コールリッジの青い薔薇 明晰夢シリーズ その3

ニャンチ5号

コールリッジの青い薔薇 明晰夢シリーズ その3

共感型アンドロイドの見た夢

      一

 よく晴れた日だった。梅雨明けの空の青さと昼の太陽が、穴倉生活者の俺には眩しい。子どもの頃は、親子でバスケットにサンドイッチや果物を入れてハイキングに出かけるのが夢だったことを唐突に思い出した。通りで親子がどこに行く途中なのか、嬉しそうに話をしながら歩いていく。それが羨ましくて、自分と同じような年齢の子どもたちが、とても憎たらしかったのを思い出した。爽やかな天気には碌な思い出がない。
 その輝く青い空を背景に、ほぼ垂直に切り立つ断崖を見上げて思わず言葉が漏れた。
「こりゃ、すげーや。よくこんなところ登ったもんだ。それにしても一体何をしたかったんだ・・・」
 息を呑んだまま真上を見上げていると、いささか首が疲れてきた。運動不足だなこりゃ。登録したまま大して通っていないスポーツジムの会員証はどこにいいたのだろう。この前も上着のポケットを探し終わって、さて次はどこを探そうかと考えていたっけ。しまった場所を思い出さないもどかしさとともに、結構高い入会金を支払ったことも思い出した。それにしても青空ってこんな色だったっけ、と感慨に耽けようとしていたら、横合いから邪魔が入った。
「調査するんだったら早くしてください。これまで何度も見た画像と同じものですよ」
 かなりイライラしているのが声の調子で明らかだ。アンドロイドなんて人間様に奉仕するように作られている筈なのにこの命令口調は一体何なんだ。口調は忌々しいが声質は最高に魅力的だった。
「調査というのは現場を確認するところから始まる。画像は何も語らない。しかし現場は雄弁な沈黙に満たされている。大切なのはその沈黙に耳を澄ますことなんだよ、エリカちゃん」
 かつての上司の口癖そっくりだ。あの爺さん、まだ達者でいるかな。俺は禿げた親父がニカーっと笑った顔を思い出した。
「それで、何か聞こえましたか、その雄弁な沈黙とやらから。それから、私の名はエリカちゃんではありません。NS&A社製のアンドロイドERK2改良型です。何度申し上げたら覚えて頂けるのでしょうね。あなたの食生活はかなり乱れていますが、まだ認知症の発症兆候は認められていません。覚えないのは脳の記憶野の機能障害あるいは、こちらの可能性が大きいのですが、単なる怠慢、つまり覚える気がないと結論づけられます。」
 言葉遣いは丁寧だけども問題はその言い方にある。この上から物申す口調もプログラミング開発者の意向かね。それともこのエリカちゃん(長たらしい名前なので俺が勝手に命名した)の曲がった根性のせいかね。AIによる対人間ディープラーニングが発達してきて、出荷当初には一様だった刺激反応が、時間経過と会話蓄積の偏りから、個別反応に個体差を出現させるようになった。つまり学習機能によってアンドロイドにも個性に似た偏りが生まれてくるのだ。もっともこのエリカちゃんは会ったときから態度がでかかったが。
 AI搭載のアンドロイドが、民生用レベルで実用段階に入った当初から問題視されていたのは、対人間ディープラーニングだった。現時点でも開発者レベルでも研究者レベルでも未だにブラック・ボックスであることには変わりがない。つまりデータ量が大きすぎるのだ。アウトプットの段階でどうにか規制をかけているものの現実的な問題発生が今のところ皆無〈または隠蔽か?〉ということで、政府の後押しを受けて半ば独占企業となったNS&A社〈関係者以外はエヌサと呼ぶ巨大多国籍企業だ〉が開発資金回収を優先させた結果、けっこうな個体数が市中に出回っている。もっともエリカちゃんのいう「改良型」というのが曲者で、俺の睨んだところ対テロ対策に改良されているようだ。個別の接近戦ではやたらタフで強い。特殊な訓練を受けた俺でもうかうかしていると伸されてしまう。ま、この話は少し長くなるから後回しだ。で、このエリカちゃん、結構な美人ときている。十人並みではなく絶世の方に近い。アンドロイド相手に美人も何もないだろうというのはその通り。古い言い方だと好みのタイプ、やや古い言い方だとドストライク、最近の言い方は知らない。誰の顔がベースになっているのか、開発者の嗜好なのか、初めて会ったときは多分俺は間抜け顔で口をぽかんと開けていたと思う。俺の最新の黒歴史だ。今の俺の密かな楽しみは、この小生意気なアンドロイドに、自分がエリカちゃんだと認識させることだ。頼むぜ、ディープラーニング。
 俺は乗ってきた中古のエアシューターの後部座席からこれも中古の盗撮用ドローンを取り出した。断崖のそばの中空をゆっくり撮影しながら上昇させていき、問題の場所でホバリングさせた。詳しい画像分析をするまでもなく画面は可憐な青い花の群生を捉えていた。花の茎が何本か毟り取られている。例の彼女はここまで到達して茎を掴んで、そして落ちた。ジ・エンド。
 人間が落ちたのなら、変な言い方だけど問題はない。本人の過失が原因の普通の死亡事故で処理されただろう。動機は一応調べられただろうが記録のためというレベル。例えば、一緒にいた女の子に格好いいところを見せようという若気の至りでも、崖登りが趣味の植物採集家の不注意でも、酔狂な御仁の酔っ払った挙句の所業でも、なんなら動機不明でもいい。人間はいろいろだ。こういうときにこういう反応をするというセオリーはない。人間の行動は殆ど統計的な処理で理解される。ときには思いもかけない行動をする。このシンプルで動かしがたい現実から結論は近い。しかし、地上30メートルから墜落して地面に激突し、機能停止したのは、NS&A社の最新モデルである教育用アンドロイドなのだ。しかも同社の社運をかけて開発したアンドロイドが原因不明の行動の末壊れましたでは済まない。事故が世に出る前に回収したNS&A社は全力で原因を究明しようとした。メカニズムの不備なのか危険回避プログラムの不備なのか、それともその他の要因か。しかし全力で取り組んだ原因究明作業は早々に暗礁に乗り上げた。
 この教育用アンドロイドが担当したお客は世界有数の資産家の一人娘だった。常に命を狙われ続けているVIPだからなのか、資産家本人も娘本人も原因究明に協力しない。連絡にはいつも代理人の弁護士が交渉用アンドロイドを伴って現れる。そこで分かったのは、事故原因究明の協力が得られないどころか、早々に資産家の方から調査打ち切ってほしいという意向が伝えられた。例によって理由は示されていない。よって調査はすべてNS&A社側のデータに基づいて行われた。開発した教育用アンドロイドはどこにいても本社のホストサーバーと繋がっていて、刻々と行動データを送り続けるようになっていた。何日の何時何分何秒に何をしたか。娘がどういう反応をして何を言い、それに対してアンドロイドがどう反応したかの逐一データが集積されている。もちろんそのデータを管理しているのはサーバー側のAIだが。NS&A社は事故調査用の独自プログラムを開発して膨大なデータの深部解析を行った。しかし、この教育用アンドロイドの行動の謎は解明できなかった。開発チームの総力を挙げて、あらゆる方向から行われた調査が、結論らしい結論を得られないまま中断した。本社からのあまりに強い圧力で、成果を出せない研究員が何人も自殺にまで追い込まれた、という黒い噂もネットですっぱ抜かれたことがある。その真偽のほどは分からない。
 ドローンのカメラが捉えた花が、墜落したアンドロイドの右手に握られていた花と同じものだと確認して、俺はエリカちゃんとともに現場から引き上げることにした。

