虎を描く

虎を描く

猫の絵師の物語最終章です。縦書きでお読みください。

 
 六月の終わり、もうすぐ梅雨に入ろうとするある日、今助長屋の大家、今助さんが顔を出した。
 「茸酔さん久しぶりですな、茸草子はずいぶんの人気で、わしも読みましたよ」
 茸酔は奇妙な茸の出来事を、茸絵のはいった物語「茸草子」として出版している。
 「それはありがとうございます、色々な方から茸の話を聞いて、本にしております」
 「実に楽しいですな」
 「ところで、なにの御用で」
 「茸酔さん、虎の絵を描いてはくれませんでしょうかな」
 茸酔は頭をかいた。今助さんは絵を集める道楽がある。掛け軸やら屏風やらをたくさん持っている。特に虎酔師匠の虎の絵を大事にしている。
 「虎酔師匠より上手に描けるわけがありません」
 「茸酔師匠は茸を描かしたら天下一品、虎だって描けますよ」
 「それは無理でしょう」
 「そこを是非描いてくれませんかね、時間はいくらかかってもいい、虎酔師匠の絵と同じ額でいただきたい」
 今助は虎酔師匠の最後の虎の絵を法外の値段で買った。
 「今助さん、絵の目的は何でしょう」
 「虎酔師匠の虎の絵はすばらしい、だけど一匹でしてな、弟子の茸酔さんにも虎の絵を描いてもらって、絵を並べ二匹にしたいのですわ」
 茸酔はやっぱり首を横に振った。
 「虎は無理です、師匠の虎の絵が目にこびりついていて、師匠の虎がお前にこの虎より虎らしいものが描けるわけがない、と言っています」
 「茸酔さんがそう言うのはわかる、たしかに虎酔師匠が茸酔さんの虎の絵を見たら、どう言うかわからない、逆に師匠が茸の絵を描いたら、きっと茸酔さんは、首をかしげるところがあるかもしれません、だけど虎酔師匠独自の茸を描くでしょう。私が欲しいのは、上手い下手ということとは関係なく、茸酔さんが描いた虎がほしいんだ、師匠と弟子の虎の屏風をおいておけたらもういつ死んでもいい」
 大仰なことだと思いながら、茸酔は苦笑した。
 「猫の絵ではいけませんか」と笑いながら言ったのだが、大家さんは真剣な眼差しで首を横に振った。
 「そりゃ、別物だよ、茸酔さん」
 今助さんははたと考え込んで、かなりの間を置いて、
 「虎模様の茸はないのかね」
 と言った。よほど虎が欲しいとみえる。
 茸酔もちょっと真剣になった。
 「虎の敷物から生えている茸ではだめですか」
 今助さん、やっぱり考え込む。
 「そうだねえ、それも面白いかもしれないね、虎の皮からおもしろい茸を生やして描いておくれよ、ともかく虎がいればいいんだよ、たのみますよ、本当は生きている虎の方がいいけどね」
 拝むように見られては茸酔も頷くしかなくなってきた。
 「だけど時間がかかりますよ」
 「そりゃいいですよ、虎酔先生の絵だって何年もかかってますよ」
 それなら引き受けましょうと、とうとう茸酔は大家の頼みを受けた。
 茸酔は虎を実際に見たことはない。師匠は見たことがあったのだろうか。亡くなる前に聞いておくべきだった。
 師匠は京都の応挙のところで毛皮を見たことがあるとは言っていた。茸酔は毛皮すら見たことがない
 「木野、虎模様の猫を飼いたい」
 「おじさんどうして」
 「虎を描くように頼まれた」
 「一度も虎を描いたことがないの」
 「うん、ない、魚や貝は佐渡に行ったときにたくさん描いたが、毛の生えた奴は、練習に猫や犬、狸など描いたが、絵として仕上げたものはない」
 「それで猫飼ってよく見たいっていうのね、虎とは違うと思うけど、とっかかりね」
 木野はまだ若いのに人の考えていることがわかる娘だ。
 「虎は黄色だから黄色っぽい猫がいいの」
 「そうだなあ」
 「だけど黄色はいないから茶色の虎模様かしらね、捨て猫見かけたら拾ってくる」
 「たのむよ」
 そう言ったのだが三日たっても木野は猫をつれてこない。
 「猫はいないのか」
 「うん、野良猫はいるけど、虎に似ているのはなかなかいない」
 ほとほとこまって、茸酔はとうとう「虎猫求む」と塀に猫の絵も描いて張り出した。
 それを見た木野が
 「そんことしたら大変になるからやめなよ」
 と言ったのだが、聞いていなかったようだ。
 「私今日は家に帰る日だけど、おじさん大丈夫かな」
 木野はすぐ上の姉の娘で、たまに実家に帰り泊まってくる。
 「姉さんによろしく」
 木野は早めに夕飯の用意をすると帰って行った。
 次の朝である、茸酔が起きると玄関先の庭で、みゃあみゃあと子猫の声がする。しかも一匹ではない。たくさん鳴いている。
 でてみると、玄関脇の木の下に、何匹もの子猫が箱に入れられて捨てられている。
 「こりゃどうしたものか」と困っていると、木野が戻ってきた。
 「なんだい、ずいぶん早く戻ってきたね」
 「おじさんおはよう、やっぱりこうなっちゃった、おじさん大変だろうと思って帰ってきた」
 子猫が箱からはいずり出てきて、茸酔の足にまとわりついて鳴いている。
 「どうしたんだこりゃ」
 「どこの家でも、猫に子どもが産まれると、すぐに川に流しちゃうんだよ、でもこんな張り紙見ると、助かったと思って持ってくるんだ、みんな捨てたくなくて、ついつい大きくなるまでほうっておいて、とうとう捨てられなくなるんだよ、捨てられない人が喜んでもってきたんだ」
 「どうしよう」
 「この子たちもう目が開いている、あたし捨てにいくのいやだ」
 木野は塀に貼った紙をはがして戻ってきた。
 「八匹もいる、俺も捨てるのやだな」
 「それじゃ飼うしかないね」
 木野は子猫を土間に連れて入ると、残っていたご飯をつぶして鰹節の粉をいれ水でといた。皿に入れると八匹の子猫はぺちゃぺちゃとよく舐めた。
 「もう乳離れしているね、生まれて一月くらいかもしれない、大人の大きさになるのに十ヶ月だけど、雌は六ヶ月で子供が産めるようになるよ」
 木野は実家で猫と一緒に育ったから猫のことはよく知っている。八匹の中で虎模様は黒虎と茶虎の二匹しかいない。
 「おじさん、ともかくこの猫たちを描きなよ」
