福猫

福猫と出会った家族の話

猫とは霊的な生き物のようである。
そして、世の中に福猫というものがいるらしい。
福猫の定義は、色々とあるようだが、一説によれば
全身真っ黒で、もちろん瞳も爪の色さえ黒い猫だということである。
そんな猫と出会った一家の話である。
昔、ある旅籠で 飼われていたメスの猫が四匹の子供を産んだ。それぞれ、ブチ、白、茶、そして一匹だけ真っ黒だった。それからしばらくは、五匹の猫は
その旅籠で飼われていたが、二月もしたある日
その旅籠の女将が、 黒い猫は不吉だとして、
下女に川へ捨ててくるよう命じた。
だが、下女は川へ放り込むのは忍びないと思い
風呂桶一つ持ち出し、その中に子猫を入れ、小川へ流そうとした。
殺しこそできなかったが、これで女将の命令に背いたことにはならないと、自分に言い聞かせた。
下女は近所の小川へ着くと、風呂桶の中にいる子猫に向かい。かわいそうだけど勘弁してね。これは女将さんの言いつけだから。と、子猫に向かって言うと、風呂桶を小川へ流した。下女はうつむいて。どうか桶から飛び出したりしませんように。と、祈るしかなかった。
子猫にとって幸運であったのは、連日の晴天続きで
その日は風もなく、小川の流れも穏やかなことだった。そしてまた子猫も大人しく体を伏せていた。
一刻ばかり、小川に流され続けると、小川の中州に引っかかった。子猫は陸地に着いたと思い、ピョンと風呂桶の外へ出ると、小さな小島の中を母猫を探してニャーニャーと鳴いていた。
そこへ、一人の貧しい水呑百姓の娘が小川の土手を歩いていた。その時娘は数えで四歳であった。
娘は裸足で、何か食べられるものがないか土手をうろついていたのだが、どこからか、かすかに猫の鳴き声がするのに気づいた。
どこだろうと、四方を見渡したが見つからない。 気のせいかと一時は思ったが、カラスの鳴き声が加わったことにより居場所がわかった。それは小川の中から聞こえてきたのであった。
小川にある中洲を見ると、カラスが黒猫の子供を襲っているではないか。娘はとっさに川の中へ腰の辺りまで浸かり、小川の中州へ向かい、たどり着くとカラスを追っ払った。
幸い猫は無事で、少し背中をつつかれた位のようであった。娘は。かわいそうに、痛くなかったかいもう大丈夫だよ。と、猫に話しかけると、子猫はニャーと一声鳴いて娘を見つめていた。それはまるで娘の言葉がわかるかのようであった。
娘はもともと動物が好きであったので、この猫が欲しくなり、抱き上げると懐の中に入れて。一緒に暮らそう。と、子猫に話しかけるとまた川を渡り家へと帰っていった。
娘が家に着くと、母親に拾ってきた猫を早速見せた
すると母親は、家族が食べる物にも事欠いているのに猫に食わせるものなどないと娘を叱った。そしてすぐに捨ててくるようにと娘に言った。
娘は可愛い子猫を拾ってきたことを自慢したかったのに、逆に母親に叱られて悲しくなり泣き出した。
母親の言いつけに背くわけにもゆかず、娘はべそをかきながら子猫を懐に入れると拾ってきた場所へと向かった。
可愛い子猫と暮らせることを楽しみにしていた娘はやはり悲しくて大粒の涙をポロ、ポロ流しながら土手を歩いていた。
その時、ちょうど正面からこの国の殿様が馬にまたがり、ポクポクと歩んでいた。 国政に熱心なこの殿様は、ともの者を従えて頭巾をかぶりお忍びで民衆の暮らしぶりを見回っていたのだった。
殿様は馬上から、一人の幼女がべそをかきながらこちらに向かってくるのが見えた。娘と殿様が近づく寸前にそれに気付いた従者が慌てて馬から降りて娘のそばに駆け寄り、娘に脇にどいて土下座をせよと命じた。
娘はちょうど子猫を川岸に捨ててきた帰り道であった。従者は、娘の肩をつかみ、脇に追いやろうとしていた。それを馬上から見ていた殿様は。捨て置け捨て置け。と、声をかけた。
それを聞いていた従者は、殿様の後ろに引き下がった。そして、殿様はべそをかいている幼女に向かってこう話しかけた。そちはなぜ泣いておる。何か悲しいことでもあったのか?、と。
それに対して、娘は拾ってきた子猫を飼えずに捨ててきたあらましを話した。すると殿様は。それはそちの後ろについてきている子猫のことか?と、尋ねた。
娘は。あっ。と、言うと、捨ててきたはずの子猫が、後をついてきたことに気づき。お前、ついてきてはだめだよ。と、子猫に向かって話しかけた。殿様はボロボロの着物に裸足の幼女をひどく哀れみ、さぞかし暮らしぶりも酷いのであろうと思った。
そして、殿様は、従者に。筆と紙と金子三両を持って参れ。と命じた。それが揃うと、紙に金子は生活の足しにするように、ただし、必ず猫は飼うようにとしたため、自らの名前も付け加えた。全て漢字混じりの草書であった。