       二

 件の資産家とは向こうが打ち切りを連絡してきて以来相変わらず音信は不通のままだった。巨大企業が総力を挙げて連絡をとろうとしてダメなのに、しがない無名の調査員〈本当は何でも屋〉の俺がいくら頑張っても不可能だろう。結論は見えている。よって俺としてはNS&A社から提供された、アンドロイドが収集した膨大なデータから今回の事象〈エリカちゃんが事件と言いたくないらしい〉の原因を探るしかない。エリカちゃんが助手席に乗ると、俺はねぐら兼事務所のある建物に向かってエアシューターのコントローラーをセットした。

 少し俺の話をしておこう。先ほど俺は特殊な訓練を受けたと言った。この訓練を担当した組織はどこを探してもこの地上にはないはずだ。正確にいえばないことになっている。公安警察にも自衛隊特務班にも内閣調査室にも属していない。存在自体がトップシークレットの組織だ。したがって誰でも閲覧できる俺の経歴には虚偽情報が書き込まれている。本当の情報は消されていて復元不可能の筈だ。では、俺はなぜそういう経歴を持つに至ったのか。
 孤児だった俺は、スラム街で殺人以外のありとあらゆる犯罪にかかわって暮らしていた。その日の食い扶持を非合法な方法で稼ぎ出す。ガキが出来るのは、置き引きかチームを組んでのかっぱらいか、その程度。十歳になるかならないかの頃だ。ある晩、正体不明の、しかしいやに統制のとれた男たちに拉致された。大きな袋を被せられ、小舟に乗り海をわたり、孤島に建てられた施設に連れていかれ収容された。その当時、孤児を攫って内臓を取り出すギャングがいると仲間の噂で聞いていたから、てっきりそいつらに細切れにされるものと、目隠しされたまま覚悟を決めた。ところが施設に着くとこざっぱりした服を与えられ、食事も三度与えられ、久しぶりに屋根のある快適な場所で寝られると分った。しばらくして栄養状態が改善したことが検査で分かると、屈強な男たちにある部屋に連れて行かれた。そこには俺と同じようなキツい猜疑心そのままの目つきの子どもたちが数名いた。そこで告げられたのは、これから何年間かある目的のために俺たちを訓練するということだった。拉致の目的を知ったとたん、「帰せ!」と喚いたヤツもいたが〈いや、俺のことだが〉、明日も分からぬその日暮らしの残飯漁りにまた戻るのかと問われると黙るしかなかった。諸君は奴隷ではない。功績を上げた者には自由が与えられる、と男たちの中のボスらしいヤツが言った。自由が何なのか分からなかったが、まず飯の心配もないし、豚箱に入れられる心配もないことが自由ではないか。それ以外にも自由というのがあるのか。とりあえずそのオヤジのいうことばを信じて、腹を満たしていきながら逃げ道を探り、隙あらば逃げ出そうと考えた。ところがその訓練というやつが始まって逃げる気力が失われた。一日六時間の座学による勉強と、八時間に及ぶ格闘技の基礎訓練を、来る日も来る日も受け続ければ心をやられる。それでも元の惨めな生活には戻りたくない。恐ろしいことに人間は何にでもなれることが出来る。最初の一か月は地獄だったが、やがて体力がつき座学で知識を取り込むことも面白くなってきた。つまりこの世界を、少ない経験からではなく、知識から理解していったのだ。ぬくぬくと恵まれた家庭に育った人間には分からないだろう。生き残るために学び訓練する。数年後、座学が火薬や毒薬の化学、コンピュータのハッキング技術になり、格闘技が確実に相手を殺す技となっていって、さすがの俺も兵隊として養成されていると分った。それも少人数で行動し、敵対する勢力に潜り込んで中枢を破壊する特殊部隊の兵士として。あくまで存在してはいけない兵士。訓練を終え実戦配備が決まってから受けた、敵に捕らわれたとき、自害するために奥歯に猛毒を仕込む手術。それが終わったときのなんとも言えない気持ちは忘れない。
 いざ実戦配備という段になって、俺たちの敵が消滅した。敵国の領袖が第三国のスパイの手で暗殺された。そのスパイが最も信頼していた自分の妻だったというから、その知らせを聞いたときには一縷の憐みを覚えたもんだ。この手で息の根を止める予定だった相手だったが、彼に関するありとあらゆる情報を叩き込まれていたせいで、ヤツがどれほど孤独で他人が信じられず、肉親と過ごす束の間の団欒が唯一の楽しみだったことを知っているだけに不憫だった。
 この出来事のお陰で世界は一気に軍事予算削減へとシフトした。革命が達成されるまでが革命家の仕事だ。新国家には有能な兵士より有能な官僚が必要だ。兵隊は何も生産しない穀つぶし。暗殺マシーンも機械であれば倉庫にぶち込んでおける。でも人間はやっかいだ。そして厄介者になった俺は教官たちに褒められた暗殺技術を披露する場もなくなった。そのまま何らかの形で情報機関でつまらない仕事をするか保護観察身分でも娑婆に出て自分で食い扶持を稼ぐかの選択を迫られた。一も二もなく娑婆を選んだんで、今俺はここにいる。もちろん奥歯の毒薬はとってもらった。口の中のその手術の痕跡を舌先でさわるとき、いやでも自分の経験してきた特殊な環境を思い出す。
 経歴不明の半端ものは明るい社会では用無しだ。第一持ち歩く履歴書がなければ組織に属すことすら出来ない。結局、非合法すれすれで頼まれごとは何でも解決する何でも屋になるしかなかった。そのとき俺を拾ってくれたのが、さっき思い出した髭のじいさんだ。
 そのじいさんの商売が何でも屋。若いころの無茶〈詳しくは知らないが〉祟って無理がきかなくなって引退した。その跡を襲ったのが俺。通称何でも屋のK。殺人以外は何でもやりますが売り文句。かつて殺人マシーンの訓練を受けていたのに人生は皮肉だ。セ・ラ・ヴィ。