 「そうだな、猫のことよく見ないと、絵にならんな」
 「おじさんが猫にならなきゃいけないのよ」
 おおそうだ。その通りだ。猫そのものになりきらなきゃ絵にならん。姪っ子に教わった。絵の基本じゃないか。茸を描くとき、茸と同じに冷たい空気あび、雨粒を感じ、土の温もりを感じて、絵が生きてくる。庭師の三吉も木の気持ちになると言っていたじゃないか。
 お腹が一杯になった子猫たちは、木野が家に上げると、茸酔のいる居間に入ってきた。眺めていると、座布団の上に八匹かたまっておちゃんこをした。
 かわいいものだ。安心したのだろう。
 眺めていた茸酔はふっと我に返った。これはいかん、茸は見つけたら逃げない。ゆっくりと絵を描くことができる。しかし動物は一瞬一瞬違う形になる。
 巻いた紙と矢立てを用意して、子猫の絵を描き始めた。この黄銅製の矢立ては虎酔師匠がくれたものである。
 「わしはこれを持って町の中を歩いたものよ、今はこのように座敷で虎を描いておる、これからはおまえが使いなさい」
 そう言って渡してくれた。
 そのとき茸酔は師匠の言葉通りにとらえてなにも考えることもしなかった。今思うと、師匠は京から江戸に来てから、町中で出会った猫や犬、鳥をその場で描いていただろう。いつも生き物の動きを紙の上に捉える修練をおこたっていなかった。今、茸酔には師匠がこの矢立を渡してくれた気持ちがわかる。
 茸粋は座布団の上で見せる八匹の子猫の仕草を描いていった。一瞬の表情、手足、尾っぽ、すべての動きの流れを紙の上に描き出さなければいけない。八匹一緒となると八倍大変である。今だったら八乗の大変さがあるといった方がいいのだろう。
 だが楽しいものでもあった。めまぐるしく変わる猫の動き。茸とは違った張り合いがある。
 やがて八匹は折り重なるように寝始めた。猫というのはぐっすり寝ているようでも、体の位置をよくかえる。一匹が動くと、他の七匹も動かなければならなくなり、全体の形が変わる。
 面白いものだ。時間がたつのを忘れる。茸酔は八匹の固まりをたくさんの絵にした。
 師匠は猫をどのように描いていたのだろうか。
 師匠の残したものをそのままにしてある画室がある。師匠の絵が数点かざってあり、絵の道具は使っていた状態のままにおいてある。押入の中には師匠の画帳や古い道具がしまわれていて、茸酔もどのようなものがあるのか、詳しく見たことがなかった。
 画室は屋敷の一番端の部屋である。八畳ほどだろうか。
 押入をあけると、行李がいくつかあった。一つの行李を引き出して、蓋を開けてみると、まだ新しい筆や、名のありそうな墨がはいっている。まだまだ描く気持ちはあったのだろう。画帳もたくさんはいっていた。これは師匠が絵を志すころのもののようだ。画帳には年号が記されている。
 もっと早くあけてみるべきだったのかもしれない。茸酔は古いものから開いてみた。
 初めの頃の画帳には、草花や木が墨でささっと描いたものが多かった。草に止まっている虫たちも、羽をやすめているもの、足を舐めているもの、色々な姿で書かれていた。一瞬に形を捉える練習をしていたのだろう。植物は風で葉が揺れているようで、虫はいまにも動き出しそうだ。若いころから力がある人だったのだ。
 見ていくと、次第に獣たちに変わっていった。猫、犬、鶏、雀、見近なものから、山にでも行ったのであろうか。鹿や撃ち取られた猪、様々である。昔は猫を飼っていたのであろう。火鉢のそばでうっつらうっつらしている猫の表情はぽかぽかと火鉢の暖かさを感じ取ることができる。
 師匠は虎ばかり描いていたが、このようにいろいろな生き物を描いている。
 自分はどうだろう。確かに子供の頃は草木を描いたが、すぐに好きな茸ばかり描くようになった。本当はまだまだ未熟なんだが、茸絵の名人などといわれて、悦に入っている自分が恥ずかしくなった。
 「おじさんなにやってるの」
 木野が茸酔を探しにきた。
 「師匠の若い頃の絵を見ていたんだよ、ほら」
 木野に虎酔の植物や動物の絵を見せた。
 「うまいんだね、何描いても」
 その言葉に茸酔はがつんと頭を突かれたような気持ちになった。
 師匠がうまかったのは虎ばかりではないのだ、どのようなものでも、紙の上に生きたままそれをうつすことができたのだ。
 「俺もはじめからやり直しだなあ」
 「なにいってるの、おじさんの茸おいしそうだよ」
 木野になぐさめられた。
 「猫ちぐら買っていい」
 アケビやマタタビの蔓で編んだ猫の籠である。
 「もちろんいいよ、いくつか必要だろう」
 「うん」
 「これから買いに行くのかい」
 「うん、白平さんとこ」
 「俺も一緒にいこう」
 「そうだね、三つ買うから持ってもらうと助かるな」
 茸酔は矢立てと紙を懐に入れ、木野についていった。
 「白平さんとこ猫はいるかい」
 「たくさんいるよ、白平商店では三匹店番している」
 通りにでるとすぐに三毛猫が茸酔たちの脇を駆け抜けていった。八百屋の前には黒猫がいる。茸酔は紙を取り出し猫を描いた。今度は路地のところに茶虎の猫がいる。背中の模様が虎模様だ。
 町を歩けば猫に会える、犬も鳥もいる。飼わなくてもよかったのだ。いや、身近にいればより細かに動きが描ける。それはそれでいいのだろう。
 「おじさん、猫ちぐらちょうだい」
 「はいよ、おや、茸酔さんもいっしょかね」
 「あ、どうも、猫飼うことにしたんで」
 「そうかね、ほらうちにも三匹いるよ、虎酔師匠も昔は庭の猫に餌やってたね、飼ってたこともあるんじゃないかね、虎がわり、なんて言ってたよ」
 やっぱり同じ事を考えていたんだ。白平の主人は猫ちぐらを棚から降ろした。
 「三つほしいの」
 「おや、三匹飼ったのかね」
 「子猫八匹」
 「そりゃすごいね、障子、ふすま、畳、柱、みんな傷だらけになるよ」
 茸酔はそういうことにも考えが及ばなかった自分が情けなくなった。茸だけではだめだ。
 「いや、引っ掻くところを描きたいし、噛み付くところも描きたいし、しょんべんするところも描きたいんだ」
