異端の夏6️⃣

異端の夏 6️⃣


 この世には己に似ている者が三人はいるという。北の国のピリカの口伝にも吟われている。果たして真実なのだろうか。これはその伝承を踏まえた綺談である。

 諸氏よ、驚くなかれ。またもや、その『ハニーランド』の一室なのだ。鎧戸が閉まるのも待ちきれずに、一組の男女が互いの存在を呑み込む勢いで抱き合ったのである。


-尻-

 やがて、あの草一郎に股がり互いの性器と両手の全ての指を汗まみれに絡めて、背を反らせたその女は背徳の綺談でいささか世情を騒がせたあの因縁の女、『義兄妹の儚』を妖しく彩った、男の義理の妹、そのニ〇数年後の卍子ではないか。一七のあの時ですら口の端に上る程に豊満ではあったが、今ではすっかり爛熟した尻を淫らに乱舞させて、かつて馴染んだ陰茎を狼藉しながら、「松林の中で覗いていたあの人達…」「あの女か…」「私にそっくりだったでしょ?」

 開け放たれた西側の窓の眼下には炎天のその松林と湖の遠景が広がって、時折には湖面を渡った僅かばかりの風がカーテンを揺らしたかと思うと、女のほつれ毛をそよがせたりもするが、狂気にかられた暑さだから二人は互いの汗にまみれているのである。
 卍子が張りつめて重い乳房を無作法に揺らしながら、「昨日の皇太子の婚礼、見た?」と、言い、淫奔な肉の躍動を見上げた男が頭を振ると、湿った陰毛をジリジリと擦らせながら、「満子様の初夜はどんな有り様だったのかしら?」と、厚い脂肪に被われた恥骨をぶつけるのである。「だって、みんなに散々揶揄されたんだもの」「何を言われたんだ?」「卍子って世界帝国を夢想した独裁者に因んで、狂った父親にこんな猥褻な名前をつけられた上に、天下公知の猥談の素材におとしめられるなんて…」と、息を切れ切れにして、「あなた?」「あなたったら?」「どうしたの?」「何が?」「だって。不意打ちなんだもの。予言もなしにそんなところにまで指を探ったら…」 「久しぶりだろ?痛いのか?」女は無言だ。「だったら厭じゃないんだろ?」「これは?」「だから、そんなことを始めたらあの日の記憶に戻ってしまうでしょ?」「厭なのか?これは?」と、異邦の肉を確かめるように再び男の指が蠢くと、「…不思議な程に痛くないわ」と、卍子が切なげに呻くのであった。
 「そればかりじゃないだろ?」「お前のここは特殊なんじゃないか?」「そう言われたわ」「誰にだ?」「馬鹿ねえ。あの時のあなたじゃなかったの?私の身体の深奥には別な私が潜んでいるんだって…。異形だって。息を殺して棲んでいるんだって。そう言ったでしょ?」「そうだったかな?」「随分と無責任な吟遊詩人なのね。あれからどれ程の女体に怪しげな呪文を囁いたの?」
 男は答えない代わりに、「こんな愉楽の賜物の遊戯をあの亭主とはやらないのか?」「…そんな。こんな昼日中に情欲を丸ごと発露できるほど、あの人はあなたみたいには野卑じゃないのよ」「だったら夜半は途方もなく貪欲な獣に取りつかれるんだろ?」「相変わらず執拗なのね?」「執拗も嫉妬すら露にしてもお前とは平座なんだ。自尊もない。お前にだけは体裁を繕う必要がない。心を許せるんだ。なにせ妹だからな」「義理だわよ」「それがいいんだろ?違うのか?」「義理の絆と他者の血が混在しているのね?」「混沌とした気分だろ?決して裏切れないし、すっかり自由でもいられる。特別な関係なんだ」「あなたが教えてくれたんだわ。北の国の始祖のひとり、女王イワキと義兄のオサの話ね?」「義兄妹だ。古の悪霊達が作ったこの上なく強靭な絆。性の極致。俺達の関係もそうだろ?」

 「…絶対にしてないわよ」「真相か?」「…だって、あの時に二人切りで約束したでしょ?。私はこんな女だけどあなたとのたった一つのあの契りだけはおろそかにはしてないわ。だから、決してさせてないもの。そこはだって、あなたとだけの極秘の世界なんでしょ?」
 「私達イワキの戦の神、北の国の鬼の元祖、アブクマをノリカがここから産んだんでしょ?」「覚えていたのか?」「あんな衝撃だったのよ。忘れるわけがないでしょ?」「今日みたいに異様に蒸し暑い、高校最後の夏休み。フラりと戻ってきて一年ぶりに再会したあなたが…。私がノリカの再来なんだって猥褻に囁いたんだわ。この秘密は世界の実存の総量よりより大事なんだって。言ったでしょ?」「ノリは国興しの儀式で、山の神、風雨の神、雷神達に、前とここを次々に犯されたんでしょ?」「その伝承に似せられて私はあなたの生贄になったんだわ」「それとも、私がした約束なんて、はなから信じていないのかしら?」

