異端の夏2️⃣

異端の夏 2️⃣


 この世には己に似ている者が三人はいるというが真実だろうか。これはそのさしたる確証もない伝承を踏まえた綺談である。


-万子-

 「いま…、どこに行きたいですか?」と、つい今しがた、初秋には結婚して父親の会社を継ぐんだと言ったばかりの二十歳半ばだろう設計士の女が、男の情欲を鷲掴みにする風情で不意に呟くのであった。その性器を彷彿とさせる女の豊かな唇が紅い。盛夏の湖の暮色の松の大木に背をもたせかけて、青いワンピースに隠し切れもしないこの時代の実に退屈な状況に抗わんばかりのおおぶりな乳房の輪郭を万華鏡の瞬きの様で揺らしている。
 三〇前の鼻の秀でた精悍な佇まいの男は苛烈な労働運動の挙げ句に亡父に縁のあったある経営者に拾われて、今では零細な建築会社の一人きりの責任者だ。この女とは設計の依頼を前提に、四時間前に事務所近くの小さな喫茶店で初めて会ったばかりなのであったから、随分と喋り続けてはいたが酷く奇異に感じた。
 ワンピースの半袖から無造作に露になった精気溢れた桃色の艶かしい油を一刷毛うっすらと引いたような腕を輝かせながら、随分と怪しい挑発でないかと感じながらも、いわゆるマリッジブルーの混濁した惑いの最中なのか、酷暑の乱気に蹂躙されて狂乱したのか、いずれにしても淫靡な情念の醗酵を想起させるあまりに大胆すぎる独白ではないかと否定したりして、問いかけの真意を図りかねた。
 時折北の山塊から吹き寄せる夕間暮れの狂ったごとくの熱風に、汗にまみれたほつれ毛を乱しながら女はどんな答えを期待しているのか。若しホテルにでも行こうかとあからさまに男が誘いでもしたらどう反応するつもりなのか。だが、女は男の躊躇が映る瞳を濡らしながらその男を覗き込んで、「?」と催促をした。
 「あなたは?」「どこにも行きたくない」と言った男に女は、「私?ディズニーランドだわ」


-避妊具-

 湖の見知らぬ果ての砂漠の塩地のように、じりじりと照り返す駐車場に車を止めて歩き始めると、一陣の熱風が吹きつけて、薄いワンピースがまくれたから桃色の太股が豊かにさらけたその時、一葉の写真が女の足元にまとわりついたのである。取り上げた女は、みるみる、耳朶までを紅潮させて暫く眺めていたが、やがて、弾む息を圧し殺しながら男に手渡したのは、あからさまな交接の場面なのだった。

 二人は松林の小道をうねうねと無言で湖に向かった。中途で、男女の二人連れとすれ違った辺りから女が先に立ったから、左右に乱舞する豊かな尻が男を先導するのである。

 やがて、倒れた巨木に並んで座った二人の視線の彼方は、対岸が霞んで見えない北の国では屈指の湖だ。男が燻らす紫煙が女の顔にたなびいて、すると、目を落とした銀箔の砂浜に桃色の物体が落ちているのを女が指摘した。「避妊具だよ」「…どうして、そんなのが落ちているのかしら?」「ここは猥雑な湖水浴場から離れているから逢い引きには格好なんだよ」「知っていたの?」「有名な話だろ?」「知らなかったわ」「去年の夏に世間が騒いだじゃないか?」「何だったかしら?」「離れられなくなった男と女の…」「何の話なの?」「性器が抜けなくなって…」「…あれが、ここだったの?」「」「知っていたのか?」「母が…」「何て?」「男女の仲は鬼気怪怪。結婚も近いんだからあなたもしっかり自戒なさいって」「賢母だな」「そうかしら。フシダラな秘密を隠している女よ。あら?不用意だったわ。ご免なさい」「辺りを探したら、もっと際どいのが落ちているかも知れない」「どういう意味?」「男と女の夢のような所業のなれの果てには何だって忘れてしまうだろ?」「どんな景勝も浅ましい情欲で汚されてしまうのね?」「不条理なんて人の世の習いじゃないか?」
 「それにしても随分とうっとうしい色だわ」「欲望の代弁者だからね」「でも、何か変じゃないかしら?」「何が?」「イボイボが付いてるわ」「そうだよ」「当たり前のように肯定するのね?どうして?」「…そんなのがあるんだ」「知ってるの?…使ったこと、あるの?」
 「結婚されてるの?」男が頭を振って、「あった」「まあ、私ったら。ご免なさい。でも、…奥さんと使ったこと、あるんですね?」それには答えずに、「『嘘つき女の膣の疼き』という舶来の避妊具だよ」と男が言う。「すさまじい名前だわ」「だから、国産のよりは随分とふたまわり位は大きいんだ」「どうして?」「外国人のは大きいだろ?」「異国の話なんて知らないわ。でも、どうしてあんなイボイボがついてるのかしら?」「女の性感がいっそう高まるんだ」「そう信じられている、らしい」「らしい?」「当事者じゃないもの。身勝手な推測かもしれない。有り体に言えば、内壁をあの突起が刺激するじゃないかな?付いてないものより気持ちが良いんだよ、きっと」「いったいどんな風になるの?」と、女が声を潜めると、男は水平線に目をやって、「悶絶するのかも知れない」と、ある年嵩の女の表情を思い浮かべながら呟いた。
 その横顔に、「…奥さんもそうだったの?」答えない男に、「中に何か入っているわ」「…精液だろ」「…あんなに、いっぱい」「未だ生暖かいみたい。あの中で精子が泳ぎまわっているんでしょ?」「きっと、つい今しがたまでしていたんだよ」 「ここで?」と、女はたった今に気付いた如くに、「…さっきのあの人達かしら?」「そうかも知れない」「でも、どう見ても親子…。それ以上に離れていたんじゃないかしら?」「そんなのは幾らでもあるじゃないか?」
 「…何か付いてるわよ?」「どこ?」「あそこでしょ?」「わかった?」「何かしら?」「陰毛だろ?」「抜けたの?」「どっちのかしら?」女が立ち上がって、「あの人達、どんな関係だったのかしら?」と、言った。