 「なんだい、茸酔さんは茸から猫にかわるんかい」
 白平商店のおやじは笑いながら猫ちぐらにはたきをかけた。
 「いや、そういう訳じゃないけどね」
 「おじさん、虎をたのまれたんだ」
 「なんだい、それで猫かい」
 「いや、いろんなものを描いてみようと思ったんだ」
 「うちの猫も描いていいよ」
 おやじが腰掛までもってきてくれた。
 「あ、そりゃすみません」
 茸酔は店の中で好きな格好をしている猫の絵を書き始めた。
 「ちぐらあと二つとって」
 木野がいうと、おやじは、
 「木野ちゃん、やめとき、一つにしときなよ、最初はみんな一緒にはいるけど、そのあと、わかんないよ、猫が欲しがったら買いにおいでよ、無駄になるよ」と言った。
 猫を飼っている人は猫をよく知っている。正直な親爺だ。
 「それじゃ、私、猫ちぐらもって先に帰っているね」
 木野はおやじから受け取ったちぐらを抱えて戻っていった。
 「虎酔さんはよく町中を歩いていたな」
 「やっぱりそうだったんだ、たくさん猫なんかの絵が残っている」
 「京から江戸に来た頃だろうね、もう虎の絵描きさんと有名だったのに、うちの猫の絵を描いたりしていたね、うちの親父と立ち話をしているのをよく見かけたよ」
 師匠は虎ばかり描いていてはだめなことをよく知っていたのだ。
 「私も、町を歩いてみようと思う」
 「おお、それがいいよ、茸だって、長屋の腐った木塀から生えていることがたくさんあるよ」
 おやじのいう通りである。すでに江戸の茸の絵もたまっている。長屋の茸という画帳をつくるのも面白いだろう。
 猫がくしゃみをした。
 茸酔はあわてて、絵筆をはしらせた。
 「また描きにきていいかね」
 「どうぞ、茸酔さんも絵の幅が広がるよ、高くなる前に一枚くださいよ」
 「描けるようになったらあげますよ」
 「そりゃうれしい、猫ちぐらに入っている猫の絵があると、ちぐらが売れる」
 いまでいう宣伝用の絵になるわけである。
 家では子猫たちが板の間の猫ちぐらに一塊になって入っていた。木野が床の上に汚れた布団を敷いて、その上に茸酔が書き損じた紙をのせている。
 「なにしているんだい」
 「猫がおしっことうんちする場所作ってんの」
 そうだ、動物はそういうこともするんだ。
 「頼むよな、給金上げるから」
 木野が十五をすぎてから毎月給金を与えている。嫁入り支度に使うようにという叔父としての配慮である。
 「給金はそのままでいいよ、猫かわいいもん、おじさんの世話より楽しい」
 はっきり言う子である。そりゃそうだろう。
 「嫁にいくときにたくさんあった方がいいだろう」
 「おじさんこそ、嫁さんもらったら」
 全く口の減らない娘である。だが、誰からもそう言われる。
 「それじゃ、虎の絵が描けて売れたら、ちょっとあげよう」
 「それは嬉しい」
 一匹がちぐらから出てきて、木野が用意した紙の上におしっこをした。すると他の猫もよってきて、皆でおしっこをした。ぼーっと見ていた茸酔はあわてて絵筆をとった。
 「おじさん、猫さんだって、人間とおんなじよ、人間のようにいろんな顔をして、いろんな格好をして、猫同士話をしているのよ、それが聞こえるようになるには大変よ」
 「木野、何でそんな難しいことを知ってるんだい」
 「おじさんが佐渡島に行っている間に、虎酔の先生が私にいろいろ教えてくれたの、花は花、鳥は鳥、鼠は鼠、猫は猫、人間が人間と話すように話をしているんだって、それで、花と鳥と鼠と猫はお互いに少しは話しができるんだって、だけど、人間には花と鳥と鼠と猫が話しかけてもわからないんだって、でも中にはわかる人もいるんだって、それが絵描きなんだって、それで虎酔先生に、それでは花と鳥と鼠と猫の話が聞こえるのですかって聞いたら、ワッツハッツハって笑って、わしゃだめだなあ、まだ絵描きになっておらんわと言ってた」
 虎酔先生の絵は世間が認めているものである。それにも関わらず、師匠は自分が絵描きになってないと言っていたのか。なぜだろう。それを察したように木野が言った。
 「先生は、わしゃまだ虎に会っておらんからな、と言ってた、それで、私には先生の虎が襲ってくるように見えます、生きています、っていったら、それはおまえが虎を見ていないからだ。生きている虎をいつも見ている者がわしの絵を見たら何と言うかわからん、だって」
 それを聞いて、虎酔のすごさもあるが、木野もよく覚えているものだと感心した。
 「だがわたしも虎酔師匠の虎にはすごさを感じるよ」
 「虎酔先生は、わしはあまり旅しておらんから、出会いが少なくてなって言ってた」
 「木野にはいろいろ話してくれたのだな、俺は何も聞いていないよ」
 「私がまだ小さかったから、独り言のように言ったんだよ」
 「木野は絵が好きなのだろう、俺は小さいとき絵が好きで、炭で描いていたらそれを見たとても偉い京都の絵の先生が筆をくださった、それで絵師になったのだ」
 「絵は大好き、ちいちゃいときに土の上に描いていた」
 「虎酔先生は木野の絵は見ていないのだな」
 「うん」
 「描いてみたいかい」
 「うん、でも親がうまくご飯を炊いて、おいしい味噌汁を作れるようになって、早く嫁に行きなさいって」
 前に木野は茸のお料理の店をやりたいなどと言っていた。
 「姉さんがそう言うのか、それはそれだよ、よかったら、俺の筆をやるから、描いてみるか、木野は猫と話ができそうじゃないか、わしより猫のことをよく知っている」
 その気がおきたら、虎酔師匠が残した使ってない筆や墨も木野にやろう。 
 女性の絵師などほとんどいないころの話である。
 茸酔が自分の使った硯と墨と筆を何本か木野に渡した。
 「好きなものを好きな時に描くといい」
 「うん」
 木野はいそいそと自分の部屋に絵の道具をもっていった。
 八匹の子猫はちぐらの中で丸く固まっている。
 茸酔は子猫の髭の生えている方向をじっくりと観察し、絵にした。こいつを雑貨屋に持って行ってやろう。
 
