国語について
国語について
真っ盛りで、極限までふくらんだ夏は、一年のなかで一番実在的な季節だと思う。ナスとかトマトとかキュウリとかピーマンとか、夏野菜の色が濃いのはそういうわけです。そこが一番だからあとはどんどん枯れていくのみ。
進路希望なんてもう書かなくてもいいように、はっきりとした答えをください。お先真っ暗はもうこりごりです。でも、なんとなくわかっていたんだ。ぼくには才能なんてないし、夢を見ていい歳でもない。あの作家がデビューした歳になるまであと1年5か月。あの歌手がミリオン出した歳になるまであと3か月。そういうみみっちいことばかり計算している十七歳です。だからといってお先真っ暗と言われるだけでは将来のビジョンが保てないよ。せめて、何ていうドラマを見て何ていうゲームをしているかくらいは教えてくれないかな。
国語は苦手だけど、文章だけは書く若者たち。もう誰のためでもなく、自己満のためだけなんだね。
日本語ってやつはあいまいなのに、そのあいまいさに凭れかかっている人たち。残念なことに、はたからみればぼくもたぶんそういう人間でしかないんだと思う。そうやって自分を安心させるのは、ブラックホールにろうそく一本で立ち向かうことと似ている。実在論すら言葉の中においてけぼりを食らうんだよ。そのいい加減さは夏みたいで、そのいい加減さをいつかはあきらめて大人になる。とってもすばらしいことです。だから国語の成績が悪いことは、数少ないぼくの自慢の一つだった。おとなの文章なんか読めやしないって断言できることがぼくの青春そのもので、いまここ、だけで精一杯で、血とか薬とかが体内で沸騰している十七歳だった。同情されるのが嫌なのかい。じゃあ、もう、鬱状態の物見遊山なんてやめにしないか。かなしくなるだけだから。
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