(ML)DRIVER.

えりな

  1. NIGHTWAKER
  2. TRUE FACE
  3. PRECIOUS

雇い主×ドライバー
不器用な大人同士の
不器用な恋のお話。

NIGHTWAKER

月曜の夜はそれなりに忙しい。
…と言っても金曜の遊び帰りの連中相手の乗降なんかとは比べものになりはしないが。




『ありがとうございます、お気を付けて。』


タクシーを降りる客にお決まりの文句と営業スマイルを向けて自動のドアを閉める。
それと同時に俺は素の自分に戻る。


「…もう来んな。」


別に嫌な客ではなかったが“禁煙車”と記載しているこのマイカーに乗るなり煙草を吸おうとするのはいかがなものか。
…つーか。
禁煙中の俺にケンカ売ってんのかっつーの。

軽く苛立ちながら車を走らせ横道から大通りへと戻る。
ここらはオフィス街だから『オカネモチ』や『オシゴト帰りのビジネスマン』やらがわんさかいるから。


「その稼いだ金を俺につぎ込んで下さいよ。」


そんな事をボヤきながら走ってると前方の小さな公園の前で手を上げてるヤツがいた。
遠目から見てソイツが後者だと気付きチョイ落胆。


「イイ女だったら良かったのに。」


そんな本音を営業スマイルに変え“オキャクサマ”の真っ正面に車を停めた。


「こんばんわ。」


かけた声にこれといった反応を示さずソイツは静かに後部シートに座り。


「………。」


これまた静かに何かを言った。

…聞こえねぇから。

内心苛立ちながらも大人な俺は後ろに向き返りソイツに。


「ごめんなさい、どちらまで行かれます?」
「……南町公園。」



むわっ。



『ハイ』と答えて前を向きながら顔をしかめる。
俺はヘビースモーカーだが酒は一滴たりとも飲まん。
つか体質的に受け付けない。
故にこの…サラリーマン氏がプンプンさせているアルコール臭ってのがどうも苦手で。

小さく溜め息を吐き、メーターのスイッチを入れてゆっくりとアクセルを踏んだ。





◇◆◇◆◇◆◇





しかし…なんだってコイツ、あんなオフィス街のど真ん中でこんな酒浸りなんだ?

静かな車内に右折を示すウインカーの音だけが響く。

しかもあそこら辺は大手企業ばっかじゃんか。
確実、飲み屋はねぇぞ?
そんな事を考えながらルームミラーを覗く…と。


「えっ!?」


今まで乗っていたはずのヤツの姿が忽然と消えていた。
慌てて左にウインカーを出しブレーキを踏む。
クルリと振り返り見ても…ヤハリ、ヤツの姿はどこにもない。


「…まだ丑三つ時じゃねぇぞ?」


タクシー仲間の間で有名な“幽霊話”を思い出して俺は苦笑いをした。
いや…このご時世にそんなオカルト話なんてナンセンスだよな。
そう思ってドアを開け、車の前を回って後部のドアを勢いよく開ける。



ガチャッ!



…………すると。



「…オイオイ。」


後ろに乗っていた酔っ払いは物の見事に足元……前部と後部のシートの隙間に落っこちていた。
デカい溜め息を吐き出し右手で顔を覆う。


「これだから…酔っ払いはキライなんだよ。」


酒は苦手、だが酔っ払いはキライ、だ。
だが…この場合は仕方ない。
こんなんでも一応“オキャクサマ”だからな。
深い溜め息を吐き出し向けられてる足に触れ軽く揺する。


「…お客さん。大丈夫ですか?」


ピクリともしない様子にギクリとする。
まさか…どっか打ち所が悪かったり、とか?
焦って腕を掴み脈をとる…と、それは規則正しくちゃんと動いていて。


「…脅かすなよ。」


ドッと疲れたが取りあえずは安心してシートに腰を下ろした。
…つか。
このままにしておくわけにはいかないよな。


「お客さん、触りますよー?」


なるべくデカい声でそう言ってもヤツはピクリともしない。
まさか…意識ねぇとかじゃ…?
焦りつつさっき掴んだ手を握り、グッと引き上げる。


「軽っ…」


ルームミラー越しに見た時よりも遥に細い身体は軽々と持ち上がり俺の腕に収まる。
…すると。



もわっ…



「ウィスキーかよ!」


ヤツからしてくるのは俺が特に苦手とするウィスキーの匂いだが…ここは我慢。
つか…
なんで俺がこんな事しなきゃならんのだ!
押さえていたはずの苛々は軽くK点を越えた。

ムカついて、ムカついて、ムカついて腕の中のヤローに怒鳴ろうとした瞬間…。



さらっ…。



顔にかかっていた髪が流れ落ち…その下からキレイに整った顔が現れた。




◇◆◇◆◇◆◇




静か過ぎる車内にウィンカーの音だけが響く。
つけていたFMも切って俺はただひたすら目的地に車を走らせていた。

後ろの酔っ払いが足元に落ちたのは…多分右折が原因だったんだろう。
だからといって右折しないで目的に着くのは至難の技。
で、しょうがねぇから酔っ払いをシートに寝かせて助手席を限界まで後ろに下げた。
そんでヤツの鞄を僅かな隙間に置いてバリケードにして、オマケで俺の制服のジャケットをかけてやった。

…我ながらお人よしだな、と嘲笑しながらリアのドアを閉め再び車をスタートさせた。
それが五分前。

目的の場所はヤツを乗せたトコからせいぜい二十分程度。
なのに今日に限ってどこぞの輩のおかげで事故渋滞なんぞを起こしてやがる。

そして…なんだかんだで四十分程かかってやっと目的の『南町公園』にたどり着いた。

閑静な住宅街の中にある鬱蒼とした茂み。
俺的にそんなイメージの場所だったが…夜に来るとまたイヤな雰囲気だ。
その正面に車を停めてメーターを止める。
まあ…こんな状況だったから少々回ってしまったが、俺への迷惑料も込みだから仕方ねぇな。
苦笑いをしながら運転席を出て後部のドアを開ける。


「お、ちゃんとキープ出来てんじゃん。」


寝かし付けた酔っ払いは当初の通りキッチリとシートの上で寝こけている。
ついでに言ゃあ…俺のジャケットをギュッと抱き締めてて。


「ヨダレなんぞつけてやがったらクリーニング代請求すっからな。」


そう呟きながらヤツの肩を揺する。


「お客さん、着きましたよ南町公園。起きて下さい。」



ユサユサ。



しかしヤツは本気で爆睡入ってるらしく起きる気配は全くない。
…仕方ねぇ。
もっかい起こしてダメなら警察にでも預かってもらうか。
そんな事を思いながらヤツの肩をもう一度揺すって。


「コラ、起きろ客!起きねぇと…」
「……すばる……」


揺すっていた手が止まる。


………“すばる”?


わけの分からん寝言に止まった手を再び動かそうとした瞬間、眠っているはずのヤツの閉じているまぶたから…一筋の雫が零れ落ちた。

――― 時間は定時の21時。




「オハヨーッス。」


制服姿で出社して事務所に顔を出すと。


「あ、冬至さん。」


俺の勤めるこの『宮路タクシー』の事務員で社長ご令嬢の花音(カノン)が俺に手招きをした。
事務所の片隅まできてしゃがんだ花音に続いてその場にしゃがむと。


「父さんカンカンよ。」
「え?なんで?」


内心ギクリとしながら可愛らしい花音をみつめる。
すると彼女は淡いオレンジ色に塗られたの唇をクッと尖らせて。


「夕べ、サボッてたの?」


…と、ストレートに聞いてきた。


「いや、ちゃんとお仕事してましたよ?」


苦笑いをしながら彼女から目を逸らす。
すると花音は黙ったまま俺の腕を引っ張って立たせると。


「父さん社長室で待ってるから。」


そう言って俺の背中を両手で押した。
苦笑いと掌を花音に向けて俺は目の前の“社長室”のドアをノックして、開けながら自分の名字を名乗り…。


「横うち…」
「この、クソ馬鹿野郎ッ!!」


その先は中から飛んできた怒号に掻き消された。
部屋のど真ん中に仁王立ちしてるのは…ヤー公ばりのルックスにやたらと鋭い目をしてるオヤジ。


「…社長。」
「このクソガキ!テメェ昨日は仕事もしねぇで何してやがったんだ!!」



バシッ!



頭を殴られその凶器の『走行日報』を手渡されて苦笑いをする。

それもそのハズ。
俺は、夜の9時から翌朝7時までの労働契約のタクシーの運ちゃんだ。
それが昨日は…休憩1時間を省いた実労働時間9時間の内、乗せた乗客はたったの3人。
故に…この展開は夕べの内から予想はしていた。

返事もせず苦笑いをしてるとその胸倉をグッと掴み上げられ。


「何ヘラヘラしてやがんだ!また女でも引っ掛けてやがったのか!」
「イヤ、違います。」


『昨日ばかりは女じゃありません。悲しいかな、酔っ払いの男です。』


…て事は言わずに平謝り。
すると社長は思い切りガンをくれてから俺を突き飛ばして。


「次にこんな半端なことしやがったらクビだからな!分かったら昨日の分、取り返してこい!」


そう言って俺を“シッシッ”と追っ払った。
逃げるように社長室を飛び出し事務所に戻ると花音が俺に缶コーヒーを放ってくれて。


「言い訳すればいいのに。」


そう言って溜め息をついた。
プルタブを開けて缶をあおりながら隣に立ち礼を言う。
…そして。


「結果が全てだからなぁ。」


溜め息交じりに言いながらゴミ箱に缶を投げ捨てた。


「冬至さん、そういう所は真面目よね。」
「そうか?そんじゃ、昨日の分取り返してきまぁす。」


手をヒラヒラと振りながら事務所を出てふと夜空を見上げる。
キレイに瞬く星を見上げて俺は深い溜め息をついた。





◇◆◇◆◇◆◇





暗い夜道を走りながら思うのは夕べの事。
拾ってしまった酔っ払いに翻弄され、現地に到着して厄介払いができると思ったのも束の間。


『………すばる…』


どっかの車屋かと思う名前を呼んでヤツは更に深い眠りについてしまった。

そんなヤツ、本来ならそこらに放置してても良かったのに。
なのに…なぜか俺はソイツをシートに寝かせたままリアのドアを全開にして足元の縁石に腰を下ろした。
そしてただジッと…夜が明けるまでヤツを見ていたんだ。





「はぁ…。」


深い溜め息を吐き出し胸ポケットに忍ばせておいたタバコをゆっくりと引き出し咥える。


「…禁煙車って書いてあんのに。」


苦笑いをしながら先に火を点け窓を全開にして煙を吐きだした。





『なんだお前は!?』


再び思い出す、夕べの酔っ払い。
夜が明けて空気が緩みだした頃、突然ヤツがガバッと起き上がるなり俺に言ったセリフだ。


『なんだお前は!?』
『はぁ?』


あまりの一言に全身の力が抜ける。
するとヤツはタクシーの中をまるで早送りのビデオみたいにクルクルと見回し、自分にかけられてる俺のジャケットを見て、極限まで下げられてる助手席のシートを見て…。


『説明…してもらえないだろうか。』


引き攣った顔を俺に向けた。

明るい中でよく見たらコイツは結構キレイな顔立ちをしていた。
涼しげな目元に主張し過ぎない鼻、小さめな口を程よく飾る柔らかそうな唇。
甘過ぎない具合が男女のラインをあやふやにしてみせる…が、しゃべり方も声もがやっぱ男だと気付かせてしまう。

そんなヤツをジッとみつめたまま。


『アンタを拾ってすぐに座席の足元に落ちてんのを発見して救出、んで目的地に着いたんで起こそうとしたが爆睡し過ぎて起きやしねぇ。んで今に至る、だ。』


簡潔に説明をしながら立ち上がりケツをポンポンと叩く。
するとヤツは。


『それなら…そこらに捨てておけば良かっただろう。』


…なんて抜かしやがった。
軽くプツッときたが…金をもらうまではオキャクサマだからな、と運転席に戻ってメーターを起動し精算ボタンを押した。


『1860円です。』
『はっ!?』


俺の声に今度はヤツが驚いて。


『何を言ってる!俺がこれに乗ったのは夕べだろ、ならそんな安いハズは…』
『走ってる分しか入れてねぇに決まってんだろ!』


…と、ついつい押さえていたものが吹き出してしまった。
あー…チクショウ、だから俺は客商売には向かないんだって!