 次の朝、茸酔が顔を洗って居間にいくと、木野が子猫に餌をやっていた。
 「おはよう」
 「今、ごはんもってきます」
 「急がなくていいよ」
 木野は温かい味噌汁とご飯と海苔を運んできた。
 「はやく起きたんだな」
 「うん、猫の世話をしたんだ、それに絵も描いた」
 「そりゃあいいね、たまったら見せておくれ」
 「うん、いつかね」
 そういって自分の食事も運んできた。一緒に食事をすることにしている。
 「あの黒い虎猫、シイタケって名前にした」
 「そういえば、名前を付けていないな、みんなにつけてやってくれよ」
 黒虎、茶虎、白、白黒、三毛、黒、錆、茶、どれも色が違う。三毛猫以外すべて雄だ。
 「うん、それじゃ、茶虎はジゴボウ、白はハツタケ、白黒はシメジ、三毛はナメコ、黒はクロボウ、錆はマツタケ、茶色はクリタケ」
 茸酔は笑った。
 「そりゃおもしろい、みんな食える奴だ」
 それから茸酔の屋敷には八匹の茸猫が住むことになった。
 
 梅雨に入った。毎日雨がしとしとと降り続ける。
 猫たちは家にきて一月経った。ということは生まれて二月ほどだろう。外で遊びたいようだが、雨で庭にでることができない。屋敷の中で遊んでいる。ずいぶん大きくなって、柱に傷をつけるようになり、木野がしかっている。猫の爪とぎや、駆け回る様子を茸酔は絵にした。頭の中では虎の子たちが遊んでいる様が浮かんでいた。まさか虎が家の中にいることはなかろうが。
 雄猫はやんちゃ盛りだ。今ではおしっこやうんちは外にでて、雨のかからないところでしてくるようだ。おそらく軒下か庭の木の下だろう。木野の手間がかからなくなった。虎はどのようにおしっこをするのだろうか。
 猫たちは味噌汁ご飯をよく食べる。たまに木野が魚屋に行って、捨てるところをもらってくる。それに食らいついている様を虎に置き換えてみるのだが、まだしっくりこない。
 猫たちは屋敷の中をうろうろと歩き回っている。
 茸酔は雑木林まで足を延ばして、梅雨時に生えている茸を採ってきて絵を描いている。雨が降っているとその場で丁寧にはかけない。家に採ってきてかき直し、彩色をする。そんなところにも猫たちは勝手に入ってくるようになった。猫たちが集まってきて、茸酔の筆をもった手をながめている。動きが面白いのだろうか。
 そのようなとき、逆に猫の表情に目を奪われて、茸酔は猫を書き始めてしまう。それだけいろいろな表情を見せるし、動きを見せてくれる。猫のお陰で早く筆を動かすことができるようになった。
 「ほれ、おまえたちの名前の茸を描いているんだぞ」
 茸酔が猫に声をかけるとそばに寄ってきて、絵をのぞき込むような仕草をした。特に体の大きな黒虎のシイタケは、茸の絵を描いている茸酔に近づいてきて、膝に上ろうとする。喉をなでると目を細めて顎を突き出す。茸を描いている手を止めて、シイタケの表情を描いた。茶虎のジゴボウと茶のクリタケは二匹でよく喧嘩をしている。本当の喧嘩ではなくじゃれあっているのだが、大きくなったときに喧嘩上手になるのだろう。白黒のシメジはぼーっと外を眺めている。白のハツタケと黒のクロボウは雨の上がっているときに外に遊びに行くことが多い。三毛猫のナメコは自分の体をよくなめている。そんな自分の兄弟を眺めているのが錆猫のマツタケである。すっくと背筋を伸ばして、他の猫の動きを見ている。時々茸酔をちらっと見たりしている。
 猫たちはもう猫ちぐらに入らないが、マツタケだけはたまにはいって丸くなっている。白平商店のおやじが言っていたように三つも買う必要はなかった。
 ある時、木野が自分で描いた絵を見てくれともってきた。
 ずいぶんたくさんある。
 見ると、丁寧な猫の絵と、ささっと猫の動きを写したものがあった。それぞれの猫の個性がうまく描かれている。
 「うーんうまいなあ」
 つい、茸酔は声をだした。
 「木野、いいぞ、俺の猫より生きている、もっともっと描くといいよ」
 木野はえくぼを寄せてうなずいた。
  