 「だったら、あなただって?」「奥さんのにもしてるんじゃないの?」男が指の動きを止めて、「俺の結婚は失敗だったんだ」と、溜め息をついた。「どうかしたの?」「奥さんは?」「実家に帰ってる」「また?」「今度は決定的だな」「何があったの?」男が、「…あいつに男がいたんだ」と、絞り出して、「嘘じゃない」と、恥辱を重ねた。「あんな女が?不義密通の主人公になったって言うの?」「俺にも信じられない」「馬鹿馬鹿しくて話にもならないわ。だったらこれからどうするの?」「ここに到ったら一緒にいる理由なんて微塵もないだろ?」「別れるに決まってるじゃないか?」「未練はないの?」

 「私もかも、知れないわ」「どうして?」「あの人は今でも子供を望んでいるんだもの」「諦めの悪い奴だ」「あなたは観念したの?」「こんな状況に受胎させる奴なんて愚かな罪人だよ」「そうかしら。私は自然に懐妊しないだけだけど」「それはそれでいいんだけど」「結局はその自然の有り様をあの人は認められなかったんだわ」「女は?」「わからない。私は疎いのかも知れないけど」

 「それでも、この身体を許してるんじゃないか?」「今は海外だわよ」「そうだったな」「半年になるわ」「一度も?」「帰らない。手紙すらないのよ」「お前は?」「私もうんざりだわ」「あの人は退屈すぎるの。それに…」「粗末なんだもの」「何が?」「これ、よ」「お前のこれが巨根好みなんじゃないか?」「あなたのに合わされてしまったんでしょ?」「満足できないのか?」「あっという間だし…」「いっそのこと、何もしない方がましなくらいだわ」「だから、言ったろ?」「私だって冷厳に忠告した筈よ」「そうだったな」「どうなの?」「何が?」「私のこれ、だわ」「格別だ」「私のが?」「俺の、だろ?」「やっぱり、義理の兄妹の契りに勝るものはないのかしら?」「情欲の原初だからな」

 「だったら、また自由に二人きりになれるのね?」「あの頃が最良の日々だったような気がするの」「そうかも知れない」「私達にはこんな不格好な世間なんていらないんだわ」「だって義理の兄妹の関係なんて、そもそもが異端なんでしょ?」「所詮はこの社会には棲めないんでしょ?」「古代の御門制の悪夢だな?」「そうよ。だったらどこかの森の深奥で、二人きりで睦みあっているだけでいいんじゃないのかしら?」

 「私ってあの人と名前が同じでしょ?」「傍迷惑だわ」「ねえ?」「あんな雲上の人達って…」「どうなのかしら?」「何が?」「やっぱり、こんなことも上品なの?」「私達みたいに、こんな昼日中にも、汗まみれになってしているのかしら?」


-陸奥-

 「はい。みなさん。ごきげんよう。自称『おんな解放の象徴、北国の聖女マリアこと、異端のピリカ』です。森羅万象大好き、好奇心旺盛。一期一会を求めて神出鬼没。人騒がせな恋多き女だけど永遠の処女性、秘密の聖女よ。よろしく、ね。今日こそは本名はを明かす約束でした、ね。私の戸籍名は…マンコなの、よ。如何?驚きびっくり驚愕の展開でしょ?」
 「さて、本日は、独裁政権の専横と弾圧が強まる状況から、私たちの運動の転換を指導して頂いている極めて重要な賓客をお迎えしました。近年、数年に渡って学生運動が世情を揺るがしましたが、経済人でありながら支援を惜しまず、政局激動の差配人とか、極左の黒幕と噂されている方ですが、公の場に姿を現すのは初めてです。但し、今日の情勢ですから保安上の理由で陸奥さんと、仮名でお話を伺います。陸奥さんは実は、古代に北の国の南西部で勇名を馳せたイワオニ族族長の末裔でもあります。陸奥さん。ようこそ」「陸奥です。宜しく…」
 「さて、まずお伺いしたいのは全国学生協議会、全学協との関係です」「あなたとは長らく昵懇で、折角の機会を得ましたから。今日こそは初めて真相を話しましょう」「嬉しいわ。あの事件以来のお付き合いですものね?」「さて、私はそもそもが反御門、北の国独立の民族主義者ですからね。それに中小企業の経営者ですし。学生諸君の社会主義とは経路が違うんですが…」「事業の方は?」「戦前に親父が作った工場で。戦時中は銃器や手榴弾などの部品を製造していました。いわば時流に迎合した武器商人ですな」「事業を引き継いだのは?」「戦後まもなく。父が急逝しまして。今は設備機械の部品を作っていますが、あの報道以来、一線からは引きました。悠悠自適、全くの自由人。あなたと同じですよ」「何をおっしゃいますやら。私などは、未だ足許にも及びませんもの。さて、学生運動との関わりは?」「全学協の唐沢君と出会いましてね。何故か意気投合したんです」「彼は昨年に自裁しました。どんな方だったんですか?」「あの死は断腸の限りです。彼は豪胆でしたが、実に繊細でしたね。徹底した合理主義者だった、とも言える。政府を震撼させるような大胆な決断を随所でしましたが。実に綿密な検討を欠かしませんでした」「相談もあったんでしょ?」「初めて明かしますが。ありました」「お話しいただけますか?」「最も緊迫したのは、総統暗殺…」「暗殺?」「そうです。計画書を見せられました」「どうしたんですか?」「合意しました」「それで?」「しかるべき軍資金を供与した」「おいくら?」「それは言えません」「残念ですわ。それで?」「唐沢くんは実行部隊を編成して。責任者は…」「おっしゃって?」「やっぱり駄目だな。未だ危険が多すぎる」「意地悪なのね。わかりました。それで?」「官権の、秘密公安組織ですが、追っ手が迫ってきて某所に緊急避難したわけだ」「何処ですか?」「チチブ」「詳細に?」「倫宗の教団施設です」「あの草也の?」「そう」「まあ。それで?」「ある女と出会ったんです」「先生?」「ん?」「その女、典子じゃありません?」「そうなのね?」「確か、そう言った…」「子供を産んだわ」「それは知らなかったが。君は?」「私は典子とは中学の同級なんですもの」「そうだったのか。『宗派の儚』の続編が書けそうですね」「私がですか?」「おやりなさい。あれは志のある者が書き継いでいくという、前代未聞奇想天外の綺談なんです」