『もういいからとっとと金払って降りてくれ!』
『しかしそれじゃあ俺の気が済まない!』


お前の気なんぞ知ったことか!
そう怒鳴りそうになるのをかろうじて止めて。


『マジでこれ以上、営業妨害はやめてくれ。』


なんとか声を押さえて言うと…ヤツは『分かった』と小さく呟き高そうな財布から2000円を抜き出すと俺に向かってそれを突き出し車を降りた。
運転席に回って小銭を揃え、歩き始めた華奢な背中を追う。
追い付いて細い肩を掴み振り向かせその手に小銭を置いて。


『もう俺の車見ても手を上げるな。俺はアンタ見ても絶対止まんねぇから。』


言った俺に眉をグッと寄せてこたえたやつは肩に置いた手を振り払うと朝もやの中に消えて行った。
その背中を見えなくなるまで送った俺は…何だかよく分かんねぇモヤモヤな気持ちのままタクシーの中に戻ったんだ。




「…………はあ。」


夕べの出来事をプレイバックして…また更にモヤモヤする。
吸っていたタバコの火がいつの間にかフィルターを焦がしていて慌てて携帯灰皿で揉み消した。
…もう思い出すのはやめよう。
思い出すとイライラするしモヤモヤするし…何よりロクな事がない。


「さて、まともな客を探すか。」


そう呟いたのと同時に歩道でスーツ姿のオキャクサマが手を上げる。
ウィンカーを左に出し、いそいそとそっちに車を寄せる……と。


「……オイオイ。」


その手の主は、夕べの忌まわしいあの酔っ払いだった。
真っ暗な中、街灯の明かりの下にいるやつは夕べとは違うグレーのスーツに身を包み夕べと変わらぬ捉えどころのない表情のまま、車の中にいる俺をジッと見てやがる。

停車すべく速度を落としちまった車は段々とそんなヤツに近付き…到着する少し手前で、



グンッ!



…加速した。
アクセルをベタ踏みしながら左のサイドミラーを見やる。
ヤツはその場で手を上げたまま目の前を通り過ぎて行ったこの車を見ていた。


「…なんなんだよ!」



キキキィィ…!



猛スピードの果ての急ブレーキ。
車が一回転しちまうんじゃねぇかくらいな勢いで止まり、すぐさまギアを“R”にいれた俺はまたもや底が抜けちまうんじゃねぇか程強くアクセルをベタ踏みした。

遠くに置き去りにしたハズのサイドミラーの中のグレーのスーツがグングンと近付き……。



ピタッ。



車をヤツの極間近で止める。


「…クソ。」


色んな感情が入り混じった唸るような声を上げてステアリングにうなだれ…ると。



コンコン。



いつまでも開けないドアの窓を叩く音がして…デカい溜め息を吐きだした俺は後ろを振り返る事なくリアの自動ドアを開けた。


「乗車拒否か?」


車が左に少し傾くと同時に柔らかいのにどこかトゲのある声がして。


「当たり前だ。今朝そう言ったハズだ。」


振り返らずそう返して溜め息をついた。


「ドアを閉めろ。」
「タクシー側にだって乗車拒否する権利があんだよ。」


そう言うと、ヤツは。



バタン。



…自分でドアを閉めやがった。
文句を言おうと振り返った瞬間。


「成田空港。」


シートベルトをしながらそう言い、終わるなり自分の膝の上でノートパソコンを開いた。

突然の他県でしかも空港だ!?
驚きを通り越し唖然としながら腕時計の時間を見て、ヤツを見て。


「アンタ時間見て言ってんのか?もう11時回って…」
「成田空港だ。」


そう言ってはばからないヤツに舌打ちを返して俺は車をスタートさせた。

暗闇の中を滑るように車が走る。

時間も時間だから…ってのもあるがこれといった渋滞も詰まりもなく順調に走れる首都高はえらく久し振りだ。



グン…



アクセルを踏み込むとエンジンがいい音を鳴らし体に軽いGがかかる。
目の前に現れた車に近付き安全な車間で追い越しながら一番右の車線に移った。
その楽しさに口元が緩んでしまっったのと同時に気付く。

…いかんいかん。
一応まだ仕事中でしかもこんなヤツだけどオキャクサマを乗せてるんだったな。

それを心に刻みつつ静かに走行車線に戻った。

地元を出てから1時間チョイ。
今だにヤツの依頼先の『成田空港』に向かって走り続けてる最中だ。
時間はもうとっくに日付を跨いでる。
こんな時間に空港に着いたところで飛行機は飛んでねぇわ、なんだわ、かんだわ。


…一体コイツは何をする気なんだ?


ルームミラーの中の夕べの酔っ払いをジッとみつめる。
動かしてるパソコンの明かりに照らされてるヤツはやっぱり華奢な印象。
小振りなパーツが色々と寄せ集まり男らしい…という単語には程遠い容姿をしている。

…これから出張なのか?
だから空港近隣のホテルにでもステイすんのか?

余計な事を考えてる矢先に案内表示の『湾岸道路』の文字が見えてくる。
そっちにウインカーを倒し車線変更をして更に先の『東関道』を目指した。





◇◆◇◆◇





長々とした遠征が終わりやっとの事で目的地の『成田空港』に到着した。
これといった要望も指示もなかったから真っ暗な第一ターミナルの前に車を着けてメーターを止めて。


「着きましたよ、成田空港。」


そう言いながら振り返るとヤツはボンヤリとターミナルを見上げて…。


「…相模湾が見たい。」


静かに言い、パタンとノートパソコンを閉じた。


「………あ゛?」
「相模湾の見える場所だ。俺は仮眠をとるから着いたら起こしてくれ。」


たんたんと述べながらヤツは鞄からタオルのような物を取り出しパソコンにグルグルと巻き付けた。


「イヤ、意味分かんねぇから。」
「日本語くらい通じるだろう?」


そしてそのパソコンの上に鞄を置き、自分の着ているスーツのジャケットを脱いで置いて……って枕かよ!?
呆れた俺は言葉をなくし大きくうなだれた。


「横内。」


いきなり呼ばれて顔を上げると酔っ払いが俺の方に手を差し出してて…っ、つか。


「なんで俺の名…」
「上着。」


声がかぶる。



…え?



ん?



今…?



「上着?」
「俺のは枕になったからな。」


…布団の代わりか。
なんか…もうどうでもいいや。

深い溜め息を吐き出しながらジャケットを脱いで後部シートに放り投げる。
するとヤツはそれを自分の肩からかけ、ゆっくりと横になって。


「煙草くさいな。」


そう言って眉間にシワを寄せた。


「この車は『禁煙車』になっていたが…」
「ルセーな!とっとと寝やがれ!」


一喝するとヤツは渋々目を閉じ静かになる。
そんなワケ分からんヤツをジッと見ながら俺は深い深い溜め息をついた。

全く…
何がなんだかマジ意味分からん。



更に時間が進み首都高に戻った俺の車は今は小田厚の上にいる。
真っ暗な道をどれだけ進もうが気分なんぞ晴れやしねぇ。
なんか良く分からんモヤモヤを胸一杯に抱えたまま俺は運転席側の窓を開けた。

肌を刺す風が冷たい。
なんとなく後ろが気になりその窓を閉めようかどうしようかと悩む…が、別に俺が気にする事でもないだろう。

そう思って………
思いながら……
窓を閉めた。


「はぁ。」


デカい溜め息を吐きだし頭をかく。
そしてその手をピタリと止めてルームミラーの中を覗いた。

そこに写っているのは空のシートだけ。
なにせヤツは…寝てやがるんだもんな。
そんな事を思いながら乾いた笑いを浮かべて案内板に目をやると…前方には『湘南バイパス』の文字が浮かんでいた。



バイパスに入りひたすらに走り続けて頃合いのいいとこで下り一般道をひた走る。
山道を上り、この酔っ払い様がおっしゃる『相模湾が一望できる場所』で車を止めて俺は運転席を出た。



カチャ。



リアのドアを開けて爆睡中のヤツの足に触れ、軽く揺する。


「オイ、着いたぞ。起きろよ。」


確か相手は“オキャクサマ”だったような気がするが…そこはシカトで。
するとヤツは低い声で唸りゆっくりと起き上がって眠気マナコで俺を見た。


「……なに?」
「『なに?』じゃねぇよ。相模湾一望スポットに着いたっつの。」


こんなリアクションにも怒る気にならん自分の順応性の高さに驚く。
するとヤツはかったるそうに起きて足元の靴を履き俺の開けてるドアの方にやってきた。


「もう着いたのか。」
「もう…ってアンタが寝てただけで県を三つも跨いでるっつーの。」


俺の声にポヤンとした視線を向けたヤツは『そうか』とだけこたえ、歩きだした俺の後に続いてくる。
形容のしがたい気持ちのまま道路の端に立つガードレールの手前で立ち止まり。


「こちらが相模湾でございます。」


そう言って、まだ暗い海に指先を向けた。


「…良く分からないな。」
「当たり前だ。まだ日の出前だからな。」


ガッカリしたのか軽く首を傾げたヤツは溜め息をひとつ吐きだして俺を見上げて。


「南町公園。」


と小さく呟いた。
当然そうくるだろうとふんでいた俺は『ハイよ』と答えて車へと戻りながらコキコキと首を鳴らした。





◇◆◇◆◇◆◇




『相模湾一望の絶景スポットツアー』を終えた俺とヤツはこれといった会話もないまま帰路についていた。

といってもこの沈黙はなんとなく今までのとは違い、なんていうか…重くない感じ?
俺は前だけを見ていながら時折鼻歌混じりだわ、ヤツは窓の外を見ながらまだ寝足りないのかたまに船をこいだりで。
なんつーか…気を使わなくていいこんな自由な感じを俺はどこかで“心地好い”とさえ思ってしまうようになっていた。


そしてそんな楽しい(?)ドライブにも例外なく終わりはやってくる。
高速の案内板に見慣れた地元名が出てきてホッとして、この良く分からない小旅行がもうあと小一時間程で終わるんだなぁ…と思った瞬間、俺の中に“残念”という言葉が浮かんだ。
自分で自分のその言葉に驚き思わず苦笑い。
…すると。


「横内。」


背後からの声にチラと視線だけを向ける。


「そうだ。なんでアンタ俺の名前知ってんだ?それを聞き忘れてた。」


そう言った俺をルームミラー越しに見たヤツは。


「横内冬至。そこに名前が載っていたから。」


と言って指さした先はダッシュボードの上に立ててある俺の身分証。
なるほど、それなら納得だ…と思いながら。


「あ、あと呼び捨てはやめろよな。俺、アンタよか年上だと思うぜ?」
「何故?年上でもこの場合は乗客の方が立場は上だと思うが。」


…そう来やがったか。
苦笑いをミラーに返して溜め息をつく。
…まったく。
おとーさん、おかーさんとかに年上を敬えなんて言われたりしなかったのかねぇ。
…なんて呆れながら深い溜め息をついた。



高速の出口から一般道に下り真っ直ぐ車を走らせる。

見慣れた街を進み大通りをひた走りヤツを拾ったビル群を抜ける。
直進から右折コースに入ると夕べ…いや一昨日の夜になるのか?
あの時ヤツが酔っ払って寝入っててシートの足元に落っこちたんだっけな。
なんて事を思い出してついニヤけちまった。
ああ…
なんだかんだいってコイツとの時間は地味に思い出とかになってんだなぁ…。
なんて感傷に浸っていると。


「止めてくれ。」


後ろからの声に反射的にブレーキを踏みウインカーを左に倒す。
『南町公園』より交差点ひとつ手前の路肩に車を寄せてハザードランプを点けて。


「なん…」
「精算をしてくれ。」


振り返った俺を見もせずヤツは荷物をまとめ財布を開いてて。
俺は…なんだか急に現実に引き戻されたような気持ちになった。

メーターを精算に切り換え高速代など込み込みで……その数字は未だかつて見た事のない額にまでなり。


「…いくらだ?」


そう問う声に俺は返事が出来なかった。
するとヤツはメーターをチラと見て財布に指を滑らすと、こーゆー場ではあまりお目にかからないような厚さの札の束を寄越して。


「釣りは要らない。」


そう言って自分で車のドアを開けた。


「ちょっ…」


慌てて開けた窓からの声に振り向く事なく歩き続けるヤツ。
俺は何がなんだか分からぬまま札束を持って呆然としていた。
そしてヤツの後ろ姿が交差点を越え『南町公園』の先に進み見えなくなると…まるで何かの魔法でもとけたかのように体から力が抜けて。


