十字について
十字について
どうしようもない夜明けが近づいてきている。臨界点に立たされている。はちきれんばかりの絶望がぼくをしあわせにしてくれる。そう信じている。狂信している。
水の音がする。夜の深さに脳が耐えられなくなったらしい、生命のはじまりからやり直していることがわかる。小さいころのまま化石されたきみのお手て。水袋みたいだ。でも化石だからそんなことはない。化石ってやつはみんな、本人が気づかないままに化石されている。
夏のあいだ中ずっと、人生について神様と語り合ってきた。
何度も。
ぼくはうまいことが言えず、ずっと黙り込んでいたから、お説教されてるみたいだった。
ぼくらはきっと疲れ切っている。直線を二本直角に交わるよう引いて、それだけで救われるような気分になっている。ただの数学的な偶然にたよっている。でもときどきなみだを認識する。あきらめをあきらめきっていないんだ。臨界点にはそんなものばかりが詰め込まれていて、臨界点自体が夜明けをやわらかに受容していた。世界は、いくつもの世界に分割されているよ。テレビを見るみたいに、ぼくはそれを眺めているだけなのさ。貧困とか飢餓とかのはなしはいつもずっと遠くにあるよ。天上なんてなおさらだよ。こうやってなみだを認識する。視界はまたぐにゃぐにゃになる。はちきれんばかりの絶望が、絶望と対等なしあわせが、くるっているまま、夜明けに立証される。ああ、これも数多くある言い訳のうちの一つだ。逃げているだけだって気づくよね。ほら、真っ白な朝日が追いかけてくる。どうしようもないから、十字のかどだけは直角に曲がるようにするよ。
十字について