは、グラスを、パステルグリーンに染める。

夏の雪に埋もれて

夏の雪に埋もれて

  • 小説
  • 掌編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2020-08-18

CC BY-NC-ND
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