夏の色、0の記憶 ‐XXXX年‐

千梨

遠い遠い未来の昔
うたかた屋さんという泡売るお店が
海のなかにありました

色んなものから生まれた泡 例えば
うたた寝する海藻の夢
入り組んだ洞窟の迷図
海を切り裂く甲板が流す錆びた涙
そういったものから生まれた泡を
ビンなどに詰めて売っているのでした

うたかた屋さんの店先は
風色 陽の色 海の色
色とりどりに塗られた傘の内側に
たくさんの泡たちを集めて 綺麗に飾り付けられています
まるで色んな場所を
一度に旅しているような気分になって
かつてヒトが目にしたという 海の水平線を
いくつもならべて眺めているようでした
うたかた屋さんは
遠くから見ても うたかた屋さんだ と
分かるようになっているのでした

なかでも一際鮮やかなものが
とても気になりました
朝の色も 昼の色も 夜の色も
喜び怒り哀しみ たくさんの生命の色が
みんな 少しずつ 塗られてありました
虹色 と 言うのだそうです

どんな色でも仲良しこよし
透明の袋に詰めて貰った 泡たち
聞いたところによると
いつでもしっかり見張っておかないと
いつの間にか ここから手の届かない あの遠い空のなかへと
泡たちは還っていこうとするそうです

袋詰めにしてもらった泡も やっぱり
あの大きな広い空が恋しいのでしょうか
天へ天へと向かおうとするのでした
わたしは泡たちが恋しがる 本当の空というものを
見たことがありません
それでも 泡たちが寂しくて恋しがっているのを見ると
とても素敵なものに違いない と 思うのでした

巻き貝の家
真っ白なミルク色は 砂と同じ色
きっと空に浮かぶ雲というものも こんな色なのでしょう
最近 ヤドカリさんが お引越しをしてきて
高い岩の上から 珊瑚の森を見せてくれたり
入口にもなる窓から 弧を描いて泳ぐ魚を眺めたり
毎日が楽しいことでいっぱいです

さっそく袋の結び目を解くと
大きな大きな泡が 小さな小さな泡たちになって
部屋中に飛び立ちました
数字に例えるなら
0が8になり 6と9に分かれ
また小さな0に戻るようでした

泡たちのなかには
小さな思い出が入っています
そのなかでも かつてこの海の上 空の下に住んでいた わたしのご先祖さま
ヒトという生き物たちは
分かっていたのかどうかは知りませんが
泡に思い出を強く残すことができたのでした

泡に包まれながら待っていると
どこか遠くの世界から ヒッポカムポスがやってきます
ヒッポカムポスは 海の馬 と呼ばれていて 泡が大好物
見つけると どこからともなくやってきて
泡が欲しいとねだります
泡をあげると喜んで
ヒッポカムポスは私を背に乗せ
泡たちが閉じ込めている ここからはるか遠い 昔の記憶の世界へと
お礼に連れて行ってくれるのです

柔らかな海の風を駆け 入り組んだ塩の森を抜けて
辿りついたその日の夏
仮初めのプラスチック・ペットボトルの一日
わたしたちの遺伝子 おぼろな土の記憶を
遠いここから喚ぶ
視界一杯を広く広く包む
どんなに近づいても わたしには手で触れることが許されない あの空に
熱い色も冷たい色も
優しい色も厳しい色も あわせ持つ その虹というものは
美しく きりりと 寄り添っていたのでした

燃える太陽
照り返す砂の熱
冷ます波が寄せる音
このような光景は
今や遠い歴史になったことなのですが
それでも小さな木霊の切片が
こうして遠い未来 大きな海の
小さな私に今 響く

かつての生命あるもの 全てがこうして
海に還りついたというのなら
いつかふたたびヒトは 陸へと旅立つことでしょう
深き海で目覚める泡たちが
やがて天を辿るのと同じように
ああ いつかわたしは
小さな泡たちから垣間見た
あの青い空にかかっている
本物の虹を 見てみたいのです

夏の色、0の記憶 ‐XXXX年‐

夏の色、0の記憶 ‐XXXX年‐

遠い遠い未来の昔 うたかた屋さんという泡売るお店が 海のなかにありました

  • 自由詩
  • 掌編
  • ファンタジー
  • 全年齢対象
更新日
登録日 2020-08-14

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