       三

 今回の仕事はその引退したじいさんから回ってきた。現場を離れてはいるものの豊富な知識と経験を惜しんで昔の顧客が頼み事してくるらしい。俺も引退したらそういう座ったまま知識を活用するコンサルタントになりたいもんだ。
 会社の総力を挙げて取り組んだ原因究明に失敗したNS&A社は、何を考えたのか、別のやり方がないか元上司のじいさんにコンタクトをとった。じいさんを知っているってことはNS&Aもヤバいことを相当裏でしているってこった。じいさん、何を思ったのか、白羽の矢を立てたのがこの俺。どういう話になったのか、サイバーセキュリティ―破りの専門家の俺がNS&A社とは独立して調査を継続する、となったらしい。日進月歩で防御システムは変わり、それとともにハッキング技術もそれを上回る進化を遂げている。古い技術しかない俺がなぜ選ばれたのか分からない。とはいえシステムの設計思想が変わっていなければ、一週間もあれば壁は突破できる。しかし手掛かりなしという案件の場合は迷いネコの捜索より難しいけど。
 捜査資料は膨大なデータになる。目的の核心に近づいている資料であれば役にたつが、圧倒的な行動履歴の蓄積でしかない。そんなデータを持って来てもらっても使えねっつーの。俺が文句を言うと、NS&A社のホストコンピュータと常時繋がっているアンドロイドを補佐兼お目付け役として寄越しやがった。それがエリカちゃんだ。
 助手席のエリカちゃんは、ぱっと見は二十三歳くらいのセミロング美人のお姉さん。黒目勝ちの涼しげな瞳で見つめられると、まるで太陽を肉眼で見たときのように下司な助兵衛心を見透かされたようで目を逸らしてしまう。下心を持つのはいけないことですか? 男はなんて悲しい生き物なんだ。目は見られないけどその他の部分は見ることができる〈盗み見だけど〉。最近の人工皮膚のレベルは文句なし。柔らかくて弾力があって、・・・いや、よそう。最初に言ったけれど、ちょっとそこらでは拝めない美人さんときている。アンドロイドだから完全な人工物のはずが、慎み深い我が分身が工業製品の色香に反応してしまったという黒歴史の二つ目。で、これもさっき言ったけれど、肉弾戦にめっぽう強い。色香に負けて俺がエリカちゃんの尻を触ろうとしたときの身のこなし。瞬時に投げ飛ばされてしまった。まぁ、空中で態勢を整えたからケガをしなかったけど、あれは合気道でしょ。そのとき数分組手をしてみて分かった。エリカちゃんはアンドロイド版の俺。つまり戦闘用、それも特殊任務用に特化されたアンドロイドと確信した。なんでこんな物騒な美人を寄越したんだと思ったけど、何気なく鎌をかけたりして探りを入れたものの未だに納得した回答を得ていない。それでも当面の結論からいえば、NS&Aのヤツは俺のことを信じていないということ。下手すると、教育用アンドロイドの事故原因が分かって、それがヤツらにとって好ましくないものであったら、口封じをされる可能性がある。こんな美人に殺されるのもいいか、とはまだ俺も達観していない。まったく、あのじいさんは何て仕事を廻してくるんだ。目の飛び出る成功報酬額と経費使い放題という条件に目が眩んだ俺もアホだが。
 事務所で膨大なデータをチェックしていく。エリカちゃんには特別なアクセス権が与えられているのか、またはNS&A社のホスト・コンピュータと個人的に親しいのか、プロテクトのかけられたマル秘データ以外はアクセスし放題。
 まず、教育用のアンドロイドの説明をしておこう。二十一世紀の初めころから実用化されたAIは様々な職業を駆逐した。教育産業もその一つ。基礎レベル〈といっても大学学部レベルまでだけど〉の教育は、人口減少と相俟って非効率的な面接授業から個別指導が中心になった。教育用AIの端末画面の指示通りに示された問題を解き、解けた解けないのデータやミスのパターン、さらにミスした問題の類題を解くことが出来たかなどが蓄積され、使えば使うほどその個人の学習進度に合わせた適切なレベルの問題がディスプレイ上に示される。つまり苦手克服のプロセスに無駄がない。一番のメリットは学習するのに場所と時間を好きに選べることだ。端末と管理用のホストとデータベースとネット環境。必要なのはこれだけ。熟練の講師は必要ない。いまではコミュニケーション訓練用のAIが教育用アンドロイドに搭載され、内気な人間の社会参加の訓練をしている。必要とされるのは研究開発をする人間、大量生産をコントロールする人間、政策を決断する人間、特殊なサーヴィスをする人間くらいなものだ。一日の大半を労働から解放された人間は、芸術活動やスポーツに勤しんだり、過去の膨大な芸術作品の受動的な享受者として、来る日来る日も画面を見つめてお迎えが来るまでを過ごしている。一見理想的で平和な申し分のない世の中になっているものの、そこは限りない欲望を持て余す人間様のこと、今まででは考えられないような行動をしたりしてくれる。だから俺のような何でも屋の商売が成り立っている。殺しと犯罪の片棒を担ぐ以外はなんでもやる。ペット用ネコ型アンドロイドの捜索までやる。ある意味、十歳のころに戻ったといえる。
 今回の案件は今までやってきた雑用に近い仕事とは違う。大企業の研究チームが投げ出した案件だ。彼らが取り組んだプロセスをまとめた報告書〈千ページ以上の冊子が三冊ある〉を読むことから始まった。俺はアンドロイドじゃないからデータを瞬時に格納はできない。彼らの調査方法に陥穽がないかのチェックに時間がかかった。もっとも報告書大半はアンドロイドから送られてきた膨大なデータの解析にあてられていた。時系列での行動履歴。アンドロイド側のアクションとそれに対する富豪令嬢の反応。このルーティーンの繰り返しへの評価と、その評価が正しいかのスーパーヴァイズ。膨大な行動履歴のどこもかしこも教育型アンドロイドの定型作業で逸脱も変化もないものだ。
