ぼくは、やっぱりレモンスカッシュにすればよかったと思った

 ぼくの唯一の趣味は、自殺者を眺めることだった。

 ぼくの住む家からは、背の高い廃ビルの屋上を眺めることができた。
 まだぼくが小学生だったある日、風邪を引いて学校を休んでいるときのことだった。ベットのそばにはレモンスカッシュが置いてあった。どうしてだったのかは記憶に定かでない。たまたま家にあったのがレモンスカッシュだったのかもしれない。
 ずっと寝ていることにも飽き、何もすることがなく手持ちぶさたで、ぼおっと窓の外を眺めていた。すると、その屋上に制服を着た女性が立っているのが見えた。どうしてそんなところにいるのか、不可解に思いながら見つめていると、彼女はゆっくりと端のほうへ向かっていった。落ちてしまうすれすれまでたどり着いて、ぼくをはらはらさせた。そして、数分だったか数十分だったか、あるいはもっと長い間だったのか、しばらくそこに立っていた。ぼくはずっと彼女に見とれていた。彼女が何を考えているのか分からなかった。
 そろそろベットに戻ろうかと思ったそのとき、彼女に動きがみられた。今にも落ちてしまいそうな屋上の端のさらに向こうへ行き、ジャンプした。ぼくはその様子に目が離せなかった。何が起こっているのか、信じられなくて、立ち尽くしていた。息が上がっているのがわかった。
 呼吸が通常のように戻ってきたころ、喉の渇きを感じてレモンスカッシュに手を伸ばした。味はよく分からなかった。

 その日から、ぼくは暇さえあれば自室からその屋上を眺めるようになった。すると、意外と多くの人間がそこを訪れることが分かった。彼女と同じような年の少女もいれば、くたびれたサラリーマンもいた。しかし、本当に飛び降りる人はあまり多くはなく、多くの人間は彼女と同じように端に立ったまましばらく考えてから、彼女とは違って階下に戻っていった。ぼくはその意味がよく分からなかった。自殺する人は、決して揺るぐことのない大きな決心をしてから実行に移すものだと思っていた。

 ぼくは、自殺しようとしている人を、普通の人よりかなり多く見てきたけれど、どうして自ら命を絶とうとするのか、ちっともわからなかった。学校の道徳の授業で教えられた、自殺はいけないことです、という言葉が頭の中をぐるぐると回る。何人もの自殺志願者を見つめながら、それを止めようとしないぼくも悪人なのだろうか。

 高校3年生の夏だった。あの廃ビルが取り壊されるということをどこかで知った。飛び降りる人々を眺められなくなるということは惜しかったけれど、それ以外は特に何も感じなかった。
 取り壊される前に、自分もあの場所へ行ってみようと思った。自室を出て、玄関を開け、外を歩いていると、どうして今まで行こうとしなかったのか分からなくなった。
 件のビルの前にたどりつき、上を見上げると、意外と高さのある建物だと思った。あそこから飛び降りるには、かなりの勇気が必要なのではないだろうか。そんなことを考えながらタンタンと一定のリズムで階段を上っていく。最上階までは、なかなか遠かった。
 ようやく階段の最後が見え、登り切った達成感のようなものも抱きながら、外へとつながるであろうドアノブに手をかけた。回すとガチャガチャと音が鳴るものの、押しても引いても開くことはなかった。拍子抜けした気分だった。
 納得いかないまま階段を下りた。タンタン。半分ほどまで行ったところで、一人の女性とすれ違った。お互いに何も言わなかった。

 長い階段を登ったり下りたりしたので、疲れていた。ぼくは帰宅する前にジュースを買おうと思い、コンビニに寄った。まっすぐ飲み物コーナーへ向かう。立ち止まると、ちょうどメロンクリームソーダが目に入った。その隣に初めて飛び降り自殺を目撃したときに飲んだものと同じレモンスカッシュが並んでいたが、ぼくはメロンクリームソーダを手に取った。

 店外に出て蓋を開け、ぐびぐびと飲む。些か甘さがきつく感じられた。ぼくは、やっぱりレモンスカッシュにすればよかったと思った。

ぼくは、やっぱりレモンスカッシュにすればよかったと思った

 「僕は、やっぱりレモンスカッシュにすればよかったと思った」で終わる小説を書きたい

 そう言ったのはぼくではない。ツイッターのFFのFFだった。ぼくがそれを読んだとき、彼女はすでにこの世にはいなかった。ぼくがフォローをすることがないまま、彼女は死んでいた。だから、ぼくは彼女のことを知らないし、どのような意味があってそのように言っていたのかもわからない。本来、これはぼくの書くべきものではなかったのかもしれない。それでも、ぼくは「やっぱりレモンスカッシュにすればよかったと思った」で終わる小説を書きたいと思った。

 最後まで読んでくださり、ありがとうございました。

ぼくは、やっぱりレモンスカッシュにすればよかったと思った

  • 小説
  • 掌編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2020-08-08

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