 「あれを見せて?」男が写真がを渡すと、しげしげと眺めていたが、「初めて会った日にこんな会話をするはめになるんだもの。私達って何だか淫らな因縁でもあるのかしら?」と、呟いて、「こんなの見るの、初めてなんだもの」「あなたは?」「あるのね?」「どうして、こんなのが落ちていたのかしら?」と、言う。「どんな人が何のためにこんな写真を撮るのかしら?」「訳は色々だろ?」「欲望はきりがないからね」「欲望?」「性欲だよ」「まあ。あからさまな物言いだわ」「厭ですか?」「そういう人って意外と淡白なんじゃないかしら?」「どうかな。…写真は売っているのもあるし…」「そうなの?」「二人で撮ったり…」「誰かに撮って貰ったり…」


-指南-

 女が、「昨日の皇太子の婚礼、見ましたか?」と、聞くから男が頭を振ると、「満子様の初夜はどんなだったのかしら?」と、女は言うのである。「だって、散々にからかわれたんだもの」「万子って…。私の名前でしょ?」
 男は確かに女から名刺を受け取った時に、気がとられてはいた。「私って、マンコなんて。妃と名前が同じでしょ?」「マンコって女性器の呼称なんでしょ?」「それに私も結婚が近いから…」「事務員や友達に何かにつけて冷やかされて…」「満子妃にあやかって気品高い初夜にしなきゃ駄目よ、とか…」「前戯は大事だけど、初めから舌を使ってはふしだらを疑われるわよ、とか…」「事務員の人は三度も結婚していて。今は独り身なんだけど、一〇も若い恋人がいるのよ。結婚や恋愛の真髄は身体の相性、閨房、床の絆が大事なのよ、何て、平気で言うんだもの。女って、おばさんになるとどうしてあんなに露骨になれるのかしら?」「幾つなの?」「四一だったかしら?」「女の良さは四〇を越さなきゃわからないのよ、なんて言うのよ。そうなの?」「熟した果物はは旨いって、言うだろ?」「そんなのが好きのだっているじゃないか?」「そうね」
 「その人の裸、見たことあるの?」「しょっちゅう温泉に行くもの。豊満で…」「崩れてるの?」「そんなことはないわ」「そうだろ?」「でも…。股間が黒ずんで…。盗み見を見咎められて。じきにこうなるわよって言われたわ」

 「すっかり裸を見せちゃ論外とか…」「男の人のを舐めるのは存分に頃合いを見図るのよ、とか…」
 離婚した男は男は一年近くも交接を絶っていた。ある猜疑が確信に変わり不信に変化して、女全般の無関心に転位しようとしていた。だから、別れた女と同質なものを見る目でこの若い女を見ていたのであった。「ある程度は拒まなきゃ。それが慎ましさだわ。でも、拒みすぎはいけないのよ。そこら辺の塩梅が肝心なの、とか…」「処女なんだから痛がるのは常識だけど、痛がりすぎても興ざめよ、とか…」「いくら良くてもよがり声なんかあげては育ちが疑われるわよ、とか…」「そんな時は袖口を噛んで堪えるのよ、とか…」「皇宮は世継ぎをもうけるのが仕事だから毎晩励むけれど、しもじもは暮らしが一番。そんな呑気は言ってられないのよ。会社も今が正念場なんだもの。避妊も大切なのよ。どんな計画なの?とか…」「女は天性の嘘つきなんだもの。何だって演じれるんだから気に病むことはないわ、とか…」「まるで私の性根を見透かしているみたいなんだもの」

(続く)

異端の夏2️⃣

異端の夏2️⃣

  • 小説
  • 掌編
  • 恋愛
  • ミステリー
  • 時代・歴史
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2020-08-13

Copyrighted
著作権法内での利用のみを許可します。

Copyrighted