 今回登場するのはNS&A社が開発した共感型アンドロイド、というのが新ファクターだ。共感とは相手の感情に寄り添うことだ。自分のことのように感じることだ。相手の悲しみを共有しともに悲しんだり優しいことばをかけたりする。鸚鵡返しに定型の文句を出力しても共感とはいわない。生身の人間でも共感能力の劣る人間は集団の中で生きにくい。だからスキルとしては知識型ではない、まさに人間のみに与えられた特性ということができる。この共感型アンドロイドが開発された背景は、駆逐した職業に携わる人間が持っている人間らしさが、一見無駄のかたまりのように見えて、実は人間の対人スキルの涵養に役立っていたという皮肉な現実がある。手短にいえば、対人との軽度の軋轢、ストレスこそが人間を作るということに他ならないということだ。それが分かったときには殆ど手遅れの状態に社会環境が変化していた。効率と能率を極端に追求した社会は、人間味のない社会になっていた。ミスをするのが人間。ミスを許さない社会が作り上げたのは、飼い馴らされた従順な家畜のような人間しかいない社会。ミスを恐れて安全策しか取らない社会。平和の代償は余りに大きすぎた。現実生活で刺激の少ない社会では、エンターティンメントの内容が過激になっていく。それが他人の痛みの分からない人間を増加させ、とどのつまりは残忍な犯罪の極端な増加に結果した。共感能力のない人間は他人の痛みが分からない。他人の苦しみが分からない。人間は孤独の中で暮らしていた。砂を噛むような潤いのない生活が死ぬまで続く。人間は不完全な存在として神が作ったけれども、その不完全こそがやる気や生きがいといったものに直結する。極端な人口減少期にあって、次世代を担う少年少女に人間本来の喜びを与える必要がある。そのためにこの共感型アンドロイドは開発された。従来の個別指導によるデータ最適化能力に加えて、相手の感情を分析し共感プロセスを通して人間らしい人間に育てる。昔は道徳という教えがこの役割を担っていた。今では道徳は古びた書物の中にしかない。そして豊かな人間性を持った人間に育てるということは、一歩間違えれば歪な怪物を作り上げないとも限らない危うい作業と紙一重である。記録に残された過去のデータから人間性を端的に示すものを掘り起こし、アンドロイド搭載する判断マシーンに格納する。プロトタイプから試作段階では上手くいくように見えた。しかしこの判断マシーンの開発が困難を極めた。例えば、判断に迷うトピックとして昔からこういうものがある。母親と妻と自分が乗った小舟が転覆して船も損傷した。私は運よく船に残ったが母と妻が水の中に抛り出された。船にあと一人しか乗れないことが分かっている。さてあなたが助けるのはあなたの母親かあなたの妻か。こういった一定の正解のない問題では判断マシーンは沈黙した。つまり機械に価値判断は出来ないのだ。しかしこの問題が載せられた古の中国の書物には、母親を乗せるというのが正解となっていた。当時の価値判断ではそれ以外の選択肢がなかった。そしてこういった問題への納得できる説明が出来なければ、いくら相手の持つ苦しみや悲しみに寄り添っても、マニュアル通りのデート同様味気のない、却って逆効果でしかない結果となる。
 ここですごいのが我がNS&Aの優秀な社員たちだった。この難題をクリアするために問題解決チームが優秀な社員だけで作られた。そこで出された結論は、一周回って驚くほどシンプルなものだった。判断することが人の生死に関わる場合は判断を停止するというものだ。当たり前だがその判断に責任がとれないからだ。アンドロイドは高性能でも人間の作った工業製品である。生死の価値判断でいちいち訴訟を起こされては会社が潰れてしまう。判断できない問題に直面したら、最終判断は当事者の人間に委ねる。解決ではないけれど責任を回避するリスクを取らずにすむ。
 では、どのレベルの共感までなら価値判断をともなう共感行動が認められるのか。とりあえず汎用型の開発を措き、件の富豪令嬢に特化したプログラムが組まれた。経験学習蓄積型プログラム。令嬢のデータはないに等しい、というか富豪サイドからは何にも示されなかった。幼くして母親を亡くし、信頼できる友人もいない。生まれつき脚に障害があり車イス生活している。年齢は十三歳。学校には行かず家庭教師が先生と友人を兼ねていた。その前任者の家庭教師が結婚するため辞めた。富豪は次の家庭教師を探しているという。NS&A社でこの前任の家庭教師を探した。令嬢の個性や性格その他を知るためだ。ところが辿りついた元家庭教師は交通事故で死亡していることが分かったのだ。彼女は家庭教師を辞めてすぐ、婚約者とともに車で式場へ打ち合わせに向かう途中、酒気帯びのティ-ンエイジャーが運手する廃車寸前のアメ車にぶつけられた。運悪く橋の上の事故だったのでカップルの車は欄干を飛び越し、三十メートル下の海に落ちた。二人とも溺死した。
 NS&A社の技術者たちは、具体的なデータのないまま、とりあえず一般的な学習プログラムを組んだ。問題の提示と解法の解説。令嬢が飽きなように周辺のトピックを織り交ぜていく。AIによって少しずつデータの蓄積が行われ、趣味や好みに沿った意欲喚起、新しいジャンルの紹介など。学習面では優秀な教育用アンドロイドの役割は十分に果たしていた。問題は要求された情緒面での働きかけという点。金銭面では何不自由ない暮らし。車イスに乗っていることでの行動面での制約は仕方ないにしても、情緒面ではアンドロイドは人間の友人になるには到底そのレベルに届かない。技術者たちが考えたのは、物語りを読み聞かせて、その物語の主人公の行動を想像の中で追体験し、疑似体験ながら物事への善悪の考え方を深め、主人公への共感能力を涵養していく。アンドロイドはその過程で当人に寄り添う。読み聞かせの次に過去の映像作品の鑑賞も加わった。もともと優しい心根の少女だったのか、共感プログラムの予定消化は順調に進み、富豪の代理人弁護士を通じてアンドロイド家庭教師に満足している旨の連絡が寄せられた。プログラムが成功に向かっている。技術者たちが祝杯をあげようかというまさにそのとき、事件は起こったのだった。