「全く…なんなんだよアイツは。」


そうボヤいて札をプチ金庫に入れギアを“D”に戻した。
緩くアクセルを踏み込み左折するのに左にウインカーを倒しながら…ふと。


「もしかしてアイツ…俺がUターンかまさなくても会社に戻れるようにココで降りたのか?」


……なんて自惚れにも近い事を思いながら朝もやの中、会社への帰路に着いた。

――― 次の日。


いつものように社に出勤すると…俺の担当コースが昨日までとはガラリと変わっていた。


「…やっぱか。」
「父さん怪しんでたわよ。」


日報その他の商売道具を揃えている横で花音が溜め息をついて。


「『どんなパトロンつけたんだ』だって。」
「“パトロン”ね…。」


…どっちかってゆーと“宇宙人”だな。
何せ意思の疎通がなかなか上手く出来ねぇし。

朝もやに消えていった背中を思い出しながら苦笑いをし花音に手を振って事務所を後にした。



見上げた夜空は今日もキレイで。
夜空に白い息を吐き出すと可愛い愛車に乗り込み昨日…つか今朝までとは全く違うコースにハンドルを向けて緩くアクセルを踏んだ。

静かな車内から見る暗い夜の世界。
それを美しく照らすネオンをみつめながら俺は色々な事を思い出していた。

…といってもそのほとんどがあの酔っ払いの事。
名前も知らぬやつと初めてかかわってからまだたったの二日しか経ってないのにそれこそもう何年も付き合ってる的な気持ちになったりしてる自分がつくづくアホに感じる。


「情けねぇ…なにいつの間にか情とか移ってんだ。」


…苦笑い。

すると歩道に立っていたスーツ姿の男が手を上げ……て、イカン。
この見知らぬ客にさえアイツの姿を重ねてしまった。


「こんばんは。どちらまでいかれますか?」
「北町図書館お願いします。」


言われた場所を頭の中のマップをフル稼働させて探す。
ゆっくりと走り出した車でいつものルートよか整備の行き届いた路面を文字通り滑るように進みながら俺は…胸に渦巻く思いを消すべく“オキャクサマ”とのコミュニケーションに没頭した。





◇◆◇◆◇◆◇





その日はコースが変わったばっかりでのビギナーズラックだったのか売り上げはいつもよりだいぶ良かった。

まあ客数がそれなりにある大通りを何本か抱えてるし近くに大きな駅もあるしってのもあるが。
しかし普段走り慣れてないルートと新種揃いの客の相手は疲れる。
そんな状態なのに色んな場所を短時間で回らされるわ裏道ばっかを走らされるわなんだわ、かんだわ。
なんつーか…今日はマジ珍しく疲労困憊。


「明日休みで良かったぜ。」


タイムカードをスキャンしボヤきながら事務所を出て…フラ付く足取りで家に帰った。





そして……。

目が覚めると枕元の時計の針は六時を指していた。


「…いつの?」


部屋に戻ったのは朝方。
確か寝る時はカーテンの隙間からチラホラと明かりがさしていたが…今は真っ暗で。


「う…あいたた…」


煎餅布団から体を起こし大きく伸びをしてから枕の横に放置してた携帯を拾ってフラップを開く……と。


「…マジか。」


その日付は次の日の…しかも夜の六時になっていた。


「丸々一日、寝てたのか…。」


苦笑い。

週に一度しかない貴重な休みを寝て過ごすなんて…なんか損した気分だ。
深い溜め息を吐きだしあぐらをかいてボリボリと頭をかきむしる。

まあ…確かに相当疲れてたからな。
あの酔っ払いに振り回されたのとその後の激務。
倒れなかっただけアリガタイってか?

益々深い溜め息をつき裸のまま立ち上がるとテーブルの上に置いてあるタバコの箱から一本抜き出し咥え、先端に火を点けた。


「…禁煙…してたっけな。」


タバコの値上げと同時にやめたハズなのに…。
苦笑いをしながら俺は深い溜め息と共に肺一杯に吸い込んだ煙をゆっくりと吐きだした。

―― その日の夜。


丸一日がっつり寝たおかげか今の俺は驚くほど頭がスッキリしてなんの苦もなく順調にノルマをこなしている。
やっぱこれが本来の姿だよな…なんて思いながら歩道で手を上げてる水商売風のオンナの前に車を止めた。



ピピッ…



自動ドアを開くのと同時に社から個別の無線が入る。
それを手にして。


「今お客さんを乗せ…」
『さっきね、冬至さんをよこして欲しいって会社に電話があったのよ。』


始めて聞くような花音の困った声と内容に無線を切れずにいると。


「北町駅の『K』お願い。」


後ろに乗り込んだオンナが北町駅側にあるクラブの名前をいった。


「あ、ハイ。」


短くこたえてからギアを“D”に入れてアクセルを踏み込む。
同時にまた無線が入ってきて。


『冬至さんに“南町公園まで”って言えば分かるからって伝えてって言っ……』



キキキィィ!!



自分でも驚く程の勢いで車が止まる。
…つか自分でブレーキを踏んだんだけど。


「ちょっとアンタ!何すんのよ、危ないじゃない!」


背後からのオンナの声に耳を向けながら右手はリア席の自動ドアのボタンを押していて。



ガチャッ。



オンナの怒り声に何度も頭を下げながらリアのドアを開けた。


「スイマセン、お代は結構ですからここで降りてもらえませんか?」
「はあ!?」


1オクターブ上がった声を響かせオンナは顔を真っ赤にして『激怒』な鬼の表情を俺に向ける。


「アンタ何言っちゃってんのよ、こっちは客なのよ!?」
「スンマセン、本当にマジ急ぐんで。」


ペコンと頭を下げるとオンナは持っていたバッグを俺に投げ付けてきた。


「ナメんじゃないわよ!なんなのよアンタ!マジ覚えてなさいよ!!」


激怒し怒りも収まらぬ様子のオンナはそれはそれは険しい顔付きで車を降りるなり。



ガンッ!!



リアと助手席のドアをマジ蹴りしていきやがった。
俺はそのまま振り向かずいつもアイツを拾うビル群の中の小さな公園に向けアクセルを踏み込み、まだ見慣れない町並みを横目に見ながらただひたすらに車を走らせた。




◇◆◇◆◇




無線を受けてから丁度十分後。
指定された場所に到着した俺はそこで佇んでいた…忘れもしないわけ分からんヤツの目の前で自動ドアを開けた。


「…遅かったな。」
「…早いんだよ。」


そう。
普段通りに走ってたらさっきの場所からここに来るまで早くたって二十分はかかる。
しかも…乗ってたオンナをキチンと送り届けてたら余裕で四十分はかかってたんだからな。
…って考えたら。


「…メチャ早いっつの。」


言わずにはいられなくて不満を込めてそう言う。


「南町公園まで。」


なのにこのヤローは俺の不満の声をメチャクチャ軽く流しやがった。
でもおかしなもんでこんなやり取りに慣れた今はなんつーか…むしろそれが心地よかったりして。


「…慣れってこえーな。」
「ん?なにか言ったか?」


俺のボヤキに反応して上げた顔をルームミラー越しに見つめ…緩んだ口元を手で隠しながら。


「ハイハイ、南町公園でしたね。」


そう言って俺はゆっくりとアクセルを踏み込んだ。

見慣れた街並みを走りながら時折ルームミラーに目をやり後部座席に座るわけ分からんヤツを見る。
全く変わらないやつの様子になぜだか安心しながら『南町公園』付近に辿り着きその一本手前の路地で降ろしてやつの華奢な背中を見送った。


「…別にここじゃなくてもいいんじゃねぇか?」


ステアリングに腕をかけて呟く。
何せヤツの背中は交差点を越え、公園の先まで進んだ今もまだ俺の視界の中にある。
…って事は…更にまだ先に家があるんだろうから。


「遠慮なのか?もしかして…俺を警戒してんのか?」


色々考えた所で答えなんて出やしねぇ。
何せ三日経った今でさえ“客”と“運転手”の関係に何等変わりはないんだから。


「…ふぅ。」


息を吐きだし体を起こしながら伸びをして…。



ピピッ。



再び社からの個別の無線を受けた。


「ハイ…」
『横内!すぐ帰って来い!!』


返事をするより早い機械の向こうからの怒鳴り声に言葉を飲み込む。
今のは社長の…いつもと比べ物にならないような激怒の声だ。


『すぐ戻れ!分かったな!?』


取り付く島もなく一方的に言われ乱暴に無線が切られた。
…その理由に心当たりがある俺は、深い深い溜め息を吐いてそのまま真っ直ぐ会社に戻った。




◇◆◇◆◇




「クビだ。」


社の戻り、真っ直ぐ向かった社長室に入るなりそう告げられ言葉を失う。


「さっき“オキャクサマ”からお怒りの電話があってな。お前に乗車拒否されたんだと。間違いはないか?」


予想通りの展開に黙って頷く。
すると社長は深い溜め息を吐き真っ直ぐに俺を見て。


「先方さん、そのおかげで仕事に遅れたわなんだわかんだわでお前をクビにしないとウチの会社を訴える、と言って来やがってな。……それについて言い訳があるなら聞いてやる。理由次第では裁判で戦ってやってもいい。」
「…イエ。」


冷静な顔付きの社長に苦笑いを向けて深々と頭を下げる。


「ご迷惑をおかけしちゃって申し訳ないです。ここまで面倒みてもらっただけで十分です、ホント…恩を仇で返しちゃって…」
「…ちょっとは言い訳しろよ。」


下げた頭に掌の感触。


「お前が理由もなくそんなつまんねぇ事するとは思ってねぇんだよ。だから…」
「理由もなんも、やった事に変わりはナイですから。面倒な事になるよかマシでしょう。」
「横内。」



ビシッ!



頭を叩かれさすりながらゆっくりと上げると…目の前の社長はいつもより苦い、辛そうな顔をして。


「言い訳すんのは恥ずかしい事じゃねぇぞ。お前は梓の時だって…」
「社長!」


言葉の途中を掌で遮る。


「お世話になりました。挨拶には改めて伺いますんで。」


ペコリ、ともう一度頭を下げてから社長室のドアを開けて事務所に戻り…どうやら話を立ち聞きしていたらしい花音と目が合って。


「…というわけで、お世話になりました。」
「あの電話のせいなんでしょ?」


下げかけた頭を止めて花音を見ると彼女は顔を真っ赤にして今にも泣きそうな表情をしていた。


「だから何のせいでもねぇっての。まあ客商売は元々好きじゃねぇから丁度いいっつのもあんのかな。」


ハハ、と笑うと花音は俺の手をギュッと強く握り締めて。


「冬至さん、ほとぼり冷めたら帰ってきてね。…待ってるから。」


そう言って俺に抱き着いてきた。
震える細い肩を抱き明るい茶髪をゆっくりと撫でて。


「ゴメンな、花音。」


溜め息交じりに言いながら…昔の“義理の妹”の髪を撫でた。

会社を出て真っ直ぐ家に帰る……途中でコンビニに寄り飲めもしねぇ缶ビールなんぞを三本ほど買ってみた。
それをカゴに入れてチャリをこぎ、数分とかからぬ場所にある木造二階建てアパートの一階にある我が家のドアを開けた。



パッ。



入ってすぐに電気を点け座卓の上に部屋の鍵を放り投げて敷きっぱなしの布団の上にあぐらをかいて座る。
そしてわし掴みしたビールのプルタブを勢いよく開けそれをグッとあおった。


「ぐわっ、マズっ!」


沸き上がる吐き気を押さえながらそれを一気に飲み干し…。



ドタッ。



そのまま布団に仰向けに倒れ、目を閉じた。

こうなる事を予想してなかったわけじゃねぇからショックはない。
…が、
社長と花音にイヤな思いさせちまったのがどうしようもなく痛かった。


「ホント、スンマセン…」


低く呻き、俺はそのまま意識を手放した。




◇◆◇◆◇




ドンドンドン…



けたたましい音に目が覚めて起き上がり、同時にズキズキと痛む頭に掌を添えて軽く振る。
手元の携帯に手を伸ばして開き時間を見る…と。
時間は翌日の夜の十時、だった。


「…とことん酒はダメなんだな。」


苦笑いを浮かべて立ち上がり打たれ続けているドアに向かい鍵を外してノブを回す。



ガチャ。



押し開けたドアの先に現れたの…は。


「……え?」


そこにはなぜか、あの宇宙人な酔っ払いが立っていた。


「横内冬至!」



―― パチクリ。



何度か瞬きをしてゴシゴシと目を擦る。
しかし目の前にいるソイツは全くもって消える気配はない。
それどころか。


「なぜだ、横内!」


こんな極近くでしかもこんな大音量で怒鳴ってくれるおかげで二日酔いで痛む頭が益々ズキズキと痛んだ。


「なぜだはコッチだ。なんでお前ここに…」
「タクシー会社に電話をしたらお前は辞めたと言われた!それは俺のせいなのか!?」



グイッ。



胸倉を掴まれ凄まれた所でこんな可愛い顔されたら怖くなんかねえっての。



…ん?



