異端の夏 3️⃣

草也

異端の夏 3️⃣


-秘湯-

 「本当に傍迷惑な話なんだもの。ねえ?」「皇族みたいなあんな浮世離れな人達の閨房って…。本当、どんなことをしているのかしら?」答えない男を見かねて、「そんなことばかりじゃないのよ。また、あのおばさんが言うんだもの」「何だって?」「あなたは風呂が好きだけど、初夜から一緒に入っては絶対にいけないわよ。秘密も女の魅力の内なんだからとか…」「風呂が好きなんですか?」と、男が遮ると、「温泉が大好きなの」「どんな?」「断然、白濁した硫黄泉だわ。それに鼻をつく、きついあの臭いが堪らないの。傷口だってたちどころに塞がるし。酷い傷心にだって効能があらたかみたいな気分が湧くんじゃないかしら?」「そうだな」「あなたも?」
 「どこが良かった?」「…やっぱり、『孕みの湯』が断然かしら?」「聞かないな。どこにあるの?」「北西の県境を越えたばかりの、すぐの隣県側なの。国道から逸れたらうねうねと北の山脈をうんざりする程にわけ行って。終いには車も行き止まり。一〇分ばかりを歩いて。渓谷の吊り橋を渡って。ようやく粗末な一軒ばかりの、それはそれは、名が示すばかりの秘境の湯治場なのよ」「知らなかったな」「去年の秋口に行ったんだわ。それから先は閉館する、紅葉錦が真っ盛りのそんな頃だったのよ」「婚約者と?」「あなたって、どうしてもそんな風に思ってしまうのね?結婚してる人は性との距離が近すぎるんじゃないかしら?」「お門違いだわ。私達、未だそんな間柄じゃないんだもの」「極めて潔白なのよ」「信じられないのかしら?」「そんなことはない。信じますよ」
 「だから、女友達に誘われて二人だったわ」「小春日和の日輪の下に、だだっぴろい岩盤にそれを切り掘った露天がニ〇ばかりあって。真ん中に大浴場がもうもうと湯煙を立てているの。それはそれはむせかえるばかりの硫黄泉なのよ」「目の前は県境の奇形な松の木などを蓄えた断崖絶壁で、何十条もの湯瀧が、ちらちら、どうどう、もうもうと流れ下る様は、きっと、どこだって見られないに違いない奇景だわ。あんなに野趣にとんだ温泉はそうはないわね」
 「掘っ立て小屋で衣服を脱いだら、やっぱりきつい寒気だもの。毛穴までちじこまって。一番近くの湯壺に飛び込んだわ」 「暫くして。そしたら何だか、声が飛んできたの」「誰もいないと思っていたから、友達と顔を見合わせていたら、また、妖しい叫びが風に流れてきたわ」「そっと湯壺を出て、大浴場にひっそりと身体を沈めて。もうもう立ち込める湯気の中を切れ切れの声を手繰って行ったら…」
 「突然に湯気が切れたと思ったら尻が現れたんだわ」「豊かな尻が何かに股がっているんだもの」「…そしたら、尻の下敷きになった足が見えて…」「…していたのよ」「…見えたんですか?」「すっかり見えてしまったんだわ。全貌の細々、一切なのよ。だけど、私たちのせいじゃないでしょ?」「あんな所で。あんな大自然の真っ只中なのよ。しかも、昼日中なのに。あんなことをしている人達が罪なんじゃないの?」
 「大層に気に病むことはないですよ」「どうして?」「その者達が露出狂の患者だったのかも知れないじゃないか?」「露出狂?」「人に見せて見られて。そうでな
いと快楽を得られないばかりか、勃起もしない。そんな人種がいるんですよ」「瘋癲病院から抜け出してきた患者と女医だったのかも知れない」
 「何でも知っているのね?」「猟奇小説の受け売りです」「誰の?」「了奇人ですよ」「あの覆面作家の作品は格別ね」「知ってるんですね?」「愛読書だもの」「これは嬉しい。そんな女性と巡り会うのは初めてだ」「私もだわ」「彼は別格です。お気に入りなんですか?」「あらゆる禁忌などものともしないでしょ?」「猟奇は装束、手法で、あの人の本質は反御門、反権力、北の国独立の確固たる思想家だからね。反骨の筋金入りの民族主義者なんだ」