 梅雨も上がり、蒸し暑い夏のはじめが訪れた。猫は縁側にいるもの、木の下の草の上で伸びているもの、台所の隅の風のよく通るところにいるもの、様々な格好で涼をとっている。
 茸酔は茸の絵を描く手を休め、猫を描くために家の中を探したり、庭にでたりする。それが茸絵を描くいい息抜きにもなっていた。
 木野の描く絵も本格的になり、一通りの絵の道具をそろえてやると、空いている時間は猫ばかりではなく、家の中の道具の絵を描いたりするようになった。
 「いつも使っているお釜や薬缶、包丁も毎日顔が違うの、話しかけてくるのよ」
 と言って、お櫃の絵を描いたりしている。茸酔が思いもしなかったことを木野はたまに言う。
 猫もわが家になれた。
 部屋を開け放したまま、採ってきた茸の絵を描いていると、黒虎のシイタケをはじめみんなして茸酔のそばに集まってくることがあった。
 半紙の上に置いてある茸の周りに集まり、しげしげと眺めている。
 何を感じているのだろう。茸酔はその状況を絵にする。
 みんな大人の猫の大きさだ。拾ってきたときの二倍どころか三倍にも大きくなったように見える。
 その八匹の猫が茸を見つめる様は奇妙だ。八匹の子供の虎を想像してみる。虎酔師匠の描く虎の顔は激しい。それに比べ猫はなんとかわいらしいことか。猫の表情から虎の怖さを想像するのは難しい。だが、虎にもかわいい一瞬があるはずだし、人になれればかわいい生き物なのだろう。猫の起こったときの目のすわり方は、虎と同じではないか。
 猫たちが囲んでいる半紙の上に置いてあるのは紅茸である。
 紅茸の柄の付け根のところには白い壷のようなものがある。まるで蛇の卵のようだ。この茸は西洋ではよく食べるという。真っ赤な茸を食べるのは日本ではご法度だが、茸酔は美味しいことを知っている。油で炒めるとこの茸はおいしい。
 なぜ猫たちはこの茸を見つめているのだ。他の茸ではどうなのだろうと、茸酔は半紙の上にシイタケをおいてみた。黒虎のシイタケがどのような顔をするか見たかったのだが、ちょっと匂いをかいだだけであった。他の猫も同じで、茸のまわりからはなれた。
 よくある黄色い茸をおいても、猫たちは集まってこなかった。そこで名前は分からないが背の低い赤い茸をおいてみた。
 八匹の猫たちがそばに寄ってきた。取り囲んで赤い茸をみつめた。
 茸酔はその様子を絵にした。赤い茸を前にして、八匹の猫が見つめている絵だ。
 描き終わると、今度は同じ構図で、赤い茸を取り囲む八匹の子虎の絵を描いていてみた。面白い。
 木野がお茶をもってきてくれたので見せると、
 「茸を見ている子どもの虎猫ねかわいいわね」と、虎とは言ってくれなかった。
 猫たちはますます自由に歩き回るようになり、庭より外にもでるようになった。白のハツタケと黒のクロボウは野良犬に追いかけられて逃げ帰ってきた。
 蝉が激しく鳴くようになると、初夏の茸が見られなくなり、茸酔は猫の絵を多く描いた。猫の習性も少しはわかってきたが、まだ木野ほどにはわからない。
 大人の猫になるまではまだ間がある。半年で雌は子供を産めるというから、それまでの間に、子供の虎のイメージを作り上げなければならない。十月ごろまでだろう。
 昼間は好き勝手に生きている子猫たちだったが、茸酔が夕食を食べ終え、涼しくなった頃に、茸の絵を書き直したり、色づけしたりしていると、部屋にやってくる。風通しがよくて気持ちがいいからかと思ったが、それだけではないようである。
 茸酔が描いている茸の絵をのぞきこむのである。夏の暑いさなかでも、猿の腰掛けのたぐいは林に行くと採れる。腰掛けを目の前にして絵を描いていると、猫たちが茸の匂いをかいで、茸酔を取り囲む。梅雨の時と同じである。生の茸に興味があるようだ
 