…可愛い?



今、俺は…コイツを可愛いって言ったのか?



自分の発想に一瞬固まり苦笑いをする。


「何がおかしい!笑うな!俺は真剣に…」
「何を聞いてきたのかは知らんが…別にお前のせいじゃねぇよ。」


俺のシャツを握り締めてる手を外させて溜め息を吐く。


「お前からの呼び出しは別に時間指定があったわけでも急かされたわけでもねぇ。乗せてたヤツを降ろしてからだって行けたのにそうしなかったのは俺だ。だからお前のせいじゃねぇよ。」
「だが…」
「誰がなんと言おうがそれが結果だ。お前は何も負う必要はナイ。」


そうキッパリ言ってやったにもかかわらずヤツはまだ言い足りないようだった。

ああ…。
こーゆーヤツだからあの成田空港経由の珍道中があったんだな…なんて今更ながらに思う。
あれはやっぱ、初日分の埋め合わせのつもりだったんだな…と思ったら、何だかこの不器用な変な気遣いが愛おしく思えてきた。


「ありがとな。」
「はっ!?お前、俺の話を……」



ギュッ。



気が付いたら俺は…名も知らぬヤツの事を強く抱き締めていた。





◇◆◇◆◇◆◇





―― 次の朝。


目覚めた俺はソッコー朝飯を作り着替え等々の支度を始めた。

何せ今日から久々のプータローだ。
生きてく為には職を探さなきゃならん。
飯食ったら職安に行って、その足で求人雑誌あさって…んでもって…と色々考えながらトーストをかじりコーヒーを飲みながらふと、夕べの事を思い出す。

夕べ…はずみとはいえ男を抱き締めてしまった。


否。


“はずみ”じゃない。
ちゃんと“そーゆー”意思はあった。
だからどうとかってのはないんだが…なんつーか…何を期待してたってわけじゃねぇんだけど、実のところヤツに思いっきり、力一杯突き飛ばされて俺はかなりヘコんでいたりする。


「…キモチ悪ぃとか…思われたんかな。」


別に下心があったわけじゃねぇ。
ただ純粋にヤツの心が“愛おしい”と思っただけで。


「でもまあ…これでアイツに会う事ももうねぇんだろな。」


タクシーを降りて地に足が着いた俺にはヤツとの関連もなんもない。
最後の別れ方もあんなだったから…。



ドンドンドン!



物思いにふけっているといきなりドアが猛烈にノックされビクリとして顔を上げる。


「オイオイ…今何時だと思ってんだよ。」


だいぶ早い時間の来訪にぼやきながら立ち上がりゆっくりと玄関のドアを開ける。
……と。


「…え。」
「おはよう。」


目の前にいたのは…今の俺のぼやきの元。


「なん…」
「横内、お前スーツは持ってるか?もちろん冠婚葬祭用以外のだ。」
「バカにすんな。そんくらい…」
「じゃあ五分で着替えろ。」



チャリ…



掴まれた手の中に落とされた冷たい物を見下ろす。
それには四つの輪が横に並んだマークが刻まれていて……?


「…アウディ?」
「裏の駐車場で待っている。詳しくはそこで、だ。」


そう言ってヤツはドアの向こうに消えていった。

なにがなんだかサッパリ分からん。
けど…ヤツが俺に不利益な事をするとは思えないから取りあえず食いかけの物を冷蔵庫にブッ込むと風呂場に入り歯磨き粉を付けた歯ブラシを咥える。
そしてそのままクローゼットの奥に眠る濃紺のスーツを取り出しブラシをかけた。


「…何年振りだ?」


支度の全てを終えスーツを身に纏った俺は部屋を出てドアに鍵をかけるとアパートの裏手にある駐車スペースに向かった。


「遅い。」
「だからこれでも早ぇんだよ!」


そこには…鍵同様のマークが眩しい黒のアウディが停まっていてそれに寄り掛かって腕を組んでるヤツは可愛いくせにやたらとキマって見えたりする。


「…で?」


ここまでやらせたヤツに向かってそう問うとそのままの姿勢で俺の上から下までをマジマジと見てから。


「“馬子にも衣装”だ。」
「ほっとけ。」


と、毒を吐いてクスリと笑った。

…ったく…マジ可愛いっつーの。
男相手にそんな事を思う自分が激しくキショイ。
…すると。


「横内冬至。今日から俺の運転手になってもらいたい。」
「はっ!?」


あまりにも突然のヤツの話しに声が裏返ってしまう。


「俺の仕事の送り迎えと車の整備、あと会社の要人や来賓の方などの…」
「ちょっ、ちょっと待て!」


焦る俺を気にするでもなく進む話に待ったをかける。
言ってる内容があまりにも突飛過ぎて戸惑いを通り越して、引きまくり。


「なんだその要人って!そんな大事な事を俺にやらせようってのか!?」
「横内にだから任せられるんだ。」


真っ直ぐに俺を見る黒い瞳は真剣そのもの。
俺は黙ってヤツからの言葉の続きを待つことにした。


「ここ数日で横内の腕は分かった。車に酔いやすい俺がそうならないのは運転が上手い証拠だ。それに…」


言いかけた言葉をそのまま飲み込みヤツは俺をジッと見て。


「それに……あ、給料はタクシーの運転手の時の倍出す。休みは俺と一緒で隔週二日だ。どうだ?何より無職の今なら断る理由なんてないだろう?」


ズラズラと述べられた内容よりヤツが飲み込んだ言葉が気になる。
けどきっと…コイツの事だから絶対に口を割る事はないだろうな、とそう思ってフッと笑い。


「…俺を雇って後悔すんなよ?」


口の端を上げて笑うとヤツもまた小さく笑って俺を見上げた。

ドキドキすんのは…やっぱそーゆー事なのか?

久々に感じる胸の鼓動に苦笑いをしながら青い空を見上げる。


「立石夏至だ。」


少しばかし和らいだ声に顔を下ろすとヤツ…“タテイシナツシ”はやんわりと笑って俺に右手を差し出してきた。
俺は迷わずその手を握って。


「よろしくお願いしますよ、タテイシナツシさん?」


そうこたえて手を引き…ヤツを腕の中に収めた。

ドキドキと高鳴る鼓動は間違いなく恋の始まり。
願わくは…俺のこの想いがこの不器用な男にちゃんと届きますように。

そんな乙女チックな事を思いながら俺は腕の中のキレイな男を見下ろしもう一度抱き締めた。





‐END‐
2018.10.11(改up)

TRUE FACE

ジリリリ…



けたたましく鳴る頭上の敵に手を伸ばしその出っ張りをグイ、と押し込む。
耳障りな音が止まったのを確認して…顔を埋めてる枕からなんとか起き上がってメ一杯の伸びをした。


「あー……体痛ェ。」


煎餅布団にあぐらをかき首を捻りながら左手を回す。



ゴキゴキ。



「あー……スゲェ音。」


関節の乾いた音に苦笑いをしながら立ち上がり今度は全身で大きく伸びをしてから台所に向かう。

【…朝飯。】

イヤ、なんかそんな気分じゃねぇな。
ふぅ、と溜め息を吐いて冷蔵庫を開けミネラルウォーターのペットを取り出しグッとあおる。


「さて……。」


溜め息にも似た掛け声と共に俺はまた大きく伸びをした。




◇◆◇◆◇




身仕度を整え財布と車のキーを持ち…今時珍しいヒップバックなんぞにそれらを入れて部屋を出る。
そして目の前に停めてるチャリに跨がるとゆっくりとスタートさせた。


タクシー会社をクビになった今は新たな職場でヤハリ車を運転している。
…が、仕事で車を使いはするもののそれは俺のじゃなく使ってんのはこの愛用のチャリンコだけ。
しかもこれも前に花音が乗んねぇからってのをもらったというチープなもんだ。
だが背に腹は変えられんという意味の通り実際贅沢はいえない。
職場までの足を確保しなきゃ仕事にも行けねぇんだもんな。

溜め息をつきつつそれをひたすら走らせ新しい職場を目指す。

夜型の、しかも割と気ままだった前とは違い今の職は軽くセレブ風?
着慣れな…くはないがもう何年も袖を通してなかったスーツを身にまとい、まあ…家との往復はチャリではあるがそれなりの仕事をしていたりする。



キッ。



シャカシャカとこいでたチャリを止め見るからに高そうなマンションを見上げる。
俺の知ってる限り、この界隈ではこれが一番デカくてお値段的にも一番高いマンション。
その真ん前に立ってるガードマン氏に頭を下げ、たわいない話をしながら敷地内の駐輪スペースにチャリを置いて更に奥の駐車場に進んでいく。
…と。


「遅い。」


その目の前に相変わらずエラそうな言い草の俺の可愛い、愛しい片想いの相手が現れた。


「だからまだ時間前だっての。遅くなんかねーよ!」
「俺より遅い時点で遅いんだ。」


可愛い顔して相変わらず可愛くない事を平気で言ってのけるヤツの前を横切り、ヤツの為に後部のドアを開ける。
するとヤツは黙って中に入りシートに座ると俺を見上げて。


「行こう。」


そう言ってホンの少し笑ってみせた。
車に乗り込みシートベルトをしてからルームミラー越しにヤツを見る。
…と。


「…なんだ。」
「え!」


眉を寄せたヤツと目が合い別にやましくもないのに軽く狼狽。


「別に、もう車出してもいいかと思って…」
「ああ。シートベルトはしたからいいぞ。」


短く告げて視線を外すとヤツは自分のアタッシュケースを開け何やらゴソゴソとあさり始める。
そんなヤツを見ながら運転席側の窓を半分程開けギアを“D”にいれてアクセルを踏んだ。

ゆっくりと走り出し駐車場の出口に向かうとさっきのガードマン・伊東氏が本線までの誘導をしてくれて。


「行ってらっしゃい。」
「行ってきます。」


そんなやり取りをしてから窓を閉めた。


「…ずいぶん親しげだな。」


ピタリと窓が閉まると同時に珍しくヤツが声をかけてきて。


「ああ、伊東さん?普通に話すよ。」
「伊東?」


ルームミラー越しのヤツはまたもや眉を寄せて何やら悩んでる風。
ああ、そうか。


「あのガードマン氏は伊東さんていって出勤初日に俺のチャリを置く場所を探してくれたんだ。」
「…そうか。」


納得したのかヤツは一度頷くとアタッシュケースから出した紙の束をめくり始める。
その姿をミラー越しに見ながら溜め息をついて。


「お前さ、会社までそう時間かかんねぇんだから資料とか見んのやめろよ。」


そう言って右折車線に移る。


「…余計なお世話だ。」


するとヤツは声色を少し固くしてそう返すと資料をアタッシュケースに戻した。

【あれ。
なんかヤケに素直だな。】

そう思いながらもうひとつ気になっていることを口にする。


「余計なお世話ついでに言うがお前ちゃんと寝てんのか?顔色悪いぞ。」
「……。」


ヤツは今度は何も返さずに窓の方に顔ごと向ける。
…全く。


「仕事忙しいんだろうがそーゆー時こそちゃんと寝ねぇと倒れ…」
「お前は運転手だろ。黙って運転だけしていればいいんだ。」


許容範囲を越えた“余計なお世話”だったのかそれをバッサリと切り捨てたヤツは、またアタッシュケースを開けてさっきしまった紙の束を取り出してしまった。

俺はふぅ、と短く溜め息を吐き出して。


「…失礼シマシタ。」


そう謝罪をし黙って車を走らせた。

重い沈黙のまま車を走らせ目的地である通称【スターズビル】の前に到着した。

そのまま緩やかな上りを走り総ガラス張りの“いかにも儲かってマス”的なきらびやかな玄関口前のロータリーで止まるとそそくさと降りて後部のドアを開けた。


「行ってらっしゃい、立石。」
「“様”だ。」
「……タテイシサマ。」


いまだヘソを曲げたままの俺の主はいつもの無表情をどことなく不機嫌寄りにしてスタスタと入り口に向かって歩いていく。
その後ろ姿がまた凜としてていい、なんて見惚れ気味に見送って……ると。


プププーッ!!


