浸透、夏。

 真夏の、月が、水面にうつる。まるく、淡い橙の、二十三時の月が、学校のプールの上で、波立つと、ふるえる。足の先が、届きそうで届かないところに、月は浮いている。かすかにきこえるのは、夏の、熱にうなされた、あらゆるものの、こえ。むし。はな。とたんやね。シャワーのじゃぐちの、閉め方があまいのか、ぽちゃん、ぽちゃんと、一定の間隔でひびくのは、水の音。きみは夏の、海の青に、とけた。
 心臓が焼き切れるほどの恋を、したことがある。
 人形みたいなきみが、棲んでいたあの森が燃えたとき、うしなったものは指折り数えるほどしかないと云っていた。その、指折り数えるほどしかないものは、きみがたいせつにしていたもので、つまりは、唯一無二の、こころから愛していたものであって、それだけしかないことを、きみはまるで恥じるように、苦笑いをはりつけていて、ぼくは、でも、同調するみたいに笑うことはできなかった。いきているものたちは、やさしく、ときに残酷であることを、いまさら、ぼくたちはあらためるひつようもないのだけれど、やっぱり、やさしくて残酷だなぁと思う瞬間は、ふいに、あった。学校のプールが、きみのいる海につながっているかはわからないけれど、もしつながっているのならば、月が、うつくしくまるいまま流れてゆき、きみにそっと、寄り添えばいいのに。かわいたプールサイドは、むなしくただそこにあって、ぼくというにんげんのりんかくも、いずれは夜になじむ。
 こわくない。なにも。

浸透、夏。

浸透、夏。

  • 小説
  • 掌編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2020-08-12

CC BY-NC-ND
原著作者の表示・非営利・改変禁止の条件で、作品の利用を許可します。

CC BY-NC-ND