 夏の終わりが近づき、林に茸がでるようになった。これからいろいろな茸が採れる。猫たちはどのような反応をするのだろうか。
 「あら、おじさんが茸の絵を描いていると、猫たちがよっていくのね、私が絵を描いていても知らん顔よ、茸が好きなのかしら、猫たちに茸の名前をつけちゃったからかな」
 木野が部屋にお茶をもってきた。
 「そうかもしれんよ、生の茸にも興味があるようだ」
 マツタケがじっと猿の腰掛けを見ていたと思ったら、ひょいと右手を出して、腰掛けの一つを半紙の上からはじき出した。すると他の猫たちもお手玉をするように猿の腰掛けを手ではじいて遊びだした。
 「おもちゃにしている」
 木野が笑っている。茸酔も笑って、ふとあわてて絵筆をとった。茸と遊んでいる猫は絵になる。
 茸酔は夢中になって筆を走らせた。
 木野は黙ってその様子をみている。
 猫たちは部屋の中で茸を転がしながら大騒ぎである。八匹の猫が六畳ほどの部屋をかけずり回っているところを想像していただきたい。
 ただ不思議なことに、猫たちは声を出さず、足音もたてず、ただ猿の腰掛けをこづき回した。
 茸酔が腕にしびれを感じてやっと筆をおろした。木野はいつの間にか部屋からいなくなっていた。茸酔の動きが止まると、猫たちも黒虎のシイタケが先頭になって部屋を出ていった。しんがりはマツタケである。
 部屋の畳の上には傷ついた猿の腰掛けが転がっている。
 茸酔は描いた絵を見た。猫は遊ぶときには目を輝かせて茸を見つめ、それこそ無心になっている。楽しそうだ。
 木野が紙をもって入ってきた。
 「見てちょうだい」
 木野が見せた何枚もの紙には、茸と遊ぶ猫を描いている茸酔の姿があった。茸酔の目が猫に吸い寄せられている。
 「おじさん、猫が茸を見ているのとと同じように猫を見て絵を描いていた、すごかったね」
 そういわれて、茸酔ははっとなって木野を見た。
 木野の描いた絵はこれまたすごい、本物になる。
 「木野、絵の修行にいくか」
 人を描く絵師のところで腕を磨くのがいい。そう思った。
 「私はいいわ、ここでこうやって絵を描ければ楽しいもん」
 「そうか、だが一度、写酔さんのところに連れて行ってあげよう、私も会ったことはないので会ってみたいと思っているんだよ、写酔さんの絵はちょっと変わっていて、人を描かせると不思議なんだ、顔を書くのがとてもうまい」
 「その人どこにいるの」
 「谷中のどっかだよ、本屋の十(とう)さんがよく知っている。
 十さんとは茸酔の茸の本を出している江戸の出版元である。本名を鶴屋十という。
 「十さんも若いころは絵師をめざしていてな、だから目利きなんだ、その十さんが、写酔はすごいといっている、だが写酔さんは人と会うのが好きじゃないらしい」
 「じゃあ、私が行くのは難しいんじゃない」
 「いや、写酔さんはわたしの茸の本をみんな買ってくれているんだ、会ってくれるさ」
 「じゃ、行くだけならついていくよ」
 茸酔は十から写酔の家を聞いた。茸酔の住まいは歩いて三十分ほどのところにある谷中の写光寺であった。寺の人ということはきいていなかった。
 木野をつれて写光寺にいった。寺の前出ちょっと躊躇した。寺の門は半分崩れ、建物はの塗り壁にひびが走っている。庭には草が生え放題。手入れの悪い古い寺であった。
 木野が「人が住んでいるのかしら」と心配そうに玄関の中をのぞいた。
 茸酔が「ごめんください」と声をかけた。
 真っ黒い猫がのっしりと玄関にあらわれた。
 「ありゃ、猫が住職か」
 茸酔がおいでおいでをすると、黒猫は黄色い目で茸酔を見て、大きな声でにゃあああごと鳴いた。
 「おや、おいでになったかな」
 そういってでてきたのは頭をそった尼さんだった。丸顔のにこにこした仏さんのような人だ。年にするともう六十にもなるのではないだろうか。
 「茸酔と申します、写酔さんにお会いしたくまいりました」
 「ああ、どうぞどうぞ、鶴屋さんから聞いております」
 「姪の木野です、連れてまいりましたがよろしいでしょうか」
 「どうぞどうぞ、おあがりになって」
 尼さんにすすめられるまま、茸酔と木野は薄汚れた玄関の板の間にあがった。
 廊下を案内され、障子を開けた部屋を見た二人は目を見張った。外見とは全く違い、ぴかぴかに磨かれた床の上に西洋の大きな机がおいてあり、椅子が取り囲んでいる。
 黒猫が先に入って、一つの椅子の上に飛び上がった。すると、ぞろぞろと猫たちが入ってきて、空いている椅子に座った。全部で五匹いる。
 三方の壁には黒檀の棚が作り付けてあり、本がずらりとならんでいた。その中に茸酔の本が何冊もあった。
 「どうぞお掛けになって」
 尼さんが椅子を勧めてくれた。茸酔はちょっと緊張して猫の座っていない椅子に腰掛けた。緊張がうつったようで、木野もしゃちほこばっている。
 「写尼と申します、茸酔さんの茸の絵はすばらしい、みな鶴屋さんからいただいていますよ、あの佐渡島で描かれたお薬の本、見事な絵でした。茸だけじゃなくて魚も石もきれいでした」
 「ありがとうございます、写酔さんはいらしゃらないのですか」
 「ああ、そうでした、絵の仲間では写酔と呼ばれております」
 びっくりした。写酔は女性だった。茸酔は女性の絵師にはじめてあった。
 「驚かれたでしょうね」
 「ご住職だとは知りませんでした、仏の仕事の合間に絵をかかれているとは大変なこと」
 「いえ、好きなことは大変ではありません」
 「実はこの木野が絵を描くようになりまして、見ていただこうと思いまして」
 茸酔は木野の絵を写尼にわたした。
 「絵は好きなように書くのがよろしいですね、生きたものを描くのがいいですね」
 生きたものというところに力を込めて写尼は言った。写酔は木野の絵を広げた。
 「おや、茸酔さんが猫の絵を描いているところを描いたもの、上手です、茸酔さんの目が猫だけを見ている様子がよくわかります」
 「木野をつれてきたのは、この子に絵を教えていただければと思ったからです」
 「私は絵を教えるようなことはできませんよ、茸酔さんがいらっしゃるじゃないですか」
 「そばにいる者ではだめだと思い、写酔さんのところにまいりました」
 「他にもたくさん絵師の方はいらっしゃいます」
 「写酔さんはどこで絵をまなばれたのでしょう」
 「ここですよ、この写光寺です」
 「どのように」
 「それじゃ、お見せいたしましょうか、もう忘れたいと思っておりますが、忘れることもできません、昔そういった時があったのです。それが絵を描くはじめでした」
 茸酔には写酔の言っていることがわからなかった。
 写酔は立ち上がると、こちらにどうぞと部屋を出た。寺の本堂を通りぬけ、離れに案内された。そこが写尼の絵を描く部屋のようだ。岩絵の具や紙がきちんとそろえられている。描きかけの絵を見て茸酔は驚いた。役者絵である。しかも、今、世間で評判になっている絵だ。
 「気づかれましたか、誰も知らぬことです、どうぞご内聞になさってください」
 「東州斉写楽」
 「はい、鶴屋さんから聞いたと、蔦屋さんからわたしが頼まれたものです、この寺も荒れてきて、直す費用もなかったのですが、この役者絵を描けば寺などすぐきれいにできると言われ、考えたあげく引き受けました」
 写酔は顔をあげず、うつむいたまま話を続けた。
 「私は子供のころから絵が好きで、住職だった父が絵の描き方を教えてくれました。父は墨絵を描いておりました。
 父は亡くなった人の顔を描いてご遺族にわたしておりましたの。それはたいそうご遺族に喜ばれました。夜、棺のふたを開け父は亡くなった人の顔の絵を描いておりました。私もそれを見ていて、一緒に描くようになり、やがて私が仏の顔を描く係りになったのです。
 嫁にいく年頃になるまで続けておりました。私は彫り師のところに嫁に行きました。主人は錦絵の板を彫っておりました。役者絵や景色絵を見ているうちに、死体の顔ではなく生きた人の顔を描きたくなりました。それで時間のあるときには、働いている人の絵を描きました。夫は顔がよく描けていると言ってくれました。
 子供も育ち遠くの地に行き、夫も天昇して、さて自分は何をしようと思ったとき、年老いた父親が一人で寺を守っていたこともあって、頭を丸めることにしたのです。そのころ寺も古くなっておりました。五年ほど修行をして、この寺に戻ると、まもなく父が八十という年で逝きました。寺を維持するのに檀家だけでは無理でしたが、幸いにも夫の仕事の関係から、絵に関係のある方々と知り合いになっており、特に鶴屋の息子さん、十さんが、私に絵を頼みにくるようになりました、黄表紙の挿し絵などをまわしてくれました。それから蔦屋さんから役者絵をたのまれるようになったわけです」
 木野も真剣な眼差しで写尼を見ている。
 「それで、この娘さんの絵を見て、はじめから生きた人を描けるなどうらやましいと思いましたわ、おかげで、こうして若いころ寺で描いていた死人の絵をもう一度見る気持ちになれました。描いた絵は亡くなった家の方に差し上げていたのですが、何枚かのうち、一枚は亡くなった方の名前と日付を入れてしまってあります」
 そう言って写尼は襖を開けると奥の方から行李を引き出し蓋を開けた。黄ばんだ紙が束ねて入っていた。一番上のまだ少し新しい紙を手にとって広げた。
 老人の顔であった。明らかに死んだ人の顔である。
 「これは父です、死んだ時に描きました。本当にしばらくぶりに死んだ人の顔を描きました」
 写尼はさらに古いものを取り出した。たくさんの死人の顔であった。死んだ人の顔そのままである。死んだ人とわかると言うことは、技量の高さを物語る。写尼は天性の画家である。
 「写楽の絵は写尼さんが描かれていたものとはずいぶん違いますね」
 「はい、思いきり、筆を遊ばせました」
 それができるのは、これだけの死人を描いてきたからだろう。
 「歌舞伎はよくいらっしゃるのでしょうね、あれだけ役者さんの生きている顔を描かれているのですから」
 「一度しか行ったことないのですよ、あのきらびやかさは私には合わないのです、蔦屋さんが他の方の描いた似顔絵をもってきてくださるんです、それを見てみな想像なのでございますよ」
 見たこともない人の顔をあれだけ簡素化して、しかも生きている表情が描けている。ということは、虎も見なくても描けないことはない。茸酔は写尼に力をもらった気持ちになった。
 「今お一人でお住まいですか」
 「はい、猫と暮らしております、ただ朝夕、手伝いの人が毎日きてくれています」
 「どうでしょうか、たまに木野にこさせます、何かお手伝いをさせていただけませんでしょうか」
 「しかし、先ほどもうしましたように、絵を教えるなど私にはできません」
 「いえ、一緒に経など読ませていただけますと、木野にとってよいことと思います、たまに絵を描くところを見せていただけばと思います。そのときやることがあったらお手伝いします」
 「お経を読むことはよいかもしれません、気が向いたらきてください」
 木野は写尼の描いた死人の絵に見いっていた。
 猫たちがその様子を姿勢を変えずにながめている。大人の猫になると動きが少なくなるのだろうか。それとも写尼に育てられたのでこうなったのだろうか。
 それから、月に何回か木野は写光寺に通うようになった。
 