いきなり後ろからクラクションを鳴らされ慌てて俺は運転席に戻り車を発進させた。

ボンヤリと可愛い立石を見てたのが悪かった。
気付かないうちに車の後ろが出勤渋滞になってたし。

苦笑いを浮かべながら俺は巨大ビル隣の関係者用駐車場に車を滑り込ませた。




◇◆◇◆◇




「ヨコちゃんはあの立石さんのお抱え運転手なんだって?」


駐車場に入りまずは一服…と思ってた所にココの管理人をしてる丸山さんがやってきた。
丸山さんは初老の男性だが若い頃はモテたろうなかなかの美男子…つか“美ジイさん”。


「あれ、言ってませんでしたっけ?」
「いやー聞き間違いだと思ってたんだよ。だって“あの”立石さんだもんよ。」


“あの”ってなんだよ。
もしかして…性格があんなで有名とか?


「あの小生意気な物言いと態度にキレて辞めちまうヤツが一杯いてなぁ…。」


…まんまか。
思ってた通りの展開にフォローの言葉もない。


「なんて、そーゆー事を部下に言っちゃいかんよな?」


カッカッカ…と、まるで黄門さまみたいに笑った丸山さんが俺の頭をポンポンと叩いて。


「態度は可愛くないが仕事大好きだからなぁ…あの人は。」


そう言ってまた笑い管理人室へと歩いて行った。
年の割にシャキシャキと歩いてく後ろ姿を見送りながら…立石の評判の悪さに苦笑いをする。
まあ、正直ハズレではない。
だってアイツ激しく生意気だもん。

苦笑い。

でも仕事好きってのは当たってるしちゃんと評価してもらえてんだな。
…そこは、ありがたい。
評判の悪さを覆すようなフォローを自分にしつつ、車を降りた俺は一服する為に管理人室脇のスペースへと移動した。


“俺の人生を大きく変えた立石との出会い。”


まあ…実際はもう少し前にちょっとした“人生を変える出来事”はあったんだが、今回のこれはそれを大きく上回る出来事だ。
何せホレた相手が“男”なんだからなぁ。

一服を終え、黒塗りの社用車を洗車機に通しながらふと思い出すのはヤツの今朝のあの態度。


…………全く。


「…可愛くねぇ。」


顔はキレイで申し分ねぇのにあの可愛くなさは実に残念だ。
…が、時折見せる笑顔や言動にときめいちまう自分もいる。


「あーゆーのを“ツンデレ”って言うんかな。」


だとしたら俺はまだヤツの“デレ”の部分の一割さえ知らないかもな。


「…全部見るのにどんだけかかるんだか。」



ピー…



深い溜め息にかぶった甲高い音の後に洗車機の回転が止まりアーチが後方に下がる。
水浸しのドアを開けて運転席に乗り込みエンジンを回すとそのままバックで発進した。
拭き上げスペースに後方移動しながら…ふと前を見上げれば。


「…しかしこの『スターズ』さんはどこもかしこもがデカいな。」


前方のフロントガラスの幅一杯に入る無機質な外壁とおびただしい数のガラス窓。
それを眺めつつ呟きながら車を停車して降り、そびえ立つ巨大なビルを見上げた。

この『スターズ』さんはその道じゃ名の知れた大手の貿易会社。
あまり多くを語らない立石の話を繋げる限りではヤツはここでそれなりの地位、もしくは立場にいるようだ。


「ま、そうだろうな。イキナリ人一人雇えるくらいだもんな。」


ただのペーペーが俺が前にもらってた給料の額も聞かずに『倍額出す』とは言えんだろうし。
…って考えれば考える程こんなオイシイ話があっていいもんなのかと思う。


「余程俺の運転技術にホレ込んだのか、可哀相に見えたのか…」


まさかの後者だったら立ち直れねぇから…考えるのはよそう。

溜め息を気合いに変え車のボディを濡らす水玉を丁寧に丁寧に拭き上げていき……磨き上げた愛車ならぬ社用車をみつめながら自己満気味にウンウンと頷く。
…すると。



ブブブ…



スラックスのケツポケットに入れてる携帯が低くブルりだした。

「冬至さん、こっちこっち!」


久々に聞く人懐っこい声の方に目を向けると、ファミレスの明るい窓際の席で一際明るい笑顔で手を振る俺の…昔の“義妹”がいた。

ジーンズが大好きな彼女にしては珍しい、滅多に見れないような女らしい淡いピンクのミニのワンピースによそ行きの化粧。


これは……


俺の自惚れなんかじゃない紛れもなく“気のある相手”と会う時の装い。


「ごめんね急に呼び出したりして。」


いつものオレンジではなくワンピースと同じ淡いピンクの口紅が塗られた唇でふわりと笑う表情も…やはりいつもとどこかが違う。
それに気付かぬフリをして俺は花音の正面の席に座った。


「いや、たまには外で昼飯を食いたいと思ってたから丁度いい。」
「ホントに?」


嬉しそうに笑う顔は昔のまま。

何年経とうが環境が変わろうが俺のその感情には何の変化もない。
今も昔も変わらぬ可愛い“義妹(いもうと)”だ。


「それよりどうしたんだ?こんなトコに来るなんて。」
「あ、うん、ちょっと近くに来る用事があったから…」


ぎこちない返事に少しだけ笑って返す。
“近くに来る用事”…ってもここはバリバリのビル街だから会社勤めでもない限りふらりと訪れる場所でないことは明らか。
なのに普通の顔で笑って見せる花音の…こんな健気なところに俺は未だに弱いのだ。


「そうか。じゃあせっかくだからおごってやる。何がいい?」
「わーい…ってでも冬至さんお金…」


ブブブブ…


花音の声の途中でテーブルに置いていた携帯が震えだす。
何事かと背面ディスプレイを見ると。


「…立石?」


その相手は俺の雇い主サマだった。
慌ててフラップを開き公共の場だというのにもかかわらず受話口に耳をあてる。


「なん…」
『横内、どこにいる!』


ヤツにしては珍しい焦ったような声に戸惑いながらも反射的にその場で立ち上がる。


「どこって…丸さんに言っといたぜ?」
『誰だそれは!いや、そんなことより今…』
「冬至さん!」


立石の声をかき消すようなデカい声に驚きテーブルから立ち上がった彼女に目をやる。
花音の表情はさっきまでの可愛らしいのとはうって変わり怒りに満ち、その目は俺にではなく手元の黒い携帯を睨みつけていて。


「今は私といるんでしょ、電話なんて出ないでよ!」


そう、怒鳴った。

しん…と静まりかえる店内。
そして今の今まで聞こえていた右の耳からの声は途絶えプープーと通話の終了音だけが何度も繰り返され続ける。


「…花音。」
「なんで!あの人のせいで冬至さん仕事を辞めることになったんじゃない!なのに…」


ポン。


感情が高ぶってか今にも泣き出しそうな顔をしている彼女の頭に掌を乗せてそっと撫でる。


「花音、何度も言うがあれは誰のせいでもないんだよ。だから…立石を悪く言うのはやめてくれ。」


そうとだけ言って花音に背を向けると俺はそのまま真っ直ぐ出口へと向かった。




◇◆◇◆◇◆◇




ファミレスから駆け出した俺は軽く足踏みしながら目の前の横断歩道の信号が青に変わるのをひたすら待った。

ここは片側三車線からなる大通りを挟んだ『スターズビル』の向かい側。
故に歩行者用の信号はなかなか変わってくれない。


「…早く変われ…」


ボヤきながらその場で更に足踏み。

だってさ、“あの”立石があんなに慌ててたんだぜ?
何をどう言ったって動じないようなヤツが、よ?
だったら余程のなんか、大変なことがあったんだろうよ。

手にした携帯で十度目のコールをかける。


プップッ…


呼び出し音のすぐあとに不在を告げる機械的なアナウンス。

…ったく…
着拒かよ。

イライラしながら信号をにらみ続け、歩行者用の信号が青に変わるのと同時に俺は猛ダッシュで走り出した。
横断歩道を行き交うサラリーマンの波をかきわけるように走りながら通りを渡りきり『スターズ』…の、横手にある駐車場に駆け込む。


「丸さん!丸さん…」


昼飯を食いに行く場所を教えといた相手・丸山さんの姿を探して。


「丸さんっ!ま…」
「なんだよヨコちゃんそんなに慌てて。」


すると敷地内の喫煙スペースの片隅でタバコをプカリとふかしてる彼を見つけた。


「なんで!俺、ファミレス行くって、なんかあったらすぐ戻るから連絡くれって…」
「ああ立石?だってアイツ俺になんも聞かずに飛び出してったんだもん知らんよ。」



ハアッ!?
なんじゃそりゃ!
今時、幼稚園児だってもっとまともな受け答えできるぜ!?

言いたいことを全部飲み込み不満げな彼に背を向けると俺はそのままの勢いでビルへと繋がる裏口のドアを押し開け中へと駆け込んだ。
白い綺麗な廊下をひた走りやたらと高い吹き抜けのスペースに出るとその真ん中にある受付の、これまた綺麗な受付嬢達の真ん前に立って。


「スイマセン、立石は、どこに、いますか!?」


きれまくりの息を必死に繋いでそう聞いた。
あまりにも俺が凄い形相だったのか受付嬢達は軽く引きながらも内線をかけてどこかに確認をとってくれて。


「申し訳ありません、立石は只今外出中で…」
「それは知ってる!だから、その場所を知りたいんだ!」


ズイ、と身を乗り出すと受付嬢達はますます引いて困った顔でしどろもどろ。
焦れた俺は腕を伸ばして彼女らの手元にある電話を奪おうとして…。


「立石なら今頃は高速に乗った頃かと思いますよ?」


伸ばした腕を止めて声のした方を振り返った。
その先にいたのは…年の頃は立石と同じくらいだろうか?
でもヤツよりだいぶ大人びた感じの“好青年”風のやつで。


「横内さんですよね?立石はあなたを探していたようでしたがつかまらないと言ってタクシーで出掛けて行きました。」
「…タクシーで?」


『つかまらない』って…メチャクチャつかまえてたじゃねぇか!
…なんてツッコミを程々にして本題に入る。


「どこに行ったんですか!」
「静岡です。」


静岡!?
いきなり他県!?

思うのと同時にそこまでのルートを頭に思い浮かべる。


「立石の部下が顧客の方を怒らせてしまいましてね。その方をご自宅までお送りに…」
「でもアイツ、車に酔うでしょ!」


そうなんだ。
立石が俺を選んだ理由のひとつにそれがある。
アイツは何気に車に酔いやすい。
なのに俺の転がす車だと、今のところは連戦連勝らしいのだ。


「仕方がありません。そんなことより顧客の方が大事ですからね。しかも先方様は昔からの大口のお取引き様ですので。」


ニコリと微笑むヤツを見ながらフツフツと怒りが込み上げる。

……『そんなこと』ってなんだよ。

こいつは立石の車酔いのことも今の状況も知ってんのにこんな言い方を…しかも笑いながらとか。
沸き立つような思いを堪えながら俺はヤツに向けて深く頭を下げる。


「教えていただいてありがとうございます。」


そう言って下げた頭を上げ顔を真っ直ぐにヤツに向けてから。


「我が主の元に向かいますので私はこれで失礼致します。」


そう言って笑いもう一度深々と頭を下げた。

受付をあとにした俺は来たルートを猛ダッシュで駆け戻って愛用の社用車・アウディに飛び乗った。


コンコン。


運転席に座りシートベルトをしている最中に音がしてそちらを見ると。


「丸さん?」


閉めきった窓の外では丸山さんが神妙な顔付きで立っていた。
スロットルに差し込んだキーを回しながら窓を開ける、と。


「…悪かったな。」


低く小さな声で言うなり丸山さんは懐に手を忍ばせ中から紙を抜き出して。


「なに…」
「立石を追い掛けるんだろ?持ってけ。」


そう言って貴重な紙幣を二枚、俺の目の前に差し出した。


「要らないよ。通行料は会社の経費だからETCで…」
「そんなのはいいんだ。」


ぐっ。


拒む胸元にそれが押し付けられ困る俺に向かって丸山さんは。


「ちっちぇイジワルしてねぇでお前に連絡つけてやってりゃあ…こんなオオゴトにならずに済んだんだからよ。」
「そんなんもういいよ。アイツとは一応一度は連絡ついてんだしさ。」