       四

 崖から墜落したアンドロイドの行動履歴の詳細は分かっている。令嬢が眠った夜の十時に富豪宅を抜け出し、現場まで徒歩でやって来ている。それから素手で断崖を登り始め、例の青い花を掴んで降りようとしたとき足場の岩が崩れた。教育用アンドロイドは戦闘用アンドロイドと違い、日常生活のレベルを超えた物理的衝撃や圧力には弱い。ホスト・コンピュータに随時データを送って、当面必要となるデータのみをアンドロイド側に残している。アンドロイドであるから人間のように頭にあたる部分に記憶装置が格納されている。しかし、この格納容器の強度には一定以上の衝撃は想定されていない。というより頑強な構造にするといったコストをかける意味がないのである。
 30mの高さからの落ちた重さ45㎏のアンドロイドは、空気抵抗はほとんどないから、約2・3秒後に時速82㎞で地面と激突する。このときの衝撃でアンドロイドの体は物理的に破壊された。真っ逆さまに墜落し激突するまでの映像がアンドロイドの視点で残されている。そこに最後に映っていたのは、本体からちぎれた右手首の指が二本ほど取れていながら、残りの指でしっかり青い花を掴んでいる画像だった。
 最大の問題はこの行動の原因と理由だった。なぜ夜中に、なぜ崖の上の花を取りにいったのか。事故の前一週間、二週間、一か月前からのデータの精査が行われた。
 学習以外のやり取りで技術者が注目したのは、令嬢がアンドロイドに夢を見たことがあるかと聞いたことだ。夢は人間の脳が睡眠中に見る。人間以外にも動物が夢を見ることは分かっている。夢を見たことがあるか、と問われたアンドロイドは、ただ、「ありません」と答えた。「そうなの」と応じた令嬢の反応があまりにがっかりした様子なので、アンドロイドはホスト・コンピュータを通して夢に関する膨大なデータを学習した。しかし、アンドロイドに夢を見る機能は搭載されていない。つまりそれがなにか判明しても、理解に至らないのだ。分かるのは夢について書かれたこと、語られたこと、それが何を人間に働きかけ何をもたらしたかの膨大な記憶。記録に残らなかったことは分からない。アンドロイド搭載のAIは、判断の出来ない段階で判断を保留し、それについての作業を中断する。
 普通の汎用型アンドロイドならこれ以上の行動はなかっただろう。しかし、今回、富豪令嬢に提供されたのは特別なプログラムをビルト・インされた、NS&A社の総力をかけて作り出した共感型アンドロイドである。人間相手であれば西洋に源を持つ、論理だけでは割り切れない矛盾を抱えた人間の非論理的行動、価値判断、意味の分からない無駄な行動などに、一定の理解をし学習し行動するように設計されていた。
 共感型アンドロイドが選択したのは、令嬢との会話を重ねつつ令嬢が何を感じているか、何を欲しているかを探ろうとすること。繊細で敏感な感性を持っていることは分かっているので、会話は、最初は、ちぐはぐなものだった。優しいこころの持ち主だった令嬢は、アンドロイドが学習して成長するのを待つことができた。

       五

「ねぇ、メアリさん、あなたは夢をみたことがあって?」アンドロイドは会ったその日に、令嬢からメアリという名前をつけられていた。
「夢ですか。夢には四つの意味がありますね。一つ目。睡眠中に現実のように登場人物の一人に自分がなって、叶えられない願望を実現したりする。通常、眼が醒めたあとで意識されます。二つ目。はかないものの譬えを夢といいます。三つ目。空想的な願望やこころの迷い。四つ目。将来実現したい願いや願望。咲さんのいう夢はこの四つのうちのどれですか」
 令嬢の名は咲といった。お嬢様というプログラムされた呼びかけ方をあっさり本人によって拒否されたので呼称が変更された。
「咲のいうのは一つ目の夢ね」
「私は一つ目はおろか全ての夢を感じたことがありません。咲さんの見る夢はどんなものですか」
「咲はね、歩く夢。咲はほんとに小さいころは歩いていたみたいだけど、歩いたという思い出はないの。歩くことがどんなことか分からないのに、歩く夢を見るなんて変だよね」
「どんな夢をよく見るんですか、咲さんは」
「咲はね、お母さんと遊んでる夢をよく見るよ。まわりにいっぱい綺麗な花が咲いているお花畑のようなところ。お母さんが咲のために花で冠を作ってくれるの。私は嬉しくって、お母さんの周りをぴょんぴょん跳ねながら歌をうたって遊ぶの。咲の冠の花が美味しそうなので蝶がやってくるの。それを追いかけるの」
「楽しそうですね」無難な受け答え。これも経験学習の成果である。
「それでね、咲がふっと気になって後ろを振り返るの。するとお母さんが立ち上がって、『咲、行きますよ』というの。お母さんは私の来るのを待たずに歩き始めてしまう。私はお母さんに追いつこうと走るのだけど、上手く走れないの。お母さんの背中がどんどん小さくなっていって、私は大声で、『おかあさーん、おかーさーん』って叫ぶところでいつも目が覚めるの」
 この話をする令嬢はいつも涙ぐんでいる。大きな瞳に涙が溢れた映像のアップ。
 アンドロイドにはそういった経験がない。工場で生産されたで母親はいない。母親のような存在を知らないし、母親が人間の子どもにとってどういう存在であるかも分からない。分かるのは膨大なデータの中からこの遣り取りに似た場面では、どういう風に共感が示されるか。実際のものとして記録された話。映像作品の一場面。評価の高い小説でのやりとり。そういった事例は分かる。しかし、目の前の具体的事象に対する反応は未知である。ホスト・コンピュータからは推奨される行動パターンを、状況にマッチする可能性が%で示される。一番リスクの少ないパターンを選ぶかどうかはアンドロイドが判断する。
「その夢はいつも見るんですか」
「ううん、ときどきね。咲がさみしくなってきたらよく見るの。最後はいつも悲しくなるけど、お母さんの顔を見れるから嬉しい夢だといつも思うことにしてる」
「私はアンドロイドなので夢を見ることはありません。でも咲さんお話を聞いていると、夢を見る咲さんがとても羨ましいです。咲さんの見た夢のお話を私にいっぱいしてください。咲さんの見た夢を、夢を見ることの出来ない私の夢にします」
 この申し出は唐突だった。ホスト・コンピュータはすぐさまプログラムのバグではないかと精査した。しかしホストのAIはプログラムエラーを検出しなかった。アンドロイドは経験を蓄積させて富豪令嬢に反応を特化させた最適解を自分で見つけたと結論づけた。そして令嬢の反応が問題ないと確認して、アンドロイドの反応にポジティヴと評価した。
 次の日から、令嬢とアンドロイドの会話は咲の見た夢の話から始まるようになった。夢を話す令嬢。それを興味深く聞くアンドロイド。令嬢の夢の内容はホスト・コンピュータに記録されていった。その多くは年齢相応の他愛のないものだった。夢を覚えていない朝もあったが、アンドロイドに聞かせるために、令嬢は自分の夢をノートに記録するようになった。記録を続けていくうちに令嬢が変なことを言い出した。
「メアリさん。私ね、この頃、見たい夢を見れるようになったんだ。毎回じゃないけどね」
 アンドロイドには何のことか理解できなかった。ホストも沈黙していた。そのときホストは判断ができない状態になっていた。見たい夢を見る。確かに世界中の記録の中にはそういったものがあった。未開の部落にいるシャーマンと呼ばれる呪術師が、夢で吉兆を占ってきた事実は報告されている。夢のお告げで人間の行動が決められていた時代がある。世の中には『夢見の技法』といった書物が溢れていた時代があった。
 夢の中でそれを見ている当人が「これは夢である」と意識する夢を明晰夢という。研究者の行った実験でこういうものがある。被験者が自分は明晰夢を見ていると分った時点で、夢の中で眼球を右左右左と意識的に動かして、眠っている被験者のそばで記録している研究者に合図を送る。実験でその目の動きを記録したとき、被験者の脳波の波形は明確に睡眠中であることを示していた。もちろんREM睡眠中の出来事である。
「明晰夢」を見ることができるようになると、自分の見たい夢を見ることもできるようになるという。令嬢はそのことを言っているのである。
「それはすごいですね。じゃあ、咲さんはお母さんに会いたくなったら夢の中で会えるのですね」
「うん、そうだよ。そして、夢の中でお母さんに追いつくんだ。お母さんと手を繋いでどこまでもお母さんと歩いていくんだよ。夢が醒めるまでね」
「それは楽しみですね」
 アンドロイドを常時監視していた技術者から、このとき、異論がでた。明晰夢を見ることが可能だとして、もし令嬢が夢で逢えた母親とどこまでもいつまでもいっしょにいたいと本当に願って、いつまでも夢から覚めなければどうなる。そう技術者は主張した。思いのままに夢を操れるなら、夢から覚めないことも可能ではないか。
 同僚の技術者たち、彼らの上司たちはその技術者の主張を一笑に付した。眠れる森の美女じゃあるまいし、止まない雨がないように、醒めない夢などない、と。杞憂であると。主張した技術者も自分の主張にこだわることはなかった。思春期特有の不安定さはあるものの、令嬢は足の障害以外は極めて健康だった。言動におかしな兆候は何ひとつ見られない。むしろアンドロイドの示した共感を喜んでいるではないか。