 「私は六〇を越えましたが。今まで始祖の発祥の地には何の関心もなかったばかりか、そこがどこかさえ知りませんでした。ところが、昨年の夏に、了奇人君から手紙を頂いたんです」「勿論、自分がイワオニ族だとは知っていました」
 「北の山脈の奥の奥、幹線から離れて幾つもの部落を過ごして辿り着いたのが、イワオニ族の始祖の地。今では幾つかの巨石で造られた交合神がに残るばかり。そこから八曲がりの難所を経て、あとは車が入れない。歩くこと一五分。行き止まりが『孕みの湯』です」「交合とか孕みとか、意味ありげな?」「そう。了先生のお話では、イワオニ族の古代信仰はアミニズムから派生した性器崇拝だったのです」「性器崇拝?」「そう。ヒトの誕生の根源、命の源。男女和合の原則。部族繁栄の礎…」「それが性器?」「そう。あなたが提唱している性の解放運動の基盤にもなるものだと、私は考えていますよ」

 「小春日和の日輪の下に、だだっぴろい岩盤に、それを切り掘った露天がニ〇ばかりあって。真ん中に大浴場がもうもうと湯煙を立てて。むせかえるばかりの硫黄泉…」「目の前は県境の、奇形な松の木などを蓄えた断崖絶壁で、何十条もの湯瀧が、ちらちら、どうどう、もうもうと流れ下る様は、きっと、どこだって見られないに違いない奇景なんだ。あんなに野趣にとんだ温泉はそうはない」「掘っ立て小屋で衣服を脱いだら、やっぱり、きつい寒気だ。毛穴までちじこまって。一番近くの湯壺に飛び込んだ」「暫くして。声が飛んできた」「誰もいないと思っていたから。するとまた、妖しい叫びが風に流れてきた」「湯壺を出て、大浴場にひっそりと身体を沈めて。もうもう立ち込める湯気の中を、切れ切れの声を手繰って行ったら…」「突然に湯気が切れて視界が晴れたと思ったら、尻が現れたんだよ」「まあ」「豊かな尻が何かに股がっている」「…そしたら、尻の下敷きになった足が見えて…」「…していたのね?」「そう」「…見えたんですか?」「すっかり見えてしまったんだよ。全貌の細々、一切」
 「その時の女とあなたが瓜二つなんだ」「そうだったんですか?」「驚くだろ?」「驚いたわよ」「そうだよな」
 「皆さん?今、私達がどんなところにいるか、判るわけがないわよね?」「教えたらいいよ」「そうね。実は、『ハニーランド』という、官能の館にいるんです」「ここを創ったのはあの了奇人ですよ」「あの覆面作家ですね?あの作品は格別ね」「別格です。お気に入りなの?」「あらゆる禁忌などものともしないでしょ?」「あの男にとって、猟奇は単なる装束、手法に過ぎないんだ。あの人の本質は反御門、反権力、北の国独立の確固たる思想家だからね。筋金入りの反骨の民族主義者なんだ」「あなたと一緒じゃないですか?」「彼はイワセ族だけどね」

 「先生?今日の状況は?」「実はね…」「はい?」「私は逃避行なんだよ」「まあ」「政府の公安機関の目を眩ませてね」「ビックリしましたわ。いつもの事じゃありせんか?」「まあ。その満子妃に瓜二つの人とゆっくりしたくてね」「私のこと?」「あなたとなら本望だわ」


   -終り-

異端の夏6️⃣

異端の夏6️⃣

  • 小説
  • 短編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2020-08-14

Copyrighted
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