ぐぐっ。


押し付ける腕に更に力がこもり俺は小さく溜め息をつく。


「分かったよ。ありがたく使わせてもらいます。」


そう言って札を受け取り運転席から丸山さんを見上げて笑ってみせる。
ホッとしたような彼の表情を見ながら俺は足元のアクセルをゆっくりと踏み込んだ。

思いがけずくってしまった時間に内心溜め息。
丸山さんの気持ちは分からんでもないが今は一分一秒を争うときなんだ。
おかげで…こんな一般道を三桁に届きそうな速度で走らなきゃなんねぇ。


グッ…


更にアクセルを踏み込みギアが上がる。
目の前に現れた緑色の看板を見上げてETC専用レーンに向かいながら速度を落し…。


ググッ。


ゲートを通過するなりさっきよりも力強くアクセルを踏み込んだ。
一気に回るタコメーターを横目にサイドミラーを確認。
こんなとこで事故ったりしたら立石に追い付けねぇもんな。
…なんて。
アイツを中心に回っている思考に苦笑いを浮かべる。


「さて…アイツはどこのSAまで頑張ってるかな。」


およその見当をつけているのは二カ所目のSA。


「…ったく。酔い止めなんぞ飲みながら行くなってんだ。」



チッ。



舌打ちをひとつして…俺は短く息を吐いた。

高速道路の追い越し車線をひたすら走りひとつ目のSAを通り過ぎる。
もしかして…酔いに耐えられずあそこに避難してるかもしんねぇ。
そんな後ろ髪を引かれる想いを抱えたまま車を加速させた。

俺の知ってる立石はなんだかんだ言っても根性がある。
しかも仕事の上での話ならヤツの負けん気はフルに発揮されるだろう。
俺はそんなヤツの“負けん気”を信じて更に速度を上げた。

確か……『スターズ』さんの近辺は三社のタクシー会社がテリトリーとしていたはず。
一社は俺のいた『宮路』。
あとの二社は他県から参入している大手だ。


「…黄色と…シルバーだったっけな。」


二社のタクシーの車種とボディカラーを思い浮かべながら前方に現れたSA入口の緑の看板が示す矢印の方へとハンドルを捻った。
緩やかな上りの先にある割と空き気味の駐車場に入り手近な場所に車を停める。


ガチャッ!


勢いよく開いたドアから駆け出した俺はすぐさま“黄色”と“シルバー”のタクシーを探し始めた。


「…どこだ……」


車でならたいした距離じゃないのに実際に走るとSA内は結構広い。
カラフルな鉄の山を見渡しながら走りそれらしき車を見付けては駆け寄り…舌打ち。


「…ここじゃねぇのか…?」


はあはあと息を切らしながら立ち止まりグルリと辺りを見渡す。


「…立石……」


小さく呟き空に向けて深い溜め息を吐き出す、と。
目の前に停まっていた大型トラックが移動していき…その向こう側に、探していた“黄色”のタクシーが姿を現した。
あまりの偶然に驚きつつ駆け寄り後部座席を見下ろす。
すると…。


「立石!!」


そこには俺の愛しい探し人の姿があった。

シートに横たわり青い顔でグッタリしているヤツの姿に慌てた俺はドアノブに手をかけ…て。
助手席からの視線に気付きその場から一歩退いた。


カチャ。


ゆっくりと開いたドアから出てきたのは…丸山さんと同じくらいの歳だろうか?
白髪頭に口髭を生やした初老の人で。


「…何か?」


発せられた低い声に俺は“きをつけ”をしてから腰を深く折りお辞儀をした。


「失礼致しました。私、この立石の部下で専属の運転手をしております横内と申します。」


言いながら内ポケットを探り名刺入れを抜き出すとお辞儀を少し起こしてから一枚抜いて彼に差し出した。
彼はその名刺をしげしげと見てから俺に視線を向けて。


「遅い。」


…と、低く言った。




◇◆◇◆◇◆◇




流れていく車窓の向こうの景色を横目にルームミラーを覗く。
なにもないただのシートだが実際そこには俺の探していた男・立石が横になっている。
…はずだ。


「ウホン。」


隣からの咳払いに視線を向ければ…そこにはさっきのSAで迎え入れた立石の顧客・新城さまが鎮座されていて。


「自分の上司を放って昼食を摂るなどと…ずいぶんと無礼な部下だな。」


…と。
立石からの呼び出しに応じなかった俺にかなりのご立腹な様子だ。
まあ…本当のところは微妙に違うんだが結果的には同じってことだから仕方ないんだが。


「申し訳ございませんでした。以後は…」
「そんな輩の車に乗るなど金輪際ないわ。」
「……。」


平謝りを聞く耳はもっていないらしくもう二十分近くこんな感じで…温厚な俺もだいぶうんざりしてき始めた。
苦笑いを浮かべる俺を憎々しげに見ていた彼…新城さまは短く溜め息をつくと助手席から後部座席に顔を向けて…こっちを見て。


「お前は立石をどう見ているのだ。」


そう…言った。
“どう”って表現の意味。
それに後ろめたいところがある俺は内心ギクリとするが初めて会った相手がいきなりソッチの意味での質問はしてこんだろう、と思って。


「大変仕事熱心だと思います。」
「それだけか。」
「……は…?」


なんだこの居心地の悪い視線は。
細められた目は鋭く運転席に座ってる俺を上から下までジロジロとまるで探るように動く。

え、
まさかマジで!?

最初の勘ぐりがマジだったのかとビクつき…。


「あの…私は男ですが……」
「お前は立石の味方なのか、と聞いているのだ。」
「え??」


予想外の彼からのセリフに思わずそっちを見た。
そして運転中なのですぐに前を向き直る。


「敵か味方か、ですか?」
「そうだ。」
「それは穏やかではありませんね。」
「…敵なのだな。」


下された決定にふっと息を吐き出し視線だけを彼に向けて首を振る。


「立石さまの敵ならこうして追いかけてきません。」
「そんなことでは判断できんな。」


胸の前で腕を組んだ彼を横目に、追い越し車線を走りアクセルを踏んだ。


「私……俺はまだ彼をよく知りません。ですが彼の真面目過ぎるところも融通がきかないところも無神経な発言を真顔でするところも…正直全てを許せるわけではありませんが…」
「ふはは…」


“立石”の生態を言ってるところに新城さまの笑いが被る。
くっくっと笑った彼は口元に握った拳を添えて小さく息を吐いて。


「立石は…可哀想な“子”なのだよ。」


そう言ってまた後部座席に顔を向けた。


「可哀想な子、ですか…」
「おかしいか。」
「いえ…」


“子”というにはもうだいぶ頃合いが過ぎていると思うが…?
含みのあるセリフになんとなく二の句が継げずにいると。



「立石を初めて紹介されたのは奴がまだ二十歳の頃だった。」


そう言って彼は“立石”の昔話を始めた。


まだ学生だった立石は仕事内容も知らぬまま、会社になくてはならぬほど大口の顧客である新城さまに引き合わせられた。
会社側の書類の不備ミスが発覚して大激怒をしていた新城さまに。
それこそ会社の命運を分けるほどの大役に、だ。

わけがわからぬ立石とこんな素人をよこされた新城さまの怒り。

文字通り怒りを通り越した新城さまが暴れようとしたその時、立石が彼の目の前で土下座をしたのだ。


『馬鹿にしておるのか!貴様ごときの土下座になんの意味が……』
『私にはこの仕事がわかりません。貴方のお怒りもです。貴方のお気持ちが理解できるようどうか私を教育してはいただけませんか。』


怒りが頂点に達した時にそんなことを言うか、普通。
なめてんのか、と憤った新城さまだったが…立石のその真剣な眼差しに負けてしまったそうで。



「怒っている自分が馬鹿のように思えてしまってな。」
「はあ…」


まあ…なんだ。
しかしどこでどうしたらそんな展開になるってんだ。
全くの素人を出す場面じゃねぇだろそこ。

ツッコミどころはたくさんあるが結果的にはそうした相手の勝ちだ。
その策士はそれを狙っていたのかそれとも…


「“スターズ”はな。親子三代で成り立つ企業だ。先代はとうに引退しているが今の社長にそんな知恵はない。」
「では…」
「三代目…木谷昴(きたにすばる)がしたことだとワシは思っておる。」



“きたにすばる”


あれ…
どっかで聞いたような…。

聞き覚えのある名前に一瞬思考が止まる。


「それから奴は会社側のミスが起こる度に立石を出してくるのだ。まるで捨て駒のようにな。」
「…ひでぇ…」


止まった思考は新城さまの非道なセリフでまた動き出す。
だから…


「だから私に『立石の敵か?』と問われたのですね。」
「そうだ。まあ…お前は敵ではないようだから話したのだがな。」
「なぜそう思われたのです?」
「ふん。」


質問に皮肉っぽく笑うと彼は俺の横顔に向かって。


「お前は立石の悪いところだけを言い“建前”を述べなかったからだ。」


そういって楽し気に笑い…静かに頭を下げた。


「なんです…」
「そこから始まった縁だがワシは立石の願い通り奴を一から教育した。この仕事を知りもしなかったただの小僧にだ。だからこそ、可愛いのだ。ワシの本当の息子よりも可愛く思う。」


『どうか立石の味方になってやって欲しい。』


威厳のある初老の男は優しい“お爺ちゃん”になり見ず知らずのこの俺に頭を下げた。
俺はそんな彼の気持ちを引き継ぎそして…自分の中に新たに芽生えた気持ちを胸に“惚れた男”を守ることを心に誓ったのだ。

大事な顧客である新城さまとの和解……つーかなんていうか、なコトが収まり彼の住まう県に入った辺りでやっと“俺の主”が目を覚まされた。


「なんで…っ…なっ、なんだどういうことだ!?」


後部座席からの小さな唸りに始まり、覚醒して起き上がるなりの立石のいつにない程の慌てふためき様が地味にツボって笑ってしまう。
すると助手席に座っている新城さまが“笑うな”と言わんばかりに俺を軽く睨んで一つ咳ばらいをした。


「おはようございます立石様。」
「だからなんで、お前がっ…」
「主のピンチに参上しない部下がいますかって話しですよ。」
「そんなことは聞いていない!俺が言っているのは…」
「良いではないか。」


俺達のやり取りを聞いていた新城さまが目を細めて少し笑ったようにも見える表情を浮かべながら言葉を挟んだ。


「ワシの目に狂いがないのはお前もよく知っておろう?立石よ。」
「はい。それは重々…」
「ならばこの男に間違いはないと思うが?」


新城さまの振り返らぬ背を見ながら立石は一度唇を噛んでから。


「はい。」


短く答えて頷いてみせた。


「そして横内。」
「は、はい?」


後ろに向いていた彼の意識が急にこっちに向き一瞬怯んだ俺は内心焦って新城さまを見る。
すると彼は口元をホンの少し緩めて。


「運転に自信があるのだろがここは高速道路の上だ。後ろばかり見ていないで前を向いて運転に集中しろ。」


…と、ごもっともなことを言われ俺は苦笑いを浮かべた。
それからしばらくの間、二人は仕事の話をしながら時折談笑したりして。
俺の目から見ても彼らは普通に仲の良い“家族”のような感じだった。

あのお堅い立石が笑っている。
俺に見せないような柔らかい表情をしている。

それを小さなルームミラー越しに見て…なんとなく淋しいようなそんな気になった。


高速を降りて下道を走り二車線相互の道路から片道一車線の道になる。
カーナビの示す画面から建物の表示が消え始めた頃。


「やっと着いたわい。」


目の前に現れたのは…高い山を背後に背負った昔ながらの大きな大きな“お屋敷”だった。
古い木でできた塀に囲まれたひたすら広い敷地。
その中央に鎮座する“お屋敷”はまるで時代劇に出てくるような立派な城レベルだ。


「新城さま…車はどこに着ければよろしいのでしょうか…」
「左手の奥に門がある。その前に着けろ。」
「かしこまりました。」


言われた通りに進みごつい塀の切れた辺りの小さなスペースに車を寄せるとギアをパーキングに入れてドアを開け外に出る。
そのまま後ろ側を回って後部座席をチラ見しつつ新城さまの座っている助手席のドアを開けた。


「ご苦労。」


お辞儀をした俺の視界に写る彼の草履。
それがこっちに向いたのに気付き俺は少しだけ顔を上げた。


「横内。また今度…立石を連れて来るがいい。」
「え…」
「手土産は忘れずにな。」


口の端を上げて笑った彼は俺に背を向け屋敷に向かって歩き始める。
それを追って車を出た立石はチラとこっちを振り向き眉をしかめた。


「…まだ怒ってんのか。」


呟きながらその背を見送り溜め息をついて車内に戻る。
ハザードランプを点けたままそこでUターンをかまし、二人が入っていった扉の前に後部のドアを寄せて停めて俺はまた外に出た。

見上げる空は…素朴な青色、だ。
都会で見るそれとはまた違った澄んだ色をしてる。


「あー…これって。」


雲一つない澄み切った空の色はどこか立石を思わせる。
なんか最近の発想全てが奴に繋がっているような気がして…。


「俺ってこんなに一途キャラだったっけかな。」


ぼやいた視界で木製のデカい扉が開いた。
そこから出てきたのは立石で。
その瞳が俺を見つけるなり細められて。


「…ここで何をしている。」


…と…言われてカクンと膝の力が抜けた。


「何って今更…」
「だから、なんでここにいるんだと聞いた、さっき!」
「なんでってそんなの…」
「俺は、お前なんか呼んでいない!…いなかった!」


珍しく声を荒げる立石はいつもと少し様子が違う。
いつもは静かにムカついてる感じだが…今のはガチで“怒ってる”。
…いや。
怒ってる、とも少し違うか?


