せんせいのめがね
めがねを、こわしたのは、わざとじゃない。せんせいは、それをわかっていて、だいじょうぶだよといいながら、ぼくのあたまをなでる。きょうがこのめがねの寿命だったんだよと、なんだか、映画のセリフみたいだと思いながら、でも、ぼくはやっぱり、せんせいに何度も、ごめんなさい、ごめんなさい、と謝った。こわいのは、いつも、ぼくの不注意で、馬鹿で、せんせいが、ぼくから、離れていってしまうかもしれない。ぼくとせんせいの、こどもとおとなの、だれにもばれてはいけない関係の、その危うさゆえの、日常の、ささいなことが、すべてのおわりにつながっているかもしれない。右のレンズが割れた瞬間、そういう恐怖が、波のように押し寄せ、ぼくを飲みこんでいったのを、せんせいのやさしさに、かろうじてすくいあげられた。
あいされているのは、うれしい。
でも、あいされているのは、ときどき、こわい。
まいにち、気が狂うほど暑くて、せんせいの部屋で、冷房をがんがんと効かせながら、本を読んでいても、ニュースや、天気予報で、燃えているみたいに赤い太陽のマークや、気温の数字をみているだけで、うんざりしてしまう。せんせいの本棚は、おもしろい。いろんなジャンルの本があるけれど、とくに多いのは海外のミステリー小説で、ぼくは言葉の意味や、内容を、じっくりとあじわい、噛みしめるように、ゆっくり読み進めている。せんせいは、パソコンに向かって仕事をしたり、ぼくにおやつをつくってくれたり、する。きのうのおやつは、カスタードプリンだった。
めがねは、ちゃんと代わりを持っているのだと、せんせいは机のひきだしからだしたそれを、みせてくれた。でも、こわしたぶんはちゃんと、弁償します。ぼくがいうと、せんせいは、ぼくのほっぺたをかるくつまみ、もう気にしないの、と、やさしく、けれど、はっきりと、意思のつよさをあらわにして、ぼくを諭した。右目のレンズを失っためがねが、ダイニングテーブルのうえでむなしくたたずんでいる。
あまやかされるのは、ちょっとこわい。
くすぐったくて、うれしいことなのに、ちょっとこわい。
それはすこしだけ、夏のおわりに似ていた。
せんせいのめがね