       六

 この遣り取りがあって程なくして、例の事故が発生した。それまでの遣り取りで注意すべき事柄は見られなかった。ただ一点、アンドロイドとホスト・コンピュータの通信が途絶えた短い空白期間があったのだ。NS&A社からすぐに連絡がいき、通信断絶の引き起こす懸念が富豪代理人の弁護士に伝えられた。帰ってきた返答は、富豪サイドの通信機器に障害が認められたので、一旦全てのシステムを落として点検が行われたのだという。その際、すべての通信システムが止まった。富豪のセキュリティーの特性から一定範囲がシールドされたのち再起動した。この間の空白時間は数回認められたが合計で一時間に満たず、その後のホスト側からのリモート点検でもアンドロイドのシステムに何も異状がなかったので、そのままアンドロイドによる教育は続行された。その裏には、アンドロイドの性能を富豪が高く評価していること。引き続き娘の教育を切れ目なく行えば多額の研究助成金が支払われることを、上層部が歓迎していたからだ。もちろん、現場の技術者たちにはそのことを告げられてはいない。
 事故検証チームは事故発生の直前、令嬢とアンドロイドの会話の中に「青い花」というワードが何回か出てきたことに注目した。墜落して大破したアンドロイドの右手に握られていたのが青い花だったからだ。そして理解不能なやりとりが続いたことにも注目した。
「メアリさん。花って好き?」
「花ってどの花も個性があって綺麗ですよね。私はどの花も好きですよ」
 技術者はこのアンドロイドの発言に首を傾げた。学習AIがデータを蓄積させた独自の反応としかいいようがない。
「咲さんはどんな花が好きなんですか?」
「私もね、お花はみんな好き。大きな眩しい色の花も、道端に咲いてる小さい花もみんな好き」
「咲さんのお母さんもきっと好きだったんでしょうね」これもイレギュラーな反応。
「咲はね、お庭の綺麗な花を摘んでお母さんにプレゼントするの。お母さんはとっても喜んでくれるんだよ。お母さんの体の具合が悪くなってお見舞いに行くときはいつもいっぱいの花を持って行ったの。
「お母さんは、玄関とか居間とかすべての部屋にいつも花瓶いっぱいの花を活けていた。お父さんもとても喜んでいたの。きれいだって。するとお母さんが、『わたしとどっちがキレイですか?』って聞くの。ねぇ、メアリさん、これって少し意地悪な質問だよね。花って応えちゃいけないもんね。お母さんはいつも忙しいお父さんにちょっと甘えたのね」
 富豪一家のエピソードはここで初めて語られて、そして、この一回だけで終わった。
「メアリさん、私ね、お母さんに今度会ったらメアリさんのこと言うね。素敵なお友だちができたって」
 ここでアンドロイドのプログラムが異常反応をした。共感プログラムの限界だった。人間から親密な関係を示されると通常はその関係性から離れるように設計される。生身の人間は、アンドロイドにとってはブラック・ボックスである。次にどういった反応をしめすか分からないから、とりあえず危険を回避する、これが正常の反応として組み込まれている。
「ありがとうございます。夢でお母さんに会えたらよろしくお伝えください」
「うん、きっとそうするね」
 そして件の事故が起きた。