「呼んでねぇのか?」
「ああ、当たり前だ!」
「走り回って俺を探して、電話までかけてきたのにそれでもお前は俺を探してなかったのか?呼んでなかったのか?」


電話してきた時の奴の悲痛な声を思い出してキュッと胸が痛んだ。
ツッコミに言葉を詰まらせた立石は睨みつけていた視線を外して顔を背けて……俺は。



ギュッ…



そんな立石の手を取って、握った。


「なんだ!なんのつもりだ!?」
「ごめんな。」
「はっ!?」
「俺のこと探してくれてたのに…本当に、ごめん。」
「だから別に…」


握った手を振り払われてもめげずに俺は、今度はその華奢な身体に腕を回して抱き締めて。


「花音の言ったこと、聞こえちまったんだろ?」


そう言うと立石は暴れていた動きをピタリと止めた。

…なんてわかりやすいんでしょ。

苦笑いをした俺は背中に回した掌を奴の後頭部辺りに添えて引き寄せ耳元に唇を寄せる。
普通の男相手にこんなことしねぇが…今こうしてる相手は俺の好きな奴だから。


「花音にも言ったけど、勘違いしないでくれ。あれは俺の意思でしたことだから誰のせいでもないんだよ、マジで。」
「だからあれは…」
「じゃああれは、お前のせいだ。」


少し強めの声で言うと腕の中の立石の身体がビクリと震えた。


「そうだ。お前のせいだよ。…これで満足か?」
「…っ…」
「でもお前はその責任取ってこうして俺を拾ってくれただろ?だからもういいんじゃねぇのか?」
「それは…」


少しずつわかってきたコイツの性格。

真面目すぎて、
堅すぎて、
融通が利かなすぎ。

だけどそれがどうしようもなく可愛く思えてしまうんだからしょうがない。
これはもう…誰にもどうすることもできないただの俺の“惚れた弱味”だ。


「だから立石サマ?俺を拾ったからにはちゃんと面倒みて下さいよ?」


耳元で囁いて愛しい身体を離す。
すると奴は赤くなった顔を背けて耳を自分の掌で隠して。


「そんなことはわかっている。お前は今後、どこかに行く時は必ずこの俺に許可を取ってから出ろ。許可なしでどこかに行くことは絶対に許さん。わかったな。」


厳しい言葉を言ってるくせに顔が真っ赤とかどんだけ。
…全く。
色んな面がみえる度、どんどん奴への想いが増えていく。

ペコリと頭を下げて後部座席のドアを開き“タテイシサマ”を中へと促す。


「では主?楽しいドライブをしながら社に戻りましょう。」


ニコリと笑った俺に複雑な顔を向ける立石。
出会った頃よりずっと色んな表情を見せてくれる奴に、今日も俺は残念ながらまた一層惚れてしまった。




-END-
2018.10.19(改)up

PRECIOUS

青い青い空を見上げながら額に浮く汗を拭って手にしてる雑巾を絞る。



「…ッキショー…夕べ雨が降るなんて一言も言ってなかったじゃねぇかよ。」



ぶつくさとこぼしながら洗車機から出てきた愛車…もとい、社用車に近付きドアを開けて乗り込んだ。



ブォン!



アクセルを踏んで空ぶかしするとこの高級車はマジ惚れ惚れするようなイイ声で鳴く。


「たまんねぇな、高級車。」


ラジオから流れてくるFMでは“夏に聴きたいNATSUソング特集”なる物が流れていて…。


「いつの間に。つーか巷ではもうそんな時期なんだな。」


と、時の流れの速さを実感した。


俺がこの仕事・お抱え運転手を始めてからボチボチ三か月が経とうとしている。
そもそもの始まりは…なんていうか色々と複雑なんだが、まあ、考えようによってはイイ上司に拾っていただけたという現在の結果に辿り着くわけだ。


「横内。」


かけられた声にそっちを向けば…今ご紹介致しました“イイ上司”が拭き上げの終わった社用車に近付いてくるところで。


「ハイ?どうかしましたか?」


聞きながら濯いだばかりの雑巾を絞って立ち上がるとすぐ側まできた上司…立石は無表情で自分のハンカチを俺に手渡して。


「人を乗せて昼食に行きたい。どこか良い場所はあるか?」


なんの前置きもなくそう言った。


「…人、ですか。」
「そうだ。」
「その方の情報が欲しいところですが?」
「ああ…」


問うた声になぜか難色を示す立石。
どことなく…いつもと違う様子に嫌な予感がビシビシとくる。
バツ悪そうにスマホを取り出したヤツはその画面を俺の方に向け…て…。


「……彼女、だ。」


そう言って俺から顔を逸らした。



…は?



今、
なんて…?



聞いたはずの言葉が理解できずに…
なのに、鮮明に脳にこびりつく。


「すまん。もう一度…言ってくれるか。」
「彼女、だ。」


聞き間違いかと思っていた言葉は今度はムカつくくらいハッキリと語られて。


「なに…お前彼女いたの…」


自分でも笑っちまうような憔悴した声に苦笑いをしながら俺はヤツの手にスマホを返した。


「それは…人並みにはいるさ…」
「……ああ。」


出会ってからのこの三か月間、側にいる間は全くといっていい程女っ気なかったよな?
それを思い出しながら…。
でも立石をマンションに送り届けた後のことは知らない、か。
…とも思って。


「そうか…」


一人呟き、みっともないくらい盛大な溜め息を吐きだした。
その間、立石からのコメントは一切ナシ。
もしかしたらそれがアイツなりの優しさなのかとか色々と思いながら大きく息を吸い込んで。


「立石サマの…彼女、とのランチですかー…ならちょっとくらい奮発しても大丈夫っすね!」
「え、あ…ああ。」
「洋食がいいっすか?それともイタリアン?」
「…どちらでも。」
「お帰りはお早い方がいいですよね?午後からは確か会議が…」
「それはキャンセルした。」


仕事熱心が取り柄の立石のくせに?
そんな軽い言葉さえ出せない俺は貼り付いたような笑顔をヤツに向けて渇いた笑いをした。
ヤツは顔を背けたままスマホをギュッと握り締めて。


「…このまま直帰だ。」
「ああ…では、もう出発しますか?」


小さく息を吐いた立石は一度だけ頷いてから踵を返し【スターズビル】の社屋に戻って行った。
その華奢な背中を見送りながら俺は、回らぬ頭を必死に巡らせ脳内のナビでランチの場所を探していた。

「初めまして。木谷舞花(きたにまいか)と申します。」


立石が連れてきた“彼女”はそう告げてペコリとお辞儀をした。
見た目可愛らしい彼女は今どきにしては珍しい黒髪をさらりと流し、どちらかといえば和風の面持ち。
立ち振る舞いもさながら笑った顔は笑い、ではなくいうなれば“笑み”で。

なんつーか…
つまりはとても上品で可愛らしくて……
まあ…
頭の固い立石にとても似合いそうなそんな女の子だった。


「初めまして。私、立石サマの運転手をしております横内冬至と申します。」


腹に掌を添えて頭を下げる。
上げた視界に入った立石はなぜか俺から顔を逸らして遠くを見ていて。
いつにないなんだか変な違和感を感じながら俺は、彼女を後部座席に促しその隣に並んで座った立石を見ながら静かにドアを閉めた。

運転席に向かう背中にチクチクと何かが刺さる。
嫉妬で痛む胸とは違うその刺さる“何か”の正体を辿って車内を見るとこっちを見上げていた立石と目と目が合った。

…なんだ?

変な感じを受けながらも運転席に座ってシートベルトを締める。
出発の声を掛けてからゆっくりとアクセルを踏んで駐車場から本線へと合流した。



金曜の昼ということもあって車は少し多めだがこれといった渋滞はしていない。
なかなかに流れている道を走るのは気持ちがいいがどれだけ走っても俺の曇った気持ちが晴れることはなかった。
後部座席から聞こえる二人の会話。
興味なんてないはずなのにいちいち心の中で茶々入れする自分に苦笑いが出る。

俺って…ちっちぇ男なんだな。

そんなことを思っているうちに車は海を一望できる交差点で止まった。


「わあ…海。」


舞花嬢の弾んだ声に顔を上げて正面の海をみつめる。
キラキラと輝く水面がいやに眩しくて俺はふいと視線を逸らした。


「あの…横内さん?」


すると後部から名を呼ばれその声の主に振り返る。


「はい。」
「ごめんなさい、無理を言ってしまって。」
「はい?」
「急にランチに、とか。」
「ああ。いえ問題ありませんよ。」


そうか…立石が急にランチとか言いだすから珍しいと思ったが彼女からのリクエストだったのか。
変に納得しながらアクセルを踏んで左のウィンカーを出す。


「なっちゃん、あまりお店とか興味ないから心配してたのですけど…」
「失礼だな舞花。」
「ふふ。だって本当のことじゃない。」


“なっちゃん”ね…
二人があまりにも自然なんで俺はなんつーか…嫉妬とかそんなモンをする気も萎え始めていた。

立石のことは愛してる。
だが…恋愛経験のある奴ならわかる一種の空気?
『俺の入り込む隙なんて』…ってやつ。
それを感じながら俺は、到着した“ここらで有名なイタリアンの人気店”に二人を促しその背中を見送ってすぐ側の海をみつめた。


「なんだかなぁ…」


ぼやいて溜め息をついて。


「…マジか…っての。」


またぼやいてまた溜め息をついた。


ピリリリ…


聴き慣れた電子音に我に返って車内に目を向けると膝元のスペースに置いてあるスマホが着信を告げていて、画像とランプの色で花音とわかり慌ててシートに戻って着信を受けた。


「どうした?」


俺の声に花音の小さな笑いが返る。
なんだかだいぶ久し振りなような気がして、そんで肩の力が抜けるような気がして。


「笑うなよ…」


言いながら外に出てドアに寄り掛かりながら青い海をみつめる。
耳に響く花音の声は相変わらず弾むようで楽しそうで…彼女の話を聞きながら俺は海の先の遠い空に目を向けた。


『聞いてる?冬至さん。』
「聞いてるよ、花音。」
「横内!」


いきなりの至近距離からの強い声に驚いてそっちを見る。
するとすぐ側に…店の中で飯を食っているはずの立石が立っていて。


「え、なんで……」
「職務中に私用の電話などするな!」


…と…かなりご立腹な様子だ。
てかこの状態で職務中とかどうだよ、と思いながら花音に断り通話をオフ。
なのに立石はすっかりご機嫌を損ねてしまっているようで顔付が…相当…。


「申し訳ありません。」
「“申し訳ありません”で済むか!いい加減な仕事をするな!」
「はい、大変失礼致しました。以後気を付け…」
「だから…っ…」
「なっちゃん落ち着いて!」