-闖入者-

 その時、砂浜の北に忽然と現れた二人連れがいきなり抱き合って口づけを始めたのである。情欲に焚き付けられてしまって景色などは度外視なのか、辺りを憚る様子などは微塵もないが、若ければともかく、五〇廻りの二人連れなのである。
 気づいた女が、「あなたの言った通りね」と、顔で示して、「早速、情欲の化身がお出ましなんだもの」「私達に気付いていないのかしら?」「今にわかるよ」
 すると、視線の先で男の股間をまさぐっていた女が膝まずいたかと思うと、逸物を引き出してしゃぶり始めた。「あなた見てる?」と、女が実況を丹念に語り始めたのである。
 だから、視線を凝らすのだが、男には、未だに、ただ抱き合っている風にしか見えない。いったい、この女は正気なのか、男に、再び、疑念が走ったが、咎める術があるわけでもなし、これまで通りに同調した振りを続けるのも一興だと思い定めて、「やっばり、あの手合いだな」と、呟くと、「あなたが秘湯で見たという…狂人?」と、返す。
 「色情狂だよ」「だったら、私達にわざと見せつけているね?」「あの二人にとっては唯一の治癒法なんだ」「それが快楽を得るための最後の手段になってしまったんだろ」「あんなにしてまで、どうして隆起させたいのかしら?」男は答えない代わりに煙草に火を点けると、「あら?」と、男を小突いて、「大きくなり始めてるわ」と、女が急かす。
 「凄いわ」と、「あんな人が本当に不全の病人なの」「だってぐんぐんといきり立って…」「あなただって見えてるでしょ?」「ほら、だんだんとそそり立っていくでしょ?」「垂直によ?」「とうとう臍まで届いているんだもの」すると、女の身体から芳紀な香り、若い盛りの肉の香りが立ち上ってきて男の神経を刺激する。今、抱き寄せたらこの女はどんな反応を示すのだろうかと、動機と逡巡がないまぜに駆け巡る。
 「色は?」「見えるでしょ?」「視力が弱いんだ」「残念な人ね」「だから?」「褐色だわ」「どうしてあんな色になのかしら?」「それぞれだろ?」「それだけの訳なの?どうして?だって赤ちゃんのって綺麗でしょ?」あなたのはどうかしら?」
 「陰毛がいっぱい…。あんなところまで生えているのね?」と、女が追い討ちをかけて、「あの人が特別なのかしら?」「みんなそうなのかしら?」
 「恋人のは?」「そんなのいないわ」「そうか。婚約者だったね?」「婚約者は婚約者でしょ?」「それだけの関係なんだもの。私たちは潔癖だって言ったでしょ?」「このまましてしまうのかしら?」「するんだろ?」「そうなの?」「しないで女は収まるのかな?」「あの人?…女全般?…それとも私?」「だったら?」「どうなのかしら?」

 「あの人だわ」と、女が呟いた。「あの人の顔を見て?」「どう?」「似ている…」「そうでしょ?私に瓜二つでしょ?」「あの時も驚いたんだもの。きっと秘湯にいたあの人だわ」「間違いないのか?」「違わないわ」いつの間にか万子のワンピースがめくれて太股の付け根の下着の色までが男に発見されて、その色は女の本性が乗り移ったばかりの極彩色なのである。この女の股間は濡れているのではないかと妄想しながら、「この世には似ているのが三人はいるって言うだろ?」だが、万子はその豊潤な女の放埒な尻の動きには見覚えがある、確証がある、秘湯のあの女に違いないと言うのである。「あの女だったらきっと陰毛がない筈よ」と、女は断定した。だが、それを確かめる術はない。間もなく、釣り人のひと群れが現れると、その番いはそそくさと跡形もなく姿を消してしまったのであった。二人はまるで共通の幻覚から覚めた脱け殻のように、灼熱の湖に佇んでいた。


-『蜜の城』-

 確かにこの万子という奇妙な名を持つ女に幾ばくかの欲望はあると、男は感じてはいる。万子の容貌は男の食指を動かす程度のものだったし、淫らに躍動する尻も重い乳房も、股間の茂み、喘ぎの姿態すら妄想もできるが、半日にも足りない会話ばかりでこの女の何を知ったというのだろうか。それに、女の話は綺談とみがまうばかりの、すっからかんの作り事で、女はこの陽気に当たってしまって、瞬間的に気が触れているかもしれないではないか。だが、或いは、女という生き物の、と、妻の、何事かに浮かされたばかりの、視点の定まらない瞳を思い起こしながら、その真相にたどり着くことなどは容易に叶うものではないのだ、或いは、この性はその道に凡庸な自分などにとって永久の謎に閉ざされているのではないか、と、思ったりもする。だったら、精神を放置したこの女の肉体だけを抱こうというのか、抱けるのか。もしかしたら抱けるかも知れないとも思った。だが、婚姻を目前にして錯乱した女などとは、どうしても交合などできるものではないではないか。きっと、勃起などする術もないのである。男は煩悶していた。この男は妻の背信を悟ってしまった当事者で、半年も不全を患っているのである。

 すると、結論がないままに、「来る時に三角屋根の建物…」と、男が、「黄色い屋根の、ありましたよね?」と、女も見ずに、思いもかけなく口走ってしまったである。さしもの灼熱の恒星も湖に落ちようとしている。「…確か、『ハニー…ランド』?」と、女が繋ぎ、「そう。…蜜、それだ。あれは何ですか?」と、続けて、「さあ…」「『ランド』ですよ、ね?」女が頷いて、「…かしら?」と、一陣の涼風に言葉が紛れ、黒髪がほつれて、汗の浮いたうなじの淫靡を露にして見せた。
 そんな、お伽噺の作り事のような理由で、初対面の挨拶を交わしてから僅かに五時間ばかりしかたっていない二人が、綺談の作中人物のように、モテルの門を潜ったものである。

(続く)

異端の夏 3️⃣

異端の夏 3️⃣

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