とある夏休みの午後
もなかのアイスを、きみがたべながら、唸っている。きみの視線の先には、テレビ、プロ野球中継、きみが応援しているというチームは、あいにくの模様。ベランダには、午前中に干した洗濯物が、もう、この暑さで、からっからに乾いたのではないだろうか。ぼくは、しまわなくていいのかなぁと思いながら、画板の上の、真っ新な画用紙と向き合って、すでに、一時間が経っていることに気づかないふりをしている。描きたいものが、思い浮かばない。自由課題とはいえ、一度、描こうと決めたのだから、なにか描きたいとひろげた、画材セット。これといって、いま、描きたいなにかがあるわけでもないのに、描こうと思えば描けるだろうと、かんがえていたのだけれど。描きたい気持ちはあって、気持ちだけで、筆はまったく動かず、なんだか、空回りしている感じで、ぼくは画板の裏を、指先で、こつこつと叩く。リズミカルに、ときに、不規則に。インターネットに、ぽんぽんと絵をあげられるひとって、どういうふうに描いているのだろう。日々、描きたいという欲求が抑えられず、描いているのか、べつに描きたいものはなくても、筆を持つと、自然とのってしまうのか。絵は、いまは、まだ、好きで描いていて、たとえば、それでたべていけたら、とまでは思っていないけれど。絵を描くことは、楽しい。
テレビの音がとつぜん、大きくなった。
きみが低い声で、唸る。
画面には、ホームランのテロップが表示され、きみが応援しているチームのユニフォームではない方の選手が、右手を上げてゆっくりと走っている。
飲みかけの麦茶がはいったグラスが、大粒の汗をかいている。窓を閉め切っていても、蝉の鳴き声はうるさい。ぼくは、きみがこちらを見ていないことを確認して、鉛筆を握ったままの右手を天にかざしてみた。テレビの向こうで笑っている、野球選手みたいに。
とある夏休みの午後