下げた頭に舞花嬢の慌てた声が被り立石の荒げた声が止まる。
恐る恐る顔を上げると…顔を真っ赤にした立石の腕を手綱の如くグッと引っ張っている舞花嬢がいて。


「ごめんなさい横内さん!」
「舞花…さん。」
「あの、良かったら横内さんもご一緒にランチ、いかがかと思って迎えにきたのですが…」
「あ…ああ…」


それで、か。
この全てのタイミングの悪さに苦笑いが出る。


「…舞花がそう言っている。来い。」
「なっちゃん、そんな言い方…」
「いえ舞花さん。元々私が悪いので…」
「でも…」


俺と舞花嬢に背を向けて立石はさっさと店に戻っていく。
その後ろ姿を見ながら俺は、困った顔をしている舞花嬢に一度頭を下げ彼女を店内にエスコートした。

窓の外に広がる青い海。
夏前の独特の澄んだ青さが白い砂浜と相まってその美しさを際立たせている。
それを横目に見ながら俺は内心溜め息をついた。
なぜなら…
店に入る時も入ってからも席に着いてからもずっと立石は黙り続けている。
その隣の舞花嬢は困ったを通り越して泣きそうな顔付きになってしまっていて。
女にそういう顔をさせるのは不本意だと思う俺は立石を放って彼女との会話を続けていた。


「お待たせいたしました。」


ウエイトレス嬢の声に会話を中断して一息。

料理名と共に置かれた魚料理は丸テーブルの右隣に座る立石。
目にも鮮やかなパスタのプレートは舞花嬢の前に。
そしてチキンステーキの乗ったピラフが俺の目の前に置かれた。


「ごゆっくりどうぞ。」


一礼をしたウエイトレス嬢が去り再び静まり返るこのテーブル席。
小さく溜め息をはいた俺は舞花嬢を見て、立石に視線を向けて掌を合わせた。


「では、いただき…ませんか?」
「そうですね。なっちゃん、いただきましょ?」
「…ああ。」


伝言ゲームみたいな流れで一応の確認が取れ、食事を食べることに。
少しだけほっとして俺はチキンステーキにナイフを入れた。


「…美味しい。」


左隣に座る舞花嬢が可愛らしい声で言う。
本心からの声に気分を良くした俺は彼女に笑い掛けながら。


「ここは何かの雑誌にも乗った有名なお店のようです。」
「…ふん。」


……言った声に立石のヒネた相槌が入る。
全く…。


「実は私も雑誌でこちらを見知っていまして、いつかは来てみたいと思っていたのです。」
「それは偶然ですね。私も興味がありましたので今日のお話を聞きこちらを選びました。」


舞花嬢は楽し気に笑みながら慣れた手付きでくるくるとパスタをフォークに巻いた。
上品な動きはイイトコのお嬢様を連想させる。
それを見ながら俺は切ったチキンを一口頬張った。
そして……視線に気付く。


「…どうかしましたか?」


視線の主は大絶賛不機嫌中のタテイシサマ。
細められた目が俺のチキンに真っ直ぐ向いていて…同時に奴が鶏肉好きだと気付いて。


「……一切れ、差し上げましょうか?」


俺の声にハッとした様子の立石は、黙ったままそっぽを向いた。


深ぁーい……


深ぁーーい……溜め息をついて、俺は。


「立石さま、いい加減になさいませ。」
「…なんだと。」
「悪かったのは私なのですよ?後程きちんと、立石さまのお気の済むまで謝罪いたします。ですから今は、舞花さまに失礼のないようされるべきではありませんか。」
「よ、横内さん…」


慌てる舞花嬢を見て、立石に視線を戻す。
すると奴は俺を見ぬまま一度小さく頭を下げて、舞花嬢に顔を向けて。


「……すまない舞花。せっかく会いに来てくれたというのに…」
「え!ええ、はい…」


素直に謝った立石に舞花嬢は戸惑った表情を浮かべ…そして優しく笑んだ。
仲睦まじい二人を見ながら俺の胸は再びチクチクと痛みだす。
その痛みに気付かぬフリをして俺はひたすら手元のチキンを切り続けた。

立石がやっと話をし始めたおかげで舞花嬢のご機嫌も戻ったらしくさっきよりだいぶリラックスしてきたように見受けられる。
ホッとした俺はそんな二人の会話や表情を見ながら地味に傷付いたり初めて聞く話に聞き入ったりと結構楽しい時間を過ごしていた。



目の端に映っていた青い海の色が少し翳り始める。
そしてそれは顕著に時間の流れを示していて。



「あら…もうこんな時間なのですね。」
「早いな。」
「せっかくお会い出来たのに…残念です。」


言葉通り残念そうな顔を立石に向けた舞花嬢は俺の方にも向いて。


「今日はお話し出来て楽しかったです横内さん。」
「こちらこそ。私などにお声を掛けていただいてありがとうございました。」


立ち上がった俺を見上げて舞花嬢がお辞儀をくれる。
マジでこの娘はイイ嫁さんになるな。
……なんて自虐的なことを思いながら俺は立石から預かっている経費用のカードを片手にレジに向かった。

こじんまりとしているレジにいるウエイトレス嬢に声を掛けて清算をし、カードを手渡す。
その間中ずっとテラスにいる二人は親し気に話をしていた。
いつも俺に向ける顔ではない立石の表情。
少しリラックスをしてるように見える様子もたまに笑む顔も…初めて見るようなものばかりだ。
これは純粋に羨ましいというか…。


「…色んな表情、見れたとこでさ…。」


嫉妬、羨みその他諸々。
自分でもわからぬ気持ちを抱えたまま俺は二人を連れて店をあとにした。

立石の彼女のお住まいはきっととてつもなくデカいお屋敷なんだろう。
そう思っていたのに、彼女を送った先は意外にも二人を最初に乗せた【スターズビル】横の従業員用駐車場だった。
車を降りた彼女は俺に笑みと柔らかい言葉をくれて一度お辞儀をしてから立石と共に従業員用の出入り口に入っていった。

彼女は…従業員なのか?

素朴な疑問が浮かぶ。
いやいやそんな感じじゃあないよな。
どう見てもお嬢様だし。

そんなことを思いながら車を動かしいつもの駐車スペースに移動。
日課となっている車内の掃除をしている最中…背後に人の気配を感じて振り向いた。
するとそこには。


「…立石、サマ。」


さっきの店で見た怒り心頭なままの顔をした立石が仁王立ちしていた。
手にしてる車用の小型掃除機の音がいやにデカく聞こえる。
いまだ表情の変わらぬ奴を見上げながら俺は掃除機の電源を落として後部座席から出た。


「お帰りなさいませ、たて…」


名を呼び終わる前に乗り込んだ奴は俺を見もせず勢いよくドアを閉める。
つーか…
危ねぇだろうが!
そう怒鳴ってやりたいところだがこんな状況なのでしばし我慢。
溜め息をついた俺は車内に入り持っていた掃除機をダッシュボードに入れてシートに座った。


「…直帰でよろしかったですね?」
「しつこい。」
「…シツレイイタシマシタ。」


最早セリフは棒読み。
…とはいえさすがにこんなに怒ってる風な立石は初めてだからどうしたもんか。

しかしぶっちゃけて言えば。
俺的に立石が飯を食ってる間に電話してたってことがそんなに悪いとは思えない。
だもんで納得いかない気持ちが強いといえば正直強い。
だが、まあ…以前、主従契約的なことをしたから仕方ないのか?
そう思えばこの立石の怒りは仕方のないことだ。

開き直って俺は奴の住まう高級マンションに向けてハンドルを回した。

路上に出てしばらく走り溜め息をひとつ。
ついてない時はとことんついてないもんだ。
社を出たのが夕方過ぎだったもんで道路は地味に渋滞中。
いい感じに帰宅ラッシュにハマっちまったらしく車は交差点から抜けることができないでいた。
しんと静まり返っている車内はさっきの店でのことを思い出させる嫌な沈黙。
なんだかな…と息を吐いた俺の後頭部にあのチクチクな視線が再び刺さった。


「…立石サマ、なにか?」


返事はない。
…いやはや。
しかしこういう時はどうすりゃいいんだろうね。

この面倒な立石は色んな意味で本当に面倒だ。
“だいたい”とか“普通なら”という俺が今まで培ってきた人付き合いのノウハウが全く通用しない相手なのだ。



だから…



こんな時は…



放っておくに限る。



出会ってから何度かした口論の末学んだこと。
無駄にあれこれ気を回さず立石の気が済むまで怒らせておけばいい。
奴もバカではないからある程度までいくとハッと我に返って反省をする、ようで。
そしてそうなった時にやっと俺達はきちんと筋道を立てて話し合いをするのだ。
その展開を覚悟して小さく息を吐いた俺は、前を向き直進レーンから左折に移って渋滞回避の裏道を走り出した。
今いた大通りを真っ直ぐ走って次の交差点を右に曲がれば立石のマンション。
でも今向かっているのは【スターズビル】方面。
つまり逆戻りをしているってわけだ。
それに気付いたらしい立石はいつもよりも低い声で。


「…どこへ行く。」


と言った。
可愛くない言い草が本気で可愛くないからシカトしてやる。
…と言いたいところだが、俺はれっきとした大人だから。


「タテイシサマノオウチデス。」


機械並みに棒読みでこたえてやった。
案の定それが気に入らなかったらしい立石は例のチクチクな視線を俺に刺して口を噤んだ。

窓の外を流れる景色はいつもの行きに見るもの。
職場に向かう道の手前で折れた俺は車幅一杯のしかも一方通行の道をひたすらに走り続けた。
俺のチャリやら当時乗っていたタクシーなら余裕な道幅だがさすがにこの高級車では運転している俺でさえ結構スリリング。
だが、一分一秒だって速くコイツをマンションに帰したいから俺は神経を尖らせて運転に集中した。


「……だ…」


その途中で声が聞こえた。
なんだ?と思いながらも気のせいかと思って運転に神経を戻す。
すると。


「お前が、また、…っ…」


今度はかなりデカい声が聞こえて。


「また、宮路花音と…電話を……だ。」
「は?」


裏道を突っ切ってマンションの目の前に出たところで振り返り立石を、見て。


「なんだよ…それ。」


苦笑いを浮かべながら、俯いてしまっている立石をみつめた。



『また、宮路花音と』
『電話を……だ。』



“電話を”の次に入る言葉はなんだ?
思いながらも俺の脳は自分の都合のいいように言葉を探して。


「また、宮路花音と、電話を、“していたから”、だ。?」


繋がりそうな言葉を入れて声に出した。
俯いたままの立石は一瞬ピクリと震えたがこれといった返事も相槌も訂正もよこさない。
ってことは…
正解でいいのか?
勝手に判断した俺は前を向いてアクセルを踏み込みマンションの駐車場にかなり強引に車を停めた。

なんだこの展開は。
高鳴る胸を押さえながら深呼吸して…今日のことを色々と思い出して色々と整理をした。


「立石サマ。今日は仕事中に私用電話などして申し訳ありませんでした。」


最初に言わなければならないのがこれ。
飯を食ってる時に俺はこのことで怒っている立石に“気が済むまで謝るから”と言ったから。
立石からの返事はないが奴が顔を上げる気配もない。
どうしたもんかと思っていると。


「お前は…なんなんだ。」


…ん?
意味が分からず返事が出来ない。


「…は?」
「だから、お前は一体なんなんだ、と聞いているんだ。」
「すまん立石。もう少しわかりやすいように説明を…」
「俺の許可なしで出歩くことは許さないと言った。なのにお前は俺の知らないところで勝手に何かをしようとしている。俺がいないのをいいことに宮路花音と電話をしたり…」
「いや、あれは花音から…」
「それに、怒っている俺よりも、舞花にばかり気を使い、挙げ句、レジの女にまで…っ…」
「ちょ、ちょっと待てって!」


俯いていた立石はいつの間にか顔を上げていて表情はさっきのように怒り心頭な様子。
だけど、言ってることは…どう聞いたって。


「内容だけ聞いてると…立石が俺を好きで、周りの女相手に嫉妬しているように聞こえるんだが。」


俺の言った言葉に目の前の怒り顔が一瞬にして凍り付く。
そしてそれはみるみる内に溶けて真っ赤に変わって。


「ふざけるのも大概にしろ!!」


聞いたことないくらいデカい声を上げた立石は勢いよくドアを開けて車から駆け出して行ってしまった。
呆気に取られた俺は…この状況を全く把握できぬまま俯いて右掌で顔を覆い。


「だってお前、彼女いるじゃねぇか…」


小さく呟いて深い溜め息を吐き出した。

(ML)DRIVER.

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♂×♂(ML) 雇い主×ドライバー 社会人同士の不器用な恋のお話です。 ※強い性的表現はありませんが年齢制限を設けておりますのでこの要素となります。

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