送電線について きみのあけがた
送電線について きみのあけがた
やがて到達した地点にはもう文明と呼ばれるものが何ひとつなかった。スマホの充電がなくなるまでが勝負だと友人は言っていた。何の勝負なんだろう。充電がなくなったらどうなるんだろう。
十八歳の誕生日が、コロナと受験と夏とやさしい天涯孤独のなかで焦げている。この感受性はなによりもすばらしいって思う。いまだに一人称を「ぼく」にするべきなのか「おれ」にするべきなのかで迷っている。地平線はずっとずっと広がって、その光景に見覚えはないからぼくは宇宙人なのかもしれない。中二病ではないから、安心してほしい。医者に行ったらちゃんとした難しい病名がつくんじゃないかって冷や冷やしてるよ。
将来の夢なんて今はないけど、このままだったらなんとなく電気かなにかになって、送電線をつたっていくんじゃないかな。おれが成人したころには地球上のいたるところ、地上にも地下深くにも海底にも送電線が張り巡らされていて、だからもう地球が青いことすらよくわからないまま、不完全燃焼した十八歳を引きずりながら送電線を滑っていく。切り詰められた24時間の切っ先は、十八歳のそれだもの。それでも忘れかけられた心臓はまだここにいてくれたんだ。塗りつぶすような黒と白。ぐるりと回って揺れて、その反動がぼくの感情になる。おれ以外もうだれも知らないところで、ぼくだけが、おれにむけて、ハッピーバースデーと言った。
送電線について きみのあけがた