 我が家の猫はなんとまあ騒がしいことか。昼間は庭で風通しのよいところで寝ているのだが、夕方になり、茸酔が画室にはいると、ぞろぞろと入ってきてまとわりついてくる。猫たちに悲鳴を上げることもあるがかわいい。絵筆が自然と紙の上をすべるようになった。白黒のシメジが黒のクロボウの耳にかみついた。だいぶ大きくなったので、ちょっと虎のイメージが浮かぶ。茶色のクリタケが白のハツタケと茶虎のジゴボウに追いかけられている。三毛のナメコは障子の隅でおちゃんこをしている錆のマツタケに寄りかかって丸くなっている。虎の子供はあのように丸くなって寝るのだろうか。どのような寝方をするのだろう。
 木野はおさんどんをこなすのが早く、要領よくなった。自分の時間を作りたくなったのだ。夕食が終わるとさっと片づけて、猫に餌をやり、部屋に行く。最近は写尼からもらった般若神教を読んでもいるようだ。絵も描いているようだが、まったく見せにこようとしない。
 
 秋になり、茸の季節になった。猫の子供たちも茸酔のところにきて四ヶ月近い。生まれて五ヶ月ほどだろう。もう大人の猫に近い大きさだ。シイタケ、ジゴボウはのっしのっしと歩き、ハツタケ、シメジ、クロボウ、クリタケはシイタケたちよりちょっと小さく、歩く姿はまだ子供らしさが残っている。マツタケは奇妙だ。音もなく滑るように歩く。忍者のようだ。体がかなり柔らかい。三毛のナメコは贔屓目か内股でしゃなりしゃなりと歩く。虎にも個体によって違いがあるのだろう。
 茸酔は木野をともなって茸採りに行く。木野は食べられる茸を選んで採るが、茸酔は絵になりそうな茸をみつけると、その場で絵筆をとり、それから籠に入れる。おもしろい形の茸がいろいろ生えている。名前はわからないが、採ってきてじっくりと絵にする。猫の絵も描いているが、やはりこの時期は茸にかかりっきりになり、夜遅くまで絵にしている。
 八匹の猫は、こどものころから茸酔が採ってきた赤い茸がのせてある紙の周りに集まり、茸を眺めている。いろいろな色の茸が採れるが、紙の上に一つづつのせて、畳の上に並べておくと、必ずといっていいほど、赤い茸周りに八匹の猫が取り囲む。
 紅天狗茸のきれいな形のものが採れたとき、八匹の猫は紅天狗茸を囲んで、なかなか離れようとしなかった。
 「木野、猫は赤い茸が好きなようだな」
 「えー、聞いたことないよ、うちの猫だけじゃないかな、おじさんが赤い茸すきなんじゃない」
 木野の言うことは当たっていることが多い。木野は写尼にそのことを尋ねたようだが、写尼のところの猫は茸などに興味を示さないと言う。
 「やっぱり、おじさんが茸の絵師だから、猫も茸好きになったんだよ」
 木野は結論づけた。そうかもしれない。
  
 秋も深まり、その日は満月の日だった。大家の今助さんが立派な松茸を持ってやってきた。
 「今年は茸が豊作のようでね、店子が故郷に帰って松茸をたくさんもらってきてね、ずいぶんおすそ分けしてくれたんだ。茸酔さんも茸狩りにはいくだろうけど、この近くじゃ松茸は採れないだろう、それで、食べてもらおうと持ってきたよ」 
 「そりゃあ、ごちそうになります」
 猫のマツタケが大家さんのそばによってきてこすりついた。
 「おや、猫たちも大きくなったね、こいつの名前はなんだい」
 「マツタケよ」
 木野が言うと、今助さんも大笑い。
 「松茸をもってきたから、マツタケがお礼を言っとる」
 「うちの猫はみんな茸の名前なの、あと、シイタケ、ジゴボウ、ハツタケ、シメジ、ナメコ、クリタケ、クロボウ」
 「今度はその茸をもってきてみよう、みんながこすりつくかもしれませんな」
 大家さんも猫好きである。だけど奥さんが猫がいるとくしゃみがでるので飼うことができない。それで長屋の猫たちをかわいがっている。猫好きが高じて、虎の絵も好きになったという。あの大きな鼻と大きな手足の梅の花、すなわち足の裏が好きだそうだ。
 「ところで、茸酔さん、虎の皮から茸が生える絵はできそうですかな」
 「今助さん、茸と遊ぶ子供の虎にしたいのですがだめでしょうか」
 「おお、それのほうがおもしろい、茸酔さん得意な茸も入れることができるし、子供の虎とは、虎酔師匠のお弟子だから子供の虎、いいですな、よろしくたのみます」
 「正月に間に合うように描くようにします」
 「そんなにはやく、それであればいい正月が迎えられる、嬉しいですな」
 「子猫を見ているうちに、描けそうな気になってきました」
 「よろしくお願いしますよ、猫ちゃんたちには、今度鰹節と茸をもってくるからね」
 今助さんはそう言って笑顔で帰って行った。
 「おじさん、虎の絵描く気になったんだ」
 茸酔にしては珍しくはっきりとうなずいた。
 「この猫たちを見ていたら、描け描けっていっているようなんだ」
 「あと二月半だよ、大丈夫」
 茸酔はまたうなずいた。
 