殿様は、文をしたため紙に金子三両を入れて折りたたみ、従者に娘に渡すように命じた。娘が金子入りの文を受け取ると、娘にこれをててごに渡すように言い。喜べ、これでそちは、猫を飼うことができるぞ。と、笑顔で言った。ただ、おそらくこの文は、このように貧しき者の親には読めぬであろうと思った。
だいち、人など大金を前にしたら、どこの誰から受けた恩なのかなど、どうでもよくなるものだろうと殿様は思っていた。ましてや、文盲の者など言うに及ばずであろうと。だから娘に金子を与えた後、身分を打ち明けたりなどせず、早々に引き上げ城に戻った。
ところがである、金子を握り猫を懐に入れて帰った娘が父親に金子の包みを見せたところ、父親は仰天した。
なんと金子の送り主は、この国の殿様であったからだ。父親は今でこそ水呑百姓などになっていたが子供の頃は近所の寺子屋で文字の読み書きを習い娘の持ってきた包みの文が読めたからである。
父親はむしろ恐ろしくなり、翌日金子をお城へ返しに行った。当然であろう、一匹の猫を飼わせる代わりに大金を与えると殿様がおっしゃっているのだからである。
父親もまた裸足である。半日かけて村からお城へとやってきた父親に、その身なりの貧しさに門番たちも驚いた。最初は物乞いがやってきたのかと思われ追い返されそうになったが、金子の入った文を見せ何とか取次をしてもらうことができ、中に入ることになった。
百姓が城の中に入るなど異例なことであった。 これも殿様直筆の文を携えてきたのだから仕方がない。
小間使いが、文と金子を預かってすぐに返すわけにもいかないのである。
表門から入ると、中間のような男に庭に回るように言われた。そこで正座して待っていろ、と言うのであった。しばらくすると今度は一人の武士が現れ、父親は金子の入っている包み紙を渡した。
武士が中身を調べると金子三両が出てきて、紙には添え書きが書いてあった。文章の最後に、殿様の名前が書いてあるのに驚き、確かに殿様の文字だと確信した武士は、父親にしばらく待っておれと言った
しばらく庭で待たされた後、今度は先ほどの武士の上役のような男が現れ。そなた文字が読めるのか?と、尋ねてきた。父親は、子供の頃寺子屋で文字を習った事や寺で写経の手伝いをしたことなど話し、もらった文が殿様からであることがわかり恐れ多くて、怖くなって返しに来たと言った。
それを聞いた上役はそれは殊勝な心がけであると言ったが、しかし、これはそのたの娘に殿様がじかに下されたものであるゆえ、すぐに受け取るわけには参らぬと言った。
上役は。しばらく待っておれ。と、また庭で半刻ほど待たされた。城内では話が家老まで届くと、ようやく殿様の耳に事の次第が伝えられた。
殿様は、先日お忍びで市中に出向いたおりに、幼女に金子三両と文を渡したことなど、とうに忘れていた。が、しかし。金子が要らぬと言うのであれば受け取っておけ、ただし、そもそも金子三両を与えたのも、猫一匹飼えぬような暮らしぶりを哀れに思い与えたものだ。その代わりに、娘のために猫を飼うようにというのは我が命である。それに背くことはあいならぬ。と、言った。
そして、殿様は少し間を置いて。その百姓の男、わしの文字が読めたとのこと、、、。さらに、ある意味正直な者でもある。金子がなくては暮らしが成り立たぬであろうから猫も飼えまい。またそのような者を百姓にしておくのももったいない話である。城で奉公させよ。そうせよ。後の細々としたことは、そちに任せる。暮らし向きが成り立つようにしてやれと、家老に言った。
家老は下役の家来に殿様の言葉を伝えると、さらに下役の家来から話は伝言され、ようやく父親のもとまで話は伝わってきた。
庭で正座させられていた父親に対する命とは、この先、城で奉公せよ、とのことであった。
父親は。それでは百姓を辞めても良いので?。と、取次のに来た武士に尋ねると。殿様の命である。とだけ言った。近いうちに、村を離れて城下へ引っ越してくるように、諸々のことはこちらで手配するとのことであった。
話を聞いていた父親は、あっけにとられていた。たかが猫一匹飼うことを条件に仕事をもらい、さらに住むところまで世話してくれるというのである。帰り道、父親は、所詮人生とは人とのつながりであるということを、しみじみと噛みしめていた。
その後、城下に移ってきて一家は新しい生活を始めることとなった。父親が城で奉公をして給金をもらうことになったため、暮らし向きは百姓をしていた頃とガラリと変わり、たいそう豊かになった。
拾われてきた猫はと言うと、娘をはじめ家族に大切に育てられたとのことです。

福猫

福猫

  • 小説
  • 掌編
  • ファンタジー
  • 時代・歴史
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2020-08-10

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