       七

 データの調査が終わって、俺はじっと考えこんでいた。まったく考えることが嫌いな俺が考え事をするなんて。
 ふとエリカちゃんの視線を感じた。横に座っているエリカちゃんが俺をじっと見ている。おお、とうとう俺の魅力に気がついたか。画面を見たたまま話しかけた。
「何か用事かい?」
 エリカちゃんはその美しい眉を寄せて困惑の表情をつくった。
「Kさんのデータがありません。Kさんは人間ですよね。どうしてデータがないんですか?」
 やっぱりこの質問がきたか。エリカちゃんは余りに暇なので、目の前の俺のデータを検索したんだ。検索して出てこないものはない。民生用も政府機関のデータもエリカちゃんならアクセスできる。だからアクセスできないのが理解できないらしい。
「それは、つまり俺が実はこの国の王族の末裔だからだよ。王族のデータはエリカちゃんでもアクセスできないだろ。とっても分かりやすい理由だよ」
「確かにこの国の王族という特別な集団に関するデータは閲覧できません。出来ないというよりアクセスが禁止されています。でも王族のデータには明確にアクセス権があるか確認コードを求められるので、結果としてコードを知らない者はアクセスできないことになり、アクセス出来ないデータは実質ないに等しいので、Kさんの言うことは理屈が通っています。しかし、Kさんのデータはアクセス拒否をされないんです。つまりサイバー空間にないということです。これはとてもおかしなことです」
「実は俺のデータは事故で一回消滅していて、復元が行われていないんだよ。その事故はこの国のトップシークレットの一つで、事故の存在自体ないことになっている。言えることはここまでだよ」
 我ながらなんつー苦しい答え方かね。
「なるほど。私も最初からどうしてKさんがこの調査に起用されたか分からなかったんです。そういうことなら仕方ありませんね」おいおい、君はそれで納得するんかい。
「さて、私の上司が結論を求めています。Kさん、今回の教育用アンドロイドの事故原因は分かりましたか」
「さて、それじゃよ、エリカちゃん。この教育用アンドロイドのお姉さんは、令嬢にどうしても青い花をプレゼントしたかったんだ。青い花を令嬢のお母さんが好きだったから、アンドロイドから令嬢を通じて花をプレゼントしたかったんだよ。その気持ちを理解したメアリさんが、令嬢のために一大決心をして、危険を冒して取にいった。」
「令嬢の母親は亡くなっているのですよ。どうして死者に花をプレゼントできるのですか。死者の眠る墓前に花を手向けるのは人間社会では一般的な行動です。だったら花屋で売っている青い花でいいではないですか。何も危険を冒して断崖を登る必要はありません。そんな結論はNS&Aの誰にも納得してもらえません。」
「いや、必要があったんだよ。あの青い花は令嬢にとって特別な花だったんだ。あの花でなければいけない。令嬢がこだわった花だったんだ」
「理解不能です。でもKさんの出した結論がそれなら、そう私の上司に報告します。そうすれば、Kさんは理解不能の結論を出した調査員として評価されて、今後NS&Aからの仕事の依頼が来なくなります。調査報告書は追ってメールに添付してください。ロックしてパスコードをつけてください。これが今回のパスコードです」エリカちゃんはパスコード取得用のNS&A社専用のURLを教えてくれた。
「エリカちゃんとはもう会えないのかな?」
「理解不能な会話ですね。私の役割は終了しました。今後会社からのミッションがなければお会いする意味がありません」
「そりゃそうだ。でも人間の行動は意味あるものばかりじゃない。仕事以外で会うこともお互いのことを知るためには必要なこともある」
「理解不能です。私は共感型アンドロイドではないので、Kさんの感情を理解することはできません。それでは私はもう行きます。私からの報告書を閲覧希望であれば社に申し出てください。今回の件の報酬と経費については、これも本社のホームページに記入用のページがありますから、そこから先ほどのパスコードを使ってサインインしてください。それでは」
 俺はエリカちゃんの左右に揺れる魅力的なヒップがドアに向こうに消えるまで見ていた。俺もまさかアンドロイドをとデートをしてどうなるかなどと思ってもいないけれど、エリカちゃんの美しい顔を一秒でも長く眺めていたかったから、ああいう痛いお誘いをしてしまった。悲しき独身男の性やね。

       八

 事件解決能力がないと判定されるのは、まあ仕方ないか。あの髭のオヤジ、一体俺に何を期待してこんな案件を押し付けたんだ。膝の上に本物のネコを乗せて背中を撫でながら罵っていた。世話になってるからなぁ、でも、今度会ったら文句の一つも言うか。心の中で、この老いぼれ、このハゲ、この耄碌ジジイなどと知る限りの罵倒語を並べたら、少し気が済んだ。明日から、また、迷いアンドロイドネコの捜索か。やれやれ。
 今回の案件では、俺の推測は一番正しい筈だ。令嬢と教育用アンドロイドは断崖に咲くあの青い花の存在を知っていた。記録によればこうある。
「ねえ、メアリさん。〈画像を指さしながら〉あの青い花。あれをお母さんは好きだったのよ。青い薔薇」
 青い薔薇は、2004年6月、日本とオーストラリアの企業が共同開発した。もともと薔薇には青い色素がなく、遺伝子組み換え技術を利用して作られた。長い間、薔薇愛好家が青い薔薇を産み出そうと努力を重ねてもついに果たせず、ブルー・ローズの花言葉は「不可能」だった。
 令嬢の母親の好きだった青い薔薇。夢の中で、令嬢は母親に青い薔薇をプレゼントしたい、出来たらどんなにいいでしょうと言っていた。
 それに対して教育用アンドロイドは返答に困り〈というか参照すべきデータがなかった〉、「そうですね」と共感を示した。
 ある日、令嬢は見た夢を話した。夢で母親に会えた。青い薔薇を持っていった。お母さんは大層喜んでくれた。そして「咲ちゃんにも」と言って一本の薔薇を手渡した。令嬢は目覚めてからお母さんにもらった花がないことが悲しかった、と。
 教育用アンドロイドは黙った。どう返答していいか分からなかった。それでも、「咲さんは見たい夢を見ることができるんですよね。今晩もお母さんに会えますか?」と。
「うん、咲が望めばいつでも会えるよ。今夜も会うよ」
 アンドロイドは、「さぁ、昨日の続きをお浚いしましょうね」と言ってその日の学習プログラムを開始した。
 NS&Aの技術者たちもこの遣り取りを知っている。しかし、アンドロイドの墜落がこの会話に端を発しているのを見抜いた者はいなかった。理由は簡単だ。まず、アンドロイドは不確かな情報に基づいて行動しないよう設計されている。不確かな情報は個体保存を危うくするからだ。ロボット三原則を持ち出すまでもなく、人間に危害のない範囲でロボット自己の安全を確保するようになっている。そうでないと悲しみのあまりロボットが自殺するというあり得ない事態が発生することになる。ロボットは高価な商品であるから、自己破壊機能を搭載した偵察用ロボットや、敵要人暗殺したあと証拠を残さないまたは関連情報のトレースを遅らせる目的で自爆機能がビルトインされていなければ、ロボットは自分から危険を回避する。だからプログラムミスがない以上アンドロイドの異常行動の説明ができない。
 しかし新しい共感型アンドロイドは学習蓄積によって行動パターンを変容させていた。共感能力とはその場で相手の気持ちを我が事として共有する能力だ。共感を示すと相手とより親密になれる。いずれも数値化されないファジーな現象だ。AIの進化の方向を自分自身で決定する自己完結型になったのだ。ディープラーニングがパンドラの匣を開けてしまったといえる。この社会にとって極めて危険な装置が出来たといっていい。NS&A社の技術者たちは気がついていない。でも、やがて気がつくだろ。地面に激突して大破した共感型アンドロイド、世界に一体しかないアンドロイドが無くなった以上、当面の危険は去った。それを知っている技術者もきっといる。しかし、論理では説明できない事象では、その論理に従う言葉では説明できない。確実に共感型アンドロイドはこの時代には早すぎた。開発の意図を満足させる思考エンジンのスキームを完成させるまで。