 その夜は十三夜である。茸酔は木野と松茸ご飯を食べていた。
 猫たちには魚屋からもらってきたあらを煮てご飯にかけてやった。食べ終わった猫たちはおとなしく二人の周りでぼーっとしている。。
 「この松茸はしゃきしゃきしてうまいな」
 お吸い物も松茸である。
 「ほんと、部屋中に松茸の匂いがするね」
 食べ終わった茸酔が障子を開けた。満月の光が縁側におかれた花瓶のススキの穂を金色に染めている。猫たちが縁側にでて、月を眺めている。何を考えているのだろう。虎だったら月のウサギを捕まえて食いたいと思うのだろうか。子供の虎ならどうだろう、一緒に遊ぶだろうか。猫はうさぎと何がしたい。一緒に餅つきか。
 木野の作った団子がススキの脇に積んである。
 月の光が八匹の猫たちを金色に染めていく。みんな黄色っぽい。虎の子供のようだ。
 「私部屋に行くね」
 木野はなにやら絵を描いているようだ。
 茸酔も障子を開けたまま、自分の画室にいった。ここのところ、茸の絵を書くのが忙しい。まだ虎の子供の絵にはとりかかっていない。今日は林で描いた茸の絵をきれいなものに描き直すことをしている。いずれ何かの本の絵として使う。茸酔はその茸を採ったときのことを思い出しながら絵筆を走らせる。
 絵を描いていると時を忘れる。
 もう真夜中だろうか。ふと我に帰り絵筆をおいた茸酔は障子を開けた。真っ暗な空に、大きな月が浮かんでいる。星が月の明かりで消えてしまっている。
 そのとき、光るものが次から次へと部屋の中に飛び込んできた。何だと見ると八匹の猫たちである。からだがみな黄色っぽくなり、みんなの口には茸が咥えられている。
 赤い茸だ。猫たちは茸を畳の上に転がすと、好き勝手に遊びだした。黄色の猫が子供の虎のように見えてくる。
 茸酔は絵筆を再び採った。八匹の子供の虎が目の前で赤い茸と遊んでいる。お手玉のようにやりとりする二匹の虎の子、咥えて空中に放り投げる子虎、咥えて走り回る子虎、尾っぽで茸を転がす子虎、茸の上にのろうとする虎の子、赤い茸を両手でもって両足で立つとよちよちと茸酔に向かって歩いてくる虎の子、ただじーっと見つめている虎の子。
 赤い茸は紅天狗茸だ。
 茸酔は様々な格好をする猫と茸を描いていった。目に見えるのは紅天狗茸の林の中を駆け回る子供の虎たちである。
 筆を置いたとき、朝日が部屋に射し込んで、畳の上で丸くなっている八匹の猫たちを橙色に染めている。部屋中にかみ砕かれた紅天狗茸がころがっている。
 急に眠気がおそってきた茸酔はその場で猫のように丸くなって寝てしまった。
 目が覚めたとき、木野が立っていた。
 「おじさん、昨日はすごかったね」
 「なにがだい」
 起きあがりながら、茸酔が聞く。
 「一晩中絵を描いていたじゃない、猫たちは部屋の中で駆け回って、茸をかじって、よっぱらったようにじゃれていた、わたしが声をかけても全く気がつかなかった」
 茸酔も脇の絵を見て思い出した。虎の子が紅天狗茸で遊んでいたのだ。
 「猫たちはどこにいったんだい」
 「朝ご飯食べて外に出て行った、おじさんお腹空いたでしょ、もうお昼、マツタケがまだ残っていたから、松茸のおにぎり作っておいた」
 「ありがたい、腹が減ったな」
 茸酔は顔を洗って居間に用意されていた松茸の茶飯握りをほうばった。
 「うまいな」
 「虎の絵が描けたんでしょ、不思議なのよ、八匹の猫がみんな茶色っぽくなっているの」
 「夜中にハエトリを咥えて部屋に入ってきた、どこからから採ってきたみたいだな、あの茸を食べると頭の中が燃えるようになり、気持ちがよくなる、わたしも食べて木野に迷惑かけたことがあっただろう、あの猫たち食ったに違いない」
 紅天狗茸はハエトリとも呼ばれていた。
 猫たちが家の中に入ってきた。茸酔はびっくりした。みんな茶虎の猫になっている。
 「どうしてだ」
 「おじさんを助けるために虎の子になったんだわ」
 「昨日の月の光のせいかもしれないな」
 「シイタケ、ジゴボウ、ハツタケ、シメジ、ナメコ、クロボウ、マツタケ、クリタケ、見分けがつかなくなっちゃった」
 「いや、ほらごらん、目は前のままだよ」
 その時の情景をもとにして、茸酔は、林の中で様々な格好で紅天狗茸と遊んでいる虎の子供の絵を屏風に描いた。
 金を使うことはなかったが、躍動感のある、赤い毒茸と遊ぶ八匹の虎の子の絵になった。
 大家はたいそう喜んで、虎酔の虎の絵の屏風と並べて、来る人に自慢をしているということである。
 木野は絵を描いている茸酔を書き続けていたようだ。十三夜の夜中も茸酔が紅天狗茸と遊ぶ猫を描いているさまを絵にしていたのだ。
 それを見た写尼は茸酔の目が狂っていると言った。
 茸狂ともいわれるゆえんである。
 だが、八匹の猫たちが虎模様になった謎は残ったままである。
 
 後に木野は美人画の女絵師として世に知られるようになるのである。
 

虎を描く

虎を描く

虎の絵をたのまれる茸の絵師、茸酔(じすい)は虎を見たことがない。 子猫を八匹飼う羽目になる。

  • 小説
  • 短編
  • ファンタジー
  • 時代・歴史
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2020-08-14

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