       九

「非道いですよ、おやじさん。もっといい案件を廻してください。俺は無能の烙印をこの国の大企業に押されてしまったじゃないですか」
 俺の目の前には、申し訳程度の白髪を、時間をかけて、禿げた頭全体に均一にまぶした若いのか年取っているのかすぐには判然としない男が座って、伸びた鼻毛を摘まんで取ろうと悪戦苦闘していた。何回か失敗して、「よしっ!」と気合を入れて抜き取ったのはいいが、束で抜いたらしく「おおおおっ」と痛がって、ズボンのポケットから皺くちゃの、どう見ても綺麗じゃないハンカチでごしごし溢れた涙を拭いていた。俺はその動きを見ながら黙っていた。おやじ、絶好調じゃないか。
「そうか。お前でも解決できなかったか。そりゃ、誰にでも解決できないわ。まあ、そう頭にくるな。解決出来なかったのは結果として悪いことばかりじゃなかったぞ。今回の一件でNS&A内部の派閥が入れ替わった。お前は間接的な功労者だよ。ワシの仲介料が少し多すぎたのでお前の口座に幾らか入れておいた」くっそ、やっぱり裏があったのか。
「それはどうも。でもヤバい案件はお断りですよ」
「分かった、分かった。注意しとくよ」こいつその気はないな、絶対。
「ところでKよ、気がついていたか?」
「富豪令嬢のことですか。勿論ですよ。自分の暗殺対象のデータは簡単には頭から消えませんからね。それにしても富豪のお遊びには困ったものです。確かに娘は一人いました。でも母親を亡くして、しばらくして娘も亡くなっています。娘に瓜二つのアンドロイドを作り、そのアンドロイドに教育用アンドロイドをつけるなんて、一体何を考えているんだか。そしてNS&A社も巨額の資金援助に目が眩み、共感型アンドロイドという確立されていない技術を投入するなんてね」
「何でも金で解決してきた人間だから、金の力で自分にとって最高に大切なものを作りたいと考えたんだろう。恐るべき執着心だわい。金持ちの考えることは、我々庶民には分からんよ」何が庶民だ、プロの暗殺術指南が。
「お前の報告書を読ませてもらった。NS&Aの技術者や上の者には頭の悪い人間の書いた世迷い事と映っただろうな。その点は同情する。しかし、夢の中で母親に会って花を手渡すなどと、普通の者なら思いつかない。この最大のポイントを、お前はどうやって発見したのかな」
 おやじさんの淹れてくれたお茶に茶柱が二本も立っていた。その目出度い茶柱を見ながら返事をした。
「簡単なことです。俺も明晰夢を見ることが出来るからです」
「ほう、今まで隠していたな」
「言っても誰にも信じてもらえる可能性がなかったからですよ。恵まれない孤児の発明したささやかな楽しみですよ。で、令嬢とアンドロイドの会話の記録から、この女の子は明晰夢を見て、夢の中で母親と会っていたんだと分りました。もちろん母親は亡くなっていますから実際に会ってはいない。しかし、明晰夢ではまるで相手が生きていて触れば人のぬくもりを感じることができる。女の子にとっては夢は第二の現実だったんですよ。アンドロイドはその女の子の真剣さを感じとり、女の子の願いを叶えようとした。崖から墜落しなければ、アンドロイドと女の子の絆はさらに深まったでしょう。でも共感用のプログラムは開発途中というか未完成のものだった。ロボットの選ぶべき判断と共感エンジンの判断がぶつかり、アンドロイドはリスクを承知で行動したんです」
「そうだとしても、今この世にその考えを受け入れる余地はないな。ご苦労だったな」

 俺は事務所に戻ってNS&A社の報告書のデータ集を眺めていた。アンドロイドが英詩を令嬢に教えていた部分だ。つまらなそうに聞いていた令嬢が唯一反応した詩があった。十八世紀末から十九世紀初頭にかけて活躍したイギリスロマン派の詩人、コールリッジの短い詩篇だった。次のようなものだ。
 What if you slept
 And what if
 In your sleep
 You dreamed
 And what if
 In your dream
 You went to heaven
 And there plucked a strange and beautiful flower
 And what if
 When you awoke
 You had that flower in your hand
 Ah, what then?
 夢の中で花を母親に手渡し、母親がその薔薇の一本を女の子に差し出す。朝目覚めたとき自分の手が青い薔薇を握っていたら、どんなに素敵だろう。女の子の気持ちが、こんなひねくれ者の俺にも痛いほど分かる。現実ではかなわない夢を夢の中で果たそうと願う気持ちは俺にもあったからだ。
 青い薔薇の花言葉。実現できない時代は「不可能」だったが、実現すると「夢かなう」に変わった。令嬢の夢は叶う直前で潰えてしまった。それでもアンドロイドのメアリさんの命をかけた思いが誰かに伝わっていればいいな、と少しセンチメンタルになった俺は本気でそう思った。

       十

 振り込まれた額のあまりの少なさに愕然とした。俺としたことが成功報酬の額の大きさに気を取られていた。おやじさんからの振り込みの方が多いくらいだ。やっぱり俺の報告書はゴミだと思われたな。おかげで今よりましなエアシューターを買うという俺のささやかな目論見は雲散した。というよりたまった事務所の家賃の支払いのために何か仕事を請け負わないといけない。どんな世の中になってもヤバい仕事はある。それを二つ三つこなせばなんとか凌げると分っていても、ヤバい仕事を廻してくれる方々とは日頃付き合いたくないと思っているから、ヤバい仕事は最後の手段にととってある。ヤクザ屋さんに別のヤクザ屋さんが貸して焦げ付いた金の回収とか、ハイリスク・ハイリターンの仕事は気乗りしない。
 さて、どうしたもんかと今じゃ唯一の友だちであるにゃんち5号-これは本物のネコ-を膝の上におき喉のところを指ですりすりしながら考えていた。こうするとにゃんち君は気持ちがいいのか目を細めてリラックスする。それを見ている俺もリラックスできる。もう永遠にすりすりしていられるな。
 事務所のドアがコンコンと誰かに敲かれた。すわ借金取りかと腰を浮かしかけた。突然、気持ちよく眠りに入ろうとしていたにゃんち君が「にゃぁ」と抗議してから、俺の膝から降りた。
 またコンコン。頭が急速回転して、大家じゃない、支払い期限を過ぎた借金はあるかチェックした。とりあえず身の危険は回避されたとなると・・・。
 またコンコン。これは! 客じゃねぇか。急いで立て付けの悪いドアを開けた。そこにいたのは、なんとエリカちゃんだった。
「おお、エリカちゃん。俺のことを忘れてはいなかったんだ」そのエリカちゃんのはずの女性が言った。
「誰かと間違っていませんか。私はエリカではないですよ。お願いをごとを聞いていただきたくて参った工藤あかねといいます」
 何から何までエリカちゃんにそっくり! 生身のエリカちゃんに身もこころもゾクゾクした。同時にとっても悪い予感がしたのだった。

コールリッジの青い薔薇 明晰夢シリーズ その3

コールリッジの青い薔薇 明晰夢シリーズ その3

  • 小説
  • 短編
  • ファンタジー
  • SF
  • 全年齢対象
更新日
登録日 2020-08-10

Copyrighted
著作権法内での利用のみを許可します。

Copyrighted